日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

龍宮上橋

2005年05月31日 | インポート
子どもの頃、家の近くの千鳥川には、「わたりばし」という橋が架かっていた。
この橋は、川底からの高さが1mぐらいの所が通行面になっていて、幅が1間(1.8m)ぐらいの、潮汐による潮が遡上すれば水没してしまうような橋だった。

欄干もない厚さが20cmぐらいのコンクリート橋で、橋脚にあたるようなものが橋の中央部付近に二箇所あった。
大雨の後には、その橋脚に相当する部分に、上流の河川敷からえぐり取られて流されてきた大量の草が引っ掛かって、川の流れを塞き止めていたようなこともある。

川向こうの新崎という集落に、「ところさん」という商店と、「おきゆさん」という商店があり、どちらも日用雑貨や食料品が置いてある小店だったが、よくお使いに行かされた。

まだ各家庭に冷蔵庫がなかったような頃の真夏の暑い日には、「ところさん」の店にある、外側が木製の大きな冷蔵庫に入れてある「角氷」を買いに行かされた。
角氷を入れる金属製のボールを持って行って、その中に氷を入れてもらい、融けないように急いで家に持ち帰るのだ。

どのようにして使うのかというと、なんと言うことも無い。
水道の水を氷で冷やして飲む、冷やし素麺の麺を浸けて冷やして食べるというだけのことである。

だけども、冷蔵庫が無かったような真夏の暑い時である。氷で冷やした冷たい水や、冷水に浸した素麺がなによりのご馳走だった。

また、子どもの頃に何回か高熱を出したことがあるが、その時にも「ところさん」の店の氷にお世話になった記憶がある。
古き良き時代の思い出のひとつでもある。

「ところさん」の店は、子どもの頃に住んでいた家の、川向こうの真向かいにあったが、そこに行くには少し下流の「わたりばし」を渡って行くのが一番の近道だった。

潮が引いている時(干潮の時)には、その橋を普通に渡って行くのだが、潮が引き切っていないでその水位が「わたりばし」の通行面上で膝ぐらいより低い時には、ズボンの裾を膝上までまくりあげて水の中を渡って「ところさん」の店まで行っていた。

川向こうの新崎という集落の子どもたちは、登下校の際にもそのようにして「わたりばし」を利用していた事もある。

「おきゆさん」の店では、たばこや釣り道具も扱っていた。
「おきゆさん」の店に行くには、潮が引いている時には、少し上流の吉野さんの家の裏の川の中にある「飛び石」を渡って行くのが近道だった。

潮が満ちている時には、どちらの店へも、もっと上流のほうの光西寺の近くの「千鳥橋」を渡っていくしかなかった。

こちらの店には、タバコのみの父親に言われて、よくタバコを買いに行かされた。
50円玉を1個握りしめて、「わかば」というタバコを買いに行くと、帰りには10円玉1個がお釣りとして手のひらの中に残る。

それを駄賃としてもらう。
小遣い銭などもらう事もなかったので、そのような駄賃が唯一の収入源だった。

10円玉1個あれば、いろいろな使い道があった。昭和30年代の話である。
10円で、あんぱんが1個買えた。
5円の棒付アイスクリームもあった。
5円かまぼこ(ミンチといっていた)もあった。
揚げかまぼこは1枚が10円だった。
1個が50銭(1円の半分)の「すずめの卵」という豆菓子は、10円あれば20個買えた。
釣ばりは1本が1円のものもあった。

この頃に、一円札を使った事を記憶している。
一円札を持って、「すずめの卵」を2個とか、釣ばりを1本とか買いに行っていたことがある。

様々な思い出のある「わたりばし」であるが、昭和30年代の終り頃に、千鳥川の護岸改修による堤防肩のかさあげ工事の時に、龍宮上橋(りゅうぐううえばし)として架け替えたようだが定かではない。

この橋は、「わたりばし」と違い、通行面が民家の地盤面よりも高い所に架設されたので、大雨の際に千鳥川が増水してでも、また潮汐による満潮の時にでも、川向こうの集落との行き来ができるようになった。

鉄で出来ていたが、最近の調査結果によれば、橋桁部分の腐食がかなり進んでいて、そのまま放置しておくと危険であるということになり、今年の4月に新しい「龍宮上橋」として架設された。

今度はりっぱなコンクリート橋である。
今では、「ところさん」の店も「おきゆさん」の店も建物はあるが店は廃業されて、思い出の中にしか出てこない。

おそらく、私が生きているうちには新しい「龍宮上橋」は架け替えの必要はないだろう。



スターチス

2005年05月30日 | インポート
昨日、同じ町内会のSさんから「スターチス」という花を頂いた。
近くのビニールハウスで栽培されているのだが、盛期が過ぎたのでよかったら取りに来ませんかというお誘いに甘えて、妻・Mさんの奥さん・Yさんのおかあさんと私の四人が車で出掛けた。

