日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

有喜漁港の小魚たち

2014年10月26日 | 日記
10時半ごろから16時ごろまで、諫早市の有喜(うき)漁港にて魚釣り。

投げ竿を置き竿にして、もう1本は渓流仕掛けの竿で楽しみました。

大潮の引き潮の時間帯でしたが、ポツリポツリと小魚たちに遊んでもらいました。

棘に猛毒を持っていて、刺されると激痛が走る、小さなハオコゼも5匹ほど釣り上げましたが、触ると怖いので、靴の底で踏みつけてから、ラジオペンチで釣り針をはずしてリリース。

置き竿には、20cmぐらいのキジハタとキス子が2匹釣れてくれました。

渓流仕掛けの竿では、ベラ、カワハギ、小さなキジハタ、小さないわしが釣れてくれました。

天気も良く、波も無く穏やかで、お日様を体いっぱい浴びて、心からリフレッシュできた幸せな一日でした。


本日の釣果



豊田一喜

椎茸がたくさん出始めました

2014年10月25日 | 日記
先週の日曜日に、東彼杵町の蕪池(かぶらいけ)のほとりで約1年8ヶ月寝かせてもらっていた椎茸のホダ木の椎茸が、我家の庭の片隅で、たくさん出始めました。

椎茸の駒打ち体験をさせていただいてから、1年8ヶ月近くの間に原木と駒が一体化して、原木の養分を吸収しながら、膨らむ日をじっと待ち続けていたのだろうなと思うと、感動的ですらあります。

私たちの一生も、80歳まで生かしてもらうと仮定した場合で2万9千2百日。

およそ3万回の朝を迎える程度。

私の場合には、80歳まで生かしてもらうものと楽観的に仮定して、既に4分の3の人生を過ごさせてもらっていることになります。

日数にして2万1千9百日余り。

その日数の内に、どれだけの喜怒哀楽があったことだろうか。

最近では、我が家の仏壇の仏様に、毎朝目が覚めて健康でお参りできることに感謝できるようになりました。

明日の朝にでもたくさん出始めた椎茸を収穫して、家族でおいしくいただくという些細な幸せを満喫したいと思っています。

何気ない平凡で平穏な日常であることに感謝したい。


(満開の椎茸)



豊田一喜

そろそろ椎茸の収穫の頃

2014年10月19日 | 日記
過去のブログから

2013年2月10日 (日)  蕪池(かぶらいけ)で椎茸の駒打ち

東彼杵町蕪池の仙人様のお宅で、椎茸の駒打ちを体験させて頂きました。

5本のクヌギの木に電動ドリルを使って10cm間隔程度で穴を開け、そこへ椎茸菌が付着させてある駒を金槌で打ち込む。

5本のホダ木への穴あけと駒の打ち込みで、1時間程度で終了。

あとは広葉樹の森の中の木陰の、ホダ木所有者の名前プレートを付けた場所に寝かせる。

2年後ぐらいには、「椎茸がではじめましたよ。」という連絡が仙人様から届くかもしれない。


平成26年10月18日(昨日)、上記の「椎茸がではじめましたよ。」というお便りメールが届いていたので、蕪池の仙人様と私が呼ばせて頂いている方のお宅へお邪魔させて頂きました。

東彼杵町にある蕪池の水位はだいぶ低くなっていましたが、雄大な景色は相変わらず素敵で、その区域に入っただけで心がゆったりとおちつくような心地良い空間です。

1年8ヶ月前に駒打ちをさせていただいた原木には、大きな椎茸が2個出ていて、あと2個はこれから大きくなるような大きさで、他にも打ち込んだ駒の部分が白っぽく盛り上がっている椎茸予備軍をたくさん見る事ができました。

大きくなっている2個は早速収穫して、駒を打ち込んでいる5本の原木は車に積んで自宅の庭に運びました。

自宅に帰ってから、駒を打ち込んでいる椎茸の原木を立てかけるための場所を木で制作しました。

湿り気が少ない時には、米のとぎ汁をかけてやればよいとのこと。

我が家の庭に、楽しみの種が一つ増えました。

平成25年の2月頃に、大村市竹松遺跡の発掘作業員として働かれていた人の中で、蕪池の仙人様の所で椎茸の駒打ちをされた方の椎茸は、そろそろ収穫できるようになりつつあるようですよ。

蕪池の仙人様に連絡されてみたらいかがでしょうか。




庭の片隅に立てかけた、駒を打ち込んでいる椎茸の原木



これから大きくなろうとしている椎茸



収穫した2個の大きな椎茸(バター焼きでいただきます)



豊田一喜

取り除く?(原発汚染水)

