日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

初わかめ

2013年02月28日 | インポート
妻が知人から生わかめをいただいてきていた。

我が家では、今年の初わかめになる。

乾燥わかめは味噌汁に毎日入っているが、生わかめは今年初めて。

茶色っぽい色のわかめを、熱湯にくぐらせると、鮮やかな緑色に変色して春を感じさせてくれる。

茹で上げたわかめを、葉っぱと茎に切り分けて、茎の部分は薄切りにして食する。

せっかく初物をいただくのだから、自分の好みの味付けで食べてみようと思って、ポン酢におろししょうがとおろしわさびを加えて混ぜたものに浸けて食べた。

かつおのタタキや魚の刺身を食べるような感覚を、同時に味わってみたいという欲張った魂胆。

案外おいしくいただく事が出来る。

3月になれば、初ヤマメや初タケノコの季節になり、さらに初タラノ芽と続く。

旬の物を安心して食する事が出来る地域で暮らせている事に感謝したい。

だけれども、海は放射能で汚染されているかの地域と続いているし、近隣国からの飛散物の影響など、気にし出したら色々とありはする。

梅の花が開き、うぐいすの鳴き声が時々聞こえるようになった平穏な日々だが、国家間の諍いを画策している者たちが、どこかでうごめいている様な気配を感じないことも無い。

太古から現在まで、この地球上のどこかで、必ず戦争があっている。

それを画策している一部の支配階層の意のままにあやつられているように思える。

おろかなことだと思う。

未来永劫、世界中が共存共栄して、当たり前に初物を食するような事を幸福に感じる事が出来るような、平穏な世の中であって欲しいと思う。


豊田一喜





らっぱ水仙と沈丁花(じんちょうげ)

2013年02月27日 | インポート
帰宅して玄関のガラス戸を開けると、いい香りがした。

見ると、らっぱ水仙と沈丁花が花瓶に生けてあった。

家の庭のらっぱ水仙がもう開いていたのかと妻に聞くと、実家から貰ってきたのだという。

らっぱ水仙の花を見ると、春を感じて、「春~spring」という歌のメロディーが頭の中を往来する。

春の定番ソングといえば、私の中では、Hysteric Blue(ヒステリックブルー)の「春~spring」。

以前は春先になると、ラジオなどでは必ずといってよいほど「春~spring」が流れていた。

歌詞の内容とリズム感が、うきうきとした春の感じをイメージさせてくれる。

「春~spring」を聞きたい時には、ここをクリック




豊田一喜



体重減?

2013年02月26日 | インポート
午前中の途中から雨がぱらつき出した。

雨にぬれると風邪をひくかもしれないので、雨合羽の上着を着て、掘削土砂を一輪車まで運ぶ作業をやらせてもらった。

体を動かすと、雨合羽の中の上半身は汗でびっしょりになってしまった。

その汗が乾ききらずに休憩時間になると、冷えて寒気を感じた。

昼休み時間に、雨は本格的に降りだしたので、午後は安全講習の時間となった。

2区と3区の完堀検査は、予定通りに午後1時半より行なわれるので、測量係の作業員3名ともう一人の作業員の方は、午後1時より検査の準備作業をして検査に臨んだ。

雨の中でも検査は順調に進み、午後2時少し過ぎに完了した。

汗でびっしょりぬれていた上半身は、気温が少し下がったこともあって、さらに冷たい。

友とふたり帰路につき、車のヒーターが温まる頃になってやっと体が落ち着いた。

家に帰ってストーブを点け、コタツにもぐりこんで体を温めていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。

2時間近く眠っていたが、腹が減って目が覚めると夕食の時間だった。

風邪はひかなくて済んだようだが、体重は少しだけ減ったかもしれない。



豊田一喜










穏やかな追い込みの日

2013年02月25日 | インポート
少し体を動かすと汗ばむような、穏やかで暖かい晴天の日だった。

遺跡の発掘作業に残された日数もあとわずかになり、最後の仕上げの追い込みに入っている。

ダンプカーや重機が行きかい、工事現場の様相を呈してきている。

ダンプカーの運転や重機の運転を任せられた作業員の方々は、元々そのような作業経験の豊富な人たちなので、生き生きとして見える。

土を掘る人、手箕で集める人、その手箕で集めた土砂を一輪車で運ぶ人、図面を書く人、それらの人たちの間隙を縫ってトータルステーションで測量をする者などなど、狭い区域に集中して作業が進められている。

