日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

できるんだ!

2015年07月25日 | 日記
公共的な工事でも、トップの人間の一言で「白紙に戻す」ことができるのだという事を、今の総理大臣は示してくれました。

色々と理由を付けて、後戻りはできないと言い張っていた人たちがおりましたが、さて、その人たちは、今度はどのような弁解をするのでしょうか。

きっと、何事も無かったような顔をして、次の計画に参画するのでしょうね。

狡猾な人たちの集団が。


豊田一喜



8目(もく)釣り

2015年07月18日 | 日記
諌早市飯盛町の結の浜に「アジ子」を釣りに行きました。

結の浜マリンパークからは、海水浴客の楽しそうな声が、防波堤を隔てて聞こえてきます。

結の浜マリンパーク東側の漁港の護岸から、アジ子を釣るつもりでサビキ仕掛けの竿を出しました。

港の中には、かなりの広い範囲で「赤潮」のような物が漂っておりました。

アジ子が3匹釣れてからは、あたりもなくなったので場所を移動して、渓流仕掛けの餌釣りに変えました。

青イソメを0.4号のハリスの釣り針につけて、仕掛けを護岸のヘリに投入すると、すぐにあたりがありましたが、上げる途中でハリスが切断されていました。

クサフグなどの仕業である事は分かるのですが、当たりがあるとつい嬉しくなって、その場所に又仕掛けを投入してしまいます。

同じようなハリスの切断を数回繰り返してから、今度はかなり重たい引きがありました。

水中での慎重なやり取りのあと、水面に姿をあらわしたのは、体長20cm程度の「ハコフグ」でした。

そのまま抜き上げると、0.4号のハリスは切れてしまうので、近くの階段の場所まで引っ張ってから、手でつかんで取り込みました。

テレビではよく見る事がある「ハコフグ」でしたが、釣り上げたのは生まれて初めてでした。

甲羅の様に硬い体表面で、手で持つとずっしりと重みを感じました。

そのあとにも、クロの子が強引に引いてくれたり、キジハタの子が釣れたり、アラカブの子、ベラの子、念仏ダイの子、チダイの子と、合計で8種類の小魚が釣れてくれました。

連休初日の半日間、結構楽しい時間を過ごさせて頂きました。

ハコフグは、身も内臓も無毒だということですが、危機を感じると体表面から、他の魚を死なせる毒を分泌するということをインターネットの情報で知りました。

氷を入れたクーラーボックスの中の融けた水が、白濁していたのでなぜだろうと思っておりましたが、ハコフグが分泌した物だということが、情報検索の結果分かりました。

ハコフグは、無毒だと分かり、五島地方ではご馳走だということも分かりましたが、食するのは止めておきました。

本日の釣果の一部(画像をクリックすると拡大します)


ハコフグのアップ写真(画像をクリックすると拡大します)



豊田一喜






白紙に戻す?

2015年07月17日 | 日記
オリンピックに使うための、分不相応な競技場の計画を白紙に戻すそうな。

今頃そのような事を表明しても、白紙になど戻せる訳が無い。

既にデザイン料として、13億円もの莫大な血税が外国人のデザイナーに支払われているという。

また、工夫して補強増築などしても、充分に競技場としての機能を果たせたはずの国立競技場は既に取り壊され、その工事にも莫大な血税が投入されている。

集団的自衛権を容認する法案を強行採決し、さらにあきれるほど莫大な金額の国立競技場建設計画を進めた。

それらの傲慢な、自分の一族の悲願を達成したいだけの輩の横暴ぶりに対する世論の批判にたじろいで、とりあえず片方は「白紙に戻す」ということにしておけば、愚かな国民のガス抜きにはなるだろうという姑息さが見え見えで、私たち庶民を愚弄している。

「白紙に戻す」といったところで、今までに投入された血税に対しては、誰がどのようにして責任を取るのか?

誰も責任など取りはしない。

取り壊し工事も発注済だし、取り巻きの利権構造構成員集団にはお金をばら撒くことはできたし、とりあえずは「仕切りなおし」ということにして、次のばら撒きの算段を検討しようということだろう。

元々、工夫して使うという方針で臨めば使えるはずの施設を、強権的に取り壊して、新たに莫大な血税を投入して作り直すという計画を、粛々と推し進めるとした経緯そのものが誤りだったと認めるべきである。

集団的自衛権に関しても、「国民の生命財産を護る責務が自分にはある。」などとのたまわっているが、それも同様に、たかだか一時の総理大臣が、国民の生命に対して責任など取れるはずが無い。

