日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

偉大な策士K

2014年02月23日 | インポート
わざわざKと表現しなくとも、このあとの文章を読んでもらえれば誰のことであるかはすぐに分かる。

見事に民意を分断し、古巣の政党が支持する候補者を当選させることに貢献し成功した。

反原発か原発の保持かということが最大の争点になると見越したKは、いち早く立候補を表明し反原発を主張している候補者がいるにもかかわらず、もうひとりの反原発、原発の即時稼動停止を主張する人を神輿に乗せて担ぎ上げた。

そのままでは、古巣の政党が支持する候補者にとって不利となる事を感じ取ったのだろうと思う。

純粋に反原発、原発の即時稼動停止を真剣に考えているH氏は、その神輿に乗って戦った。

選挙の結果として、見事に反原発の票は二分されてしまった。

結果、古巣の政党が支持する候補者が選ばれた。

見事で偉大な策士と呼んでいいだろう。

本人の主張そのもの(反原発、原発の即時稼動停止)は、多くの庶民が心の底から願っていることであるから、本人に対する支持の輪は広がるだろう。

神輿に担ぎ上げられた人は、自らの財力で選挙資金は賄える。

正論を主張し神輿を担ぎ上げておくだけで、本人に対する評価は上がり、なおかつ古巣の政党などが支持する候補者にとっては有利となる状況を創出する事ができる。

選挙結果を見てみれば、もしもH氏の出馬が無くて、反原発、即時原発の稼動停止を主張した人に、それを支持する人達の票が結集していたならばと考えると、策士Kの古巣の政党に対する貢献度が分かる。

反原発、即時原発の稼動停止を考えている人たちからは絶大な支持を受け、古巣の政党からは民意の分断を成し遂げてくれた救世主的人物として評価されていることだろう。

「ニッポンを取り戻す」というキャッチフレーズの中の「ニッポン」のあとに、括弧書きで(の利権を)というのが隠れているように思えてならない。

過去の反省も無く、戦争のできる国家、権力を掌握した者たちが傲慢な振る舞いをするような、おかしな国家になろうとしている。

資源も無く、食糧すら自給する事ができないような脆弱な国家であるのに。



豊田一喜










民意の行く末

2014年02月16日 | インポート
安全で安心して生活できる環境よりも、見かけ上の経済発展の方を民意は選択してしまった。

処理もできない危険な廃棄物を生産し続ける原発を、即時に停止させるという考えの指導者を選ぶ事をしなかった愚かな民意。

世界中で唯一の核爆弾被爆国でありながら、それよりも危険な核廃棄物を排出し続けて、その処理技術はそのうちに何とかなるだろうなどという能天気な愚かな民意。

のちの世の子孫たちに、危険な置き土産を残すことになるということの予測をする事ができないおろかな民族。

絶対にクリーンエネルギーではないのだという事が証明されているにもかかわらず、日本の経済活動を維持して行くには必要不可欠なものだという偽りの情報を鵜呑みにして信じ込まされて、自らは真実を見抜き判断する事をできないように情報操作されて洗脳されている人々のなんと多い国家だろうか。

悠久に営まれてきた、水の国日本を、自らの判断の誤りで壊してしまうような選択をしていることに気付けない民意のなんとおろかなことだろうか。

それでも私たちの国には、冬が過ぎればやがては春がやってくる。

しかし、そのような四季の移ろいのある国土の中で、処理することのできない核廃棄物の捨て場がだんだん増えて、そこに内的原因あるいは外的原因によって事故が発生したならば、打つ手は無い。

その地域の周辺では住む事はできなくなる。

危険な物質が川に流れ海に流れ出て、地球上を汚染してしまうのだという想像がどうしてできないのだろうか。

経済活動や平凡な庶民の生活など存在できなくなる。

勝ち馬に乗りたがる人々や、既得権益保持側についていた方が自分にとっては都合が良いという人々の数が多い結果が、民意という結果として数字に表れ、おかしな国家を築き上げていく。

狭い国土のいたるところで、危険な貯蔵タンクが林立する光景が見られる未来しか予測できない。

愚かである。



豊田一喜





10ページのメッセージ(国の将来を憂う政治家の決断)