上着を脱いで作業をされている人もちらほらおられて、春の気配がいよいよ感じられるようになってきた。

梅の花が開き始め、やがて桜の花も開く。

通常の生活の中では、春は出会いの季節だけれども、遺跡の発掘現場では、春はお別れの季節になってしまう。




豊田一喜




待つわ

2013年02月24日 | インポート
♪♪ 私待ーつわ、いつまでも待ーつわ・・・・・♪♪

「あみん」という名前の女性デュオが歌っていた歌詞のような心境で、時間を過ごした日だった。

12時30分までに待ち合わせ場所に集合するようにということだったので、その時刻に間に合うようにして、11時40分ごろには着いた。

それから12時30分の受付開始時刻までじっとして待ち、その後自分の順番が来る14時10分まで、ひたすらじっとして待つ。

それから程なくして、本日の本番。

部屋の中に入るように指示があり、ノックをしてから部屋の中に入る。

5人の方々から、色々な質問を受ける。

ありのままに誠実に受け答えをした。

およそ20分間があっという間に過ぎて、終わり。

しばらくの期間は、♪♪ 私待ーつわ、いつまでも待ーつわ・・・・・♪♪の心境で知らせを待つしかない。



豊田一喜





お祝い

2013年02月23日 | インポート
隣の家の娘さんの結婚式に招かれた。

旦那さんになる人が佐賀県の人なので、佐賀県の式場での挙式と披露宴だった。

午後1時過ぎに、近くの国道の待ち合わせ場所からマイクロバスに乗せてもらい、そのマイクロバスは、途中で3箇所ほどの待ち合わせ場所で他の参加者の方々を乗せてから諫早インターから高速道路に乗った。

佐賀大和インターで降りてすぐの所に会場はあった。

教会の中で、外国人の神父様の導きによる結婚式が行われ、賛美歌を歌い、記念写真を撮って結婚式は終了した。

しばらくしてから、受付のあとに宴会場で披露宴が始まった。

カラオケなどの披露は一切なく、とても印象に残るような披露宴の進行状況だった。

次々とタイミング良く運ばれて来る初めて目にするような料理を、ナイフとフォークがあるのに、あえて扱いなれた箸を使って食べていると、心地良く時間が過ぎて行く。

午後6時からの披露宴は、午後9時少し前まででお開きとなった。

新婦からのお母さんに対するお礼の手紙の披露の時には、目頭が熱くなってしまった。

小さい時から、母ひとり娘ひとりで、お互いを支えながら生きて来た親子の姿を知っていただけに、お母さんに対する感謝の気持ちと、自分が嫁いだあとにお母さんをひとりにする心配が切実に伝わり、涙が流れた。

マイクロバスで送ってもらい、家に帰りついたのは午後10時半を少し回っていた。

いい結婚式だった。



豊田一喜










あとわずかの日々

2013年02月22日 | インポート
遺跡発掘のアルバイト作業に従事できるのもあとわずかになった。

発掘が完了していない区域に、作業員の方々が多数投入されて、あわただしい雰囲気がかもしだされている。

午前中には、小学生の発掘現場見学もあった。

同じ区域の中で働いていても、休憩時間になると、それぞれの班ごとの集団で分散して休憩されている。

そのような場景もあと数日でおしまいになる。

3月になれば、失業保険の給付を受ける人、新しい職場で働き始める人、少しだけのんびりとした時間を過ごそうと思っている人、ハローワーク通いを始める人などさまざまではあると思う。

