日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

惰眠

2013年11月24日 | インポート
昨日は、朝からウトウトとしていたら、玄関から「おはようございます」という声が聞こえて目を覚ました。

水田をふたりの方に耕作してもらっているのだが、そのうちのひとりの方が上米を持ってきてくださった。

持ってきていただいた新米を、ふたりで小屋の中に下ろして、少しだけ汗をかいた。

力仕事はほとんどしないような生活をしているので、1袋30kgの米袋を軽トラックから下ろす作業をしたら、結構な運動に感じる。

20歳代の頃には、籾摺り作業の時に、30kg入りの米袋を3個重ねて持って移動させる事も平気だったのに、今では30kgの米袋1個でも重たいと感じるようになっている。

年を取ったことを痛感する。

仕事が休みとなると、夜中までテレビをつけたままで、そのテレビを見たり眠ったりというような時間の過ごし方をしているので、なかなか熟睡できていないように思う。

本日は朝の6時半頃から、友達の結婚式のために帰ってきていた娘が福岡に帰るので、諌早駅裏の高速バスの停留所まで送るということから一日が始まったが、そのような休日の過ごし方の疲れが蓄積していたのか、家に戻ってから天気は良いのに外に出て何かをしようという気力が湧かず、コタツ守をして惰眠をむさぼった。

自宅でコタツ守をしながらのんびりと過ごすことができることを幸せに思える。



豊田一喜




電話かけまくり

2013年11月23日 | インポート
今週の月曜日の早朝に、同窓会の案内通知を郵便ポストに32名分投函していた。

出欠のほどを電話で連絡してくれるように、幹事のM君と副幹事の私の携帯電話番号を記していたが、誰からも電話連絡が入らない。

副幹事としては、予約しているお店にも参加人数の報告をしなければならないので、何名の参加人数になるのかは非常に気になるところ。

暇だったので、名簿の順番に電話をかけまくった。

29名は電話を取ってくれて、そのうちの14名は同窓会に参加するという返事をいただいた。

4名はまだ予定が定まらないので保留ということになり、11名は参加できないという返事だった。

来年の1月2日に、会場の近くの神社で御祓いをしてから飲み会をする予定で計画している。

60歳に既になった人や、これから来年の3月までに60歳になる人の年代で、何とか還暦を健康で迎える事ができた記念の同窓会になる。

男子だけ45名の、長崎県内ではたった1校しかない「農業土木科」という学科で共に学んだ懐かしい顔に会う事ができる。

同窓生はそろそろ定年退職をする年齢ではあるが、自分は今年の4月から大きな組織で2等兵的な立場で働かせてもらっている。

できることならば、あと5年ぐらいは働かせて欲しいと願ってはいるが、先の事は組織が決めることなのでどうなるかは分からない。

今の仕事にも少しずつなれてきた。

自宅のプリンターが故障して使えないので、不自由な思いをしている。

店に見に行って、手ごろな価格で高性能な複合機が出ていたが、自分のパソコンのウインドウズ2000には対応していなかった。

残念。



豊田一喜








同窓会案内文書の作成

2013年11月17日 | インポート
諫早農業高等学校農業土木科に、昭和44年4月に入学した同窓生は45名いた。

分かっているだけでも、そのうちの5名は既に御浄土へ旅立ってしまっている。

昨年の8月に、諫早市内で同窓会を開いた時には16名の参加があった。

同窓生は、今年から来年の3月までのうちに還暦を迎える。

同窓生の中では一番ひま人で、自由に使える時間が多いということで、同窓会の副幹事(事務局)をやらせてもらっているので、幹事のM君と相談して、来年の1月に還暦記念の同窓会を開こうということになった。

