日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

大きな川鯥(カワムツ)

2013年07月27日 | インポート
久し振りに諫早市高来町の境川へ、「避暑」と「足腰の鍛錬」のためにヤマメ釣りに行った。

9時半頃に釣り場に着いたが、昨晩ぐらいにまとまった雨が降ったらしく、釣り場近辺の地面は濡れていた。

流水量は少なめだったが、曇り模様で涼しく、「避暑」のためには程よい日だった。

夏休みに入っているために、キャンプなどで轟渓谷を訪れる人たちは多くなっている。

アブラハヤや川ムツ(一般的にはハヤと呼ぶ人が多い)はよく釣れるが、本命のヤマメはなかなか釣れてくれない。

しばらくすると、スーッと引き込む明確なあたりがあったので合わせてみたら、確実に針掛かりしてかなり強く引き込んだ。

竿に掛かる重さの感じからして、サイズのいいヤマメだろうと思い、慎重にやり取りをして水中から抜き上げた。

違っていた。

口のまわりに追星がついている、大きな川鯥(カワムツ)だった。(下の写真の下から2番目の魚)

境川で釣った川ムツの中では、今までで一番大きなサイズだった。

その後もぼちぼちとアブラハヤや川ムツは釣れてくれたが、なかなか本命のヤマメは釣れてくれない。

上流に向って釣り上る釣りなので、少しずつ上流に進む。

岩の上から下流に向って仕掛けを流したその時に、目印がスーッと動いた。

間髪を入れず合わせる。

水流と水深と魚自体の抵抗によって、水中からの重みが竿に伝わって来る。

なかなか水面まで上がってこない。

水中から抜き上げた魚体は、紛れもなく綺麗なパーマークを持った、形のいいヤマメだった。

抜き上げたのはよいが、少し強引に抜き上げたので、その反動で魚が落下する際に0.4号のハリスが「切れてしまい、ヤマメは仕掛けからさよならをしてしまった。

残念と思った。

しかし釣り座のポジションが良かった。

そのヤマメが落ちた所が、下の段の岩のくぼ地に水と落ち葉が溜まっているところだったから、ヤマメはその中で動けないでいた。

急いで下に降りて、そのヤマメを捕まえた。

体長22cmの放流成魚だったが、放流からかなりの時間が経過しているので、尾びれのすり減りはほとんど修復しており、体色も天然のたんぱく質の採餌によって磨かれた綺麗な色の魚体になっていた。

かくして、本日のヤマメ釣りはボウズをまぬがれた。

その後にも、天然孵化か稚魚放流の成長したものかの判別はつかないが、体長18cmのヤマメが釣れてくれた。

14時半ごろに、持っていた餌のシマミミズを使い果たしてしまったので、川原でうごめいている体長1cmぐらいのカニの子を捕まえて餌にして釣ってみた。

カニの子を餌として使えばヤマメがすぐ釣れるということは経験的に分かっているが、釣れ過ぎて乱獲になる可能性があるので、極力使わないようにしている。

経験で分かっていたとおりに、ヤマメがすぐに喰いついてくれた。

これで3匹目のヤマメを釣ることができたので納竿した。

釣っている川の脇の遊歩道を、親子連れの子供会とおぼしき団体の人たちが行き交う中でのヤマメ釣りだったが、楽しい時間を過ごさせてもらった。

ヤマメ釣りをしている最中に、両足の太もものあたりの筋肉がこわっていることに気付いた。

思い出してみたら、昨日(金曜日)の午後に現場に行って、25mの深さの地すべり対策用の集水井(しゅうすいせい)の底まで、螺旋階段を使って昇り降りしていた。

普段はあまり使用しない筋肉を、急な傾斜の昇り降りで使っていたので、その影響が出たものと思われる。

歳をとると、筋肉のこりが、中一日ぐらい置いてから出るらしいが、翌日に出たので、筋肉の老化はまだなのかもしれないなどとひとりで納得している。

自在に動ける体と、ひとりで没頭できる趣味を持っている自分が、とても幸せに感じる。


本日の釣果(ベスト5) アブラハヤや川ムツはこのほかにたくさん釣れた。(画像をクリックすると拡大する)
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花金(はなきん)

