日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

小さな貧乏と大きな貧乏

2006年10月06日 | インポート
今回の平成の大合併を考えてみると、雲仙市も島原市も南島原市も、いずれにおいても、小さな貧乏が大きな貧乏に枠組みを変えただけの様に思える。

自主財源の乏しい旧町や旧市が、合併後の人口規模が大きければ合併特例債を割り増しして受けられるというもっともらしい理由により、大き目の枠組みの合併という選択をしてしまったのだと思う。

また、合併による大きな効果として、自治体の三役や議員の数を減らす事ができて、大幅な経費削減効果があるという建前になっていたが、合併後の島原市にいたっては逆に市議会議員に支給される議員報酬総額は増える結果になっている。

旧有明町議会議員の全員がそのまま新しい島原市議会議員となり、その報酬額は、合併直後しばらくの間は旧有明町議会議員の報酬額だったそうだが、それらの市議会議員の報酬も旧島原市議会議員の報酬額に合わせて引き上げるという事が市議会で可決されている。

合併効果のひとつとされていた事柄が、明らかに実行されていない。
住民の代表とされる人たちが、その与えられた議決権を行使して、自分たちに都合の良いような事を決めてしまうという悪しき慣習が如実に現れているように思う。

議員報酬等の削減により、財政に対する負担を軽減するなどという事も大きなメリットのひとつということで合併し、その舌の根も乾かないうちに、報酬審議会が決めた事だからと、自分たちにとって都合の良い事柄に賛成した議員たちの良識を疑う。

それを容認して黙っている住民の側の対応も民意であり、地域性でもあるのだと思う。
自分たちが選んで議会に送り込んだ議員がやったことだから仕方が無いということだろうか。

旧有明町議会議員から、そのまま島原市議会議員になった人や旧島原市議会議員の中にも、そのような議員報酬額増額の議案に反対した良識ある人たちが少数ながらいたということが住民にとってはせめてもの救いの様に思う。

合併特例債は、合併後の人口が1万人を超えれば受ける事はできる事になっていたが、上部機関の思惑通りに、島原半島を5万人規模の3分割ということで、いかにもお役所仕事的な枠組みに誘導されてしまったように私は思う。

雲仙市では合併前の合併協議の中で、当時県職員から派遣されていて、現在は雲仙市職員に席を置いている雲仙市合併協議会事務局員だった人が、新市の新庁舎を建設する財政力はあると明言していた。

議員の処遇と新庁舎の場所を協議する雲仙市合併協議会小委員会を何度も傍聴して、この耳で聞いていた。

そのような合併後に関する重要事項を確認した上で、旧愛野町議会議員のひとりとして7町の合併議案には賛成した。

しかし、雲仙市議会における松尾文昭議員の新庁舎建設に関する一般質問に対して、奥村市長は「今後一年間程度の財政状況を見てから判断する」というような内容の答弁をしている。

このような実情から判断すれば、雲仙市合併協議会事務局は、合併を成立させるための方便として調子の良い事を言っていた事になる。

要するに、それを信じて7町の合併に賛成した私たちは騙された事になる。

公式の協議の場で、うそを言っても責任を取らないで許されるのが役人なのだろう。

小さな数字を足し算して大きな数字にしたとしても、それぞれが背負ってきた今までの借金が消えるわけでも無いし、市民一人当たりに使えるお金が増えるわけでもない。

合併によるメリットだけを強調する情報操作によって推し進められてきた平成の大合併のように私は思う。

地方分権という大義名分の下に推し進められようとしている「中央集権化」の序章が、「平成の大合併」であると私は感じている。

「我が国も核武装を検討すべき」などというとんでもない事を言う政治家がおり、憲法改正を主張する国会議員たちもいたりする現状を見れば、中央集権化の延長線上には、我が国が歩んできた歴史を繰り返すような危険性を感じてしまう。

そのような事を防ぐには、私たちに与えられている、たった一票の選挙権を行使して、間違った方向へ進めようとしている政治家や政党を選ばないようにするしか方法は無い。

自分たちが選んで権限を与えてしまった国会議員たちが決める事柄は、すなわち民意の反映という事にされてしまう。

雲仙市民の民意の反映結果として選ばれた、「野球拳議員団」で全国的に雲仙市を有名にしてくれた雲仙市議会だが、大きな貧乏となった今後に対する展望は、いかように描いておられるのだろうか。

議員報酬の減額などは、やろうと思えばすぐにでもできる改革のはずだが。


豊田かずき



評価すべき安倍首相の英断

2006年10月05日 | インポート
安倍首相が、自らの報酬を30パーセント、閣僚の報酬を10パーセント減額する事を表明した。

すばらしい英断だ。

構造改革という言葉が頻繁に使われているが、その端緒とするべき事柄は、公的組織職員等の報酬の引き下げではなかろうか。
国会議員、地方議会議員、国家公務員、地方公務員、公団職員等の報酬額を、減額する方向で見直すべき時期に来ているのではなかろうか。