2014年02月02日 | インポート
久し振りに、全てにおいて賛同できる政治家の決意文を読ませていただいた。

細川護煕氏のホームページに記載してある10ページ分の決意文がそれだ。

私のような庶民が思っている、最大公約数的な当たり前の考え方であると思うのだが、既得権益組織とのしがらみがある人では、思っていても表現する事ができないような内容。

まずは読んでもらえば納得できるのではないかと思います。

ここをクリックすれば読む事ができます。

日本人のひとりとして、共有しておくべき考え方の様に思います。



豊田一喜





インフルエンザの予防注射

2014年01月25日 | インポート
妻が、先週の金曜日に、熱が出て咳が出始めたということで、午前中だけ働いて早引きして帰宅していた。

保育園に勤めているので、風邪を子どもたちにうつしたらいけないということで早引きして、帰宅途中に病院に寄って来たそうだが、インフルエンザかどうかの診察は、熱が上がらないと調べる事はできないと言われたという。

風邪の薬は処方してもらって、飲み続けていた。

土曜日も仕事を休み、体調がすぐれないということだったので、日曜日に休日当番医を調べて、その病院に連れて行った。

家のすぐ近くの病院で、鼻の粘膜を採取して、最新の検査機械にかけると20分ほどで結果が分かった。

「B型のインフルエンザです」と告げられた。

そして、「タミフル」という例の薬を処方してもらった。

その薬の注意書きには、結構恐ろしい事が書かれていたので心配していたが、何事も無かったようだ。

で、保育園を、月曜日から木曜日まで休ませていただき、インフルエンザも完治したようで金曜日から出勤した。

なので、息子と私は、とりあえず予防のためにインフルエンザの予防注射(ワクチン)を打つことにした。

掛かりつけの西諫早病院で予約をして、本日注射を打ってもらってきた。

1人あたり3500円と、結構な金額ではあるが、九州全県にインフルエンザ流行の注意報が出ているということなので、しないよりはしていた方が精神的に安心できる。

もしもインフルエンザにかかったときには、「ワクチンが効かなかった」と思えば良いだけの話。

もしもインフルエンザにかからなかったならば、「ワクチンを打っていてよかった」と思えば良い。

予防注射を打ったことにより、少しだけの安心感はある。

あと1ヶ月もすれば、南の方から春がゆっくりと歩いてくる。

そして3月になれば、待望のヤマメ釣りが解禁になる。

たくさんの楽しみが待っている。



豊田一喜


千々石漁港で、グチの子大釣れ

2014年01月11日 | インポート
今年初めての魚釣りに、雲仙市千々石町の千々石漁港に出掛けた。

午前9時過ぎに、近くの釣具屋さんで300円分の青イソメを購入し、千々石漁港まで自宅から車で10分程度の行程を、わくわくしながら運転。

実は先日、栃木県に住んでいる義兄(妻の兄)が、彼の実家(妻の実家)の諌早市に遊びに来て1週間ほど滞在し、義兄はその間に2回ほど千々石漁港に魚釣りに行っていた。

そして、グチの子がたくさん釣れたということで、うちにもその釣果のおすそ分けをいただいていた。

で、そのグチの子が釣れる場所の情報を教えてもらっていた。

現場に着いたら、そこには既に6人ほどの人が竿を出しており、ギャラリーも4人ほどおられた。

見ていると、そこそこの形のグチが釣れている。

仕掛けはサビキ仕掛けで釣っておられた。