2013年07月26日 | インポート
花の金曜日、略して花金。

3年ほど前から、花金を満喫させてもらっている。

働かせてもらっていた職場が、土曜日・日曜日は仕事が休みだったので、金曜日の夜は休み前の日ということで、ゆったりとした自由にくつろげる時間を過ごさせてもらっていた。

今年の4月からは、今までの自分の生活形態からすれば、特殊な労働形態の職場で働かせてもらっている。

単身赴任という、30年ぶりぐらいに経験する労働形態で、金曜日の夜には車で2時間ほどの道のりを、我が家へ向って開放的な気持ちで運転している。

これから丸々2日間は、自分の時間として自由に使う事ができると思うと、車を運転して我が家へ向っていること自体も、まさに花の金曜日という気分になる。

我が家はやっぱり良い。

我が家に入った瞬間に、まずその空気感で落ち着く。

部屋の中の物の配置が、長年見慣れた状態であり、当たり前にその状況で過ぎ去っていた日常さえもがいとおしく感じられる。

浴槽に時間を気にせずにゆったりとつかる事ができる幸せ、冷蔵庫を開けると何かしらの飲物が入っている幸せ、水洗トイレの便器にゆったりと座り、落ち着いて用を足す事ができる幸せ、話したい時に話をする相手が側にいてくれている幸せ、朝起きて庭を眺める事ができる幸せなどなど。

単身赴任をさせてもらっていることで、幸せを感じる事ができる材料が今までよりも増えたように感じる。

我が家に住まい、そこから職場に通い、側にはいつも家族がいるというような、何気ない日常である事が、いかに幸せなことかということをつくづく思う。

神様が人生の後半に、このような気持ちを持てるように差配してくださっているのかなと思うと、それすらも幸せに感じる。

まわりの善い人たちに囲まれて、花の金曜日を心待ちにしている59歳の夏。



豊田一喜










うなぎの蒲焼

2013年07月21日 | インポート
明日は土用の丑の日で、日本ではうなぎの蒲焼を食する日だというふうに、江戸時代の賢い人の発案以降、意識の中に刷り込まれている。

家族がそろうのは休みの日ぐらいしかないので、一日前倒しして、「土用の丑の日のうなぎの蒲焼」を食する事にした。

妻と息子が投票をする場所まで車で行き、投票を済ませてから、その場所の向かい側にある農協ストアーに行った。

自分の投票は、現在の住居地が自宅ではないので、住所地にて10日ほど前の昼休み時間に、期日前投票をして済ませていた。

農協ストアーでうなぎの蒲焼を見てみる。

つい最近、危険物取り扱いの資格試験に合格したということで、そのお祝いの意味も込めて息子にうなぎの蒲焼の選択権を与えた。

以前はうなぎの蒲焼は1匹980円ぐらいで出ていたことを見ていたが、本日は一番安い中国産でも二切れで800円の値が表示されていた。

1匹丸ごとの蒲焼は、1780円と2280円の値段が表示されていた。

うなぎの稚魚のシラスうなぎの漁獲量が激減しているために、うなぎの値段が高騰しているという話は耳にしてはいたが、通常価格の2倍の値をつけて売るという商魂には恐れ入ってしまった。