普段よく通る道の川向こうにある、大きな3棟のビニールハウスの中で、その「スターチス」という花を本格的に栽培して出荷されている。

出荷の盛期を過ぎた花は、根元からその株を引き抜いて乾燥させてから焼却するのだそうだ。

私のような花に関しては素人の目で見る限りにおいては、その引き抜かれた株の先で咲いている花はまだまだ綺麗で、商品価値があるようにも見えたのではあるが、プロのSさんにとっては、既に出荷できるようなレベルの花ではなかったようだ。

そのビニールハウスの中に入らせてもらうのは初めてだったが、3棟のハウスではそれぞれのハウスで別々の色の「スターチス」の花が栽培されていた。

青色の花、桃色の花、その中間色の花と3種類の花を、好きなだけ切り取って頂いて帰った。

家に帰ったら、妻が早速その花を持って墓参りに行くという。
先に自分が行って墓掃除をしておくから、後で水と花を持ってきて欲しいと言って自転車で出掛けた。

我が家の墓参りは不定期である。
ご先祖があってこその自分の存在であると常々思っている。
盆・正月・彼岸には必ず参るが、その他にも気が向いた時には参るようにしている。

しばらくしてから、大きめのペットボトル5本分の水と、頂いた「スターチス」を車に載せて我が家の墓に出掛けた。

妻が既に墓掃除を済ませて待っていたので、花立に水を注いで花を飾り、線香をあげてお参りをする。
墓に参るとなんとなく気持ちが落ち着く。

午後には、もらった「スターチス」がまだたくさん余っていたので、隣町の妻の実家の墓参りにまで行く事ができた。

「スターチス」の花言葉を「かわうそ@暦」さんが運営されているサイトで調べたら、「永遠に変わらず」であった。

墓参りに持っていくにはぴったりの花である。



愛国心的きんぴらごぼう

2005年05月29日 | インポート
中国という国が最近よく分からない。
社会主義という自分が体験したことの無い国のことだから、分からないというのが当然のことかもしれない。
国家として歩んで来た歴史や、その教育環境も異なるがゆえの考え方の違いなのかもしれないが。

小泉首相が靖国神社に参拝することがけしからんという。

もし我が国が戦勝国であったとしたならばどうなのだろうか。
きっと靖国神社に祀られている「A級戦犯」と呼ばれている人々も、国家の指導者の一人として活躍されたのかもしれない。

同じ日本人である。
一国の首相が、その祀られている人の過去における立場はどうであれ、戦争という強制的な国事行為により亡くなられた多くの人々が祀られている場所に参拝に行くということは、他国から批判されるような事ではない。

分かりやすい例えをあげてみる。
家族の中に、法を破って死刑を執行された者がいたとしよう。
死刑の執行ということによって、犯した罪を帳消しにすることなどできるものではないが、生きる事が当たり前の人間としては、最高に重い処罰を受けたことになるのではないか。

私だったらその遺骨を受け取り、自分の家の墓に納めて、盆・正月・彼岸にはお参りに行くと思う。
お墓というのは、一人の人を供養する場所ではなく、全ての祖先を供養する場所であるはずであるから。

このように考えると、神道と仏教の違いはあったとしても、小泉首相の靖国神社参拝は他国から非難されるような問題ではないという事が納得してもらえるのではなかろうか。

断っておくが、私は右寄りでも左寄りでもない。かといって中立という訳でもない。
その事象ごとに自分なりの解釈により判断をしているつもりである。

もし中国という国に自尊心があるのであれば、自国の意に反するようなことをしていると思うような国からの「施し」は断固拒否して、それから自国の主張をするべきではないだろうか。
政府開発援助のことである。

自国の技術力で、有人人工衛星を打ち上げて、それを回収できるような国家である。
そのような国へ、自国製の無人の人工衛星の打ち上げにすら失敗をする事があるような我が国が、無償援助などする必要はないはずだ。

そのような事に使うお金があるのであれば、国内の本当に必要な公共工事等のために使うほうが、この疲弊している建設業界をも含めた国民にとっては、はるかに有益であると思う。

勝手な一素人の推測ではあるが、政府開発援助という名目でありながらも、実は戦後保障の一環として実施されている部分があるのではないのかということも、考えられなくも無いとも思っている。

国家間の事は、このような単純な論法では説明できないのだという事は認識しているつもりではあってでも、最近の中国の日本に対する言動を聞くたびに、つい言いたくもなる。

他国の大使館に投石するなどの犯罪行為を実行している自国民に対して、ただ傍観して規制もしないような国から、小泉首相の愛国心的な、誰にも危害を与えないような行為を非難される筋合いのものではないと思う。

週に2回ほどは町内のスーパーに妻とともに食料品の買出しに出かける。
私の好物のおかずの一つはきんぴらごぼうである。
ごぼうが置いてあるコーナーに行くと国産のごぼうの他に「中国産」の表示のごぼうが並んでいる。

中国産の方が国産品に比べて価格は半値程度であるので、以前は中国産の方を買い求めていた。
きっと中国の農家の方々が丹精込めて育てた農産物であろうと思い、ささやかではあるけれども日中友好のために協力しているつもりでいたのだ。

日本製品の不買運動をするということで、デモ行進をやっている。
日本の企業が多く中国に赴き、中国人の労働者を多く雇い入れて、いろいろな物を生産している。
日本製品の不買運動をするということが、自国の経済にどのような影響を及ぼすのかということは考えているのだろうか。
自国の置かれている現状認識がきちんと出来ているのか疑わしい。

