川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

北朝鮮④「民族」を越えられるか?

2009-04-10 05:33:34 | 韓国・北朝鮮
 9日(木)朝、銀行に行くついでに駅舎の本屋で『「孫玉福」39年目の真実』(城戸幹著・情報センター出版局)を買ってきました。TVドラマ『遙かなる絆』の放送が近いのにこの本屋では何の宣伝もされていません。娘さんの『あの戦争から遠く離れて』とともにベストセラーになってほしいものです。
 初夏のような陽差しのもとで読み始めました。夕方近く川越公園を散歩。花はまさに盛りです。

 以下は04年5月発行の『きいちご』117号に掲載した文章です。横田さんご夫妻・有本さんなどを招いておこなった集会のあとに書いたものです。



  拉致被害者家族と出会うとき(下)
〈7.20 在日コリアンと日本人の集い〉について
                      鈴木啓介

〈呉さん、金さんのメッセージ〉
 “集い”のあと私たちは『拉致被害者・家族の声をうけとめる在日コリアンと日本人の集い報告集』をつくった。これには“集い”の全容と実行委員会に寄せられた声をほぼそのままに収めた。集いに参加できなかった人々や、私たちを疑心暗鬼で遠まきにしている知友たちに、私たちが体験したことを共有してもらい、できれば共に歩んでほしいからである。当日の参加者や、報告集を読んで下さった方からいただいたメッセージは『木苺』114号などに掲載してきたから読者の記憶にあると思う。ここでは集会前後にいただいた私信を紹介したい。

 ○呉文子さん(『楽園の夢破れて』の著者・関貴星さんの娘さん。“集い”にメッセージを寄せて下さった。)
 
 はじめまして。
 お手紙と資料拝受致しました。ありがとうございます。
 高柳先生には以前から何かとお世話になっており、私が尊敬しているお一人です。高柳先生からのお誘いでなければ、私も戸惑いのまま、メッセージも送れなかったのではないかと思っていますか……。いずれにしても、今回意思表示ができ、私にとっての“きっかけ”となりましたことは良かったと思っています。
 そういう意味で、高柳先生にもメッセージを代読くださった李富士子先生にもお礼を申し上げたいと思います。さっそく両先生からもお手紙を頂きました。
 お送り下さった資料「国家犯罪と共にたたかう好機」を拝読し、私も鈴木先生と同感です。
 私は音大を卒業した年に結婚し(1958年)、翌年に帰還第一船を見送りに新潟に行きました。在日コリアンとして初舞台を踏んだのが奇しくも新潟での歓送前夜祭で、“地上の楽園”を称えて熱唱しました。あの頃、だれが北の独裁体制、飢餓、拉致、脱北者を想像したでしょうか。私は北の「社会主義制度の優越性」なるものを信じて疑いもしませんでした。総連サイドで生きてきた者の大多数がそうでした。
 この度の会の開催にあたって、雑音など多かったことと想像出来ます。その分ご苦労もあったかと思いますが、民族を越えた連帯の絆が出来た功績は大きいでしょう。私の友人たちは、戸惑いを感じつつも、会のこれからを見守っていきたいと言っていました。
「人は民族、宗教、自分が正しいと思う思想によって生きるが、それによってむしろ視野が閉じて、他者の痛み苦しみ悲しみに想いが向かないところがあるとしみじみ感じた」との先生の新聞コメント、同感です。私自身がそうでしたから。私も今回のことを契機に、考えることが多くなりました。しかし、今は病気療養に専念しなければなりません。一日も早く、声が自由に出せるように頑張りたいと思います。
 カラッと晴れ上がった夏空が待ち遠しいばかりです。ご自愛下さいませ。

○金明玉さん(7・20集いで私が金さんの朝日新聞への投書を紹介した)
 被害者の心情に寄り添うという原点に立った、まっすぐな“集い”の趣旨に、やはりこのように考える人たちがいたのだ、この世も捨てたものではない、絶望してはならないのだと改めて教えられました。
 にもかかわらず、参加を自ら遠ざけてしまった言い訳は見つかりませんが……
 拉致事件は在日に大きく目を開いて真実を見よ、そして自分をごまかすなと教えてくれているのだと思います。

