日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

血圧計

2005年06月30日 | インポート
先日、体のいろいろな検査を受けた病院で、思った事がある。

腕に巻きつけて血圧を測定する血圧計のことだ。
少し血圧が高めのためか、血圧測定の時に空気圧をかなり高くされるので、腕を強く締め付けられて、痛いぐらいだった。

レントゲン撮影室での若い男性検査技師との雑談の中で、その検査技師も少し血圧が高めで、筋肉質のために、血圧測定の時に痛い思いをしているという話をしてくれた。

それならば、血圧測定をする時に、痛くないような測定装置を考えて、特許を取ったらどうですかと言ってみた。
するとその若い検査技師は、「そうですよね。そのような特許が取れたら、一生楽に暮らせますよね。」と答えた。

技術的なアイデアは、その実務の現場で働いている人からの方が出易いのではないかと思う。
彼が真剣にその事を考え、広範な知識を修得して研究したならば、もしかしたら、測定する時に痛くない方式の血圧測定装置を開発する事も可能かもしれない。

素人ながら考えてみた。
CTスキャンという装置があり、人体内部の様子を輪切りにして、画像として記録する事が出来る。

その装置の原理を使って、血圧の測定ができないものだろうか。
腕の、少し離れた、正確に距離が分かっている2点間の断面を、血管中に注入した無害の識別目標となるような、特殊な液体が通過する時間間隔を、正確に測定できれば、血圧の数値は解析できるような気がする。

腕専用の、CTスキャンを小型化したような装置に腕を固定しておき、測定する最初の腕の断面の所を、その特殊な識別液体が通過した時に、その断面撮影のスイッチが入るような仕組みを作り、次にもう一方の腕の断面を、その特殊な識別液体が通過した時に、その断面撮影のスイッチが入るようにできれば(要するに、血管中を流れるその特殊な液体に、CTスキャン装置の、各断面撮影のスイッチONの役割を持たせるようにする)、血圧は測定できるのではないだろうか。

CTスキャンで記録された画像から、その断面における全血管の断面積を、画像の解析によって抽出する事が可能であるならば、血管の断面積と通過時間の関係から、血圧の数値は解析できるような気がするのだが。

水道の蛇口につないだホースの中における、通水量と水圧の関係のような原理が、適用できるのではないのかと素人考えで思ってしまった。
ホースの断面積は一定だが、水道の蛇口から出る水量次第で、ホースの中の水圧は変化するのではないか。
満たされた通水断面における、流量と流速と水圧の関係のような原理を利用すれば良いのではないかと思う。

循環器が専門の女医さんに、ちらっとそのような事を言ったら、仮にそのような事が可能だとしても、たかが血圧測定のための装置としてはコストがかかり過ぎるから、従来のもので十分だと一笑に付された。

そのとおりなのだが、もしそのような装置が開発されて、世界中の医療機関で使用されるようになれば、価格も低く抑えられるのにと、しつこく思ってしまった。

単なる素人の思い付きかもしれないが、あの若い検査技師に話しておけば良かったかなとも思ったりしている。

私の考え方が、正しいのかどうかあやしいものだが。

豊田かずき



区域

2005年06月29日 | インポート
車で道を走っていると、出発地点からの距離によって、区域の違いを感じる。
愛野町の自宅から、諫早市の西側まで走ってみてそう思った。

愛野町では晴れていたけれども、旧森山町の途中からは雨が降っていて、諫早市の小野付近に入ると、土砂降りだった。
そこの付近を通り過ぎてしまうと、道路面は濡れてもいない。

雨の通り道は、時々刻々と変化するものだろうが、日常会話の中でよく耳にする「今日は雨んひどかったね。」「いんにゃ、この辺じゃいっちょん降らんじゃった。」というような事があるのもうなずける。

