久し振りに涙腺がゆるんでしまった。
ゆっくりと休める一日だったので、遅めの朝食を済ませて炬燵に入ってテレビを見ていたら、そのまま眠ってしまっていた。
目が覚めたのは午後1時30分を過ぎていたが、テレビに目をやると、さだまさしが歌っていた。
「夏 長崎から さだまさしコンサートファイナル」というやつで、今年の8月6日に、長崎市の稲佐山で行われた、20回目の最後のコンサートだった。
起き抜けで、トイレに行きたかったが、その映像に引き込まれてしまい、トイレに行くのを我慢して見入ってしまった。
彼の歌は、そのほとんどが彼自身の作詞・作曲による物で、メロディーも歌詞も私の心に染み入る曲がほとんどだ。
平和である事の大切さのメッセージを込めて歌う彼の姿を見ていると、自然に涙腺がゆるんでしまった。
感動の涙を流す事などめったに無い事だが、彼の歌には泣かされてしまった。
途中でトイレを我慢できなくなり、しかぶるといけないので、大竹しのぶさんが「防人の歌」の歌詩を朗読している時にトイレに行った。
私たちが子どもの頃には、ビデオによる録画など出来なかったので、テレビ番組は、その放映時間のものを見るしかなかった。
特に夜の番組などは、眠たいのを我慢して、目をこすりながら起きていて見たような記憶がある。
その時と同じような、今見なければ見る事が出来ないというような心持で、「夏 長崎から さだまさしコンサートファイナル」を見る事が出来た。
いいものを見せてもらった。
夜には「ラスト侍」を見て、こちらも涙腺がゆるむ感動ものだった。
炬燵に入り、ゆったりとテレビを見て感涙を流した、穏やかな日和の良い休日だった。
豊田かずき
ゆっくりと休める一日だったので、遅めの朝食を済ませて炬燵に入ってテレビを見ていたら、そのまま眠ってしまっていた。
目が覚めたのは午後1時30分を過ぎていたが、テレビに目をやると、さだまさしが歌っていた。
「夏 長崎から さだまさしコンサートファイナル」というやつで、今年の8月6日に、長崎市の稲佐山で行われた、20回目の最後のコンサートだった。
起き抜けで、トイレに行きたかったが、その映像に引き込まれてしまい、トイレに行くのを我慢して見入ってしまった。
彼の歌は、そのほとんどが彼自身の作詞・作曲による物で、メロディーも歌詞も私の心に染み入る曲がほとんどだ。
平和である事の大切さのメッセージを込めて歌う彼の姿を見ていると、自然に涙腺がゆるんでしまった。
感動の涙を流す事などめったに無い事だが、彼の歌には泣かされてしまった。
途中でトイレを我慢できなくなり、しかぶるといけないので、大竹しのぶさんが「防人の歌」の歌詩を朗読している時にトイレに行った。
私たちが子どもの頃には、ビデオによる録画など出来なかったので、テレビ番組は、その放映時間のものを見るしかなかった。
特に夜の番組などは、眠たいのを我慢して、目をこすりながら起きていて見たような記憶がある。
その時と同じような、今見なければ見る事が出来ないというような心持で、「夏 長崎から さだまさしコンサートファイナル」を見る事が出来た。
いいものを見せてもらった。
夜には「ラスト侍」を見て、こちらも涙腺がゆるむ感動ものだった。
炬燵に入り、ゆったりとテレビを見て感涙を流した、穏やかな日和の良い休日だった。
豊田かずき