自分の場合には、やらなければならない事が山ほどある。

その山を少しずつ片付けて、なだらかな丘程度に出来るような日々にして行こうと今のところは思ってはいる。

ヤマメ釣りに行きたい衝動を、どれだけ抑える事が出来るか次第だが・・・・・・。


豊田一喜




勘違い

2013年02月21日 | インポート
毎日新聞記載の仲畑流万能川柳からの勘違いシリーズ。

信じてた「いい爺さんに連ーれられて」
(金沢の上田豊さん作)

※「横浜のー波止場からーお船に乗ーって、異人さんに連ーれられてー行ーっちゃーった」


節電と母は携帯切っている
(本庄のこだま岳人さん作)


私などは子どもの頃に、「うーさーぎーおーいしかーのーやーまーこーぶーなつーりしかーのーかーわ」の歌詞の中の「うーさーぎーおーいしかーのーやーまー」の部分の意味を、「兎がおいしかった、かの山」と思い込んでいた。



国際オリンピック委員会などは、クーベルタン男爵のオリンピック開催の理念に対する大きな「勘違い」をしているように思ってしまう。

競技の数を減らす必要などないと私は思う。

本当に世界の平和の祭典なのであれば、むしろ色々なスポーツをオリンピック競技に加えるべきではなかろうか。

野球、ソフトボール、レスリングと、アジアの小国「日本」がメダルに関わるような競技が除外されているように思えてならない。

国際オリンピック委員会がやっている事は、一貫性がなく政治の世界よりも見苦しく見えてしまう。

このように思う事は、私の「勘違い」なのだろうか。



豊田一喜





早帰り

2013年02月20日 | インポート
携帯電話に、いとこの奥さんから電話が入り、作業は昼までということにさせてもらって、早帰りをさせてもらった。

20年間も闘病生活をしていたいとこが、本日の早朝に亡くなったという知らせ。

いとこが53歳の時から72歳になるまでの20年の間、入院しているいとこのもとに、電車やバスを乗り継いで通い続けたいとこの奥さん。

本当に、本当に大変だったろうと思う。

棺の中のいとこの顔は、やせこけていて、末期の闘病生活の大変さを物語っていた。

昨年の暮れ頃に危篤状態になったこともあったということだったが、持ち直して本日の朝までの命をいただいていた。

船乗りをしていた頃のいとこは、たまに外洋から帰ると、珍しいお土産を持って尋ねてくれていた。

鯨肉の塊を持って来てくれた時の事を良く覚えている。

私が子どもの頃に、私より14歳年上のいとこが、お土産に持って来てくれた大きな鯨肉の塊を見て、父がとても喜んでいた場景が思い出される。

心優しい人だった。

闘病生活を支え続けてくれた、いとこの奥さんや家族のご苦労は計り知れないほど大変なものではあったろう。

先に逝った親類縁者の人たちと、苦痛の無い黄泉の国で、ゆったりと過ごしてほしい。

いとこの訃報という悲しい知らせがあった日だったが、嬉しい便りが届いていた日でもあった。

南無阿弥陀仏。




豊田一喜






嬉電(きでん)

2013年02月19日 | インポート
自分で勝手に作った造語。

嬉しい電話を意味する。

帰宅後に、知人が就職試験に合格したとの嬉電があった。

彼には多様な能力があり、人間性も良く、辛抱強い。

そして明るい性格。

その会社の創設者のかたが、自ら面接をされたという。

彼ならばきっと、その選んでくれた創設者の期待に沿うような仕事をしてくれるだろうと思う。

本日は8区の完堀検査が完了した。

4区、7区、8区と完堀して検査が終わり、元の状態に埋め戻されつつある。

雨のために13時からの作業だった。


豊田一喜












三寒四温?

2013年02月18日 | インポート
昨日は寒かったが今日は雨が降って暖かい。

三寒四温に関して、以下のような分かりやすい説明がしてあった。


今の時期、「三寒四温」という言葉を耳にされたことはないでしょうか。

これは、冬の時期に寒い日が3日くらい続くと、そのあとに比較的暖かい日が4日続くという意味の言葉で、寒暖の周期を表しています。

 もとは中国の東北部や朝鮮半島北部で冬の気候を表す言葉として用いられました。

冬のシベリア高気圧から吹き出す寒気が7日ぐらいの周期で、強まったり弱まったりすることに由来する言葉とされています.