人間の内臓器にも、区域があるようだ。

5日前には、大腸ファイバースコープ(腸カメラ)で検査を受け、昨日は胃カメラでの検査を受けた。

カメラの入り口は違うが、どちらも中では繋がっているので、医学の素人としては、一度で検査が出来ないものかと、つい思ってしまう。

腸カメラでの検査は、痛くも何ともなかったが、胃カメラでの検査は、人から聞いていたとおりのものだった。

痛くはなかったが、オエッとしたりゲップが出たりして、よだれと涙を流しながらも、しっかりと、モニターに映し出される自分の胃や十二指腸の内壁の画像を眺めていた。

生まれて初めて見る、自分の胃と十二指腸の要所要所の画像は、パソコンの中にしっかりと記録された。

何箇所かで、カメラに付属している装置で、胃や十二指腸の組織の一部を掴み取られた。
ピロリ菌というものの有無を検査するという事だった。

検査の結果、異状はなかったが、胃に少し炎症があり、それは投薬で回復するということだった。

きちんとした健康診断などは、ここ10年ほどは受けていなかったので、自分の体の状態を把握するための良い機会だった。

健康状態は良好であるという事が分かったので、これでいろいろな事に安心して取り組める。
自分が住んでいる「区域」のためになるような活動もできるようになった。

豊田かずき





昨日感じた事

2005年06月28日 | インポート
昨日は、愛野町議会6月定例会の最終日だった。
その議会の場で、いくつかの印象に残る出来事を身近に体験して、うれしくもあった。

先輩議員M氏の、一般質問のテーマの見つけ方とその展開の仕方に感心し、愛野町の農家の将来のことを真剣に考えているのだなと言う事が、ひしひしと伝わってくるような質問内容だった。

アメリカ産ジャガイモの輸入解禁が国政レベルで検討されていて、もしそれが実施されたならば、なし崩し的に、生ジャガイモの輸入解禁に繋がっていく恐れがあるとして、断固阻止すべきではないかと言う内容の質問だった。
そして、万が一にも輸入解禁になった場合に備えて、将来を見据えた農業の方策も模索しておくべきではないかというものだった。

この事に関しては、今議会終了間際に、他の先輩議員から、「生馬鈴薯の自由化絶対反対の意見書」という、内閣総理大臣・農林水産大臣・長崎県知事宛ての緊急動議が出されて、全会一致で採択された。

アメリカ産のジャガイモは、1kg当り35円ぐらいになるらしい。
そのような低価格のものが輸入されるようになると、日本国中のジャガイモ生産農家の生活が立ち行かなくなるということだ。

地域のために働くと言うのが地方議員の勤めであるはずであるから、本当に小さな愛野町議会から、国・県の長に対して、意見書を提出するようにしたと言う事は大きな意義を持つ。



10月11日付けで雲仙市となる自治体の市長選挙に、誰が出るのかと言う事は、多くの住民が関心を持っている事であろう。
現在、雲仙合併協議会会長でもある、わが町の松浦末利町長の市長選出馬の意向を問う一般質問があった。

松浦町長の答弁が注目され、新聞社も3社傍聴に来ていたが、名答弁であったと思う。
「今後いろいろな関係者と相談しなければならないことだと思うが、現段階においては、答弁できないと言う事を答弁とさせて頂きたい。」というような内容の答弁だった。

これは、私が聞き取って記憶している範囲での内容の要約であるから、一言一句そのとおりであったと言う事ではない。

おそらく松浦町長も、その内容の一般質問通告書を見た時から、それに対する答弁として、どのようにするべきであるか、相当悩まれた事であろうという事が想像できる。

松浦町長が、今自分が置かれている全ての立場を配慮されての、正直な答弁であったと私は思っており、氏のお人柄が滲み出た、まさに名答弁であったと思う。



諫早湾干拓に関して、H議員は毎回の様に一般質問のテーマとして取り上げている。

H議員の主張の一部には私も賛同し、理解できる部分もあるが、潮受け堤防の高潮被害抑止効果の恩恵を受けている、低平地域に居住している身としては、全面的に賛同することはできない。

今回のH議員の質問に対する松浦町長の答弁も、私にとっては感慨深い答弁内容だった。

「諫早湾干拓事業は、農水省にその責任はあると思うが、粛々とその完成に向けて進めるべきであると思う。」というような内容の答弁だった。

非常に慎重に言葉を選びながらも、諫早湾干拓事業に対する松浦町長の心底を見せて頂いたようで頼もしくもあり、将来の事もきちんと見据えられているのだなということを感じた。



もう一つの緊急動議の内容は、「松浦末利氏の雲仙市長選への出馬を求める意見書」というものだった。
やはり、7町が合併して雲仙市となる初めての市長選挙ともなると、出馬表明をするということが、簡単ではないのであろうということは想像できる。

