日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

200円で酔える男

2012年11月30日 | インポート
私のこと。

仕事帰りに、諫早市長野町のドラッグストアーコスモスに、例の如く、友人と二人で寄って買い物をした。

1本598円のビストロという名の、ペットボトル入りの赤ワイン1本と、白桃味チューハイ2本、梅酒味チューハイ2本を買って帰った。

土曜日・日曜日は、遺跡発掘のアルバイトの仕事が休みだから、花の金曜日の夜ということで、気分は公務員なみで、収入は同年代の公務員の5分の1以下という自分も、ゆったりと酒でも飲もうと思った。

1本79円の白桃味チューハイ1本と、梅酒味チューハイ1本と、ビストロというワインをコップに一杯、妻が作ってくれた、おいしい晩御飯を食べながら飲んだ。

缶チューハイは、ジュースのようで飲みやすく、コップ1杯のワインも、これまたジュースのような感覚で飲み干してしまった。

それだけで、晩御飯を食べ終える頃には、ほろ酔い気分になる事が出来た。

コップ1杯分のワインを42円として計算すれば、缶チューハイが2本で158円、合計で200円。

私は、200円で酔える男であることが自分で認識できた。

稼ぎが少ない分、安上がりに出来ているのかな。

本日は、大村市の公民館講座の方々の竹松遺跡の見学と、大村市中央小学校6年生の生徒さんたちの遺跡見学・発掘体験があった。

あまり寒くはなかった一日だった。

Iさんは、他に職が決まり、東京に行かれる事になって、Mさんも他に職が決まって、本日まででお別れになった。

来週からはTさんが職場に復帰される。





豊田一喜


日本未来の党

2012年11月29日 | インポート
「日本未来の党」という、私たち庶民が待望していた、滋賀県の嘉田由紀子知事が結成した政党が28日、東京都選管を通じて総務相に新党設立を届け出たそうだ。

「日本未来の党」には、「国民の生活が第一」と「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」が合流するほか、みどりの風の前衆院議員3人が「日本未来の党」から衆院選に立候補する予定で、「日本未来の党」の参加メンバーは前衆院議員61人、参院議員12人の計73人に達するみ通しだと、本日の毎日新聞の記事に出ていた。

「日本未来の党」、素敵なネーミングだと思う。

まさに、私たち日本国民の未来を託したくなるような、政治理念の一致した合流だと思える。

政治は最終的には数の力で決定される。

いくら主義、主張を唱えても数で結集しなければ、その政治的な理念は実現できない。

今回の合流は、そのような意味合いにおいて理想的に思える。

「国民の生活が第一」や「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」や「みどりの風」など、いずれの政党もその政治理念においては同じような路線であるから、その合流によって、投票する側にとっては非常に選択肢が絞りやすくなった。

「日本維新の会」と「太陽の党」の合流は、その当初の政治理念においては、かなり隔たりがあるにもかかわらず合流してしまった。

野合という表現をされても仕方が無いように思う。

橋下氏、石原氏の双方が、それぞれの知名度を利用して、それぞれを神輿の上に担ぎ上げて、国政の表舞台に台頭しようとしているという構図が見え見えのように私には思える。

そこには国民生活の事を思い、庶民の生活に対する気配りは微塵も感じ取れない。

橋下氏の「原発の再稼動はさせない」という強い主張と、大阪府知事や大阪市長としての役所改革の実績などにより、私たちは彼の、日本国の指導者としての資質の可能性に引かれたように思う。

しかし、原発に関しては、結局は言っただけで何も変える事はできなかったばかりか、最近では、「日本未来の党」を批判して、脱原発など出来るわけが無いというような意味合いの発言をするようになっている。

橋下氏は、その生い立ちにおいては庶民を経験していたのかもしれないが、今は年収3億円を稼ぐことができるというような権力側に属する人のようだから、私たち庶民の事をおもんぱかる事が出来る人柄ではないように変わってしまった人のように思えてしまう。

石原氏の核実験を連想させるような発言も危険であるし、自民党の安部総裁の「国防軍」構想も、我が国にとっては使わない方がよいような言葉だと私は思う。

現に「自衛隊」という素敵なネーミングの組織があるのだから。

平和ボケは国家の未来にとっては由々しき事ではあるが、平和ボケのふりをして、平和を維持し続けるということは、今の国際社会の中で我が国が取るべき方向性としては国益にかなっていると私は思う。

石原氏の太陽の党との合流により、橋下氏の発言はドンドンとトーンダウンして「日本維新の会」が目指している国家像がどのようなものなのか、ピントがぶれていて焦点が合わせられない。