 ただし、これは気象学用語ではありません。

実際に日本では3日間寒い日が続いたあとに、4日間暖かい日が続くという周期が現れることはほとんどないのです。

 「三寒四温」という言葉は、もともと中国東北部や朝鮮半島北部で、冬の時期に、寒さと暖かさの周期を表す言葉として使われ、その後、日本に伝わりました。

 最近では「三寒四温」が本来使われる冬ではなく、春先に使われることが多くなっています。

日本では、早春に低気圧と高気圧が交互にやってきて、低気圧が通過し寒気が流れ込んで寒くなった後、今度は高気圧に覆われて暖かくなり、周期的な気温の変化を繰り返すことが多くなります。

 このため、日本では寒暖の変化がはっきりと現れる春先にこの言葉を用いる人が多くなったと考えられます。

本来とは違う意味として使われるようになった言葉には、ほかに「五月晴れ(本来は梅雨の晴れ間を指したが、現在では5月の晴天という意味もある)」が知られています。

言葉は時代とともに変わりゆくものと言えるでしょう。


以上は、ネットから検索した「三寒四温」の説明文の引用。


上記の説明文のとおり、寒暖を繰り返しながら、穏やかな春が少しずつ近付いている。

山桜が咲く頃の渓流で、フィトンチッドをふんだんに浴びながら、釣竿を振る事が出来るまであと少し。


豊田一喜





張り切った割には・・・・。

2013年02月17日 | インポート
きょうは、朝から張り切って魚釣りに出かけた。

いつものように、車で20分で行ける雲仙市国見町の多比良漁港まで、うきうきしながら走る。

いつも釣れるポイントで竿を出して、魚信を待つ。

岸壁を移動しながら30分、全然魚信なし。

場所を移動して、フェリー発着場のすぐ脇の防波堤まで歩く。

5分もしないうちに小さなアイナメが釣れてくれた。

その後、その防波堤を移動しながら2時間釣って、クロソイ1匹、タケノコメバル1匹、小さなアイナメ1匹が釣れてくれた。

その防波堤に直交している防波堤の一番先端の方にも移動してから、丹念に岸を釣り歩く。

その防波堤で、クロソイ1匹、タケノコメバル2匹が釣れてくれた。

それから、朝一番に釣って1匹も釣れなかった岸壁に戻って釣ってみたが、アタリなし。

時計を見ると、午後4時の少し前だった。

風が冷たく、途中から防寒のために、雨合羽を羽織っての魚釣りだったが、張り切った割には釣果の少ない日だった。

帰路には、車の窓ガラスに、小さな雨粒が降りてきていた。


本日の釣果(画像をクリックすると拡大する)
(クロソイ:2匹、タケノコメバル:3匹、アイナメの子:2匹)
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メイドインジャパン

2013年02月16日 | インポート
「メイドインジャパン」というNHKのテレビドラマの最終回の再放送を見た。

毎週土曜日の午後9時から3回完結で放送されたドラマで、1回目と2回目は見る事が出来たが、最終回の先週の土曜日の放送分は、楽しい飲み会のために見る事はできなかった。

飲み会に出かける前に、妻にビデオに録画しといてと頼んだら、家のビデオは今のテレビには対応していないという。

仕方ないのであきらめていたが、3分の2まで見ていて、残りの一番良いところを見る事が出来なかったので、もやもやとしたものが残っていた。

午前中と午後一番の用事を済ませて、午後3時ごろからは魚釣りに行く予定にしていた。

ちょっと小休止をしてから魚釣りに出かけようと思い、テレビをつけて新聞のテレビ番組欄を見たら、午後4時からNHKで、「メイドインジャパン」の最終回の再放送と表示されていた。