しばらく眺めていたが、漁港護岸の船だまりのコーナーのところが空いていたので、そこから渓流仕掛けの釣針にアオイソメをつけて投入した。

程なくして、あたりがあり、引き上げるとグチの子がかかっていた。

海中にはグチの子の群れがうじゃうじゃと泳いでいる。

その魚の群れが、その付近を離れる事はあまりない。

30メートル四方ぐらいの範囲を回遊している。

まわりの釣り人にも私にも、間断なくグチの子が釣れてくれる。

土地の古老の人の話によれば、このような現象は今までには無かったことだそうだ。

正月前ぐらいから毎日、グチの子の群れが湾内(漁港内)を回遊していて離れず、毎日よく釣れているという。

氷を入れていた小さなクーラーボックスの中が、釣り上げたグチの子で満杯になったので、その後は持っていたバケツに釣り上げたグチの子を入れるようにした。

久し振りに、購入した釣り餌のアオイソメ300円分を、使い切るまで魚釣りを楽しませてもらった。

午後2時頃に納竿。

家に帰ってから、釣果の魚をさばいた。

うろこを落としてから、頭を切り落として内臓を取り出し、水洗いして魚体表面のぬめりを取り、水道水に食塩を混ぜて作った食塩水に浸けておく。

数を数えてみたら、全部で76尾釣っていた。

全部の魚をさばき終えてから、6尾だけ夕餉のおかず用の塩焼き用に残して、残りの魚は干し網に並べて干すことにした。

久し振りに、飽きるほど魚の魚信を堪能させてもらう事ができた。

潮の干満、時間帯、釣りの仕掛けなどに関係なく、終日、誰にでも釣れているので、家族連れなどで楽しめる釣りだと思う。

よい休日だった。


本日の釣果(グチの子:74匹  メバルの子:2匹)(画像をクリックすると拡大する)
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干し網に並べた本日の釣果(画像をクリックすると拡大する)
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平成25年12月28日(昨年の釣りおさめの釣果)(諌早市飯盛町結の浜にて:アラカブなど)(画像をクリックすると拡大する)
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惰眠

2013年11月24日 | インポート
昨日は、朝からウトウトとしていたら、玄関から「おはようございます」という声が聞こえて目を覚ました。

水田をふたりの方に耕作してもらっているのだが、そのうちのひとりの方が上米を持ってきてくださった。

持ってきていただいた新米を、ふたりで小屋の中に下ろして、少しだけ汗をかいた。

力仕事はほとんどしないような生活をしているので、1袋30kgの米袋を軽トラックから下ろす作業をしたら、結構な運動に感じる。

20歳代の頃には、籾摺り作業の時に、30kg入りの米袋を3個重ねて持って移動させる事も平気だったのに、今では30kgの米袋1個でも重たいと感じるようになっている。

年を取ったことを痛感する。

仕事が休みとなると、夜中までテレビをつけたままで、そのテレビを見たり眠ったりというような時間の過ごし方をしているので、なかなか熟睡できていないように思う。

本日は朝の6時半頃から、友達の結婚式のために帰ってきていた娘が福岡に帰るので、諌早駅裏の高速バスの停留所まで送るということから一日が始まったが、そのような休日の過ごし方の疲れが蓄積していたのか、家に戻ってから天気は良いのに外に出て何かをしようという気力が湧かず、コタツ守をして惰眠をむさぼった。