最近では、中国産のごぼうは買わないようにしている。
国産の青森県産とか熊本県産のものしか買わない。
価格は中国産に比べて、二倍ほどだが、金輪際中国産のごぼうは買わないように決めた。
中国政府の日本に対する態度への、私に出来る一庶民としてのささやかな抗議の姿勢の表明だ。

かくして、今後は国産ごぼうによる「愛国心的きんぴらごぼう」が我が家の食卓の一品となるのであります。



はぜ釣りの記憶

2005年05月28日 | インポート
子どもの頃、千鳥川やその下流域のずっと先の三ツ島の周辺で、潮が満ちてくる時間帯に合わせて、はぜ釣りをして遊んでいた。

私が住んでいる千鳥川下流域は、汽水域と呼ばれる、海水(潮水)と淡水(川の水)が潮汐運動によって交じり合うようなところだった。
交じり合うといっても、容器の中でかき混ぜたように海水と淡水が交じり合うのではなく、潮水が上側の層で動き、淡水は下側の層を流れているような状態なのだ。

このようなところでは、潮汐の状況によっては、海水中でしか生息できないような魚類も潮水とともに遡上してきて、干潮時には淡水が流れているようなところでも、海の魚を釣る事ができる。

その典型が「はぜ」である。
ここで言う「はぜ」とは、マハゼ属の中のマハゼやハゼクチのことであり、ハゼクチは日本においては有明海と八代湾における固有種なのだそうだ。

これから、私が子どもの頃に経験した、千鳥川河口域付近における「はぜ釣り」の講釈を少し。

まず、餌である。
アゲマキ、ミミズ、ゴカイ、魚の切り身、ソーセージ、揚げかまぼこ、しし貝、魚の内臓、小ガニなどいろいろな餌で釣る事ができる。
この中で、釣り場付近で現地調達ができるのは、アゲマキ・ゴカイ・しし貝・小ガニである。

これらの餌は、釣り場付近の潮が引いている時に、河川堤防の根元に堤防の強度を安定させるために配置してある「捨石」のところまで降り、服の袖をまくりあげて干潟の潟を少しだけ掘ってみれば採取することができた。

ミミズは、ドバミミズ、シマミミズなどどんなミミズでもよい。
昔は、牛小屋の牛糞と敷きわらの混ざったものが空き地に野積みにされていて、堆肥化しているものが家の近くにあったので、それを棒で掘れば、シマミミズはいくらでも採れた。

魚の切り身も、魚の内臓も現地調達の餌の部類に加えても良い。
「はぜ」は、共食いのようなことをする。このことは、人間が勝手にそのように決め付けているだけなのかもしれないのだが。
そのような性質を利用して、先に釣れた「はぜ」を捌き、その切り身や内臓を釣り餌として使う。
これは、あらかじめ用意していた餌を使い果たした時に用いる方法だ。

ソーセージや揚げかまぼこは、子どもの頃には釣り餌として使ったことは無い。
これらは、私たち家族の貴重なたんぱく源であった。
10円の揚げかまぼこ一枚が、家族6人分の煮しめのだし用であったり、鯨肉がカレーライスの中に入っているような生活だったが、その頃の料理の味が妙に懐かしくもある。

ソーセージや揚げかまぼこを、はぜ釣り用の餌として試してみたのは、潮受け堤防が締め切られる少し前のことである。要するに大人になってからだ。
確かにそのような餌でもはぜは釣れた。

仕掛けは簡単である。
4~5mの長さの竹ざおに、それと同じぐらいの長さのスジ(道糸)を結びつけてスジの途中に浮きゴムを通し、スジの先端から30~40cmぐらいのところに錘(球状の鉛に穴が開いているもの)を固定して、スジの先端につりばりを結びつけるというような簡単な仕掛けである。
浮きゴムに通す浮きは、ピンポン玉ぐらいの大きさの玉浮きが扱いやすい。

つりばりに餌をつけて、浮き下を調整して水中に沈め、後は魚のアタリを待つだけである。
玉浮きにチョンチョンというアタリがあり、その後にスーッと玉浮きが沈みこむので、その時に合わせてからさおを上げると、たいていは釣れる。
仕掛けのさおを2~3本持って行くと、釣れ出したら餌の付け替えが間に合わないぐらいによく釣れていた。

潮時は、上げ三部と下げ三部ぐらいの水位の時ぐらいが、一番活発に魚が採餌活動をすると言われている。

はぜ釣りの「外道」として釣れる魚は、ウナギやキングチやスボタロー(ワラスボ)である。

ウナギは外道としては、とてもうれしい魚だったが、掛かったら迅速にはりを外さないと仕掛けをダメにされてしまう。
自分の体でスジをグルグル巻きにしてしまうのである。

スボタロー(ワラスボ)が掛かると、さおを上げる時にかなり重く感じる。
餌をくわえて巣穴に引き込むので、何かに引っ掛かったのではないかと思うぐらいに重たい。
その魚を初めてみる人は、そのグロテスクさに驚く。