会場の予約等は、幹事のM君がしてくれたので、私の役目はその事を文書にして、住所が分かっている同窓生に送付するということ。

会場は前回と同じ場所にしたので、案内文の内容も、年月日を変更する程度で事足りる。

そのようなことで、同窓生の顔を思い出しながら、同窓会案内文書の封書の宛名書きをのんびりとさせてもらった、小雨が時々ぱらついた一日だった。



豊田一喜








いわしがうじゃうじゃ

2013年11月16日 | インポート
午後から諫早市飯盛町結の浜に出掛けた。

何かしら小魚が釣れるだろうと気楽に考えていた。

アミの撒き餌をすると、小魚が20匹程度湧いてきたが、以前の様子とは少し違う。

修得したつもりでいた釣り方を試してみるが、小魚たちは餌に食いついてはくれない。

そのうちに、体長12~13cm程度のいわしの群れがうじゃうじゃと海面を泳ぎ回るようになった。

そうなると、他の小魚たちは撒き餌を撒いてもあまり湧いては来なくなった。

海面にたらしている渓流仕掛けの釣り針につけた青いソメに、群れて泳いでいるいわしがたまに喰らい付く。

弱々しい引きのいわしを釣り上げる。

途中でバリ(アイゴ)の子が2匹と小さなカワハギが1匹釣れてくれた。

いわしは13匹釣れてくれていた。

何かしら小魚がたくさん釣れるだろうと思っていたが、その思惑は見事に外れた魚釣りの日だった。

家に持ち帰ってから、いかにして食しようかと思案していたら、妻が、「生で食べたら」と言ったので、いわしはそのようにして食することにした。

うろこを落として頭を切り落とし、内臓を出して綺麗に水洗いする。

妻が作ってくれた酢ヌタをつけて、骨ごと食べてみた。

骨の違和感は感じることも無く、尻尾だけ残しておいしくいただく事ができた。

小さないわし釣りも悪くはない。




豊田一喜




バリの毒を体験した穏やかな釣り日和

2013年11月09日 | インポート
昨晩は「にんしん会」の飲み会で佐世保泊り。

朝の7時過ぎに、冷蔵庫で作っておいたペットボトルの氷を持って佐世保市を出発した。

一時間ほど走った東彼杵町の釣具屋さんで釣り餌を購入して、東彼杵町役場の近くの船着場の突堤で魚釣りをしてみる。

最初はサビキ仕掛けのオモリカゴにアミを詰め込んで海中に投入してみた。

小魚たちが湧くように寄って来るが、サビキ仕掛けの擬餌針には近寄って来ても「フン」といったそぶりで食いついてはくれない。

なので、諫早市飯盛町の結の浜で修得した小魚釣りの手法を用いてみた。

まず、一つまみのアミを海面に投げ入れ、その投げ入れたアミが拡散する場所の真ん中辺りに、ハリス0.4号の渓流仕掛けの針に、2cmほどに切った青いソメを付けて、湧いてきている小魚たちの遊泳層付近に投入して待つ。

すると群集心理的にアミを食い漁っている魚群の中の1匹が、競争原理に基づき、自分も負けじとあわてて青いソメの餌に食いつく。

かくして、強い引きを楽しませてくれるバリ(アイゴ)を1匹釣り上げる事ができる。

今回の東彼杵町の海岸では、撒き餌に群がって湧いてきたのは、クロの子ではなくバリ(アイゴ)の子だった。

同じ動作を繰り返しながら、1回に付き1匹のバリの子が釣れてくれて、ペットボトルで作っておいた氷を入れた、小さなクーラーボックスの中で数を増やしていく。

バリ(アイゴ)は、そのヒレに毒をもっている。

詳しい説明は以下に。(ウィキぺディアから引用)