うなぎの蒲焼の選択権を与えられた息子は、躊躇することなく2280円のものを選んだ。

かくして、我が家の本日の昼食の一品は、1匹2280円のうなぎの蒲焼を4等分した1切れずつがのったうな丼だった。

ひとり分が600円弱で、ささやかな庶民の贅沢を楽しめた。

午後は久し振りに縁側に寝転んで、のんびりと昼寝をして、至福の時間を過ごさせてもらった。



豊田一喜






草払い

2013年07月20日 | インポート
住まわせてもらっている寮の周辺に生い茂っている雑草の草払い作業の日だった。

ひと月ほど前から決まっていた日程だったので、先週の休みに帰宅した時に自宅の草払い機を車に載せて持って来ていた。

寮の前の道の土手に生い茂っている雑草の量を日ごろから見ていたので、手作業でやっていたのではかなりの時間がかかると思っていた。

草払い機は寮に1台あり、当日他のところから1台借りてくるという段取りになっていたが、自分の草払い機を持って来て使えば仕事もはかどるだろうと思い、鎌でする草刈は腰が痛くなるので、楽に作業をするためにそのようにした。

総勢30名余りの寮生が、2時間余りの時間を費やして、寮の周辺の環境整備にいそしんだ。

このような共同奉仕作業をすると、個々の人の人間性を垣間見ることができる。

寮生の中では自分が最年長の部類に属している。

老体に鞭打って汗だくになりながら1時間半ほど草払い機で連続作業をしていたら、心優しい青年が、「豊田さん代わりましょうか。」と声を掛けてくれた。

そろそろきつくなってきたなと思っていた頃だったので、非常にありがたく、「お願いします。」と言って、機械作業を交代していただいた。

草払いと刈り倒した草の袋詰めは昼ごろには終了した。

いい汗をかくことができて、他人の優しさをありがたく感じることができた日だった。



豊田一喜






墓掃除と竹切り

2013年07月15日 | インポート
昨日は一日中、買い物をするために、午前10時半ごろから午後5時ごろまで、車であちこちと走り回った。

なので、今日は体を使う仕事をするように計画し、午前7時半から墓掃除に出掛けた。

昭和32年の諫早大水害の時に、うちの墓に通じていた上り道が崩れてなくなったために、自分のうちの墓に到達するためには、よそ様の墓の敷地を通らせてもらわなければならない。

本日の墓掃除は、盆の墓参りに備えての予備的な掃除のつもりで臨んだものの、あと1ヵ月近くあるので少し早いのかなとは思ったが、時間がある時にしておかなければということで、体の新陳代謝を促すつもりの作業でもあった。

前回は、3月下旬に墓掃除をしていたが、通らせてもらっているよそ様の墓地には、葛の蔓が伸び放題になっていて通路をふさいでいた。

で、本日はいつも通らせてもらっているお礼の気持ちで、よそ様の墓地に生えている草も刈払いさせてもらった。

そのような作業をしてから、花立の水を代え、柴を供えてからお参りを済ませたら10時半ごろになっていた。

その間で、1リットル入りの水筒のお茶は全て飲み干してしまった。

出掛けに妻から頼まれていた事があった。

家の前の畑にイチジクの木を植えているが、その枝の向きが真上ではなくて、あちこちに向いているので、それを矯正するための「手」になる竹を切って来て欲しいと言われていた。