キングチが釣れると、これもうれしい。
煮付けて食べるととても美味なる魚なのだが、あまり釣れたことはなかった。

「はぜ」は、醤油・砂糖・酒・刻んだ生姜で味付けをして煮付けて食べるが、秋口以降の寒くなる季節には、煮付けた次の日に、ゼラチン状に固まった煮汁とともに食べるのも楽しみだった。

諫早湾干拓の潮受け堤防による諫早湾口の締め切り以降「千鳥川河口域でのはぜ釣り」はできなくなった。

できることならば、潮受け堤防による高潮被害に対する防災効果を持たせたままで、「千鳥川河口域でのはぜ釣り」が再びできるような環境を復元したいものである。




情報の共有

2005年05月27日 | インポート
古今書院のホームページのトップページで、「関連リンク」を開くと、国土地理院をはじめとして、公的な各種研究所・博物館・学会などのホームページへリンクできるようになっている。

土木・工学系統の情報収集を目的とするならば、ほとんどその中の何れかに入っていけば間に合うようだが、その中で一つだけ欠落している学会がある。

それは、社団法人 日本写真測量学会である。
私も学会員になっている組織だ。
写真測量やリモートセンシング関連の先進研究事例などを多く紹介している。
一度開いてみるとおもしろい。

諫早湾干拓事業関係の情報を、体系的にまとめてあって有益なホームページとしては、「のんき」さんという人が開設されている「諫早湾干拓事業公式資料ページ」というのが関連情報の宝庫である。

関係する政府機関や関連法令等まで入って行けるような豊富な情報源である。
基本的には、諫早湾干拓事業反対の立場を主張されているようであるが、私も含む諫早湾干拓事業容認派も、一見の価値があるページである。

もう一つの有益な諫早湾干拓事業関係のホームページとしては、長崎県農林部諫早湾干拓室のホームページがあげられる。
こちらは、諫早湾干拓事業を推進する立場のページである。
事業について、分かりやすく説明してある。
また、有明海沿岸における、古来からの干拓の歴史が一目で分かるように、地図上に色分けして図示してある別のページもある。

「お気に入り」に登録しておけば、関連情報を検索する時には有益だと思う。

いずれも諫早湾干拓事業に関する重要な情報源ではあるが、それらの情報をきちんと客観的に咀嚼して、いろいろな判断を下さなければならないのは、それを見た各人であるはずだ。

正確な情報の共有があってこそ、はじめて正しい議論は成り立つものと考えている。


古今書院   
http://www.kokon.co.jp/

社団法人 日本写真測量学会http://jsprs.iis.u-tokyo.ac.jp/

諫早湾干拓事業公式資料ページ(のんきさんのページ)http://www.cityfujisawa.ne.jp/~559-mori/isahaya/

諫早湾干拓室(古来からの干拓の歴史を図示したページ)http://www.n-nourin.jp/ah/sesaku/isahayawankantakusitu/rekisi.html

長崎県農林部諫早湾干拓室(諫早湾干拓事業のページ)http://www.pref.nagasaki.jp/isakan/



画像

2005年05月26日 | インポート
久しぶりに本を購入した。
古今書院から発行されているSiPSEによる「3D衛星画像の作り方と読み方」というタイトルの本で、サブタイトルが「日本の自然を空から見る」となっている。

以前に古今書院から通販で本を購入したら、データが登録されたようで、新刊書などが出るたびにそれらを紹介した葉書が届くようになった。

数日前にもまたそのような葉書が届いた。
その中で紹介されていた本である。
注文は電話で受け付けてくれて、送料もむこう負担で宅急便を使って2~3日中には届く。
その送られてきた本と一緒に払込取扱票が入っているので、本の到着後に郵便局で振り込めばよい。
地方に住んでいる者にとっては、とても便利なシステムである。

鹿児島大学教育学部の教授と、現在鹿児島県の教員をされている二人の方の共同執筆で、教育用衛星画像表示システム(SiPSE)をパソコンで楽しむための解説本である。

以下に主要なところを引用して内容の説明とする。

教育用衛星データ(SiPSEデータ)とは
衛星データについて
SiPSEデータは、宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構)が受信した、ランドサット5号のTMセンサーデータを加工して提供しています。
ランドサット5号は、1984年~2001年の間運用されたアメリカの人工衛星です。
高度705km上空から地球を観測し、1回の観測で東西185km巾の範囲を観測し、16日周期で観測してきました。
オリジナルデータは、1点ごとに0~255の値(256階調)を記録しています。また、異なる波長のデータ(バンド)を7つ記録しています。SiPSEデータでは、その中の1~4バンドのデータを利用しています。
オリジナルデータを0~15(16階調)まで減らし、ファイルのサイズを小さくしています。ただし、16階調に落としたデータでも、視覚的に画像の劣化は、目立ちません。
標高データについて
国土地理院発行の数値地図50mメッシュをもとに、提供している衛星データと標高データとで位置を合わせてあります。

以上引用。

およそ200年前に日本全国を測量して廻り、日本国の形状を明らかにすることに貢献した、我々測量屋の偉人的大先輩である伊能忠敬が見たら、目を丸くして驚くかもしれない。

