子どもの頃、家の近くの千鳥川には、「わたりばし」という橋が架かっていた。
この橋は、川底からの高さが1mぐらいの所が通行面になっていて、幅が1間(1.8m)ぐらいの、潮汐による潮が遡上すれば水没してしまうような橋だった。
欄干もない厚さが20cmぐらいのコンクリート橋で、橋脚にあたるようなものが橋の中央部付近に二箇所あった。
大雨の後には、その橋脚に相当する部分に、上流の河川敷からえぐり取られて流されてきた大量の草が引っ掛かって、川の流れを塞き止めていたようなこともある。
川向こうの新崎という集落に、「ところさん」という商店と、「おきゆさん」という商店があり、どちらも日用雑貨や食料品が置いてある小店だったが、よくお使いに行かされた。
まだ各家庭に冷蔵庫がなかったような頃の真夏の暑い日には、「ところさん」の店にある、外側が木製の大きな冷蔵庫に入れてある「角氷」を買いに行かされた。
角氷を入れる金属製のボールを持って行って、その中に氷を入れてもらい、融けないように急いで家に持ち帰るのだ。
どのようにして使うのかというと、なんと言うことも無い。
水道の水を氷で冷やして飲む、冷やし素麺の麺を浸けて冷やして食べるというだけのことである。
だけども、冷蔵庫が無かったような真夏の暑い時である。氷で冷やした冷たい水や、冷水に浸した素麺がなによりのご馳走だった。
また、子どもの頃に何回か高熱を出したことがあるが、その時にも「ところさん」の店の氷にお世話になった記憶がある。
古き良き時代の思い出のひとつでもある。
「ところさん」の店は、子どもの頃に住んでいた家の、川向こうの真向かいにあったが、そこに行くには少し下流の「わたりばし」を渡って行くのが一番の近道だった。
潮が引いている時(干潮の時)には、その橋を普通に渡って行くのだが、潮が引き切っていないでその水位が「わたりばし」の通行面上で膝ぐらいより低い時には、ズボンの裾を膝上までまくりあげて水の中を渡って「ところさん」の店まで行っていた。
川向こうの新崎という集落の子どもたちは、登下校の際にもそのようにして「わたりばし」を利用していた事もある。
「おきゆさん」の店では、たばこや釣り道具も扱っていた。
「おきゆさん」の店に行くには、潮が引いている時には、少し上流の吉野さんの家の裏の川の中にある「飛び石」を渡って行くのが近道だった。
潮が満ちている時には、どちらの店へも、もっと上流のほうの光西寺の近くの「千鳥橋」を渡っていくしかなかった。
こちらの店には、タバコのみの父親に言われて、よくタバコを買いに行かされた。
50円玉を1個握りしめて、「わかば」というタバコを買いに行くと、帰りには10円玉1個がお釣りとして手のひらの中に残る。
それを駄賃としてもらう。
小遣い銭などもらう事もなかったので、そのような駄賃が唯一の収入源だった。
10円玉1個あれば、いろいろな使い道があった。昭和30年代の話である。
10円で、あんぱんが1個買えた。
5円の棒付アイスクリームもあった。
5円かまぼこ(ミンチといっていた)もあった。
揚げかまぼこは1枚が10円だった。
1個が50銭(1円の半分)の「すずめの卵」という豆菓子は、10円あれば20個買えた。
釣ばりは1本が1円のものもあった。
この頃に、一円札を使った事を記憶している。
一円札を持って、「すずめの卵」を2個とか、釣ばりを1本とか買いに行っていたことがある。
様々な思い出のある「わたりばし」であるが、昭和30年代の終り頃に、千鳥川の護岸改修による堤防肩のかさあげ工事の時に、龍宮上橋(りゅうぐううえばし)として架け替えたようだが定かではない。
この橋は、「わたりばし」と違い、通行面が民家の地盤面よりも高い所に架設されたので、大雨の際に千鳥川が増水してでも、また潮汐による満潮の時にでも、川向こうの集落との行き来ができるようになった。
鉄で出来ていたが、最近の調査結果によれば、橋桁部分の腐食がかなり進んでいて、そのまま放置しておくと危険であるということになり、今年の4月に新しい「龍宮上橋」として架設された。
今度はりっぱなコンクリート橋である。
今では、「ところさん」の店も「おきゆさん」の店も建物はあるが店は廃業されて、思い出の中にしか出てこない。
おそらく、私が生きているうちには新しい「龍宮上橋」は架け替えの必要はないだろう。