要するに何をするのか訳が分からない政党という風に私の目には映る。

TPP交渉には参加するが、国益に反する場合には離脱もあり得るのだそうだ。

TPP交渉に参加すること事態が国益に反しているということが分からないわけでもあるまいに。

アメリカの真似をして、広くも無い我が国に「道州制」を導入するのだそうだ。

明治維新以降、先人たちが努力し苦労して築き上げてきた国家運営の方式を、競争原理を導入して、一体として進んできた地域間を分断させる方向に持っていこうとしている。

やめた方が良いと私は思う。

自民党の小泉首相の時代に、能力主義などという耳当たりの良い言葉に騙されて、経営者側にとって都合のよいような雇用形態を認め、我が国に根付いていた終身雇用の体系を崩してしまった。

その結果が、今の日本国の就業形態の現状に如実に表れている。

子供たちも、小さな頃から学校という学びの場に通っているにもかかわらず、その他にも学習塾に通わせられて、受験のための技術のトレーニングを反復練習させられて、おかしな能力主義というレールの上に乗せられ、見かけ上の競争社会の勝ち馬になったように勘違いしているような風潮を感じる。

能力さえあれば、自分はその企業の中で、終身働けるものと思い込んでいるような人もいるのだろう。

残念ながら現実はそうではなくて、ある日突然に「あと1ヶ月で解雇」という通告を、いつされてもおかしくは無い社会になりつつある。

終身雇用が保障されているのは、税金から高額な給料を支給されている公務員だけというおかしな構造になってしまっている。

そして、その高額な給料という既得権益だけは維持しつつ、公務員の総数を新規採用を漸減する事によって減らしていこうという姑息な手段を履行しようとしている。

民主党の、2年間だけの期間限定の公務員給料の減額などは、国民に対するごまかしであり、恒久的に公務員給料を減額して行こういうスタンスとはほど遠い。

安定した職業である、各種の公務員という肩書きの人たちの総数は減らすべきではないと私は思っている。

ただし、その給料は、3割ほどは減額すべきような、優遇されすぎているような現在の公務員給料の支給水準であるように思う。

そのような公務員給料の3割削減は、現状の民間企業の総平均給料から見れば、決して無茶な数字ではないのだと、特に役所の税務課関連の職務に就いておられる方々ならば納得されるはずであろう。

安定した一流企業などに勤めている人の総数よりも、私たちのような低所得者層の総数の方が、日本全国の中では圧倒的に多数のはずだ。

それでも私たちは、つつましく、この平和な日本の国で生活できている。

そのような私たち庶民の思いである、「国民の生活が第一」という考え方や「減税日本・反TPP・脱原発を実現する」という考え方や、「みどりの風」の環境問題を重視するであろう考え方などを、国政に反映してくれるであろうと考えられる政治家集団が結集してくれた事によって、12月16日の比例代表への1票の投票先は決まった。

あとは、私たちの長崎2区から「日本未来の党」の立候補者を立ててくれれば、もう1票の行使先も決まるのだが、それは無いようだから、今のところその1票はどのように使おうかと思案中。

間違っても、福田えり子氏が出なくなったからという理由で、風見鶏的に、7町合併の理念を遵守もしなかったばかりか、公金支出に関して不祥事が発覚したばかりの自治体の長の責務を放棄し、自分の古巣の政党に対する仁義を無視して、無所属から出馬する候補にだけは投票しないでおこうと思っている。

それにしても、小沢一郎氏の選挙戦術は見事だと思う。


豊田一喜



















塩を入れる?

2012年11月28日 | インポート
銀杏の種の中身をおいしくいただくには、銀杏の種を茶封筒に入れて、その中に塩を少々入れてから熱を加えればおいしいのだと教えてくれた人がいる。