自宅でコタツ守をしながらのんびりと過ごすことができることを幸せに思える。



豊田一喜




電話かけまくり

2013年11月23日 | インポート
今週の月曜日の早朝に、同窓会の案内通知を郵便ポストに32名分投函していた。

出欠のほどを電話で連絡してくれるように、幹事のM君と副幹事の私の携帯電話番号を記していたが、誰からも電話連絡が入らない。

副幹事としては、予約しているお店にも参加人数の報告をしなければならないので、何名の参加人数になるのかは非常に気になるところ。

暇だったので、名簿の順番に電話をかけまくった。

29名は電話を取ってくれて、そのうちの14名は同窓会に参加するという返事をいただいた。

4名はまだ予定が定まらないので保留ということになり、11名は参加できないという返事だった。

来年の1月2日に、会場の近くの神社で御祓いをしてから飲み会をする予定で計画している。

60歳に既になった人や、これから来年の3月までに60歳になる人の年代で、何とか還暦を健康で迎える事ができた記念の同窓会になる。

男子だけ45名の、長崎県内ではたった1校しかない「農業土木科」という学科で共に学んだ懐かしい顔に会う事ができる。

同窓生はそろそろ定年退職をする年齢ではあるが、自分は今年の4月から大きな組織で2等兵的な立場で働かせてもらっている。

できることならば、あと5年ぐらいは働かせて欲しいと願ってはいるが、先の事は組織が決めることなのでどうなるかは分からない。

今の仕事にも少しずつなれてきた。

自宅のプリンターが故障して使えないので、不自由な思いをしている。

店に見に行って、手ごろな価格で高性能な複合機が出ていたが、自分のパソコンのウインドウズ2000には対応していなかった。

残念。



豊田一喜








同窓会案内文書の作成

2013年11月17日 | インポート
諫早農業高等学校農業土木科に、昭和44年4月に入学した同窓生は45名いた。

分かっているだけでも、そのうちの5名は既に御浄土へ旅立ってしまっている。

昨年の8月に、諫早市内で同窓会を開いた時には16名の参加があった。

同窓生は、今年から来年の3月までのうちに還暦を迎える。

同窓生の中では一番ひま人で、自由に使える時間が多いということで、同窓会の副幹事(事務局)をやらせてもらっているので、幹事のM君と相談して、来年の1月に還暦記念の同窓会を開こうということになった。

会場の予約等は、幹事のM君がしてくれたので、私の役目はその事を文書にして、住所が分かっている同窓生に送付するということ。

会場は前回と同じ場所にしたので、案内文の内容も、年月日を変更する程度で事足りる。

そのようなことで、同窓生の顔を思い出しながら、同窓会案内文書の封書の宛名書きをのんびりとさせてもらった、小雨が時々ぱらついた一日だった。



豊田一喜








いわしがうじゃうじゃ

2013年11月16日 | インポート
午後から諫早市飯盛町結の浜に出掛けた。

何かしら小魚が釣れるだろうと気楽に考えていた。

アミの撒き餌をすると、小魚が20匹程度湧いてきたが、以前の様子とは少し違う。

修得したつもりでいた釣り方を試してみるが、小魚たちは餌に食いついてはくれない。

そのうちに、体長12~13cm程度のいわしの群れがうじゃうじゃと海面を泳ぎ回るようになった。

そうなると、他の小魚たちは撒き餌を撒いてもあまり湧いては来なくなった。

海面にたらしている渓流仕掛けの釣り針につけた青いソメに、群れて泳いでいるいわしがたまに喰らい付く。

弱々しい引きのいわしを釣り上げる。

途中でバリ(アイゴ)の子が2匹と小さなカワハギが1匹釣れてくれた。

いわしは13匹釣れてくれていた。

何かしら小魚がたくさん釣れるだろうと思っていたが、その思惑は見事に外れた魚釣りの日だった。

家に持ち帰ってから、いかにして食しようかと思案していたら、妻が、「生で食べたら」と言ったので、いわしはそのようにして食することにした。

うろこを落として頭を切り落とし、内臓を出して綺麗に水洗いする。

妻が作ってくれた酢ヌタをつけて、骨ごと食べてみた。

骨の違和感は感じることも無く、尻尾だけ残しておいしくいただく事ができた。

小さないわし釣りも悪くはない。




豊田一喜




バリの毒を体験した穏やかな釣り日和

2013年11月09日 | インポート
昨晩は「にんしん会」の飲み会で佐世保泊り。

朝の7時過ぎに、冷蔵庫で作っておいたペットボトルの氷を持って佐世保市を出発した。

一時間ほど走った東彼杵町の釣具屋さんで釣り餌を購入して、東彼杵町役場の近くの船着場の突堤で魚釣りをしてみる。

最初はサビキ仕掛けのオモリカゴにアミを詰め込んで海中に投入してみた。

小魚たちが湧くように寄って来るが、サビキ仕掛けの擬餌針には近寄って来ても「フン」といったそぶりで食いついてはくれない。

なので、諫早市飯盛町の結の浜で修得した小魚釣りの手法を用いてみた。

まず、一つまみのアミを海面に投げ入れ、その投げ入れたアミが拡散する場所の真ん中辺りに、ハリス0.4号の渓流仕掛けの針に、2cmほどに切った青いソメを付けて、湧いてきている小魚たちの遊泳層付近に投入して待つ。

すると群集心理的にアミを食い漁っている魚群の中の1匹が、競争原理に基づき、自分も負けじとあわてて青いソメの餌に食いつく。

かくして、強い引きを楽しませてくれるバリ(アイゴ)を1匹釣り上げる事ができる。

今回の東彼杵町の海岸では、撒き餌に群がって湧いてきたのは、クロの子ではなくバリ(アイゴ)の子だった。

同じ動作を繰り返しながら、1回に付き1匹のバリの子が釣れてくれて、ペットボトルで作っておいた氷を入れた、小さなクーラーボックスの中で数を増やしていく。

バリ(アイゴ)は、そのヒレに毒をもっている。

詳しい説明は以下に。(ウィキぺディアから引用)

