昨日の夕方から今日の朝まで、生まれて初めて「災害待機」という経験をさせてもらった。
管轄区域内に大雨や洪水などの「警報」が発表されると、公的な機関では、災害情報の把握とその連絡を関係部署に行なうために、それらの警報が解除されるまで、職員が交代で職場に待機するというシステムになっている。
8月24日の午前4時少し前に、長崎県の県北地方の一部で大雨洪水警報が発表されたことに伴い、自分が働かせてもらっている職場においても、自分にその災害待機の順番がめぐってきた。
眠たい目をこすりながら、一晩を職場で過ごした。
幸いにも自分が待機していた時間帯においては、管轄区域の自治体(市・町・村)からの災害報告の連絡電話は入らなかった。
主に夜中の時間帯であったから、各自治体においても、細部までの災害状況把握は困難であるのかも知れない。
今回発表された長崎県内における大雨や洪水に関する警報はなかなか解除されず、このブログを書いている今も継続中だから、他の同じ部署の職員が交代で災害待機をしていることになる。
九州北部に停滞している前線の影響で、長崎県内においても局地的な豪雨が継続していたり、竜巻注意報が発表されたりと、災害の発生に繋がるような気象状況が続いている。
自然の気象状況には抗えない。
大雨が長く続いているので、地盤が緩み、土砂災害の誘因となる可能性が大きい。
テレビなどでも盛んに注意喚起をしているが、基本的に自分の身は自分で護るしかない。
崖に近い部屋から離れることや、早目の避難を心がけるしか災害に遭遇することを回避する術はない様に思う。
小学校の3年生か4年生の頃、大雨のためにその当時住んでいた家の裏の千鳥川が氾濫した。
その川の流れに直交する方向にあった家の庭を、濁流が川の様に流れだした。
その庭を流れる濁流の水嵩は、自分の膝の上ぐらいにまでなっていた。
避難場所であるお寺(光西寺)まで行くために、父親に手を引いてもらってその濁流の中を進もうとした時に、体が小さくて体重が軽かった自分は簡単にその濁流に足をすくわれた。
その時に父親が、力強い手で引き戻してくれた。
あの時に、もしも父親が手を引いてくれていなかったならば流されて、わずか10年ぐらいで自分の人生は終わっていたのかもしれない。
59年の生活の中では、身の危険を感じたことも何度かありはしたが、何とか生きながらえさせてもらっている。
目に見えない、何かの力に見守られながら生かしてもらっていることに感謝しながら過ごしている。
豊田一喜
管轄区域内に大雨や洪水などの「警報」が発表されると、公的な機関では、災害情報の把握とその連絡を関係部署に行なうために、それらの警報が解除されるまで、職員が交代で職場に待機するというシステムになっている。
8月24日の午前4時少し前に、長崎県の県北地方の一部で大雨洪水警報が発表されたことに伴い、自分が働かせてもらっている職場においても、自分にその災害待機の順番がめぐってきた。
眠たい目をこすりながら、一晩を職場で過ごした。
幸いにも自分が待機していた時間帯においては、管轄区域の自治体(市・町・村)からの災害報告の連絡電話は入らなかった。
主に夜中の時間帯であったから、各自治体においても、細部までの災害状況把握は困難であるのかも知れない。
今回発表された長崎県内における大雨や洪水に関する警報はなかなか解除されず、このブログを書いている今も継続中だから、他の同じ部署の職員が交代で災害待機をしていることになる。
九州北部に停滞している前線の影響で、長崎県内においても局地的な豪雨が継続していたり、竜巻注意報が発表されたりと、災害の発生に繋がるような気象状況が続いている。
自然の気象状況には抗えない。
大雨が長く続いているので、地盤が緩み、土砂災害の誘因となる可能性が大きい。
テレビなどでも盛んに注意喚起をしているが、基本的に自分の身は自分で護るしかない。
崖に近い部屋から離れることや、早目の避難を心がけるしか災害に遭遇することを回避する術はない様に思う。
小学校の3年生か4年生の頃、大雨のためにその当時住んでいた家の裏の千鳥川が氾濫した。
その川の流れに直交する方向にあった家の庭を、濁流が川の様に流れだした。
その庭を流れる濁流の水嵩は、自分の膝の上ぐらいにまでなっていた。
避難場所であるお寺(光西寺)まで行くために、父親に手を引いてもらってその濁流の中を進もうとした時に、体が小さくて体重が軽かった自分は簡単にその濁流に足をすくわれた。
その時に父親が、力強い手で引き戻してくれた。
あの時に、もしも父親が手を引いてくれていなかったならば流されて、わずか10年ぐらいで自分の人生は終わっていたのかもしれない。
59年の生活の中では、身の危険を感じたことも何度かありはしたが、何とか生きながらえさせてもらっている。
目に見えない、何かの力に見守られながら生かしてもらっていることに感謝しながら過ごしている。
豊田一喜