墓掃除が終わってから、竹山に入った。

竹林の中は風も通っており、竹の枝葉で陰も形成されており、涼しかった。

ただ残念な事に、孟宗竹林であるために、イチジクの木の「手」にできるような、比較的細い太さの真竹がほとんど生えてはいない。

元々は段々畑だった竹林の一番下の段まで降りなければ真竹は生えていない。

仕方が無いので一番下の段まで降りて、そこで適当な太さの竹を見つけて切り倒し、箱型の軽自動車に積み込めるように、2m50cmぐらいの長さに切りそろえる。

それらの竹を、使わなくなった靴の靴ヒモで束ねて、車を止めているところまで担ぎ上げる。

使わなくなった靴の靴ヒモは、竹などを束ねるのには丁度良い長さであり、よく締まりもする。

そのような作業を2往復した。

のどが渇いたが、手持ちの水筒のお茶は既に空っぽ。

家に帰ってから飲んだお茶は、スポンジが水を吸うように、いくらでも体に入った。

時刻は丁度12時になった。

午後は妻に手伝ってもらって、切って来た竹を使っての「イチジクの木」への「手」の設置。

墓掃除から竹切り、イチジクの木の「手」の設置と、充分に体を動かす事ができ汗もたくさんかいた。

普段はあまり使わない筋肉を使ったので、明日あたり筋肉痛になるかもしれない。

歳をとると、筋肉の痛みがすぐには出ないらしい。



豊田一喜






鯵子(アジゴ)釣り

2013年07月13日 | インポート
午後は知人とふたりで、諫早市飯盛町の結の浜(ゆいのはま)で鯵子(アジゴ)釣り。

160円のアミブロックをそれぞれ1個ずつ買って出掛けた。

昨年鯵子(アジゴ)を釣った場所には誰もおらず、20mほど離れた場所で先行者がひとり釣っておられた。

アジゴ釣りと、1本は少し沖の方に投げて置き竿にしておられた。

知人とふたり、鯵子(アジゴ)がよく釣れる場所に陣取り、オモリカゴにアミを詰めて海に投入すると、アジゴがうじゃうじゃと寄って来る。

そのうちの1匹か2匹は疑似餌針に食いつく。

オモリカゴにアミを詰めては仕掛けを投入して引き上げる動作の単純な繰り返しで、そこそこに釣れたアジゴの数は増えていく。

釣り始めてから1時間半ほどで、オモリカゴに詰める餌のアミがなくなった。

その少し前に、少し離れたところで釣っておられた先行者が、体長45cmぐらいのマゴチを釣り上げているのを見ていたので、まねをしてアジゴを丸ごと1匹餌にした仕掛けに変えて、少し沖の方に投げて置き竿にしてみた。

結局、置き竿には何も釣れなかったが楽しい時間を過ごすことができた。

160円の餌で、全部で50匹のアジゴが釣れたので、1匹あたり3円20銭のアジゴということになる。

アジゴ釣りは、自分のような庶民にとってはガソリン代まで入れて300円程度で楽しめる、趣味と実益を兼ねた遊びということになる。


エラと内臓を取り出した、から揚げにする前のアジゴ
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豊田一喜



竹松の風

2013年07月13日 | インポート
昨日は 「にんしんかい」 という集まりの飲み会だった。

お腹が大きくなって子どもを生もうという集まりではないことは推察できると思うが、漢字で書くと「任親会」になる。

「任」は任期のにん、「親」は懇親のしんで、「任期付職員懇親会」の略で「にんしんかい」。

知人の旦那様が経営している店での「にんしんかい」だった。

1人は所用で参加できなかったが、参加した4人の年齢が近いこともあって話がはずみ、楽しい時を過ごさせてもらった。

なので、昨晩は独身寮で熟睡。

17万km走っていた中古車を17万円で買った愛車で、今朝の5時半頃に佐世保を出発した。

午前7時前に、大村市竹松遺跡の発掘現場近くを通過したが、無性に発掘現場を見てみたくなった。

少し行き過ぎてから脇道に入り、竹松遺跡の発掘現場に向った。

土曜日で発掘作業は休みの日だから誰も居ないことは分かっていたが、4ヶ月ぶりで入った発掘現場の駐車場には、えもいわれぬ雰囲気の「竹松の風」が吹いていて自分を優しく迎えてくれた。