成魚は全長30cmほどで、体は木の葉のように左右に平たい。体色は緑褐色の地に褐色の横縞が数本あり全身に白っぽい斑

点があるが、この斑点は環境や刺激によって素早く変化する。口は小さいが唇は厚い。皮膚は比較的厚く丈夫である。

背鰭・腹鰭・臀鰭の棘条は太く鋭く発達していて、それぞれに毒腺を備える。この棘に刺されると毒が注入され、数時間-数週間

ほど痛む。刺された場合は40-60℃ほどの湯に患部を入れると、毒素のタンパク質が不活性化し痛みが軽減できる。冬場は肌

寒いこともあり痛みが和らぎにくい。アイゴが死んでも棘の毒は消えないので、漁獲したら刺されないようはさみなどでとげを切

断しておくのが望ましい。

分布[編集]本州・朝鮮半島南部から琉球列島、オーストラリア北部まで、西太平洋の熱帯・温帯海域に広く分布する。 沖縄の

ものは従来シモフリアイゴと呼ばれ、学名S. canaliculatusが与えられ別種扱いされていた。

生態[編集]海藻の多い岩礁やサンゴ礁に生息するが、汽水域にもよく進入する。食性は特に海藻を好んで食べるが、甲殻類や

多毛類なども捕食する雑食性である。この植食性の強さから、水族館ではしばしば餌としてコマツナ等の葉菜類を与える。漁法

としてもサツマイモを餌にした籠漁(沖縄)や、酒かすや味噌などを練り餌にした釣りが存在する。西日本では沿岸の藻場が消

失する磯焼けの原因として、アイゴによる食害を指摘する説もある。

産卵期は7-8月で、付着性卵を産む。1-2日のうちに全長2.1-2.6mmの稚魚が孵化する。稚魚はプランクトンを捕食しながら浮

遊生活を送るが全長3cm程度まで成長すると沿岸域に大群で集まり、海藻を食べるようになる。夏から秋にかけては、港など

で餌を漁る全長数-10cm程度の若魚の群れが見られることもある。

日本の地方名[編集]イタイタ(富山)、ヨソバリ(小笠原)、シャク(静岡)、バリ(西日本各地)、アイ(関西・三重)、シブカミ(アイゴ

の老生魚・和歌山)、アイノウオ(島根)、モアイ(広島)、モクライ、アイバチ(山口)、イバリ(福岡)、ヤー、ヤーノイオ(長崎・天

草)、ウミアイ(熊本・宮崎)、エイガー、アーエー、シラエー(沖縄)など、日本各地に様々な地方名がある。

イタイタ、アイバチ、ヤーノイオなどは毒の棘をもつことに因んだ呼称である。また身の磯臭さを「小便くさい」と捉えた事に由来

するのが「バリ」や「エエバリ」などの系統の方言呼称で、小便の別称「ばり」「いばり」に由来する。和歌山の「シブカミ」は老生

魚の皮膚の質感が渋紙(柿渋を塗った丈夫な紙)に似ることに由来する。

利用

スクガラス豆腐

泥?魚漁獲[編集]定置網、地引き網、釣りなどの沿岸漁業で漁獲される。四国・九州・沖縄などでは市場にも流通する。

食材[編集]毒の棘をもつうえに肉が磯臭いので人や地域により嫌われるが、徳島県や和歌山県などでは美味な魚として珍重す

る。「アイゴの皿ねぶり」(盛り付けた皿を舐めるほど美味い)という言葉もある。

磯臭さを除けば肉質は悪くない。歯ごたえのある白身で刺身・洗い、塩焼き、煮付けなどで食べられる。磯臭さは内臓から身に

移るので新鮮なうちに内臓を傷つけずに処理し、ショウガや柚子胡椒でくさみを消すとよい。皮を引かずにさくにとり、カツオのた

たき(土佐作り)のように表面を焼いて刺身にすると厚い皮も味わえる。

沖縄料理の「スクガラス」はシモフリアイゴや近縁種のアミアイゴ S. spinusを主としたアイゴ類の稚魚(スク、シュク)を塩辛に

したもので、豆腐に乗せるなどして食べる。また、塩辛だけでなく酢締めや唐揚げにもされる。成魚はもっぱら塩味で煮付けた

マース煮で食される。

香港では岸釣りの定番の魚として捕られ、泥?(広東語:ナイマーン)と称してスープの具などにされる。大衆食堂などでも生き

たまま流通しており従来は非常に安価であったが、近年は海洋汚染による影響か取れにくくなり値も上がっている。


以上、ウィキぺディアより引用。


バリ(アイゴ)は、そのヒレに毒をもっているということは知っているので、釣り上げたらすぐに、タオルでヒレに触らないようにしてつかみ、ハサミでヒレを切り落とすようにしているが、うかつにも2回ほどヒレの棘に触れてしまった。