そのような事と、市長選出馬の意向に対する松浦町長の「名答弁」に対して、その答弁を受けた先輩議員が、松浦町長の心中をおもんぱかっての動議であったのだと思う。

雲仙合併協議会の会長として、7町での合併まで漕ぎ着け、今日に至った松浦町長の功績は大きいものがあり、またその将来の行政手腕に、私は大きな期待をしている。

その意見書も、全会一致で採択された。
28日の長崎新聞朝刊の記事によれば、松浦町長のコメントとして、「白紙の状況は変わっていない。」ということが書かれていた。
周りからの意向も考慮しながら、じっくりと考えて頂きたいものである。

以前までの議会では、私は少数派に廻る事も何回かあったが、今回の議会では、愛野町議会の意志が一つにまとまった。
2名の病気入院中による欠席者がおられた事は、とても残念なことではあったが、有意義な議会であった。

豊田かずき




愛野町6月議会定例会最終日

2005年06月27日 | インポート
私が、愛野町議会議員として、議会定例会での一般質問を出来るのは、今回を含めて残り2回だけとなってしまった。

一庶民としての、住民の声の代弁者として、過去の議会定例会においては毎回一般質問をしてきた。

今回もつつがなく一般質問をして、それらの答弁をいただいた。
答弁してもらった事柄は、是非とも必ず実行してもらいたい。

3ヶ月に1度だけ、私に与えられた30分間以内の、議会本会議における質問権の行使の結果なのであるから。

一庶民としての目線で、行政のあり方を眺めてみると、いろいろな疑問や要望が次々に出て来る。

今回の一般質問も、そのような視点での質問内容だった。
本庁舎建設に対する愛野町の立場の事。
今までの答弁内容の実施状況と今後の実施予定の事。
諫早市との行政界の事。
職員の配置の事、など。

合併後の愛野町の住民にとっては、とても大切な方針を確認するための質問をしたつもりだ。

上程された議案の採決が終了しようとした時に、緊急動議があがった。
2件の意見書についての動議があった。

詳細については後日ということに。

豊田かずき




ふつの効能

2005年06月26日 | インポート
「ふつ」は、ヨモギのことである。
昔は、道端のあちこちに生えていた草だ。

最近では、近辺の農道がほとんど舗装されてしまったので、どこででも見かける草ではなくなった。

小学校6年生頃の思い出として、「ふつ」の効能がある。

川向こうの集落裏の急斜面の雑木林の中に、友達のY君と二人で、秘密の隠れ家を作っていた。
「すみか」と言って、タタミ一畳ぐらいの空間に、竹や木の枝で、壁や天井や床のようなものを作って、その中でのんびりと過す事が楽しみの一つだった。

学校が休みの日に、その中に飴玉や駄菓子を持ち込んで、それを食べながら「すみか」の補修をしたり、野鳥の鳴き声や猫の鳴き声をまねたりしながら過すのである。

その日は、床になる部分の製作をしていた。
1メートルぐらいの長さに切りそろえた、直径が3センチメートル程度の竹を、二つ割にして「床」に敷き詰める材料を作っていた。

鉈鎌で二つ割にしていたのだが、竹を持って支えていた方の手の、人差し指の甲の所まで、その鉈鎌の刃がすべってしまった。

深さが2ミリメートルぐらいの切り傷だったが、その傷の所から血がどくどくと流れ出した。

それを見たY君が、とっさに近くに生えていた「ふつ」の葉を取ってきて、その葉を手のひらで葉っぱから汁が出るほどまでに揉んで、私の右手人差し指の傷口に押し当ててくれた。

しばらくその「ふつ」を押し当てていたら、出血は止まった。
「ふつ」の止血効果が発揮されたのだ。
私達が子どもの頃には、「ふつ」に止血効果があることは、誰でも知っていた。

