郵政民営化に関する国民新党の亀井静香氏と、無所属で出馬予定の堀江貴文氏の議論の様子。
以下に8月23日の毎日新聞より抜粋。
衆院選広島6区での対決が決まった国民新党の亀井静香・元自民党政調会長(68)と、ライブドア社長で無所属で出馬予定の堀江貴文氏(32)が20日、フジテレビの番組で初の直接バトルを演じた。民営化で多くの郵便局がなくなると指摘する亀井氏に、民営化支持の堀江氏は「残す方法はいくらでもある」と反論したが、具体論に乏しく議論はかみ合わなかった。
堀江氏は、郵便局を残す方法として「コンビニの中に作ればいい」と指摘。亀井氏に「山の中にコンビニなんかない」と反論されると、「別に小学校でもいい」と切り返すなど、低レベルの議論に終始した。
堀江氏は、「僕が来ることによって、どんどん広島6区が紹介される」と、自らの出馬による経済効果にも言及。しかし、亀井氏は「思い上がりだね」といっしゅうし、「無所属だ何だと言わず、『刺客』なら『刺客』らしい装いでやってきてほしい。その方が分かりやすい」と堀江氏を挑発する場面もあった。
以上抜粋。
以下は私の感想。
まず、なぜ郵政民営化に対して反対している人達がいるのかという正しい認識を持つ事が必要だと思う。
都市部においては、銀行や宅配便業者などが多く営業している。
それらの利活用者が多く居住していて、商売として成り立つからだ。
そのような地域に住んでいる人達にとっては、お金の預け入れや、荷物や書類の発送などをどこに依頼するかは、かなりの自由度を持って選択する事が出来る。
一方で、過疎化が進んでいるような地域においては、銀行などの金融機関は、ほとんど存在していない。
費用対効果から考えて、利活用者が少なければ商売として成り立たないからだ。
宅配便に関しては、民間業者の企業努力により、かなりの僻地までも集荷・配達がされるようにはなってきた。
お金の預け入れや引き出しの場合には、郵便局がその地域では唯一の機関であるような地域も存在している。
手紙や葉書を出す場合にも、全国一律料金なので、利用する側としては気軽に利用できる。
また、郵便局に対する長年の実績による絶大な信頼感と安心感がある。
もし、郵便局が民営化された場合にはどうなるだろうか。
政府は、民営化しても郵便局の数は減らさないと言っている。
おそらく、当初においてはそうするだろう。国民が注視しているのだから。
しかし、民間企業になれば、近い将来には、利活用者の少ない売り上げのあがらない店舗は、統廃合する事を余儀なくされる事は目に見えている。
そのような地域においては、唯一の、安心して使う事のできる金融機関が無くなることになる。
国営であればこそ、郵便局という公営の組織により、全国民がある程度均衡したサービスを受けられているという現状を忘れてはならないと思う。
明治維新以降、西洋の郵便制度を導入した事によって、一般庶民でも遠隔地に住む人との通信ができるようになった。
コンビニがどこにでもあるという認識が、堀江氏の大きな誤認識である。
また、コンビニは民間経営であるがゆえに、永続性のあるものとは言い切れない。
現実に、私の住んでいる町のコンビ二は、繁盛しているように見えたが、最近廃業された。
その様なところで、国民が全幅の信頼を寄せて、安心して利活用できる郵便事業の肩代わりが出来る訳がない。
入れ替わりの激しいコンビニのアルバイト店員に、窓口業務をやらせて、守秘義務などが守れると考えているのだろうか。
それがだめなら小学校でもいいなどと発言されている。
小学校でどのようにして郵便事業をやっていくつもりなのだろうか。
不特定多数の人が、自由に出入りできるような環境下に、子供達を置くつもりなのだろうか。
亀井氏の「山の中にコンビニなんかない。」という発言の中に、郵政法案反対の人達の思いが集約されていると思う。
私は、その発言に賛同する。
その様な事が思い描けないような人には、私は国民の代表にはなって欲しくは無い。
ただ、亀井氏の、「思い上がりだね」といっしゅうし、「無所属だ何だと言わず、『刺客』なら『刺客』らしい装いでやってきてほしい。その方が分かりやすい」という発言はいただけない。
議論の本質から外れている余計な事を言うと、正しい発言までも、その重さが差し引かれて聞こえてしまう。
豊田かずき