直後から指先に鈍痛が走る。

口で棘から注入された毒を吸い出してみたり、潮水で洗ってみたりしたが、傷みはすぐには治まらなかった。

1時間ほどしたら痛みは弱くなってはきた。

ウィキぺディアによれば、60℃ぐらいのお湯につければ良いと説明してあるが、釣り場にお湯など持って来てはいない。

次から魚釣りに来る時には、保温機能がある水筒に熱いお茶を入れて持ち歩くようにしようと思う。

バリのヒレ毒に触れて痛かったというのはあったが、11月だというのに穏やかで暖かい、のんびりとした貸切状態での魚釣りだった。

たくさんの数のバリの小魚の南蛮浸けが、夕餉の一品になった。



豊田一喜





昼寝

2013年11月03日 | インポート
朝、普段より遅めに目が覚めたら雨が降っていた。

雨が降っていると外に出たくは無いような気分になる。

ヤマメ釣りが解禁されている季節であれば、雨合羽を着て喜んでヤマメ釣りに出かけるところだが、今はヤマメ釣りの禁漁期間中なのでそれもできない。

ゆっくり目の朝ご飯を食べてから、横になってテレビを見る。

画面には全日本学生駅伝の様子が映し出されている。

自分が100mを全力で走るよりも速いスピードで、何キロメートルも走り続ける事ができる選手の人たちには、ただただ感心するしかない。

そのうちにウトウトと眠ってしまっていて、時々目を覚まして駅伝の順位を見ると、順位が結構入れ替わっている。

若かりし高校生の頃に、運動クラブで体を鍛えていた頃が自分にもあったのだと懐かしく思い出した。

今は、灯油の18リットル入りのポリ缶を2個下げても重たいと感じるように、筋力が衰えている。

10時過ぎに雲仙市議会議員選挙の投票場まで家族を送り、その後農協ストアーで買い物。

自分は佐世保市に住所を置いているので、雲仙市では選挙権は無い。

家に帰り、また学生駅伝を見ながらウトウトとまどろむ。

昼寝をしながらテレビを眺めるような、それはそれで幸せと思えるような、ボーッとした一日を過ごさせてもらった。



豊田一喜





かじやさん

2013年11月02日 | インポート
佐世保市矢峰町から雲仙市愛野町の実家まで帰る途中で佐世保市三河内町(みかわちちょう)を通る。

三河内町には「三河内焼美術館」というのがあることを道脇に表示してある看板で知っていた。

3連休の初日は、そこの見学に充てようと思い妻を誘ったら、喜んで付き合ってくれた。

10時半ごろ車で家を出発して、11時40分ごろに東彼杵町の「彼杵の荘」にトイレ休憩のために立ち寄った。

出店のテントがたくさん設営してあって、大勢の人が集まっていたが、その中で「かじや」という表示が懐かしく、その出店に行ってみた。

包丁などの刃物が展示してあり、その中に研ぎこんで小さくなった、果物ナイフの様に細くなった刃物が置いてあり、興味を引いた。

なんだろうと思って見ていたら、出店のおかみさんが説明をしてくれた。

包丁の金属部分の全体に鋼(はがね)が叩き込んであり、研いで細くなってでも包丁として最後まで使えるという製品であるとの説明だった。

東彼杵町三根郷の「森かじや」さんで、息子さんが後をついで「かじや」をされているということで、修理などもやっているということだった。