人生の中の点と点が繋がって、今の自分の生き様があるのだと、「竹松の風」に包まれてつくづくそう思う。

その時その時の出来事や人との出会いなどの繋がりの結果が、今の自分に反映されている。

それにしても本当に楽しかった、竹松遺跡発掘作業員としての9ヶ月間であり、人生の中の宝物のような体験をさせてもらった仕事場だった。

10年後ぐらいには新幹線の駐機場になっていて、原風景は跡形もなくなっているのだろうが、楽しかった思い出の場所という記憶は残り続ける。

今日は「竹松の風」に元気をもらった。

発掘作業員の皆様、熱中症に気をつけて、日々を楽しんでください。



豊田一喜







畑のスイカ

2013年07月07日 | インポート
子どもの頃に住んでいた家を解いた跡を畑にしている。

山の土をトラックで2台分ぐらい運び入れてもらってから、20年ぐらいは経っている。

妻が、せっせと家庭の生ゴミや豚肥や稲藁を入れて土づくりをしてきてくれたおかげで、作物が元気に育つ畑になった。

朝から妻と息子が、畑でなにやら悩んでいる様子。

「なんしよっと。」と聞くと、「スイカを今日収穫しようか来週収穫しようかで悩んどっと。」と妻。

畑を見ると、長径が25cmぐらいで、表皮の一部がうっすらと黄色になっているマダーボールがあった。

「たたいてみれば。」と私。

妻がスイカを指でたたいてみて、音を聞いている。

「うれとっごたったい。」と私。

で、結局収穫することにした。

冷蔵庫で昼まで冷やしてから、昼食時に割ってみる。

上品な程よい甘さだった。

夕方、マルキョウに食材を買いに行って、同じぐらいの大きさのマダーボールを見たら、780円という値段が付いていた。

スイカの苗を、ホームセンターで150円ぐらいで買って、780円の値打ちのあるスイカが収穫できて、食べてみたら甘かったので、充分に元は取れた事になる。

もう1個、直径10cmぐらいの実がなっているので、それの収穫も楽しめる。

作物を作る土地があれば、このように自然の恵みをいただく事ができる。

道路や宅地に替えてしまえば、そのようなことはできなくなる。

戦中・戦後の食糧難だった頃を教訓とすべき所だが、のどもと過ぎれば忘れてしまう国民性のようで、危機感が欠如しているように思える。

お金さえ出せば食糧が潤沢に手に入る時代が永遠に続くというわけではないのに。

今日は、妻が私の姓を名乗るようになってから33回目の入籍記念日。


豊田一喜






ぼうず

2013年07月06日 | インポート
久々に「ぼうず」だった。

魚釣りに行って1匹も釣れなかった。

釣りをする場所の設定、釣りをする時間帯、釣りの仕掛けなど、魚が1匹も釣れなかった原因は色々と考えられる。

一番良くなかったのは、釣りに出かける前の「気合い」の欠如だったのかもしれない。

昨日は雨模様だったので、きょうは何の魚を釣ろうかと迷ってしまった。

通常であれば川の水嵩が増えているので、境川での「ヤマメ釣り」という選択となるのだが、ヤマメ釣りには先週も行ったし、季節的には「ウナギ釣り」かなと思ってしまった。

で、場所をどこにしようかと考えたけれども、昨年ウナギが釣れた大村湾の鈴田川河口まで行くのを億劫に思ってしまった。

天気もぐずつき気味だったし、あまり遠くへは行きたくないなと思い、なるべく近場で済まそうと安易に考えた。

ということで、なるべく近場でウナギが釣れそうな所を想定した。

諫早湾干拓の潮受け堤防よりも外側にあり、島原半島の中で有明海にそそいでいる河川の河口部で、愛野町に近いところということになる。

諫早湾干拓の潮受け堤防で、有明海の潮水と遮断されている雲仙市愛野町内と吾妻町内から流下している河川には、海から遡上してくるウナギは居ないはずであるから、ウナギを釣ろうと思えば、必然的に雲仙市瑞穂町よりも以北の河川の河口部に場所は限定される。