銀杏の種の中身は、硬い殻に包まれているので、塩を入れて温めても、塩味がどのようにして中身に付くのかはよく分からない。

ゆで卵をする時に、塩を入れるのと同じような原理なのだろうか。

今度、試してみようと思うが、ゆで卵の様に塩を入れてゆでてみようと思っている。

銀杏の種の中身を出して食べる時に、ペンチで割って出して食べたと友人に話したら笑われてしまった。

銀杏の種は、歯で簡単に割れるのにということだった。

帰ってから、電子レンジでチンして事務所の冷蔵庫にしまっておいた銀杏の種を、奥歯で噛んでみたら簡単に割れた。

子どもの頃には、炒った豆の皮を歯で割って、中の豆を食べていたが、忘れていた。

もうひとつ、塩を入れる食べ物のレシピの話。

その名前を「自好味スパ」(じこうみすぱ)という。

この名前は、私が勝手に命名した料理(?)名。

どのようなものかは、だいたい想像はつくだろうとは思う。

手順としては以下の通り。

1.鍋にたっぷりの水を入れて沸騰させる。

2.沸騰させたお湯の中にスパゲティー麺と塩少々を入れる。

3.約10分間ゆでる。

4.スパゲティー麺をザルに上げて、水分を切る。

5.底が深めの皿に、スパゲティー麺を適量盛る。

6.シソ風味タレ、シソ風味ポン酢、マヨネーズ、和風練りからしを用意する。

7.用意した調味料を、好みに応じて各自スパゲティー麺の上にかける。

8.箸で、調味料がスパゲティー麺によくなじむように混ぜる。


以上で「自好味スパ」の完成。

和風練りからしが無い場合には、練りわさびでも良い。

まさに、自分の好みに合わせて、晩御飯のおかずの一品は完成。

他のおかずを作りながら、鍋でスパゲティーをゆでるだけで簡単に出来る一品。

味のポイントは、練りからしか練りわさび。

難点は、自分の好みの味にできるので、量を食べ過ぎる可能性があるということ。

塩梅というように、塩味と梅味(シソ風味・酢)の加減次第で、料理の味付けは変幻自在。

本日の午後には、竹松遺跡の見学と発掘体験に、竹松小学校の郷土クラブの生徒さん十数名が訪れた。


豊田一喜









賢明な選択

2012年11月27日 | インポート
日本維新の会から衆議院議員選挙に出馬を予定していた複数の立候補予定者が、出馬を辞退したという。

日本維新の会から今回の衆議院議員選挙に出馬するには、選挙に必要な700万円というお金を、自己資金のみで準備しなければならないのだそうだ。

700万円という金額は、普通に生活している人ではなかなか準備できる金額ではない。

立候補予定者の本気度を見るためという謳い文句ではあるが、実は政党としての資金力の無さを隠蔽するための方便の様に思えてしまう。

そのことだけから考えても、庶民感覚から大きく乖離している考え方の様に私は思う。

私などは、700万円あれば5年間は生活できる。

日本維新の会からの立候補を断念して辞退した人たちの判断は、賢明な選択だったように思う。

代表代行の橋下氏の主張は日々変転しているし、不倫が発覚しても「ごめんなさい」で済ませてしまうような軽い感覚の持ち主の元で働かなくて済んで、むしろ良かったのではないかと思う。

今までの政治家としての実績は評価できる面も多々あるが、最近の言動を見ていると、国政を託すにはちょっと疑問を挟みたくなるように思えてきた。

以下は、選挙運動と政治活動 についての説明文。


選挙運動と政治活動の違いは?

 政治上の目的をもって行われるいっさいの活動が政治活動と言われています。
ですから、広い意味では選挙運動も政治活動の一部なのですが、公職選挙法では選挙運動と政治活動を理論的に明確に区別しており、それらを定義付けすると次のように解釈できます。

【選挙運動】
 特定の選挙に、特定の候補者の当選をはかること又は当選させないことを目的に投票行為を勧めること。

【政治活動】
 政治上の目的をもって行われるいっさいの活動から、選挙運動にわたる行為を除いたもの。


選挙運動はいつからできる?

 選挙運動は、公示日(告示日)に立候補の届け出をしてから投票日の前日までに限りすることができます。それ以外の期間、たとえば、立候補届出前にする選挙運動は事前運動として禁止されています。