航空機から撮影した航空写真画像に比べれば、比較にならないほど粗い画像ではあるが、教育用として使う分には十分な内容の画像ではある。

日本の中で、自分が見たい所の場所を指定して、その地域の画像ファイルと標高データファイルをダウンロードして、専用ビューワー上で開けば、三次元的な地形画像を、自由にいろいろな方向に回転させたり、高さ方向の表示を水平方向の2倍までは誇張表示することができる。

本の価格は3,150円と少し高めかもしれないが、居酒屋に一回行くのを我慢すれば、日本全国の3D画像が楽しめる。

古今書院  TEL 03-3291-2757
      http://www.kokon.co.jp/

SiPSEのホームページ http://sipse.edu.kagoshima-u.ac.jp/sipse/



むっちゃんかけ

2005年05月25日 | インポート
日本においては、有明海沿岸の干潟にしか生息していない「むつごろう」という魚を、このあたりでは「むっちゃん」と呼ぶ。

有明海の干潟に順化した特殊な魚であるようだ。



魚類ではあるが、潮が引いた後の干潟の上では、両生類ででもあるかのように胸びれを器用に使って潟の上を移動する。

魚だから当然のことながら水中でも生存でき、また空気中でも潟の上でかなり長時間活動できる。



初夏から秋の終り頃にかけて、潮が引いた干潟の上を、「むっちゃん」は潟の上に成長した圭藻類を食べるために、巣穴の周りを活発に動き回る。



その巣穴から出ている時の「むっちゃん」を、長い竹ざおとその先に結びつけたヨマ(道糸)の端に取り付けた手作りの特殊なかけ鉤を使って、引っ掛けて獲るのが「むっちゃんかけ」である。



その手作りの特殊なかけ鉤そのもののことも、「むっちゃんかけ」と呼ぶ。

「むっちゃんかけ」ば作っち「むっちゃんかけ」に行くというような言い回しになる。

「むっちゃんかけ」という道具を作って、それを持って「むっちゃんかけ」という漁獲行為を実行しに行くという意味である。



初夏から秋口にかけての学校が休みで晴れた日の干潮時には、長いさおを担いで千鳥川の干潟に出かけ、「むっちゃんかけ」をするのが私の遊びの主役だった。



河川堤防の上から、干潟の巣穴から出ている「むっちゃん」を「むっちゃんかけ」を使って、二通りの方法のうちのいずれかの方法で、かけ鉤に引っ掛けて獲る。



小学生ぐらいの初心者が用いるのは「待ちがけ」という方法である。

「むっちゃん」は通常は一匹で一つの巣穴を持っている。

その「むっちゃん」が隠れた巣穴のすぐ脇の20cmぐらい先のほうに「むっちゃんかけ」のかけ鉤をセットして、「むっちゃん」が這い出してくるのをジッと待つ。



巣穴から這い出してきて、かけ鉤と繋がっているヨマ(道糸)の上に体を乗せた瞬間に、さおを引っ張って「むっちゃん」を引っ掛けて獲る。



中学生ぐらいの中級者が用いる方法は、「待ちがけ」より高度な技能を使う方法である。

巣穴から出ている「むっちゃん」を直接狙うのである。



狙いをつけた「むっちゃん」より1mぐらい先の方に、なるべく音がしないように、さおのしなりを利用して静かに「むっちゃんかけ」を落下させ、「むっちゃんかけ」とヨマ(道糸)の方向が「むっちゃん」のいる方向に合致するように狙いをつけ、「むっちゃん」より50cmぐらいの所まで掛け鉤を近づけておいてから、「むっちゃんかけ」を一気に引っ張って引っ掛けて獲る。



テレビ番組などでよく放送しているような「むっちゃんかけ鉤」が空中を移動している瞬間に引っ掛けて獲るというような芸当は、干潟面よりかなり高い位置である堤防面からの「むっちゃんかけ」ではほとんど使えない。

あのようなことは、超上級者つまりプロ級の技能者にしかできない。



中学生ぐらいになると、半日程度「むっちゃんかけ」をすれば、20匹や30匹ぐらいは掛ける事ができるようになっていた。



夕方その日の漁獲物をぶら下げて家に持ち帰り、自分でさばく。

さばくといっても、はらわたを出してきれいに水洗いするだけである。

うろこは、ほとんど気にならないように細かくて薄いので、落とさなくても良い。



味噌炊きか、蒲焼にして食べる。から揚げにしても美味である。

夏になると、必ず何日かに一度は、私の漁獲物である「むっちゃん」料理が我が家の食卓の一品として並んでいた。



干潟における自然の生産力は相当なもので、一夏中大勢の子どもたちが「むっちゃんかけ」で「むっちゃん」を獲っても、その魚が絶滅するということなど絶対にありえない。

そこに「むっちゃん」が生息し、それを捕獲して食するというのは、地域文化のひとつでもあった。



今でも家の裏の千鳥川で、休日ともなると子どもたちが楽しそうに魚釣りをしている。

かつてその川では「むっちゃん」や「はぜ」がいたという事も知らないような地元の子どもたちが、潮が遡上しなくなった干潟の消滅した川で。



千鳥川河口部での「むっちゃんかけ」は、過去の事柄として語り継がれるという選択肢しか無い訳ではないと思うのだが・・・・。



自然の恵みと脅威

2005年05月24日 | インポート
小学校の3・4年生頃から、遊びといえば家の裏を流れる「千鳥川」での川遊びが常だった。
フナ、ハゼ、ナマズ、ウナギにツガネなどの手づかみ漁である。