この橋は、川底からの高さが1mぐらいの所が通行面になっていて、幅が1間(1.8m)ぐらいの、潮汐による潮が遡上すれば水没してしまうような橋だった。
欄干もない厚さが20cmぐらいのコンクリート橋で、橋脚にあたるようなものが橋の中央部付近に二箇所あった。
大雨の後には、その橋脚に相当する部分に、上流の河川敷からえぐり取られて流されてきた大量の草が引っ掛かって、川の流れを塞き止めていたようなこともある。
川向こうの新崎という集落に、「ところさん」という商店と、「おきゆさん」という商店があり、どちらも日用雑貨や食料品が置いてある小店だったが、よくお使いに行かされた。
まだ各家庭に冷蔵庫がなかったような頃の真夏の暑い日には、「ところさん」の店にある、外側が木製の大きな冷蔵庫に入れてある「角氷」を買いに行かされた。
角氷を入れる金属製のボールを持って行って、その中に氷を入れてもらい、融けないように急いで家に持ち帰るのだ。
どのようにして使うのかというと、なんと言うことも無い。
水道の水を氷で冷やして飲む、冷やし素麺の麺を浸けて冷やして食べるというだけのことである。
だけども、冷蔵庫が無かったような真夏の暑い時である。氷で冷やした冷たい水や、冷水に浸した素麺がなによりのご馳走だった。
また、子どもの頃に何回か高熱を出したことがあるが、その時にも「ところさん」の店の氷にお世話になった記憶がある。
古き良き時代の思い出のひとつでもある。
「ところさん」の店は、子どもの頃に住んでいた家の、川向こうの真向かいにあったが、そこに行くには少し下流の「わたりばし」を渡って行くのが一番の近道だった。
潮が引いている時(干潮の時)には、その橋を普通に渡って行くのだが、潮が引き切っていないでその水位が「わたりばし」の通行面上で膝ぐらいより低い時には、ズボンの裾を膝上までまくりあげて水の中を渡って「ところさん」の店まで行っていた。
川向こうの新崎という集落の子どもたちは、登下校の際にもそのようにして「わたりばし」を利用していた事もある。
「おきゆさん」の店では、たばこや釣り道具も扱っていた。
「おきゆさん」の店に行くには、潮が引いている時には、少し上流の吉野さんの家の裏の川の中にある「飛び石」を渡って行くのが近道だった。
潮が満ちている時には、どちらの店へも、もっと上流のほうの光西寺の近くの「千鳥橋」を渡っていくしかなかった。
こちらの店には、タバコのみの父親に言われて、よくタバコを買いに行かされた。
50円玉を1個握りしめて、「わかば」というタバコを買いに行くと、帰りには10円玉1個がお釣りとして手のひらの中に残る。
それを駄賃としてもらう。
小遣い銭などもらう事もなかったので、そのような駄賃が唯一の収入源だった。
10円玉1個あれば、いろいろな使い道があった。昭和30年代の話である。
10円で、あんぱんが1個買えた。
5円の棒付アイスクリームもあった。
5円かまぼこ(ミンチといっていた)もあった。
揚げかまぼこは1枚が10円だった。
1個が50銭(1円の半分)の「すずめの卵」という豆菓子は、10円あれば20個買えた。
釣ばりは1本が1円のものもあった。
この頃に、一円札を使った事を記憶している。
一円札を持って、「すずめの卵」を2個とか、釣ばりを1本とか買いに行っていたことがある。
様々な思い出のある「わたりばし」であるが、昭和30年代の終り頃に、千鳥川の護岸改修による堤防肩のかさあげ工事の時に、龍宮上橋(りゅうぐううえばし)として架け替えたようだが定かではない。
この橋は、「わたりばし」と違い、通行面が民家の地盤面よりも高い所に架設されたので、大雨の際に千鳥川が増水してでも、また潮汐による満潮の時にでも、川向こうの集落との行き来ができるようになった。
鉄で出来ていたが、最近の調査結果によれば、橋桁部分の腐食がかなり進んでいて、そのまま放置しておくと危険であるということになり、今年の4月に新しい「龍宮上橋」として架設された。
今度はりっぱなコンクリート橋である。
今では、「ところさん」の店も「おきゆさん」の店も建物はあるが店は廃業されて、思い出の中にしか出てこない。
おそらく、私が生きているうちには新しい「龍宮上橋」は架け替えの必要はないだろう。