公職選挙法によれば、選挙運動というのは、ある特定の候補者を当選させるための活動と共に、ある特定の候補者を落選させるための活動も含むと定義されている。

意外と感じる人も多いのかもしれないが、公職選挙法にて認めている、特定の候補者を落選させるための活動も、選挙妨害ではなくて、合法的選挙運動に当たるのだそうだ。

石原氏の太陽の党と合流したあとの日本維新の会の一貫性の無さを見ると、政党の政治理念とはなんぞやという事を強く思ってしまう。

マスコミが作り上げたブームに乗って政党を判断すれば、民主党に見事に騙されたこの前の選挙の轍を踏むことにもなりかねない。

私たち有権者には、作り上げられた情報に乗せられないような賢明な選択が必要だと思う。



豊田一喜










4連休

2012年11月26日 | インポート
金曜日から日曜日までは、普通に暦どおりに3連休だった。

本日は雨のために、遺跡発掘のアルバイト作業は休みになった。

梅雨時の頃には、雨のために連休になることも多かったが、最近では久し振りの4連休となった。

巷では、国政選挙の話で盛り上がっている。

雨で休みになったので、ゆったりとした時を満喫できた。

少し溜まりがちだった諸般の整理作業をして、何とか平常に戻す事ができた。

今週は、あと4日しか働けないが、木曜日あたりもあまり芳しくない天気予報のようだ。

今週で11月も終わる。

12月25日までで、今年の遺跡発掘のアルバイト作業は終わり、来年の1月6日までは休みになる。

何をして過ごそうか。


豊田一喜




銀杏の種

2012年11月25日 | インポート
朝から、新聞の投稿欄で、銀杏の種の中身を酒のアテ(つまみ)にするという文章を読んでいた。

銀杏の種を電子レンジでチンしたら食べられると書いてあった。

午後になって、灯油の予備が少なくなっていたので、ガソリンスタンドに行くついでに、妻の食糧品の買い物に付き合ってスーパーに行った。

スーパーの入り口を入ってすぐの所に、銀杏の種のビニール袋詰めが置いてあった。

1袋に50個近くの銀杏の種が入っていて100円の表示。

安いと思った。

朝読んだ新聞の文章が記憶に残っていて、電子レンジでチンして銀杏の種の中身を食べてみたいと思ってしまった。

妻に話したら難色を示した。

種であっても、そのにおいがきついからやめた方がいいんじゃないとの助言。

が、電子レンジでチンするだけで、酒のつまみになるというフレーズの誘惑には勝てずに2袋も買ってしまった。

帰宅してから早速電子レンジでチンしてみる事にした。

やっぱりにおう。

ビニール袋に入っていてもいやなにおいが漂う。

深めの皿に1袋分の銀杏の種を並べてから、サランラップを被せて電子レンジに投入し、「あたため」ボタンを押す。

センサーで電子レンジの中に投入した物を感知して、その物に見合った時間で処理してくれる。

数分で「あたため」は終了した。

電子レンジから取り出して、さてどのようにして銀杏の種を割ろうかと思慮する。

ペンチで挟んで割る事にした。

温めてもいやなにおいは台所に充満したので、換気扇を回して窓を開けた。

ペンチで割って、中身の薄皮を剥がして食べてみる。

さほどおいしいと思えるような味ではなかった。

残りの1袋も、ビニール袋には入っているが、独特のいやなにおいを台所中に発しているので、もう1枚のビニール袋で被い、事務所の冷蔵庫にしまった。

ちゃわん蒸しなどに入っているが、買ってまで食べるほどの物ではないと学習した。

銀杏の種は当分の間、事務所の冷蔵庫に眠っていることになるだろう。



豊田一喜














ネコの手ぐらいにはなったのかも

2012年11月24日 | インポート
生まれて初めて、みかん千切りの加勢作業をやらせてもらった。

普段と同じぐらいの時刻に、弁当を持って家を出て、同行する友人の家に行き、友人と二人でその畑に向った。

あらかじめ地図を描いてもらっていたので、走行方向の右側にあるカレー屋さんの少し先の方の空き地という場所はすぐに分かった。

8時少し過ぎに到着した。

Sさんの携帯に電話を入れたら、その駐車した場所の上の方にある畑から降りて来て、畑まで案内してくださった。

切り取り用のハサミと収納用のカゴを貸してもらい、千切り方の説明をしてもらった。

実がなっている枝の先端部分を2度切りして、他の収穫したみかんに傷が付かないようにするのだと教えてもらった。

作業を進めていると、Sさんが以前から言っておられた、見覚えのある「きれいどころ」の女性の皆さんが登って来られた。

それから程なくして、Sさんの息子さん夫婦やご主人、お孫さんなど総勢で15名ほどでのみかん千切りとなった。

息子さんとご主人は、収穫したみかんのコンテナを6個積んで運べるキャタピラーのついた機械で、収穫したみかんを軽トラックまで運んで積み込み、家の小屋まで運搬する作業をやっておられた。

丁寧に手入れをしてあるみかん畑で、みかんの木の高さを低く整えてあり、高いところでもビール瓶のケースを踏み台にして届くぐらいにしてあった。

低い木は、目の高さよりも低くなるように整えてあり、畑の地面に立ったままの普通の姿勢で、楽に収穫が出来た。

また、きれいな橙色をした、その畑のみかんの品種そのものが希少だということで、今は近隣で作っている人ははほとんどいないのだそうだ。

昼休みには、コノシロの刺身の差し入れをいただかせてもらった。

ゆずごしょうを醤油にちらしていただいたコノシロの刺身は最高においしかった。

黙々と全員が作業をこなした結果、夕方の4時を少し回ったぐらいの時刻に作業は終了した。

帰りには袋いっぱいのみかんをお土産にいただき、「きれいどころ」の女性の方々を見送ってから家路に着いた。

ネコの手ぐらいにはなったのかもしれない一日で、充実していた。



豊田一喜










ブレブレの人たち

2012年11月23日 | インポート
コロコロと言っていることを変えて、その場その場で耳当たりの良い言葉を発する政治屋が多いように見受けられる。

国政選挙を前にして、そのような輩が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)することは予測できてはいたが、それにしてもひどい。

脱原発の方針を、他の政治勢力と合流した事によってトーンダウンし、どのようにでも解釈できるような言い回しに変えてしまって、挙句にはその政党のマニフェストを文字化する事をしないで、「自分は政党の方針はいつでも自分の言葉でしゃべる事が出来る」と言い出す始末。