「かじやさん」の包丁だったら信頼できると思い、購入させてもらった。

ついでに頑丈そうな、少し太い枝まで切ることができるという剪定ばさみも購入させてもらった。

予想外の買い物をした後、三河内町の「三河内焼美術館」に行ったが見学者はほかにおらず、妻とふたりだけで色々な陶芸家の焼物を見学させてもらった。

焼物美術館の隣りに「佐世保バーガー」の店があったので、そこで佐世保バーガーなる物を食べてみた。

濃いめの味で、若い人には好まれる味かなという感想。

帰りに波佐見町の道路わきで、陶器の展示即売をしていた「つちくら」という店に寄って、ご飯茶碗や焼酎などを飲む時に使える陶器を購入させてもらった。

その店では、商品を購入した客に対して、コーヒーを振舞うサービスをしている。

それも、カウンターの後に展示してある普段では使うことの無いような、高級なコーヒーカップの中から自分が好きな物を選んで、そのカップにコーヒーを入れて出してくれる。

なかなか素敵なサービスだと思う。

好みのコーヒーカップで、普段はめったに飲むことが無いコーヒーをいただかせてもらった後は、波佐見町の「やきもの公園」まで行ってみた。

テントがたくさん設営してあって、明日の「炎祭り」というイベントの準備中だった。

そこまで行ったら、以前働かせてもらっていた組織での業務で何回か行った事がある道だったので、記憶をたどりながら、やきものの里の「中尾山交流館」まで足を伸ばしてみた。

そこで、「三河内焼き」と「波佐見焼き」の違いについて説明してもらった。

三河内焼きは平戸藩のお殿様や大名への献上用に制作されてきた歴史があり、唐子などの絵付けに特徴がある。

それに対して波佐見焼きは、一般的に使用する陶器として制作されてきたのだということだった。

そこでも、庶民価格の茶碗と取手付きのカップを購入させてもらった。

山里の奥のやきものの里(陶郷)という風情が心地良い空間だった。

帰りに大村市を通ったので、竹松遺跡の発掘現場を妻に見せてから家に戻ったら、外は暗くなっていた。

穏やかな秋の一日を、のんびりと幸せな気分で過ごすことができた。



豊田一喜











新米

2013年10月27日 | インポート
1.1ヘクタールの田んぼを知人に耕作してもらっているが、それらの田んぼからの上米(あげまい)の一部を本日届けてもらった。

30kg入りの米袋で、新米15袋を届けてもらったが、本日中に5袋は、友人・知人に買ってもらった。

1袋7000円で買ってもらっている。

4人の人に定期的に買ってもらっているが、全部で41袋の上米があるので、自家消費米等を差し引いても、平成24年産米は4袋ほど残った。

ということは、平成25年産米も4袋ほど残ることになるので、もし欲しいという方がおられたら、1袋30kg入り新玄米を7000円でお分けします。(4袋あります。電話連絡申し込み先着順。)

また、平成24年産米(古米)は、精米して1袋28kg入り(精米すると米ぬかとして出る分が減る)を5000円でお分けします。(4袋あります。電話連絡申し込み先着順。)