当然の事ながら魚釣りは中止して、そのテレビドラマを見る事にした。

午後4時までには少し時間があったので、横になってテレビを見ていたら、不覚にも眠ってしまっていた。

いつもと同じパターンで、食事のあとに横になってテレビを見ていると、30分もしないうちに眠ってしまっている。

だから、1時間もののテレビ番組をまともに全部見るということは、最近ではめったになかったが、「メイドインジャパン」というドラマだけは2回とも全部起きて見ていた。

ふと目が覚めて腕時計を見ると、4時10分を指していた。

しまったと思って起き上がり、NHKにチャンネルを合わせる。

当然の事ながら、既に「メイドインジャパン」は始まっていた。

技術立国として、ものづくりで実績を上げて、日本で最大の企業になった会社が倒産の危機に遭い、その倒産を回避させるために召集された、個性的過ぎる各部門のスペシャリストたちのチームの顛末を描いたドラマで、中国企業とのかかわりを興味深くおり込んである。

役者の発するせりふや表情、しぐさなど、いたるところに涙腺の緩むような場面がちりばめられていて、59歳の変なおじさんの目からも久し振りに感動のしずくが落ちた。



豊田一喜









見た目と違う植物の名称

2013年02月15日 | インポート
青色や桃色の、見た目は可愛い花だけれども、その名称が「ちょっとねー」という花々がある。

現場の作業員の方からその名前を教えてもらった、「オオイヌのフグリ」や「ママコノシリヌグイ」という正式名称の花。

「ふぐり」とは、インノウ(陰嚢)のことで、キ○タマ袋の古語だそうだ。

元々は「イヌノフグリ」(犬のキ○タマ袋)という植物があり、その大きい種類の植物が「オオイヌノフグリ」(大犬のキ○タマ袋)だという。

「タチイヌノフグリ」という名称の植物もあるそうで、フグリ(キ○タマ袋)やタチなどという言葉が混じってくると、おかしな想像を膨らませてしまう。

いずれもその植物の実の形状が、「犬のフグリ(陰嚢)」に似ているというところから付けられた正式名称なのだそうだ。

花の色は青色で、可愛い花だけれども、その名前からは花のイメージがつかみにくい。

「ママコノシリヌグイ」という植物は、子どもの頃には川原でよく見かけた、桃色の小さな花を付ける、茎にトゲがある可愛い花だけれども、「継子の尻拭い」という字があてられる。

継子(ままこ)をいじめるために、そのトゲのある植物で継子(ままこ)の尻をぬぐうというような意で付けられた名称のようだ。

「オオイヌのフグリ」も「ママコノシリヌグイ」も、元々、俗称として使われていたものを、初期の頃の植物分類学者が区分のために付けたものが、正式名称になってしまったというところだろうか。

きれいで可愛い花を付ける植物たちで、可愛そうな名前を付けられてはいるが、季節が来るとひっそりと咲いて目を楽しませてくれる。



豊田一喜







残業

2013年02月14日 | インポート
測量班の3名と他の作業員の方3名は、明日にかけての雨模様を見越して、8区の完堀検査の準備のための測量と検査用写真の撮影の作業を終わらせるために、18時までの残業をさせてもらった。

気持ちが急いでいると、少し動いただけでも汗をかいてしまう。

流れ作業的に作業を分担して、予定通りに1時間程度の残業で作業を終わらせる事が出来た。

帰路で諫早市内に入った頃から小雨がポツリと降り出した。

車の外は雨模様だったが、周りの作業員の方々の心遣いで、心の中は晴れ晴れとしている。

義理でも、チョコレートをいただくと嬉しい。

作業の帰りに、コンビニで198円のチョコレートを5種類ぐらい自分で買って帰って、鼻血が出るぐらいに食べてみようかなと朝から思っていたが、そんな事はしなくても、数人の女性作業員の方々の心遣いで、鼻血が出るぐらいの数のチョコレートが集まった。

59歳の変なおじさんでも、みぞがってもらって(可愛がってもらって)、とてもありがたく思う。

さて、お返しをしなければならない3月の「ホワイトデー」の頃には、皆さんとはお別れしているので、どのようにして感謝の気持ちを表せば良いものかと思案している。

人生の中で、本当に楽しい事の多い職場で働かせてもらっている。

ありがたい。



豊田一喜