成魚は全長30cmほどで、体は木の葉のように左右に平たい。体色は緑褐色の地に褐色の横縞が数本あり全身に白っぽい斑

点があるが、この斑点は環境や刺激によって素早く変化する。口は小さいが唇は厚い。皮膚は比較的厚く丈夫である。

背鰭・腹鰭・臀鰭の棘条は太く鋭く発達していて、それぞれに毒腺を備える。この棘に刺されると毒が注入され、数時間-数週間

ほど痛む。刺された場合は40-60℃ほどの湯に患部を入れると、毒素のタンパク質が不活性化し痛みが軽減できる。冬場は肌

寒いこともあり痛みが和らぎにくい。アイゴが死んでも棘の毒は消えないので、漁獲したら刺されないようはさみなどでとげを切

断しておくのが望ましい。

分布[編集]本州・朝鮮半島南部から琉球列島、オーストラリア北部まで、西太平洋の熱帯・温帯海域に広く分布する。 沖縄の

ものは従来シモフリアイゴと呼ばれ、学名S. canaliculatusが与えられ別種扱いされていた。

生態[編集]海藻の多い岩礁やサンゴ礁に生息するが、汽水域にもよく進入する。食性は特に海藻を好んで食べるが、甲殻類や

多毛類なども捕食する雑食性である。この植食性の強さから、水族館ではしばしば餌としてコマツナ等の葉菜類を与える。漁法

としてもサツマイモを餌にした籠漁(沖縄)や、酒かすや味噌などを練り餌にした釣りが存在する。西日本では沿岸の藻場が消

失する磯焼けの原因として、アイゴによる食害を指摘する説もある。

産卵期は7-8月で、付着性卵を産む。1-2日のうちに全長2.1-2.6mmの稚魚が孵化する。稚魚はプランクトンを捕食しながら浮

遊生活を送るが全長3cm程度まで成長すると沿岸域に大群で集まり、海藻を食べるようになる。夏から秋にかけては、港など

で餌を漁る全長数-10cm程度の若魚の群れが見られることもある。

日本の地方名[編集]イタイタ(富山)、ヨソバリ(小笠原)、シャク(静岡)、バリ(西日本各地)、アイ(関西・三重)、シブカミ(アイゴ

の老生魚・和歌山)、アイノウオ(島根)、モアイ(広島)、モクライ、アイバチ(山口)、イバリ(福岡)、ヤー、ヤーノイオ(長崎・天

草)、ウミアイ(熊本・宮崎)、エイガー、アーエー、シラエー(沖縄)など、日本各地に様々な地方名がある。

イタイタ、アイバチ、ヤーノイオなどは毒の棘をもつことに因んだ呼称である。また身の磯臭さを「小便くさい」と捉えた事に由来

するのが「バリ」や「エエバリ」などの系統の方言呼称で、小便の別称「ばり」「いばり」に由来する。和歌山の「シブカミ」は老生

魚の皮膚の質感が渋紙(柿渋を塗った丈夫な紙)に似ることに由来する。

利用

スクガラス豆腐

泥?魚漁獲[編集]定置網、地引き網、釣りなどの沿岸漁業で漁獲される。四国・九州・沖縄などでは市場にも流通する。

食材[編集]毒の棘をもつうえに肉が磯臭いので人や地域により嫌われるが、徳島県や和歌山県などでは美味な魚として珍重す

る。「アイゴの皿ねぶり」(盛り付けた皿を舐めるほど美味い)という言葉もある。

磯臭さを除けば肉質は悪くない。歯ごたえのある白身で刺身・洗い、塩焼き、煮付けなどで食べられる。磯臭さは内臓から身に

移るので新鮮なうちに内臓を傷つけずに処理し、ショウガや柚子胡椒でくさみを消すとよい。皮を引かずにさくにとり、カツオのた

たき(土佐作り)のように表面を焼いて刺身にすると厚い皮も味わえる。

沖縄料理の「スクガラス」はシモフリアイゴや近縁種のアミアイゴ S. spinusを主としたアイゴ類の稚魚(スク、シュク)を塩辛に

したもので、豆腐に乗せるなどして食べる。また、塩辛だけでなく酢締めや唐揚げにもされる。成魚はもっぱら塩味で煮付けた

マース煮で食される。

香港では岸釣りの定番の魚として捕られ、泥?(広東語:ナイマーン)と称してスープの具などにされる。大衆食堂などでも生き

たまま流通しており従来は非常に安価であったが、近年は海洋汚染による影響か取れにくくなり値も上がっている。


以上、ウィキぺディアより引用。


バリ(アイゴ)は、そのヒレに毒をもっているということは知っているので、釣り上げたらすぐに、タオルでヒレに触らないようにしてつかみ、ハサミでヒレを切り落とすようにしているが、うかつにも2回ほどヒレの棘に触れてしまった。