潮が満ちてくると、その潮とともにハゼやボラやウナギなどが上ってきて、釣竿を出すとおもしろいように釣れていた。

潮が引くと、河口付近の干潟ではムツゴロウ掛けやアゲマキ採り、シシ貝採りなど自然の恵みにより、遊びと食卓のおかずの両方を与えてもらっていた。

このようなことは、自然が穏やかでやさしい時のはなしである。

梅雨時に大雨が降るとその様相は一変する。
千鳥川の流域に降った雨が、川を濁流になって流下し、降雨時間が長くなるとその水位が上昇する。

そんな時に、親たちは潮汐による満潮の時刻を気にして神経質になる。
その神経質になっている親の様子を見て、子どもの方は不安になる。
特に台風の襲来する夜中に満潮時刻を迎えるような時には、そのような緊張感は極限に達する。

言うまでも無く、古来からの干拓によって造られた標高の低い低平地域に住んでいる者にとっては、低気圧と満潮と水位が増した上流からの流下水の相関次第で、川の水が溢れて居住地域が浸水することもあるために、高台への避難を考えなければならない。

自然が牙をむき、猛り狂った時の顔であり、自然の脅威である。
私は18歳までこの愛野町に育ったが、記憶に残っているだけでも二回は千鳥川の水が溢れて高台に避難したことがある。

今はどうか。
諫早湾干拓の潮受け堤防のおかげで、豪雨の時にでも下流からの潮水の遡上の事は考えないで済むようになった。
有難いと思っている。

しかし、今の諫早湾干拓のありようでは、漁民の方々の疑念を払拭することはできない。

農水省の役人も、県の役人も、農民も漁民も一般住民も、私と同じ庶民である。
その庶民同士がそれぞれの立場ばかりを主張して、いがみ合っている姿を私は好まない。

諫早湾干拓事業が、後世に誇れるような国営事業となるような解決策を、関係する全ての人々の知恵でひねり出して見つけ出さなければならないと思う。

その事業の是非や経緯は別として、今更引き返せないのであるから。



祭りのあと

2005年05月23日 | インポート
昨日投開票された南高来郡深江町の町議会議員選挙で、唯一私が知っている、立候補者の中では最年少の新人候補は、本人も予想できなかったというような高得票で当選していた。

彼の人柄や主張や選挙戦の手法が、多くの住民に支持され、支援の輪が広がった結果であったのだろう。

深江町が今のままの合併の枠組みで、南島原市の一員として合併するのであれば、彼の深江町議会議員としての任期は10ヶ月と短い。

告示日の20日ほど前に私の所を訪ねてくれた時に、彼の立候補に対する決意のほどは聞いていた。

選挙区以外の人間ということで私には話しやすかったのだと思う。
一人ででも選挙戦を戦い抜くという、純粋で強い意志が感じ取られた。

合併の枠組みに対する、住民側からの署名運動結果による住民投票条例案を、旧議会が否決した事に端を発して、その議会が解散させられたことにより実施された選挙であった。

やはり、まずは住民の声を投票行為という明確な方法で把握してから、合併の話は進めるべきではないかというのが彼の主張である。
結果として彼の主張は、多くの住民からの支持を得たことになる。

選挙カーからの候補者の名前の連呼や街頭での立会い演説など、5日間の喧騒が去り、何も無かったかのように庶民の一日が流れていくことだろう。

今は、「祭りのあと」の虚脱感にも似たような空気が深江町を覆っているのかもしれない。

しかし、新人で当選した彼は、支持してくれた多くの人達の思いを具現化するために最善を尽くせるかどうか、多くの住民の目で注視されている。
頑張って欲しい。



散歩

2005年05月22日 | インポート
住民投票により解散となった南高来郡深江町における、町議会議員選挙の公職選挙法で認められている選挙運動期間は、昨日で終わった。

今日はその投票日である。

議会のあり方に対して、住民パワーが「ノー」を突き付けて行われた選挙戦であったはずである。
各候補者陣営で、様々な方法の選挙戦が展開されたことであろう。
それぞれの候補者とその支持者並びに住民は、今日の投票結果をいろいろな想いで待っておられると思う。

朝から雨模様であるが、投票権のある人はまず投票に行くべきである。
特に候補者自身は投票用紙に自分の名前を書いて投票した後に、自分が展開した選挙運動の5日間を振り返りながら、傘を差して町中を散歩してみるのも良いかもしれない。

雨に濡れた町の風景を眺めながら、町の地形・地理・土地利用状況等ををじっくりと観察し、自分がこれから議員として担うかもしれない地域の現状を把握するための一日とするのも有意義なことではないだろうか。