国民の生命財産を護りたいのであれば、先輩諸氏が戦後70年をかけて構築されてきた従来通りの外交姿勢を貫くということに尽きる。

何もしないでいてくれる事が、私たち庶民の生命財産を護ることになる。

一国平和主義でいることの何が悪いというのか。

私たちの単位家庭のそれぞれが幸せであれば、その家庭が所属する集落全体も幸せになる。

さらに集落のそれぞれが幸せであれば、その地域全体も幸せになる。

そのような考え方を推し進めて行けば、「日本」という平和主義国家の理念を隣接国家にも波及できれば、日本を取り巻く地域全体も平和になっていく。

国際的な貢献は、国民の血税を提供するということで充分にしているではないか。

まさに「血税」で賄われている国際協力は、血を流していることと等価であるという認識を持っても良いと思う。

国際的な評価とは、どの国からどのようにして評価されたいというのか。

自国が確固たる信念を持って、平和主義を貫いておれば、他国からの評価など意に介することなど不要だと私は思います。

国家を護るためにとか、家族を護るためにとかいう言い回しで、国民を洗脳して、人殺しのための戦争に、消耗品のような扱いを受けて駆り出され、どこに赴くのかさえも家族にも知らせることもできずに、異国の地で戦死なさった方々を出したような、愚かな過去は絶対に繰り返すべきではない。

集団的自衛権容認の延長線上には、確実に上記のような流れが待ち受けている。

若い人たちは、国家などという実体の無い、一部の支配階層にとって都合の良い言い回しに騙されないようにしてほしい。

家族を本当に自分の手で護りたいのであれば、慎重過ぎるぐらいに臆病であって欲しい。

勇ましい事を言って、戦場に駆り出され、殺されたりしたら家族を護りぬくことなど出来はしません。

また、相手国の人を殺したとしたならば、その殺された人の家族のささやかな幸せを、強奪したことになってしまいます。


白紙に戻して欲しいのは、現政権の存在である。



豊田一喜





竹松遺跡の発掘作業に従事されている方々、いかがお過ごしですか。

2015年07月12日 | 日記
竹松遺跡の発掘作業員のアルバイトとして雇って頂いていた頃から、既に2年4ヶ月が過ぎてしまいました。

平成24年6月から平成25年3月までの9ヶ月間、人生での宝物のような時間を過ごさせて頂きました。

今年もまた、4年目になる竹松遺跡(今の名称がこれで正しいのかは分かりませんが)の発掘作業が6月から始まったと聞いております。

今年は、梅雨らしい梅雨の空模様が多くて、作業を実施できた日数は、あまり多くは無いのかなと思っておりますが、このところの晴れ間の強い日差しには、ご苦労なさっていることと思います。

出勤はしたものの、雨が降り出して1時間や半日で帰宅したりということもありましたが、その急にできた自由時間に魚釣りに興じたりした楽しい思い出がたくさんあります。

その時に知り合った方に、5ヶ月ほど前に、今の仕事関係の現場でお会いした事があり、相手の方が私の名前を覚えていて下さった事をとても嬉しく思いました。

遺跡発掘作業での私の役割は、測距・測角儀(トータルステーション)の視準目標となるピンポールとプリズムミラーを持って、発掘したピット(穴)などの位置を測量するための測量助手でした。

ひとつのピット(穴)の観測が終わると、観測手に向って「チェンジ」という言葉を発していたので、「チェンジ」のおじさんということで覚えてもらっていたようです。

その遺跡発掘に従事させていただいた9ヶ月間で、体重が安定して、体も健康になったように思います。

お日様の下で、汗を流して働ける健康体でいられることに感謝できた日々でした。

何年か後には、新幹線の用地として地中に埋まってしまう場所でしょうが、新幹線の車中から働かせていただいた場所を眺める事ができるように、健康には留意したいと思っております。