直後から指先に鈍痛が走る。

口で棘から注入された毒を吸い出してみたり、潮水で洗ってみたりしたが、傷みはすぐには治まらなかった。

1時間ほどしたら痛みは弱くなってはきた。

ウィキぺディアによれば、60℃ぐらいのお湯につければ良いと説明してあるが、釣り場にお湯など持って来てはいない。

次から魚釣りに来る時には、保温機能がある水筒に熱いお茶を入れて持ち歩くようにしようと思う。

バリのヒレ毒に触れて痛かったというのはあったが、11月だというのに穏やかで暖かい、のんびりとした貸切状態での魚釣りだった。

たくさんの数のバリの小魚の南蛮浸けが、夕餉の一品になった。



豊田一喜





昼寝

2013年11月03日 | インポート
朝、普段より遅めに目が覚めたら雨が降っていた。

雨が降っていると外に出たくは無いような気分になる。

ヤマメ釣りが解禁されている季節であれば、雨合羽を着て喜んでヤマメ釣りに出かけるところだが、今はヤマメ釣りの禁漁期間中なのでそれもできない。

ゆっくり目の朝ご飯を食べてから、横になってテレビを見る。

画面には全日本学生駅伝の様子が映し出されている。

自分が100mを全力で走るよりも速いスピードで、何キロメートルも走り続ける事ができる選手の人たちには、ただただ感心するしかない。

そのうちにウトウトと眠ってしまっていて、時々目を覚まして駅伝の順位を見ると、順位が結構入れ替わっている。

若かりし高校生の頃に、運動クラブで体を鍛えていた頃が自分にもあったのだと懐かしく思い出した。

今は、灯油の18リットル入りのポリ缶を2個下げても重たいと感じるように、筋力が衰えている。

10時過ぎに雲仙市議会議員選挙の投票場まで家族を送り、その後農協ストアーで買い物。

自分は佐世保市に住所を置いているので、雲仙市では選挙権は無い。

家に帰り、また学生駅伝を見ながらウトウトとまどろむ。

昼寝をしながらテレビを眺めるような、それはそれで幸せと思えるような、ボーッとした一日を過ごさせてもらった。



豊田一喜





かじやさん

2013年11月02日 | インポート
佐世保市矢峰町から雲仙市愛野町の実家まで帰る途中で佐世保市三河内町(みかわちちょう)を通る。

三河内町には「三河内焼美術館」というのがあることを道脇に表示してある看板で知っていた。

3連休の初日は、そこの見学に充てようと思い妻を誘ったら、喜んで付き合ってくれた。

10時半ごろ車で家を出発して、11時40分ごろに東彼杵町の「彼杵の荘」にトイレ休憩のために立ち寄った。

出店のテントがたくさん設営してあって、大勢の人が集まっていたが、その中で「かじや」という表示が懐かしく、その出店に行ってみた。

包丁などの刃物が展示してあり、その中に研ぎこんで小さくなった、果物ナイフの様に細くなった刃物が置いてあり、興味を引いた。

なんだろうと思って見ていたら、出店のおかみさんが説明をしてくれた。

包丁の金属部分の全体に鋼(はがね)が叩き込んであり、研いで細くなってでも包丁として最後まで使えるという製品であるとの説明だった。

東彼杵町三根郷の「森かじや」さんで、息子さんが後をついで「かじや」をされているということで、修理などもやっているということだった。

「かじやさん」の包丁だったら信頼できると思い、購入させてもらった。

ついでに頑丈そうな、少し太い枝まで切ることができるという剪定ばさみも購入させてもらった。

予想外の買い物をした後、三河内町の「三河内焼美術館」に行ったが見学者はほかにおらず、妻とふたりだけで色々な陶芸家の焼物を見学させてもらった。

焼物美術館の隣りに「佐世保バーガー」の店があったので、そこで佐世保バーガーなる物を食べてみた。

濃いめの味で、若い人には好まれる味かなという感想。

帰りに波佐見町の道路わきで、陶器の展示即売をしていた「つちくら」という店に寄って、ご飯茶碗や焼酎などを飲む時に使える陶器を購入させてもらった。

その店では、商品を購入した客に対して、コーヒーを振舞うサービスをしている。

それも、カウンターの後に展示してある普段では使うことの無いような、高級なコーヒーカップの中から自分が好きな物を選んで、そのカップにコーヒーを入れて出してくれる。

なかなか素敵なサービスだと思う。

好みのコーヒーカップで、普段はめったに飲むことが無いコーヒーをいただかせてもらった後は、波佐見町の「やきもの公園」まで行ってみた。

テントがたくさん設営してあって、明日の「炎祭り」というイベントの準備中だった。

そこまで行ったら、以前働かせてもらっていた組織での業務で何回か行った事がある道だったので、記憶をたどりながら、やきものの里の「中尾山交流館」まで足を伸ばしてみた。

そこで、「三河内焼き」と「波佐見焼き」の違いについて説明してもらった。

三河内焼きは平戸藩のお殿様や大名への献上用に制作されてきた歴史があり、唐子などの絵付けに特徴がある。

それに対して波佐見焼きは、一般的に使用する陶器として制作されてきたのだということだった。

そこでも、庶民価格の茶碗と取手付きのカップを購入させてもらった。

山里の奥のやきものの里(陶郷)という風情が心地良い空間だった。

帰りに大村市を通ったので、竹松遺跡の発掘現場を妻に見せてから家に戻ったら、外は暗くなっていた。

穏やかな秋の一日を、のんびりと幸せな気分で過ごすことができた。



豊田一喜