散歩の途中で、道行く人に「おはようございます。」、「こんにちは。」の日常的な挨拶をすることは、公職選挙法でも禁じてはいないはずである。

今、午前9時50分である。
私だったら今から傘を持って散歩に出かける。

投票箱が閉鎖される午後8時まで、選挙戦は終わっていない。






ふたりの事務局長の訪問

2005年05月21日 | インポート
昨日、めずらしく「事務局長」という肩書きの人がふたり、私の所を訪ねてくれた。
それぞれ別々の時間帯での訪問だったが、このような偶然はめったに無いことだ。

ひとりは、愛野町郷土誌編纂事務局長のO氏である。

愛野町では、合併して雲仙市になる前に、愛野町郷土誌最終版を作ることになっており、私もその中の資料編の所の数ページ分を執筆させていただくことになっている。

およそ200年前に、日本全土を実測して廻り、日本国の正確な姿を把握することに貢献した「伊能忠敬」測量隊一行が、全国を測量した時の記録が日記として残っている。

その中の、愛野町付近通過時の記録に少しの解説を加えた内容のものを書くように依頼されている。

そろそろ原稿提出の期限が近付いているので、様子見方々執筆原稿作成時の文字数・行数についての再確認のためにみえたのである。

少しづつ集まりだしたワープロ打ちの原稿の様式が不揃いで、ご自身で一部打ち直したりされているそうだが、大変らしい。
昭和58年に作られた「愛野町郷土誌」の様式に合わせて、縦書きの本にするという予定であるが、O氏も横書きにした方が良かったかなと言われていた。

私は横書きの文章に慣れているので、そのようにしてもらった方が良いと思うし、本のサイズもA4版にした方が地図や絵図面・写真等を掲載する時に見やすく、ページ数も少なくできるのではという意見を述べさせてもらった。

編集会議を開いていただき再検討していただければ、電子情報化した時の後々の扱いが楽になり、利活用の汎用性も広がると思うのだが。

私の日々雑感「点ノ記」のページを開いて、リンクの状況を見てもらい、このような手法(リンクを使って、そのキーワードに関する情報が瞬時に見れるようにする手法)を郷土誌の内容に用いるようにすれば、郷土誌を電子情報化する場合に、その情報の広がりが大きくなりますよという事を説明したら、納得されていた。

物事を説明して相手に納得してもらうには、具体的な実例を示して説明することが効果的なようだ。


ふたり目は、愛野町議会事務局長のH氏である。

いつもお世話になっている人で、愛野町議会における諸事万端を、つつがなく実行する上においては無くてはならない存在で、そのような重要な職務を任されている、経験豊富な幹部役場職員氏である。

3月末で定年退職された小学校長の送別会の折に、会費として集めたお金の還付金(余ったお金)を届けていただいた。
他にも、第18回・第19回・第20回雲仙合併協議会の分厚い議案集と、3月議会における内容を掲載した6月1日発行予定の「愛のまち議会だより」の一般質問要約内容の点検用の原稿をを届けていただいた。

合併における各部署別の事務調整班の苦労は、やはり議会部局においても同じらしく、合併後には隣の市となる島原市へ、実情把握のための勉強会に行って来たという事である。

近隣自治体における議会事務局の充実度は、そのホームページを開いてみれば類推できる。
島原市議会のホームページは、住民への情報公開という面から見ても、非常に充実している。
会議録が全てホームページ上で閲覧できるようになっているのだ。
開かれた議会を目指すならば、このことはどの自治体においても、まず第一に早急に実行しなければならない課題であると私は思う。

合併後において雲仙市となる事務調整班の議会部局が、そのように充実している島原市議会事務局に視察・研修に出向いたということにより、得るものは多くあったのではないかと思う。

その視察・研修において、わが町の議会事務局長H氏が最も心配されていたのは、議会事務局部局への職員の人数配分のことである。

現在の島原市では、監査部門も含めて議会事務局の職員総数は10名であるという。
それに対して雲仙市における議会事務局の職員総数の予定は、現在の所5名という数字があがっているらしい。

はっきり言って、そのような人数では、充実した議会事務局の仕事を遂行することは私は無理であると思う。
雲仙市は現在の島原市より規模が大きくなる自治体である。

10名の職員数でもかなりきつい陣容であると、島原市議会事務局の職員は経験的に言われているということである。
その半分の人員で、充実した島原市議会事務局並みの仕事ができる道理がない。

議会の存在を軽く見ているのであれば話は別であるが・・・。
6月定例議会の一般質問の一項目として検討してみる価値はあると思う。

























議員活動の手本

2005年05月20日 | インポート
島原市には議員活動の手本にすべき議員が、私の知り得る限りにおいて少なくとも二人おられる。

一人は楠大典県議で、もう一人は松坂昌應市議である。
楠大典県議とは面識はないが、松坂昌應市議には一度だけこちらから一方的に声をかけたことがある。

松坂氏の議員活動に関しては少し以前から知っていたが、楠大典県議の議員活動に関しての具体的な一例を知ったのは、実は今日が初めてである。

では、なぜ手本にすべき議員としたのかということになる。
それは、松坂昌應市議が公開されている、彼のホームページからの情報による。

氏のホームページで、「新・土佐日記」というコーナーがあるが、ブログという手法により、彼の物事に対する考え方や取り組み方が記されている。
私のこのページと同じ仕組みである。
その中の5月19日の記載内容を読んで、議員活動の手本にすべきであると思った次第。