家の庭の落ち葉が積もっている場所を掘ると、ウナギ釣りの餌となる「ドバミミズ」がいる。

その様子を見ていた猫の「もえ」が、ミミズ掘りを自分も手伝おうとしたかのごとく、プランターの表面を前足で掘って、ドバミミズを1匹見つけてくれた。

午前中に雲仙市瑞穂町と国見町の川の河口部に出掛けたが、潮時が悪かった。

干潮に向っている時間帯で、河口部の水位はどんどん下がっており、途中から土砂降りの雨になった。

雨合羽を着用してはいたが、そのまま釣りを続ける根性もなく、一度家に帰った。

家でゆっくりした後に、午後3時ごろから瑞穂町の神代川河口に出掛けて、満ち潮の時間帯に釣り糸を垂れてみたが、仕掛けが引っ掛かって切れる事はあっても魚の当たりは一度も無かった。

かくして、魚釣りで「ぼうず」を経験した珍しい日だった。


ちなみに、「ぼうず」とはウィキぺディアでは以下の様に説明してある。

「坊主」とは、「房主」と書くのが本来である。

始めは僧房の主(あるじ)のこと、つまり一坊の主としての住持や住職のみを指していた。

これに対して十分な経験を持ちながら、特定の房(坊)を持たない僧侶を法師と称して区別した。

また、こうした坊主身分のことを特に坊主衆(ぼうずしゅう)とも称した。

古典文芸作品では、坊主は小僧の対義語で、お寺で一番身分の高い僧侶である。

日本では中世以来、次第に法師など住職以外の一般の僧の総称となった。

したがって、本来は尊称であった。

「坊さん」「お坊さん」と呼ぶのも、同じ語源による。

時代がたつと、僧形の者、髪を剃ったり短く刈ったりした者、また、毛のない頭やそれに見立てられるものをも広くさすようになる。

武家時代に、大名などに仕えて、僧形で茶の湯など雑役をつとめた者も坊主と呼ばれ、その職掌によって茶坊主・太鼓坊主などと呼ばれた。

また、男の子の愛称となったのは、昔、僧のように幼時に髪を剃っていた事からであろう。

なお、キリスト教伝来の当初には、宣教師を(南蛮)坊主と呼んだ事もあったという。

このように、時代が下るにつれて、尊称とは言えなくなり、蔑称の場合も多く、現在では僧侶に対し「坊主」などと呼びかけるのは大変失礼に当たるので注意が必要である。

これは「坊主丸儲け」「生臭坊主」などという言葉(檀家制度が導入されたために僧侶の堕落が著しくなった江戸時代から使われるようになった)に象徴されるように、仏教の葬式仏教化に伴い、僧侶が必ずしも尊敬の対象にならず、むしろ侮蔑の対象にすらなったという意識の変化によるものであろう。

アタマジラミが発生した場合、スミスリンなどの薬品を使わずにシラミを駆除できる髪型とされている。

その他
日本語で少年のこと。 関西弁、特に大阪では「うちの坊主」のように自分の子ども(男子)に使う。

丸刈り、いわゆるスキンヘッドのこと。

水商売で、お客が一人も来ない日(夜)のこと。

釣りで全く魚が釣れなかったこと。上記からの転用。



豊田一喜


まだら模様

2013年07月05日 | インポート
長崎県内を南東方向に向って2時間程度車で走って、まだら模様に出合った。

走行している道路表面の状態の違いで、雨で濡れているところや全く雨が降っていないところなど、様々だった。

小雨模様の所があれば、強風と強い雨のところもあり、また、全く雨が降った形跡がなく路面が乾いている所もある。

佐世保市内ではやや強い風と小雨で、ハウステンボス付近では強い風と大雨で、東彼杵町付近では強い雨の所と雨が止んでいる所、大村市内に入ると路面は乾いており、諌早市内でも雨はほとんど降っておらず、諫早市森山町から自宅付近までは強い雨が降っていた。

車で走行していて、2~3km離れると気象状況が違う場面に時々出会う。

雨が降っている区域とそうでない区域に、比較的近い場所で遭遇することがある。

気象庁は、気象予測の区域マスの大きさを小さく設定できるような予報態勢になったと発表していた。

まだら模様の路面に遭遇して、その必要性を感じた。






豊田一喜