 これらのメッセージをうけとる前に、私はある先輩から手紙をいただいた。在日コリアンの国籍問題や北朝鮮問題にかかわる私の姿勢に対する批判だが、7・20集いについては「結びのことば」を読んだが、「戦争反対」のアピールを出す意欲のない反動勢力の掌の中で踊らされている集会という評価だった。尊敬する先輩からの紋切り型というしかない批評に私はいい知れぬさびしさを感じていた。
 そんなときだったからよけいにうれしかったのかもしれない。お二人のメッセージを読み、心と心が通じあう喜びをかみしめることができ、深く励まされた。後に金さんは丁寧な手紙を書いて送って下さった。金さんは朝鮮大学校を卒業した人だが〈自分をごまかさなくて生きたい〉という思いが生みだしたこの『手紙』(木苺114号)は人間の自己省察と想像力の可能性を示している。読者はどう思われたのだろうか。私もこんな文章が書ける人間になりたい。

〈民族をこえた民衆の連帯の可能性〉
 私たちは「民族をこえた民衆の連帯の道」をめざし、「おかしいことをおかしいといい、許せないことを許せないとはっきり主張し、行動することが、戦争への道と違うあらたな共生の道を切り拓く」とよびかけ文の中でのべた。
 しかし、民族といい、思想といい、宗教といい、私たちを生かしてきたエネルギー源でもあるそれらの枠組を乗りこえることがいかに難しいことであるかを思い知らされてきたことも事実である。
 “集い”の中で李福子さんや呉崙柄さん、朴来洪さんは自己を剔抉する苦闘の中から生まれた珠玉のメッセージを、横田滋・早紀江夫妻、有本明弘さんに届けた。国家犯罪の犠牲者の家族の苦しみに思いを致すという直面する課題に照らして、自己を相対化し、乗りこえていくという困難な作業をやりはじめている人にしてできることである。
 感銘は参加者だけではなく、報告集の読者にも確実に共有されていることを知って私もまた励まされた。横田ご夫妻もあちこちでこの日のことを話されている。
「“在日コリアンの皆さんがここまで苦しんでいたなんて”と初めて気がついたんです。ある意味、在日の方々も被害者だと言えるのではないでしょうか。でも個人として本音で語り合うことができれば、お互いのことを深く理解しあうことができるのです。悪いのは決して個人ではありません。そのことは声を大にして申しあげたいと思います」(早紀江さん、〈TOKYO人権〉03.12月より)
 ともに国家犯罪の被害者であるといっても、拉致被害者家族と在日コリアンが出会うことは生やさしいことではない。しかし、この人たちは私たちに「民族をこえた民衆の連帯」の可能性がそれぞれのどういう営為のはてにあるかを示してくれている。私たちもまたこれらの声に耳を傾けながら、自らの枠組を乗りこえ、普遍的な人権意識を確立しなければならない。
私たちのとりくみは決定的に遅れている。私たちにこびりついているスターリン主義の残滓や朝鮮人に対する贖罪意識、日本社会に根深い排外主義に対抗する形でつくられてきた反日民族主義などの要素が眼を曇らせてきたからである。
 北朝鮮の独裁政権の国家犯罪を正視する勇気と、なぜこのような信じられない国家が形成されたのかを解明する努力が急務である。そして、日本人と在日コリアンの民族をこえた民衆の連帯の力で、拉致問題をはじめとする北朝鮮問題を解決し、戦争以外の方法で国際紛争を解決するという日本国憲法の精神を何としても現実のものとしなければならない。
 私たちのそのような努力がひとびとの共感をえたとき、排外的ナショナリズムは力を失い、多文化共生社会への展望を切り拓くことができるだろう。