楠県議が、「内陸におけるふぐ養殖」に関して島原市におけるその問題をテーマのひとつにされている松坂市議を優しく誘い、松浦市における「内陸におけるふぐ養殖」施設等への視察に同行させたという内容の記述があった。

詳細については、松坂氏の「新・土佐日記」の5月19日の記述を読んでもらえば正しく伝わる。

実は、私のこのページは松坂氏の「新・土佐日記」に触発されて、それを真似して始めたのであるが、良いと思った事は積極的に取り入れて実行していくべきであるというのが私の基本姿勢でもある。

手本にできるような人、目標にできるような人が近隣におられることは、私にとっては幸せなことでもある。



諫干で工事再開

2005年05月19日 | インポート
毎日新聞の一面に、「諫干で工事再開」という見出し。
16日の福岡高裁での工事差し止めの取り消しの決定により、当然のことではある。

いろいろな立場で、それぞれの考え方があるだろう。
私は、とりあえずは落ち着くところに落ち着いたなと思っている。

生まれて育った家は、諫早湾干拓の調整池に流れ込む2級河川千鳥川のすぐ脇にあったので、子どもの頃から強い雨が降る度に不安な思いで暮らしていた。
諫早湾の干満の差が大きいということはよく知られているが、そのことが古来からの干拓によって造られた低平地に住む者にとって、どういうことを意味するのかはあまり知られてはいないようだ。

潮汐運動により、川の流れの下流(海側)から潮水が遡上して、水位が上昇する。
潮受け堤防ができる前までは、平水時においても満潮になると河川堤防の肩に近いところまで水位が上昇していた。

そのような時間帯に、その地域(その河川の流域)に大雨がが降ったならばどういう状況になるのかということは、小学生レベルの三次元空間の認識力でも理解できるだろう。

当然のことながら、河川上流からのその流域全体からの流下水により、河川の水位は上昇する。
そのように上昇した水位のところへ、潮汐運動による水位が加われば、河川の水は提内地(堤防によって保護されている田畑や住宅地)に溢れ出し、水害を引き起こすことになる。

潮受け堤防の存在は、そのような低平地に住んでいる者にとっては、確実に防災効果があると断言できる。
ただしこの事は高潮に対する防災効果があるということであって、低平地における排水不良の問題とは別物である。

現地の実情をよく知らない人達の中には、排水不良を取り上げて防災効果が無いという論調の人達もいるが、それは間違っている。

私は今の諫早湾干拓のあり方を全部肯定している訳ではない。
三分の二の部分は肯定で、三分の一の部分は否定の考え方である。

その詳細は後日ということに。







雨と選挙戦

2005年05月18日 | インポート
最近の天気予報の精度は非常に高い。数日前からの予測どおりに愛野町では早朝より雨模様である。

昨日から選挙戦に突入した南高来郡深江町でも、おそらく今日は雨が降るのではないだろうか。
そうなると各候補者陣営の選挙運動方針に興味を持ってしまう。

選挙カーの中からの候補者の名前の連呼だけの陣営もあるだろうし、ミニ演説会を開いて候補者の政策や考え方を訴える陣営もあるだろう。

自分だったらどうするだろうかを考える。
自分だったら、まちがいなくハンドメガホンを持ち、雨合羽を羽織って徒歩で自分の考え方を訴えて回るだろう。

雨降りには、たいていの人が家の中にいるのだから、じっくりと自分の考え方を聞いてもらえる可能性が大きい。

選挙カーからの名前の連呼だけの選挙では、熱意だけは伝わるが候補者の考え方が伝わらない。

自分が投票する立場であれば、ハンドメガホンを持ち、雨合羽を羽織って徒歩で自分の考え方を訴えて回るような候補者にまちがいなく1票を投じる。




選挙ポスターの掲示板

2005年05月17日 | インポート
今日が告示日の南高来郡深江町の町議会議員選挙に、新人として立候補した中の一人とは、古くからの付き合いである。

昨日、彼の選挙事務所を訪ねた時に、道端の何箇所かで、町議選ポスターの掲示板が目に入った。
車の中からチラッと見ただけだったが、掲示板の色がとても白かったのが印象に残っていた。

いろいろな選挙で、候補者のポスターを貼る掲示板を見てきたが、私の知っている限りにおいては、その全部が厚手のベニヤ板(コンパネ)で作られていた。

今朝、老婆心ながら2年前の自分の体験から、ポスターを貼るための画鋲の準備は忘れてはいないだろうかと思い、電話を入れたら意外な返事が返ってきた。
画鋲は準備していないという。なぜならば、ポスターの掲示板はステンレスでできているからだそうだ。

昨日掲示板が白っぽく見えた訳が理解できた。
掲示板をステンレスで作った深江町選管には、それなりの理由があるのだろうが、近隣ではとても珍しいのではないか。

住民投票によって解散となった議会の選挙ということも含めて、興味の尽きない選挙である。