今でもその時の傷跡が、うっすらと残っているが、テレビで、ヨモギの葉っぱのてんぷらがおいしいと言うのをやっているのを見て、遠い昔の出来事を思い出してしまった。

Y君の家は川向こうの、直線距離にして200メートルも無いぐらいのところにあるのだが、めったに顔を合わせる事も無い。

今度逢ったら、その時の話でもしてみよう。

豊田かずき


安心感

2005年06月25日 | インポート
プロフェッショナルに囲まれていると、心が落ち着く。

長く、健康診断など受けなかったので、腹の張り感を理由に、いろいろな検査を受けてみた。

腸カメラ、心電図、CT、レントゲン、血圧測定、血液検査、尿検査等してもらった。

便利な時代になったものだ。ベッドの上に寝たままで、自分の腸の中の様子をモニターで見ることができる。

きっと、たくさんのポリープなどがあるものと思っていたが、きれいな腸内壁だった。

大腸の出口付近に炎症が見られ、腸炎だろうという所見だった。
点滴で回復することができた。

医師、検査技師、看護師とそれぞれの知識と経験で、確実な仕事をしている。

病院という所は、他の人のお見舞いに行く所だという感じでとらえていたが、自分が身をゆだねてみると、専門家集団の中にいるということで安心感がある。

自分の生活習慣を見直す、いい機会になった。

豊田かずき



愛野町6月議会定例会初日

2005年06月24日 | インポート
今日は、愛野町議会6月議会定例会の初日である。

初日と言う表現をすれば、後何日かは続くようなニュアンスだが、実は土・日の休会を挟んで、6月27日が最終日の予定なので、実質2日間の議会ということになる。

いつもの議会定例会と少し違うのは、今回は「島原記者クラブ加盟6社」名で、各議員あてに「調査表作成と顔写真撮影のお願いについて」と言う通知が、6月7日付けで届いていたということだ。

その通知文を以下に抜粋する。

島原記者クラブ加盟の6社(毎日、西日本、長崎、島原、読売、朝日)は、今年10月11日の雲仙市発足に伴う市議選挙の準備を始めました。7町を3グループに分け、2社ずつが同封の立候補予定者の調査表作成依頼と顔写真撮影を担当します。

中略

そこでお願いです。愛野町議会は6月下旬開会です。その初日の昼休みに読売と朝日の記者が議会に待機し、同封の調査表に記載していただいたものを回収し、同時に顔写真を撮影させていただきます。今回の議会はノーネクタイになるかもしれませんが、写真を掲載するのは、雲仙市が発足して50日以内なので、ノーネクタイのシャツだけでは季節的に不都合がありますので、ぜひネクタイと上着を準備してきてください。新市の市議選に出馬するかどうか迷っている方も、ぜひご協力をお願い申し上げます。

以上抜粋。

このような通知を新聞社からもらったのは、生まれて初めてだったので、記録として残しておこうと思う。

100日以上も先のことを、今から準備するとは、新鮮な記事を書く事を使命としている新聞社の仕事としては合点がいかない。

でも、議会初日の昼休み時間に、出席していた愛野町の議会議員は全員協力はしていたようだ。

あちこちに、「後援会」や「連絡所」という、個人名の入った、公職選挙法に基づく看板が立ち始めている。

果たして、ふるさとの今後のあり方を真剣に考えて、「看板」を立てる人の総数が、最終的に何名になるのか、非常に興味深い所である。

雲仙市となる自治体の、合併後の市議会議員の数は、地方自治法の原則どおりに、合併後50日以内の選挙によって、30名とすることに雲仙市合併協議会で決まっている。

ところが、近隣の自治体では、合併後に、前の議会議員が全て残り、しかもその報酬は、現在支給されている報酬の高いほうの議会に合わせる模様なのだそうだ。

住民の納得が得られるとは、客観的に誰が見ても思えないのではないか。

世の中には、いろいろな合併の構図が存在しているのだなと思う。

豊田かずき



おえかぶり

2005年06月24日 | インポート
庭の松の木の新芽が、だいぶ伸びている。

親類から25年前にいただいた、熊本県から運んできたという松の木で、いただいた当時は、いい枝ぶりだった。

父が、20年前に他界してからは、私がその松の木を管理することになり、その手入れの仕方も分からないままに、適当にやっている。

昨年は、その葉っぱをほとんどむしり取り、丸坊主の状態にしてしまったが、結果的にはきれいな新芽が生えてきて、それなりに何とか見られる程度には、なっていた。

春以降に新芽がでてきたが、手入れの時期は梅雨が終わった頃が良いと聞いたことがあるので、そのままにしていた。

今は、その新芽が長く伸び、みごとに「おえかぶって」いる。

伸び放題という意味のこの地方の方言だ。自分の髪の「おえかぶり」は、議会の1週間程前に床屋に行って、すっきりして来たが、松の木の「おえかぶり」の手入れは、なかなか思い切れない。