消費税を引き上げる前に、まず実施すべき事柄であろう。

安倍首相の英断に倣い、全ての公的組織の職員の報酬の引き下げを検討すべき時だと思う。


私たちが住んでいる雲仙市に関して試算してみる。

雲仙市のホームページに記載されているデータによれば、平均年齢41.6歳の雲仙市職員の平均給料月額は310,933円、平均給与月額は377,639円となっている。

また、雲仙市議会議員の報酬は、月額344,000円となっていて、その類似団体における最低額は200,000円となっている。

そこで、雲仙市職員455人の報酬額を10パーセント減額し、雲仙市議会議員30人の報酬額を20パーセント減額したとすると、

377,639×0.1×455=17,182,574円(1ヵ月当り)
344,000×0.2×30=2,064,000円(1ヵ月当り)
(17,182,574円+2,064,000円)×12=230,958,888円(1年間)

となり、これだけでも1年間で2億3千万円の支出を抑える事ができる。
この他にも、市長や助役の報酬を30パーセント減額すると、年額で750万円程度の支出が抑えられる。

組織内の支出を抑える方策として、一般的に、まず人員の削減を言い出す人がほとんどであるが、私はそのような発想は短絡的過ぎると思う。
なぜ、組織の人員を確保したまま維持して行こうという発想ができないのだろうか。

組織の皆が、その収入を少しずつ減らすことで我慢すれば、誰もその組織を離れることなく働く事ができるのに。

雲仙市職員の総数に関しても、今後3割補充という方法で、合併当初約500人だった職員数を、15年後には350人程度にまで減らしていこうという事だが、本当にそれで良いのだろうか。

従来は、雲仙市全人口の中のおよそ100人に1人が、雲仙市の職員という職業に就くことができていた。

雲仙市の中で、安定した、500人規模の大規模な雇用の場があるという事になる。

地域の発展や維持には、その地域の中に、まず雇用の場を確保して、その場所に住民が定住する事が最重要だと考える。

若い人たちの雇用の場が確保され、その人たちがそこに定住して家庭を築き、子育てができる環境でなければ、このような地方の人口は減少していくばかりだろう。

そのような理由で、雲仙市職員の総数は減らすべきではなく、その報酬を少しずつ減額することで、なるべく多くの若い人達の就職の可能性を確保しておくべきだと考える。

災害が起きた時に、組織的に対応してくれるのは、役所等の職員の方々だ。

人数さえ減らせば支出が抑えられ、経営が楽になるという考え方は、短絡的過ぎて、働く人の生活に対する配慮が欠落している。

景気は回復傾向にあるというのは、私たちの地方に関しては外れている。
マスコミを通して、政府が流している、政府にとって都合の良い数字の流布に過ぎないように思う。

景気が回復傾向にあるのは、一部の業種に限られていて、地方の建設関連業種は疲弊しているのが実情のようだ。

公共事業関連の国の予算が、最盛期の60パーセントしかない状況で、それに依存している業種の景気が回復するわけが無い。

これから先は、私たちが住んでいるような地方は、少ない仕事を皆で分け合って生きていく事を余儀なくされるのではなかろうか。

安倍首相の英断を、あらゆる公職の方々が汲み取り、まず自分たちの報酬を減額することから、構造改革を始めて欲しいと思う。


豊田かずき



台風13号の記録

2006年10月04日 | インポート
平成18年9月17日に、台風13号が襲来した。

台風が近くを通る時には、その気圧変化を、自分の気圧計にて自宅で記録している。

我が家における気圧の推移は以下の通りだった。


時刻   気圧   気温
16:20  978.5  26.0
16:37  978.0  25.5
16:45  977.5  25.5
16:50  975.0  25.7
17:08  975.0  26.1
17:18  972.0  26.1
17:30  972.0  25.9
17:40  971.0  25.9
17:52  971.0  25.7
18:00  971.5  25.6
18:20  972.0  25.5
18:28  972.5  25.6
18:33  973.5  25.5
18:37  974.5  25.6
18:42  975.0  25.5
18:50  976.5  25.3
18:58  978.5  25.4
19:06  980.0  25.3
19:13  981.5  25.4
19:25  983.0  25.3
20:02  986.5  25.3
20:17  988.0  25.2
21:32  994.5  25.0

以上が、我が家における台風13号の記録。

気圧の推移を観察していると、台風の目が接近してから遠ざかるのを確認できる。

やはり、気圧が最も低かった(台風の目に最も近かった)午後5時50分頃の風が、一番強烈だった。

台風の目が遠ざかり始めると(気圧が上がり始めると)、強い風は吹き荒れていても、もう少しの辛抱だという気になれる。

今回の台風は、我が家付近では雨がほとんど降らなかったので、雨漏りはしなかったが、小屋の二階の屋根瓦が十数枚剥がされていた。

時折モズのさえずりが聞こえるような深まりつつある秋の気候の中で、平穏な日々を、感謝しながら過している。


豊田かずき