2014年10月18日 | 日記
アルプスとかいう装置の設置によって、原発の汚染水中に含まれる放射性物質を取り除くことができるようになったとテレビで報じていた。

表現を鵜呑みにすれば、汚染水に関しては心配しなくてよくなったんだと思いがちだが、原発汚染水の本質的な解決策が講じられた訳ではない。

原発汚染水の中から、有害な放射性物質を分離できるようになったというだけのことで、その分離工程によって分けられた有害な放射性物質の無害化の技術が確立されたわけではないだろう。

原発が稼動する限り、そのような分離された有害物質は、永久に蓄積され続けていくことになるのではないのか。

本質的な解決策は、元を断つしかない。

国策として始めたことであるから、原発が決してクリーンエネルギーではないという誤りが分かったならば、国策とし終わらせるべきであるが・・・。

税金で支給されている政務調査費などをごまかして使っている国民の代表者たちが、涼しい顔をして、当たり前ででもあるかのごとき答弁をしているようなこの国では無理かな。

年功序列式の給与体系を見直して云々ということを言い出している。

どこまで日本のよき秩序を乱したいのか、この国をどのようにしたいのか、重みの無い言葉を並べ立てているだけの○○ちゃん。

それでもマスコミが発表する(真実かどうかは分からないが)支持率は半分を超えている。

今後の近い将来、自分たちの身にどのような災厄を振り撒かれることになるのかを想像できない人々が多すぎるように私は思う。

1票1票の票の積み重ねの結果が、今の政治を容認していることになる。


豊田一喜




上弦の月とオリオン座

2014年10月17日 | 日記
新聞が配達される朝の4時半ごろに目が覚めた。

新聞受けの新聞を取りに外に出て空を見上げたら、東の空の方にはくっきりと黄色く光る上弦のお月様、南東の方角の空にはオリオン座のお星様を見る事ができた。

私たちの地球も、遠く離れた星から見れば、1つの輝くお星様のひとつなのだろうが、その星に住む人間のおかしな欲望が、いつの世にも諍いの種を作り、どこかで不毛な争いをし続けている。

皆が平穏に、分相応に生きる事を心がけておれば争いも起きないのだろうが・・・。

富の独占は、いつの世でもあることではあろうが、政治屋などが政務調査費などと称して、それを個人的な支出のために使うなどということは、言語道断である。

その報酬だけでも、私たち庶民からすれば法外な金額と思える額を税金から支出させておきながら。

そして堂々とわけの分からない言い訳をしている。

醜くて哀れですらある。

政治屋一族のおぼっちゃまやおじょうちゃまたちが、肩書きの椅子取りごっこをしているように感じられる今の日本国。

うわべの言葉遊びだけでは国民を幸せにする事はできはしない。

そのような状況を払拭するためには、選挙で一票を投じることしか私たちには出来ないが、上弦のお月様やオリオン座のお星様は、誰でも自由に眺める事ができる。


豊田一喜
















稲刈りのにおい

2014年10月16日 | 日記
通勤の帰宅時の車中に、稲刈りの懐かしいにおいがする。

潟とわらの混じったような、子どもの頃を思い出させるようなにおい。

父母と共に、夕暮れの田んぼで、稲刈りなどの農作業をしていた時の懐かしいにおい。

まだ、バインダー(自動稲刈り機)もコンバインも無かった頃の、のこ鎌を使って手刈りで稲刈りをしていた頃を思い出す。

現在と比べて、稲刈りといえば相当に過酷な肉体労働だった。

旧諌早干拓の、2反間や3反間の田んぼの稲刈りでは、一列が100メートルぐらいあって、その一列を刈り終えるのに何回腰を伸ばしたことか。

5株づつをのこ鎌で刈り倒し、進行方向の右側に並べながら刈り進むのだが、行けども行けどもなかなか田んぼの端が近付かない。

自動で稲刈りをする機械が現れないものだろうかと、子ども心にいつも思っていた。

やがて、そのような機械が普及し、今では、稲刈りから脱穀、さらにはわらの処理まで同時にできるコンバインが普及している。

農作業もずいぶん機械化されて、農家の方々の肉体労働も楽にはなってきてはいるようだが、その裏では、農機具代の支払いという経済的な苦労が負担となっていることもあるようだ。

ともあれ、四季の移ろいの中で、平穏な人々の営みが続いて欲しい。

田は田として、畑は畑として、山は山として存続して欲しい。

敵と称して、多くを破壊し多くを殺した者が評価されるような時代にだけはならないで欲しい。

が、選ぶ人たちを間違えたのか、そのような時代は目の前に迫ってきているようにも思える。


豊田一喜