豊田かずき



ライブカメラ

2005年06月23日 | インポート
一種の監視カメラのようなものではあるが、少し違う。

インターネットの中に取り入れられて、商品販売や出荷した商品の売れ筋確認のための有効な道具となっているようだ。

ライブカメラは、商品売り場や商品の陳列棚を常時映し出していて、インターネットと連動させて活用されている固定カメラだ。

生鮮食品である野菜売り場などでは、その店と契約している生産者(農家)が、自分が出荷している商品(野菜)の売れ行き具合を、インターネットを通じて、そのライブカメラの映像から、自宅のパソコン画面で常時確認できるような仕組みになっている。

その売れ行き具合を見て、翌日に出荷する野菜の品目と数量を決定して、契約農家にとっては無駄のない出荷が出来るような仕組みになっている。

酒屋さんなどでは、その商品の陳列棚を常時映し出していて、インターネットを通じて、パソコン画面の中でその商品をクリックすることによって、遠隔地からでも注文が出来るような仕組みが作られている。

陳列する商品を入れ替えるだけで、販売商品の変更ができるという便利さがあるようだ。
通常のホームページだと、販売商品を変更する場合には、画像の入れ替えなどをして更新しなければならないが、ライブカメラによる方法だと、そのような煩わしさが無いと言う事らしい。

このような仕組みをうまく使えば、通常のお客さんが少ないような、人口が減少傾向にある地域においても、商品販売ルートを拡大できる可能性が広がる。
ただし、配送手段の確保が絶対に必要であるという事は言うまでもない。

大事な事は、商店街や商売の衰退の原因を、行政に転嫁して補助金などを頂こうなどと言うことを考えずに、どのようにすれば販路を拡大できるかを、自分達の力で模索して、それを実行する事ができれば、生き残っていける可能性がある。

インターネットの普及により、広範な情報の取得が容易になってきたが、情報の発信も含めて、それをいかにうまく活用するかは、使う人個々の工夫次第だと思う。

豊田かずき



議員の悩み

2005年06月22日 | インポート
年間で4回開催される、各自治体の6月議会定例会が、近隣自治体の中では、今日ぐらいから開催されている所もあるようだ。

その議会定例会において、議会前の指定された日時までに、議長宛に一般質問の通告書を提出しておけば、議員は一般質問をすることができる。

私の場合には、その年間に4回開かれる議会定例会における一般質問は、毎回することを議員活動の基本に据えているので、この2年間で合計8回の議会定例会で、毎回一般質問をしてきた。

私は、ある定例議会が終わると、その翌日から次の議会定例会の質問事項を検討するようにしている。

3ヶ月に1度の議会定例会なので、正味3ヶ月弱の検討期間があることになる。
愛野町の場合には、今回は6月3日に通告用紙が自宅に届いたので、私は6月6日には通告書を提出している。
当然、通告書の提出は一番乗りだった。

2年前の県下全域の新人議員研修で、講師の方が、一般質問は完全原稿にして臨むべきであるという指導をされたので、そのことを忠実に守って、今までの一般質問は準備をしてきた。

今回も一般質問の原稿は、6月14日には出来上がっている。
愛野町議会の一般質問は、6月27日であるので、余裕を持って臨める。

ところが、今の時点で、一般質問の通告書の提出や、一般質問の内容文の作成で悩んでいる二人の議員を知っている。

島原市の一人と深江町の一人だ。

島原市の議員氏は、今回から一般質問のやり方が、従来とは異なる方法で実施される事になった事により、一般質問文の作成に今ひとつ調子が乗らない模様だ。
議員氏の、今日の日付のブログで、そのことを知った。

深江町の議員氏は、この前、町会議員になったばかりで、人生で初めての議会定例会の一般質問に臨むにあたって、質問したい事項が多すぎて、その通告内容の選定に悩んでいる様子だ。
先程電話をしてみたら、そのような話だった。

いずれの議員氏も、議員活動に熱心に取り組んでいるからこそ悩んでいるのだと思う。
彼らが悩む事が、地域のためになることに繋がるのであれば、もっともっと悩んで欲しい。