ブレブレの人たちの集団に自分たちの未来を託すわけには行かない。

その人のリーダーシップに期待していただけに幻滅してあきれてしまった。

私の中の選択肢から、その政党は完全に消去した。

また、民主党は、長崎2区からの衆議院議員選挙への立候補者の擁立に向けて、以前の長崎県知事選挙に担ぎ上げた元農水省職員だった橋本剛氏に出馬の要請をしたそうだが固辞されたのだと。

橋本氏にしてみれば、2回も続けて騙されはしませんよという所だろうが、正しい選択をされたと思う。

福田えり子氏の離党によって、なんとしてでも誰かを出さなければということなのだろうが、結局は民主党長崎県連の内輪での人選という選択肢しかなかったようだ。

民主党から誰が出ようが、見事に期待を裏切ってくれた政党ということで、既に民主党という選択肢は私の中では消去済み。

また、雲仙市長の奥村慎太郎氏が長崎2区から出馬するということのようだ。

雲仙市の幹部職員が1000万円以上の金額の公金の不正な扱いをしていたという事件が発覚したにもかかわらず、国政への転出を図ろうとしている。

その管理責任者としての責任意識は無いのだろうか。

部下がしでかした事件ということでの言い逃れは通用しないのではないのだろうか。

私から見れば、ブレブレの人たちの典型のような人に思える。

合併前の協定内容は尊重すると言い続けておきながら、雲仙市の新庁舎を愛野町に建設することはせずに、旧7町で取り決めた合併の理念に反して、吾妻庁舎と千々石庁舎の増築で済ませるということを言い出した張本人でもある。

元々自民党の県議会議員だった人なのに、長崎県の自民党が、加藤かんじ氏を衆議院議員選挙の立候補予定者として擁立しているにもかかわらず、衆議院議員選挙に自ら出ようとしているということは、古巣に弓を引くことの様にも思える。

今の流れを見て、潮時だと具申したブレーンがいたのだろうか。

保守系が分裂すれば、他の候補予定者に有利になる可能性も否定は出来ないだろう。

共産党は、元千々石町議会議員だった矢崎勝巳氏を長崎2区から擁立している。

個人的に面識があり、直接話をした事がある唯一の立候補予定者でもある。

庶民感覚としては共産党の主張には同調できるところが多くあるが、社会主義を標榜していた国家の崩壊や、現在の複数の隣国の現状を見ると、その国家運営のあり方には賛同出来ない。

小沢一郎氏が率いる「国民の生活が第一」という、投票用紙に記入するには面倒くさいような党名の政党の方針は、一貫していてブレてはいないように私は思う。

マスコミや国家権力の既得権益集団により、小沢一郎氏が、強引に罪人に仕立て上げられようとしたことによって、悪人のイメージを植え付けられている人が多いとは思うが、小沢一郎氏の主張とその取った行動に関しては賛同できる。

裁判での無罪の確定が、マスコミや国家権力の既得権益集団により、小沢一郎氏が、強引に罪人に仕立て上げられようとしていたことの証明でもあると言える。

「国民の生活が第一」という視点での国家運営が、今の日本の政治には欠如しているように思う。

消費税の増税、原発、TPPなど、日本の現状と将来にとって、その選択を誤ると、おかしな社会になっていく可能性を秘めているのではなかろうか。

「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」という、これもまた投票用紙に記入するには面倒くさいような党名の政党の方針は、判りやすくて、私たち庶民の感覚に響くものがある。

党首の河村たかし氏が常々主張している、「税金で食わせてもらっている公務員がたくさんの収入を得て、のうのうと暮らしていて、税金を納める側の一般人が生活に困っているような社会の構図はおかしい」という考え方には全面的に賛同できる。

残念ながら、私たちの長崎2区からは、それらの政党からの立候補予定者は今のところいないが、比例区への投票は出来る。

ブレブレの人たち以外を、きちんと見極めて、貴重な2票を投じようと思っている。



豊田一喜












土量

2012年11月22日 | インポート
最近、大村市竹松遺跡の発掘現場から掘削されて、掘削範囲の域外へ搬出されている土量が増えているようだ。

掘削のための道具も、ねじり鎌や移植ゴテが主流だった初期の頃に比べて、最近ではスコップやツルハシ、長柄の鍬などを使って掘削している人たちが多い。

そのために、掘削される土量が増えてきている。

そのことに伴って、手押し式の一輪車(ねこ)による、掘削土砂をベルトコンベアーまで搬送する頻度が多くなって来ているようだ。

発掘調査に関する最初の説明では、表土の掘削面よりも150cmぐらいの深さまで掘り下げるということだったので、その目標に向って、掘削のピッチが上がってきているのだろう。

掘削土量が増えてくると、色々な場所で、段差がきつくなる所も出てくる。

細心の注意をはらって作業に当たらないと事故に繋がる可能性が高い。

朝礼の時、KYK(危険予知活動)のために、各班から順繰りで注意事項の指摘をするようになった。

使用する道具の取り扱い方、ベルトコンベアーに巻き込まれないように服装を整える、周囲の作業員に対する気配り、歩行する場所の選択(掘削した肩の近くはなるべく歩かない)など、注意しなければならない事はたくさんある。