ただし、雲仙市愛野町の私の家まで、土曜日か日曜日に取りに来る事が可能な方に限ります。

米の品種は「にこまる」です。

と、宣伝はこのくらいにして、早速近くのコイン精米機にて300円を投入して30kgの新玄米を精米し、夕飯としていただかせてもらった。

つやがあり、粘りがあっておいしい。

親が苦労して耕作して残してくれた土地のおかげで、労せずして銀シャリをいただかせてもらうことができている。

その土地を維持して行くことが自分の役目だと自覚している。

秋の味覚として、サンマ、柿、梨、栗、サツマイモ等々あるが、日本人的には新米も秋の味覚の代表選手かも。

昼間の日差しは夏の名残を思わせる程度に強かったが、夕方になると少し肌寒くなるように、秋が少しずつ深まってきている。

四季の移ろいのある美しい日本の国土を、嘘で塗り固められた原子力発電所から排出される処理不能な汚染物質で汚して欲しくはない。

政治家や資本家の愚かな判断は、いつの時代にも国民を不幸にする。



豊田一喜


















小魚たくさん

2013年10月26日 | インポート
小魚の三杯酢漬けが食べたくて、諫早市飯盛町の結の浜までその材料調達に出かけた。

平たく言えば、魚釣りに行ったということ。

目標とする魚は鯵子(あじご)だったが、私の釣竿に釣れてくれたのは、たくさんのクロの子など。

先週の魚釣りで、クロの子の釣り方は分かっていた。

見えている魚は釣れないと言うが、まさにそのとおりで、撒き餌をして、うじゃうじゃと湧いてくる小魚は、サビキ仕掛けの擬餌針にはなかなか喰らいついてはくれない。

そこで色々と試してみたら、撒き餌のアミを投げ入れて、そこに群がっている小魚の遊泳層の深さに、渓流仕掛けのハリス0.4号の釣り針にアオイソメを釣り針の長さより少しだけ長めに付けたものを投げ入れれば、群がっている魚群の中の一匹がそれに喰らいついてくれるということが分かった。

その方法で、小さなクロの子などが次々と釣れてくれた。

小さな魚はリリースしなきゃという考えの人もいるかと思うが、私の技量では大きくなった賢いクロなどは釣り上げる事はできないので、私の技量で釣ることができる小さい魚を、唐揚げの材料の海の恵みとしてありがたく持ち帰ることにしている。

秋晴れの、のどかな海原を眺めながら、小魚に遊んでもらえる環境にいられることをとても幸せに感じることができる。


本日の釣果(クロの子:50匹 バリの子:5匹 鯵子:2匹 いわし:4匹)
(画像をクリックすると拡大する)
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人間ドック

2013年10月24日 | インポート
職場から、特定の年齢に達する者に対して、人間ドックを受診するようにとの達しがあっていた。

今年度中には60歳になるので、私も人間ドック受診対象者になっていた。

指定された県内の病院の中から、自分に都合がよい病院を選び、そこで受診する事ができるようになっていたので、実家の近くの諫早市の病院を選んでおいた。

本日がその人間ドックの受診日だったので、年休を取って休ませてもらった。

前日の夜の9時以降は絶食しておくようにとのことだった。

自分は、日常的に朝と晩の二食しか食べない食習慣なので、昨日の朝食を食べた後、夜の9時前までに晩御飯を食べるつもりだったが、仕事をしていたら、夜の9時前までに晩御飯を食べなければならない事を忘れてしまっていた。

昨日は午前7時ごろに朝ご飯を食べただけだったが、たいして空腹感も感じなかった。

蓄えられている皮下脂肪などで、体力の維持は賄えているのかもしれない。

仕事を終えて夜の11時過ぎに佐世保市を出発し、本日の午前1時より少し前に雲仙市愛野町の自宅に到着して、それからすぐに眠った。

毎朝の習慣として、午前6時前には目が覚める。

結構正確な体内時計を有しているのかもしれない。

朝風呂に入り、諫早市内の病院に行く仕度をして、7時20分頃に家を出て、8時頃には諫早市の病院に到着した。

基本検査のほかに、血管の硬さを判定できる検査や、MRIによる脳の輪切りの検査も申し込んでおいたので、通常の基本検査とは別に、結構高い検査料を払って検査してもらった。

人間ドックに入って体の調子を検査してもらうということは、めったにないことなので、この際少しお金はかかっても自分に対する投資だと思ってそのような検査をしてもらった。

で、ゲボゲボしながら胃カメラによる胃の検査を受け、もろもろの検査を受けたあと、MRI検査が終了したのは午後1時30分ごろ。

それから着替えて会計を済ませ、病院内のレストランでの食事券をもらって、やっと30時間ぶりぐらいに食事を摂る事ができた。

案外、一日一食でも、たいした空腹感も感じることなく過ごせるものだという事が分かった。

人間ドックでの検査の結果、経過観察というのが一箇所、要請蜜検査というのが一箇所見つかった。

やってみる物だという事を思った。

60年近く生きていると、体のあちこちにガタが出てくるのだろうが、そのガタの兆候を早目に見つける事ができれば手の打ちようもあるだろう。

神様から与えてもらっている今の環境の中で、命を大切に維持して行けたらと思っている。

それにしても、30時間ぶりの食事はとてもおいしくいただく事ができた。


豊田一喜