豊田かずき


カエルの鳴き声

2005年06月22日 | インポート
事務所の周りの田んぼでは、ほとんど田植えも終り、夜になると田んぼのあちこちから、集団でカエルの鳴き声が聞こえてくる。

ひとしきり合唱していたかと思うと、しばらく途絶え、また誰かが鳴き出すと、それにつられたように合唱が始まる。

夜の静けさの中で、その鳴き声を気にしだすと、なかなか寝付かれない。

グェッグェッグェッグェッグェッというように、私の耳には聞こえるが、音の表現の仕方は人によってまちまちだと思う。

今年は、気象庁がこの地方の梅雨入り宣言をして以来、一度だけ雨が降っただけで、その後は降っていない。
そのために、水が足りなくて田植えが遅れ気味な地域もあると新聞が報じていた。

そのような事が影響しているのかどうかは分からないが、例年に比べてカエルの鳴き声が少ないような気がしている。

田植えの前までは、乾燥している土の水田地帯でも、田植えのために田んぼに水を引き込み、代掻きをして田植えが始まると、どこからともなくカエルたちが出没して、合唱が始まる。

自然の営みは、黙っていてもそれぞれの季節を連れて来る。
雨が降るべき時に降らないと言うのも困るが、一度にまとめて降られても困る。

怒らないで、穏やかに連れて来て欲しいと願うしかない。

こよみの上では、昨日が夏至だったが、カエルの鳴き声とともに、夏はこれからが本番になる。

豊田かずき



生存

2005年06月21日 | インポート
上流の可動堰が田植え用の水の確保のために締め切られてから、1度だけ雨が降っただけで、その後はずっとお日様が元気だ。

上流からの流下水を遮断されている、可動堰の下流の千鳥川の水は、日に日に少なくなって来ている。

水溜りと化した川の中では、その水溜りに取り残された魚たちが、窮屈そうに泳いでいる。

子どもの頃は、そのような状況になるのが嬉しくてたまらなかった。
手づかみで魚を捕まえ易くなるからだ。
年に一時期だけ、流水の中をすばやく泳ぎまわる魚よりも、魚を捕まえる側にとって優位な環境が造り出される。

子どもの頃の6月のある日に、学校から帰って、家の裏側の千鳥川を見ると、上流の堰が締め切られて川の水が少なくなっているので、喜び勇んで川に降りて魚捕りをして遊んだ。

妻を持ち、子どもができると、魚の世界にも家族があるのだろうなと考えてしまう。
窮屈そうに泳いでいる魚たちを見ていると、堰の上流の水の中に移してあげたい気持ちになる。

一雨降れば、少しは魚たちにとっても楽になるのだろうが、降りそうで降らない。
田植えをしている近所の農家の人達が、田んぼに水が溜まりにくくて困っているという話をされていた。

気象庁が、この地域も梅雨入りした模様であると発表してから、ほんの少しだけ雨が降っただけで、その後は降っていない。

水溜りに取り残された魚たちの生存も、だんだんと厳しくなって行く。

豊田かずき



しゅぼくとじゅうぼく

2005年06月20日 | インポート
「しゅぼくとじゅうぼく」、漢字で書くと「主木と従木」となる。

早朝にテレビをつけて、興味の持てそうな番組がないかとチャンネルを変えていたら、NHK教育テレビの画面に、森の風景が映し出されていた。

自然ものには興味があるので、それを見ていると、その中で「主木と従木」と言う言葉が出てきた。

宇佐神宮の鎮守の森の観察が原点となり、それぞれの森によって、主となる背の高い木(主木)と、その根元付近に必ず育っている背の低い木(従木)がセットになっていることを、ミヤワキさんという人が発見されたということを伝えていた。