が、自分の身は自分で守るしかない。

搬出する土量が増える事によって、各個人による危険予知活動が本当に重要になってくる。

私たち発掘アルバイト作業員全員が、目標の土量の搬出を達成して、無事故で任期満了を迎えたいものだ。



豊田一喜






贅沢な時間

2012年11月21日 | インポート
大村市竹松遺跡の発掘アルバイト作業は、県の方々の合同会議が開かれるということで本日は休みだった。

平日の天気が良い日に、思いがけず休む事が出来て、贅沢な時間を過ごす事が出来た。

友人といつも話している事柄だが、アルバイト作業で働かせてもらっている私たちの現況は、経済的にはさほど恵まれてはいない方の部類に属するのかもしれないが、精神的には最高の贅沢をさせてもらっているのだと。

通勤の車中での世間話で、行き帰りのおよそ1時間ずつは楽しいし、作業の内容も面白いし、土曜日、日曜日、祝祭日と雨降りの日は休めて、趣味などに充てる時間が持てるしで、精神的には最高に贅沢な日々の暮らしを実現できている。

思いがけずに平日に休む事が出来たので、久し振りに東京にいる娘に電話をかけてみたら、米が足りなくなりそうだから送って欲しいという。

早速、一番近いところにある吾妻町の自動精米機のあるところで、上米として納入してもらった新米を精米して荷造りして発送した。

ねり柿と干し柿も少しずつ入れて送った。

歳をとっていくに従って、だんだんと煩悩に悩まされる事が少なくなって、衣食住が普通に維持できていれば、それで満足できるようになってきた。

普通に仕事をさせてもらって、平凡に生活できていることが、贅沢で幸せなことなのだと思えるようになってきた。

そのように思える日々の中で、本日の休みは格別に贅沢な時間に思えた。



豊田一喜








手押し式の一輪車(ネコ)

2012年11月20日 | インポート
午前中で測量の作業は終わったので、午後は掘削した土砂の運搬係をやらせてもらった。

手押し式の一輪車(ネコ)での運搬作業だったが、手押し式の一輪車の事をどうしてネコと呼ぶのかという疑問を常々持っていたので調べてみた。


以下はウィキペディアによる説明文。


手押し車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

手押し車

手押し車(ておしぐるま)は手押し式の運搬台車。

山道や畑や工事現場などで農作物や資材を運ぶのに利用される。

道路交通法上は軽車両に分類されている。

リヤカーとは使用する向きが逆であり、構造も異なる。

発祥は古代中国の木製のものだといわれている。

手車(てぐるま)ともいう。

ドイツでは手押し車を俗にKipp-Japaner (日本人) と呼ぶ


1輪
車輪が1つのものは孤輪車(こりんしゃ)という。

また、単に一輪車(いちりんしゃ)ともいうが、乗車遊具の一輪車と区別するため工事用(こうじよう)あるいは農作業用(のうさぎょう)一輪車と呼ぶこともある。

さらに、猫車(ねこぐるま)、猫(ねこ)とも呼ばれる。

理由としては、猫のように狭いところに入ることが出来ることから来ているという説もあれば、また猫のようにゴロゴロと音を立てることを起因するとする説、裏返した姿が猫の丸まっている姿に似ているからとする説もある。

以上はウィキペディアによる説明文。


以下はネット上で見つけた解釈文。

 古代海岸や川の河口で取れる砂鉄のことをネコと言っていました。

奈良時代以後、山から取れる鉄鉱石もネコでした。こうした鉄を含む鉱石を運ぶのでネコ車になったと思われます。

おそらく江戸時代の金山や銅山で開発されたものと思われます。



この説もなかなか説得力があると思うが、正解は世の中で一番最初に「ねこ車」と命名した人に聞かなければ分からないようだ。

久し振りに体を動かす作業をやらせてもらったので汗をかいたが、帰宅してから体重計に乗ってみたら・・・・。

栄養補給の需給のバランスで、ここのところ供給の方が少し勝っていたようで・・・・・。

休みの前の日のゆったりした夜の、焼酎のペプシコーラ割りは格別においしく感じる。


豊田一喜






満天の星空

2012年11月19日 | インポート
朝の5時ごろに空を眺めたら、鮮やかな、まばゆいような満天の星だった。

澄み切った夜空(明け方)に、星たちがくっきりと輝き、それぞれがその存在を鼓舞しているようで圧倒されるような美しさだった。

西の空には、見つけやすいオリオン座が鎮座している。

久し振りに見た、美しすぎるような眺めだった。

200年ほど前の江戸時代に、日本全国を測量して回っていた伊能忠敬測量隊も、星空を眺めながら、要所要所で天文測量を実施し、地球の大きさを知るための資料としたり、その結果に基づいて測量結果の位置の補正を行なっていたという。