皆様も、水分補給、塩分補給、適度な休憩などで、熱中症になどならないようにしてお過ごしくださいませ。



豊田一喜




最近の休日の過ごし方

2015年07月11日 | 日記
最近の休日には、畑仕事をしたり魚釣りをしたりと、とにかくできるだけ体を動かす時間を作るように心がけています。

先週の土曜日と日曜日には、それぞれ半日づつ、川釣りと海釣りに出かけてみました。

川釣り(渓流釣り)の方では、いつものように綺麗に育った高来町境川のヤマメが、程よく遊んでくれましたし、海釣りの方では目的の魚は釣れてくれませんでした。

海釣りの方は、飯盛町の田結川(たゆいがわ)河口にて、ウナギ釣りを試みましたが、あたりすらなく3時間ほどが過ぎてしまいました。

上げ潮の時間帯でしたが、濁りが全く無くて水の底が透けて見えていたので、ウナギも移動しなかったのだろうと思います。

やはり、ウナギ釣りは、雨で川の水が濁っているような時にしかうまく行かないようです。

ウナギ釣りの餌のドバミミズが余ったので、場所を替えて結の浜の船だまりの護岸で、ドバミミズを半分ぐらいに切って、渓流仕掛けで護岸のヘリを探ってみました。

程なくして、あたりがあり、小さなアラカブが釣れてくれました。

ドバミミズでもアラカブが釣れる事が分かりました。

護岸のヘリを少しづつ移動しながら探ると、明確なあたりがあり、引き込んでくれました。

しかし、餌を食い込んだ魚は、護岸にへばりついたらしくて、いくら引っ張ってもピクリともしません。

少し強引に仕掛けを引っ張ったら、0.4号のハリスは切れてしまいました。

少し大き目のアラカブだったのだろうなと思いながら仕掛けを結び、護岸のヘリを探りましたら、またまたあたりがあって、仕掛けが引き込まれました。

先ほどと同じように、魚は護岸にへばりついたようで、仕掛けを引っ張ってもピクリともしません。

先ほどの教訓として、無理に引っ張るとハリスが切れてしまうということが分かったので、今度は持久戦に持ち込むことにしました。

相手の魚は、口かのどに釣り針がかかっていて痛い筈だから、仕掛けが切れない程度の力で仕掛けを引っ張り続けておくことにしました。

その内に、体力を消耗した魚が、護岸にへばりついている力を緩めるだろうという読みです。

案の定、しばらくしてから、一瞬だけ魚の方が中休みをしたようで、仕掛けが緩みました。

しかし相手の魚も必死のようで、再び護岸にへばりついたようでした。

又しばらく仕掛けを適度な力で引っ張り続けると、魚は護岸から離れたようで、通常の水中での魚とのやり取りの状態になりました。

仕掛けが切られないように、慎重に魚とのやりとりをして、魚の口を水面に出させてから、一気に釣り上げました。

体長が18cmぐらいの、私にとってはそこそこ大き目のアラカブでした。

次からも、持久戦に持ち込めば、護岸にへばりついたアラカブは釣り上げる事ができそうだという事を学習しました。

その後も小さなアラカブ1尾が釣れてくれた頃に、雨がポツリポツリと降り出したので納竿しました。

2日間の釣果の唐揚げ(画像をクリックすると拡大します)



本日は、午前中の2時間ほど、妻と二人で畑仕事をしました。

4月に植えたかぼちゃは実をつけていて、そろそろ収穫できる物もあったので、1個だけ収穫してきました。

芽を出したショウガの根元に、乾燥を防ぐ目的で籾殻(もみがら)を撒きました。

5月23日に植えた、実のなる果樹の苗木8本のうち7本は順調に根付いて育っているようですが、1本だけ、八朔(はっさく)の苗木だけは虫に葉っぱを食い散らかされてから元気が無く、枯れてしまったようです。

おえ被っている雑草を根から引き抜き、替地として手に入れた畑はすっきりとなりました。

午後は久しぶりに昼寝をしてみました。

目が覚めると、外は雨が降っておりました。



今の日本、目が覚めて気付いたら敵国を作り、私たち末端の庶民がその渦中に巻き込まれていくという構図に向って進んでいるように思えてしまいます。

国が敵国を作ってしまえば、その敵国とされる国から見れば、私たち庶民も「敵国人」と見做されてしまいます。

決して、国防の使命感に燃えている自衛隊員の方たちだけが戦争行為に加担するのではありません。

私たち庶民も、必ずその渦中に巻き込まれていくということは、歴史が証明しております。

特定秘密保護法、18歳選挙権、マスコミ等に対する為政者の圧力的思考、教育に対するおかしな介入、過去を反省することのできない政治家等の台頭、いたずらに周辺諸国の脅威を流布する姿勢等々、愚かな企てが着々と進行しているようです。

大義名分の無い、某国が仕掛ける戦争になど加担すべきではないと私は思います。

イラクに生物化学兵器が存在するという大義名分で始めた戦争に、日本も後方支援をしましたが、結果として、イラクに生物化学兵器は存在しなかった。

そのことの反省をきちんとすべきであるはずなのに、そのような事は話題にすら載せない。

日本には、敵国を作り戦争などできる国力は無いと私は思います。

この平常時においてさえ、首相官邸の屋上にドローンが落ちていたことにすら気付かず、年金データは盗み取られ、平常時の原発事故の収束もうやむやにするような国家が、敵国を作り戦争に加担した所で、私たち庶民がつらい思いをするであろう事は目に見えていると私は思います。

外国に出向いてまで戦争行為に加担する以前に、まずは自国における真の国防体制をきちんと構築する事の方を最優先に考えるべきだと私は思います。

食糧の自給率を向上させることしかり、海岸線からの不信侵入の警戒態勢しかり、国防体制として整備しなければならない事柄はたくさん存在しているはずです。

勇ましいことばかり言って、国家のためという大義名分で、人殺しや破壊を肯定するような世の中にだけはなってほしくはないと私は思っております。

本当に必要な事は、まさに「専守防衛」に尽きると私は思います。


豊田一喜