自然に形成されている森は、そのような植物社会学的な分類法によって、「緑の戸籍」を作ることが可能で、その世界的なシステム化を構想されているということだった。

人間社会と同じような構図だなと思ってしまった。

「主木」に相当する市長や町長がいて、その周りには、「従木」に相当する役場職員や議会議員や住民がいて、一つの森(自治体)を形成している。

それぞれの自治体に、地域性がある。

その「従木」に相当する役場職員や議会議員や住民が、何か別のものを育てようとしても、そこにある「地域性」によって、なかなか育ちにくい。

別のエリアに、新たな「新しい森」を構築するしか方法は無いのかも知れない。

豊田かずき



情報の公開

2005年06月19日 | インポート
私の議員活動の基本姿勢の1つは、積極的な住民への情報公開である。

今日はその一環として、愛野町水道水の地下水原水における硝酸性窒素濃度の月別検査数値の一覧表を、私のホームページに掲載して公開した。

先週の金曜日に、Y水道課長から検査データを頂いて、公開してよいという許可を受けたので、「積極的な住民への情報公開」の一環として掲載した。

愛野町の水道水源は、全て地下水であるが、その元々の地下水に含まれている硝酸性窒素濃度の月別検査結果だ。

もちろん、地下水原水をそのまま給水している訳ではないので、浄水して、各家庭に給水されている水道水の硝酸性窒素濃度は、水質基準値以内ということであるが、汚染の原因となっているものを抑制しなければ、抜本的な解決にはならない。

水は現在に生きる私たちにとっても、将来の子孫たちにとっても、生活をしていく上では必要不可欠な資源であるから、その汚染に気がついた世代の人々の責任で適切な対策を立て、次世代に引き継いでいかなければならない義務がある。

硝酸性窒素等の地下浸透実験の詳細な研究結果が、長崎県農林試験場で過去に行われ、その研究報告のコピーも頂いており、公開してよいと言う許可を得ているので、近いうちに公開する予定である。

残念ながら、愛野町の中で私のホームページがあることを知っている人の数が、おそらくごく少数であるようなので、なかなか情報の公開に結びつかないようだが、ホームページを開いていると言う事を、まず伝える事の方が、私にとっては情報公開の第一歩かもしれない。

豊田かずき


原爆被爆体験談

2005年06月18日 | インポート
住んでいる町内会の子ども会の主催で、現在は南高来郡小浜町に住んでおられる、山口仙二さんの原爆被爆体験談を聞かせて頂いた。

会場は、川端町内会の公民館で、愛野町役場の広報担当者やNHKの取材の人も見えていた。

山口仙二氏は、テレビでよく見かける人で、長崎市に在住なのかと思っていた。
二年ほど前から小浜町で暮らしておられると言う事を、愛野町の広報担当氏から聞いた。

14歳の時に被爆され、皮膚がめくれて垂れ下がりながらも、訳も分からずに人の流れについて山手の方に逃げた状況や、赤ちゃんを背負っている母親の背中で、赤ちゃんの首から上が吹き飛ばされて、皮だけでぶら下がっていたような情景を目撃された事や、水を求めるうめき声など、私たちでは想像も出来ないような悲惨な状態だったそうだ。

大村の病院に入ってからは、皮膚にうじ虫がわき、そのうじ虫が肉を食いちぎる時の耐えられないような痛みや、ガーゼを交換するときの失神するような痛みから、自殺を思い立ち、カミソリで手首を切ったこともあったと言われた。

ティニアン・ファイルは語る」、サブタイトルは「原爆投下暗号電文集」という本がある。
元日本科学史学会会員の奥住喜重氏と国立徳山工業高専教授の工藤洋三氏が自費出版されたものだ。

太平洋の北マリアナ諸島のテニアン島に置かれた米陸軍戦略航空軍第509混成群団とワシントンの司令部などが交わした電文が詳細に紹介されている。
原爆を投下した飛行機が飛び立った所である。

投下目標の4都市に長崎が最後に加えられたのは、投下命令の出た日の直前だった事などを解明している。

無差別の大量殺戮兵器を開発し、実際に投下した悪魔の行為を、二度と許すわけにはいかない。
人類史上初めての被爆国である我が国を横目で見ながら、核実験を行っている近隣諸国には、被害者側の痛みは届いていないようだ。

悪魔の兵器である核爆弾を開発するための実験をするなどという愚かな事をやめて、自国民の生活の安定のためにお金を使えばいいものを、他国からの施しを受けながらも、そのような愚行を繰り返している。

山口仙ニ氏が、思い出したくもないような体験談を子どもたちに語られるのは、その体験を通して、平和であることの大切さや戦争は絶対にするべきではなく愚かな事だと言う事を伝え、命が一番大切であるという事を訴えるためであろう。

一時間程度のお話であったが、子どもたちにとっても、その父母や聞きに行ったその他の大人にとっても、命について考える貴重な時間であったと思う。

核兵器の開発も、その使用も絶対にやらせてはならない。大人の責任で。

豊田かずき