雲仙市愛野町の深浦庄屋さんの家に宿泊した時にも、天文測量を実施したという記録が伊能忠敬の測量日記に残っている。

以下に、1812年12月7日の測量日記の記述を紹介する。(長崎市在住の伊能忠敬研究会会員の入江正利氏による研究成果である「伊能忠敬・長崎県測量」より抜粋)


 晴天。朝七つ半後(午前6時過ぎ)に両手共に森山村を出立した。

後手は永井、門谷、尾形、佐助。

我等は先に愛津村(愛野町)へ行く。

肥前国高来郡川床村(諫早市川床町)に打ち止めた○床の印より初(原文の通り)める。

長野村(諫早市長野町)、有喜村(諫早市有喜町)。

同村の諫早と長崎街道(矢上への街道)の追分にて野陣で昼休み。

○矢の印迄、二十九町四十一間(3238.18m)。唐比村(諫早市森山町唐比)。

それより島原領愛津村の○合の印で海辺と街道を合流して測る。

一里二町二十一間(4183.63m)。街道は通ばかりで一里三十二町二間(7421.82m)。

是より沿海の愛津村の内、字土井の○土の印まで、沿海が六町四十五間(736.36m)。

是より止宿へ打ち上がる。又、西の海辺へ横切る。

愛津村(愛野町)の測所迄、二町三十間(272.73m)。

それより字田畑(田端)、字迫、西の海へ出る。

愛津村の内、字釜床で打ち止めて○釜の印を残す。十二町五十間五尺(1401.52m)。

二口の合計は十五町二十間五尺(1674.24m)。惣測二里十八町七間五尺(9832.42m)。

 坂部、今泉、箱田、保木、甚七は昨日打ち止めた井牟田村(諫早市森山町井牟田)より初(原文の通り)める。

森山村枝万灯、枝釜分(釜ノ鼻)。枝田尻、百姓の清次宅で昼休み。

枝江代(江城)、枝唐津、板谷川(有明川)を渡り十三間(23.64m)、川の中央が界。

島原領愛津村の○合の印で街道の手と合流して測る。

沿海を測り、一里三十四町十五間四尺(7664.85m)。

両手一同は愛津村(南高来郡愛野町乙田端)の止宿に着く。

本陣は庄屋の深浦九郎左衛門宅。両手一同一緒に宿泊する。

島原の付回役人の林鉄兵衛と奥村立助、勝手方の堂崎村の庄屋江川彦左衛門、島原村の森崎惣左衛門、島原町年寄の姉川伊兵衛、同乙名の木田勘助が(挨拶に)来る。

佐嘉の江頭伊平と荒木丈右衛門が来る。

島原より使者の奥村加兵(奥村嘉兵衛)が領主(十二代松平忠凴)より国の産物を持参し、贈られる。品物は別記。

此の夜は晴天で測る。


以上は、伊能忠敬測量隊の測量日記の一日分の抜粋。

最後の一行に、「此の夜は晴天で測る。」という記述があるが、これが天文測量を実施したという記述になる。

およそ200年前の今ごろに近い季節に、伊能忠敬測量隊は、現在の愛野町の深浦さんの家の庭で、星空を見ながら天文測量を実施している。

深浦さんのお宅は、少し高台の開けた所にあり、天文測量を実施するには好適な場所だったはずだ。。

私が眺めたような、まばゆいばかりの満天の星の中から、北極星などを見つけて観測したのであろう。

水平面から北極星を仰ぎ見る高度角は、おおむねその地点の緯度と同じ数値を示す。

地球を球体と仮定して、その極北方向の無限遠に北極星が存在している図を描けば、その概念は理解しやすい。

要するに、地軸の方向と限りなく平行に近い位置に北極星が存在しているという事になり、地球上のその地点における水平線は、地球球体の円の接線方向となる。

地球を地軸に平行に分断した断面の中で、そのような図形を描いて考察してみれば理解がしやすい。

厳密に言えば、北極星は地軸の延長線上には存在してはいないので、時々刻々と地球の極北方向を中心にしてわずかばかりずつ回転している。

また、地球は球体ではなく、東西方向に扁平な回転楕円体であるから、上記の概念は正確に言うと微妙に違うが、おおむね合っている。

久し振りに見た満天の星からの連想。




豊田一喜
















仙人様

2012年11月18日 | インポート
多芸、多才の仙人様のような人に出会うことができた。

芸術家で木工職人で、農業もやり、自給自足のアウトドアーライフの達人でもあり、人生の大先輩でもある。

ログハウスを自分で製作され、移り住んだ地で創作活動をしながら地域にとけ込んで生活しておられ、自らの夢の実現を実践されている。

山林を開墾したり、蜜蜂の飼育、椎茸栽培、野いちごのジャム作り、スズメバチの焼酎漬け作り、野菜作りなどと何でもできる多才な仙人様のような人に思える。

お住まいのすぐ前の、湖のような大池では鮒や鯉やハヤが泳いでいるという。

いずれ、釣竿を持って、その地を訪ねてみたいものだと思っている。

雲仙市愛野町の我が家からは、車で1時間40分ぐらいの距離で、以前に働かせてもらっていた組織の仕事で通った事があるヒノキ山の近辺にその桃源郷は存在している。

その人の「田舎暮らし」というホームページでは、季節の移ろいなどを記録されている素敵な写真を見せてもらう事が出来る。

また、駄洒落の達人でもあるようだ。

色々な人と出会える環境にいる事が楽しくてたまらない。



豊田一喜






崩壊の序章

2012年11月17日 | インポート
国民の期待を見事に裏切ってくれた政党の崩壊の序章が展開されている。

長崎県においては、山田正彦氏に続いて福田衣里子氏も民主党からの離党を表明した。

福田衣里子氏の離党表明は遅すぎるように私は思う。

消費税増税法案に反対した直後に離党すべきだったのではないだろうか。

「みどりの風」に合流するそうだが、はたしてその選択がどのような結果になるのかは分からない。

福田衣里子氏は「主義主張を言えるポジションで政治活動をしたい。熟慮のうえだ」として、民主党の慰留には応じなかったそうだ。

また、政党については「第三局の動きは金持ち目線で危険だ。弱者のため、対極の人間がいないといけない」と述べたという。

私は既存の政党以外の、維新の会を軸とする新しい「第三局」の勢力の結集に期待をしていたが、維新の会が太陽の党を加えて合流してしまったことには幻滅してしまった。

原発に関する基本的な考え方が異なるような組織の合流は、いかがなものだろうか。

民主党の長崎県議会議長の渡辺敏勝氏は「肝炎対策基本法だって、政権与党の議員だったからこそ実を結んだ。少数政党では犬の遠吠えにしかならん。何を考えとっとか」と怒りの声を上げたと、本日の毎日新聞の記事では表現してある。

私も「少数政党では犬の遠吠えにしかならん」というフレーズはその通りだとは思うが、国民の期待を見事に裏切ってくれた民主党に残っても、その末路はおおむね見えているような気がする。

福田衣里子氏の主張は、考え方としては筋が通っているが、権限である国会議員としての議席を確保できなければ、いくら主義主張を言っても実現することは難しい。

本来ならば罪にもならないようなことで罪人に仕立て上げられようとしていた小沢一郎氏の無罪も確定するようだが、あえてマスコミは小沢一郎氏が率いる政党を第三局に加えようとはしない。

マスコミによる情報操作の一例であるといえよう。

情報操作に踊らされて、烏合の衆的な政党などに騙されないようにしなければならない。

民主党に見事に騙された事によって、マニフェストなどというものを鵜呑みには出来ないのだという事を学習できたはずだ。

国家のありようを、利権集団が牛耳るような元の状態に戻すのか、本当に国民の生活を考慮できるような人に託する新しい選択をするのかが問われる12月16日になる。

今回の国政選挙では、私たち庶民にも2票を投じる権利が与えられる。

その2票ずつの集大成によって、国家のありようを変えていくことも不可能ではない。

そのような1票ずつを、熟慮の上で大切に行使したいものだ。




豊田一喜




野の花

2012年11月16日 | インポート
大村市竹松遺跡の発掘現場での昼休み時間に、その現場周辺に咲いている野の花を摘んで来て見せてくれる人がいる。

お花屋さんに勤めていた事があるというその人は、花の名前について詳しい。

野の花は、見た事はあるがその名前は知らないというのが多い。

私が知っている野の花といえば、ミヤコワスレとナズナぐらいかも。

名前だけ覚えているのは「オオイヌノフグリ」。

フグリというのは○玉袋のことだということで、おもしろいネーミングだったので覚えている。

色々な種類の、きれいな野の花が咲いているものだと教えられる。

お日様の力と、土の養分と、天から降り注ぐ雨による水分によって、ひっそりと野の片隅で、連綿と生を受け継いできた逞しい生命力。

まるで私たちと同じ庶民のように思えて、いとおしく感じる。

私たちが遺跡の発掘作業をやらせてもらっている区域は、いずれ新幹線の施設の下に埋められてしまうのだろう。

だけれども、その区域で生きながらえてきた野の花たちと同種の末裔は、少し離れた所で、ひっそりとその生を受け継いで行くことだろう。

私たち庶民も、それぞれが持っている、取るに足らないかもしれないようなささやかな色を社会の中で表現しながら、ひっそりと咲いて生をまっとうしたいものだ。



豊田一喜