川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

朝鮮総連・朝鮮学校と私(Ⅳ)

2010-08-19 07:10:48 | 韓国・北朝鮮
 朝鮮総連・朝鮮学校と私  ある在日の告白(Ⅳ)

        元 智慧

 マスゲーム

 (略)それは金日成スタジアムで行われていたが、マスゲームを生で観ることが出来るなどとは夢にも思っていなかったので、ある意味胸を躍らせながら会場へと足を運んだ。

 修学旅行のひとつの山場であるものがいよいよ間近に迫っている。初めて目にするその衝撃はまさに筆舌に尽くしがたいものであった。やはり観ると聞くとでは大違い。現実にこれだけの人間を統率する力には、何か言い得ぬ戦慄を覚えた。

 客席に着いた我々は、しばらくは呆然として傍観していた。次々と浮かび出る金親子を称えるスローガンや絵の数々。内容はともかく、その鮮やかさにまず目を奪われる。これほどまでに人の心を束縛し、一挙手一投足を統率するというのは北朝鮮という国以外では考えられないほどのすさまじさである。「個」を一切認めず、すべてが偶像への崇拝のためにあるこういった国が、果たして許されるべきであろうか。

 そんなことをひとり考えているまさにその時、我々の目に飛び込んでくるひとつのスローガン。

 「裏切り者は断じて許さない!」

 これが何を意味しているのか、理解するのにそう時間を必要としなかった。それはまさに、自分の北朝鮮訪問に先立ち全世界に衝撃を与えた、黄長(ファン・ジャンヨプ)
もと北朝鮮労働党書記の韓国への亡命劇を意味していた。

 北朝鮮の民主化を声高に叫び、自らの家族をも犠牲にしたその真の勇気を称える者は、そこには誰もいない。北朝鮮の唯一思想である「主体思想」を確立させたのも彼であり、それ故、この亡命事件はいっそう衝撃的なものになった。

 (略)彼が裏切り者なのか、真の英雄であるかはそう遠くない将来、歴史が証明するであろう。

 ここ数年、北朝鮮では毎年約100万人が餓死しているという。社会主義や共産主義体制には元来欠陥が会ったとはいえ、北朝鮮は極端に個人崇拝を進め、政権の世襲まで行ってしまった。

 愚の骨頂とはまさにこのことを言うのであろう。マスゲームを観ていた私は、この愚かなる政治体制の象徴とも言うべきそれを、ただじっと見るよりほかなかった。


 親族訪問

 朝鮮学校に通う者に限らず、訪朝する在日の人々の大きな目的のひとつが親族訪問である。

 従ってほとんど唯一の渡航手段ともいえる万景峰号には我々修学旅行生のみならず、常に一般客も数多く乗船している。(略)

 「乗りたいのではない、乗らなくちゃならんだけ。切ない船ですよ…。」
 ある在日朝鮮人一世の男性はこの船をこう表現した。それは何を意味するのか。

 あの帰還事業により海を渡っていった人々には過酷な運命が待ち受けていた。それはかつて異国の地で受けた差別や極貧、それよりも遙かに劣悪な生活環境であった。

 十万近い人々を実質的に人質に取ることに成功した北朝鮮は、思惑通り、日本にとどまった彼らの親族を強請(ゆす)り始めることになる。

 日本において財をなした北朝鮮および総連を支持する企業や暴力団関係が巨額の送金を続けていることは周知の事実であるが、それは個人レベルにおいても同様であった。

 この国に到着してしばらくした時に行う荷物検査でそのほとんどを没収されてしまったが、私も親族に手渡すはずの多くの段ボールと共に訪れていた。

 着古したワイシャツ、三枚1000円で買ったTシャツ、靴、砂糖や醤油、4本500円の栄養ドリンク、ディスカウントストアで購入した腕時計…。これらは生活事情が劣悪なこの国で生きる肉親たちが食料などと物々交換するための貴重な「命綱」。

 しかし、拉致事件が発覚してからというもの、万景峰号の運航には大きな壁が生じてしまった。そして運航が中止になることも日常的に。その背景には拉致事件発覚に伴い、次第に浮き彫りにされた、本国からの工作指令や不正輸出などの疑惑に対する世論の沸騰、そして国の検査態勢強化などがあった。

幾度も訪朝しているある在日はこう言う。
「親族訪問の陰で、船内で組織的に不正行為を続けていたならば、日本が怒るのは当然だ。切実な利用者までとばっちりを受けた」
 が、批判は口にしない。当局や総連ににらまれ、身内に「不利益」が生ずる事態を避けたいからだ。

 私の肉親もかつての帰還事業にて海を渡った。厳しい監視下で行われる親族訪問の際、その容姿から、想像を絶する苦労が手に取るように伝わってきた。

 反面、帰還した親族に対する在日の想いは千差万別である。日本を離れて数十年、経済発展を遂げたとはいえ、ほとんどの在日の経済状況は帰還した人々が想像するものとは大きな開きがある。日本に暮らしているというだけで裕福だと思いこんでいる人は、執拗にカネの無心や物資を送るよう、日本にコレクト・コールを続ける。

 苦しいのはお互いだとひたすら救援を続ける人、肉親を捨てたという想いから一切の悲鳴から目を背ける人、当局や総連から脅迫され否応なしに救援を続ける人。

 北朝鮮、総連、そして在日。この三者は過去から現在に至るまでこのように非常にゆがんだ形で存在し続けているのである。

 何という愚かさ、何という哀れな民族。

 「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀がとうに終焉した現在においてもこのような何とも悲惨な状況なのである。

 拉致被害者および特定失踪者家族にとっては、新潟港はまさに憎悪の港であろう。日本と北朝鮮の極めてゆがんだ歴史の中で生まれた悲劇。しかし、この港にはそれだけではない、我々在日の切なる想いも常に注がれている。現在の入港問題に複雑な思いを抱えるある在日は言う。

 「拉致事件が判明するまで北朝鮮に批判的な人たちの発言力は弱かった。その反動から万景峰号バッシングで溜飲を下げているとしたら悲しい。拉致被害者を助けようとする優しい心を、親族訪問せざるを得ない私たち在日にも向けて欲しい」

 我々在日の想いは唯ひとつ。それは紛れもなく、一日も早く奴隷国家のようなあの国が民主化され、帰還者そして拉致被害者の全員が帰国すること、まさにそれなのである。


 工作活動と民族教育

 これまで私が体験した北朝鮮訪問のごく一部をつづってみたのであるが、民族教育を受ける者にとって、祖国訪問とはいったいいかなる意味を持つのであろうか。そして、北朝鮮と総連の真の目的は何なのであろうか。


 拉致事件発覚以降、ここ日本においても「工作員(スパイ)」という言葉が頻繁にマスメディアを通じて聞かれるようになった。

 昔から日本は「スパイ天国」と呼ばれてきた。世間を震撼させたゾルゲ事件などはその代表的なものであるが、スパイ防止法なるものが存在しないが故、日本は依然工作活動をするのにうってつけの国なのである。

 さて、中級学校からそのまま高級学校に進学した者には総連によるある「揺さぶり」が待ち受けている。

 前にも書いたがまず目をつけられた者には「学習組」への強い勧誘がある。

 改めて記すが「学習組」は総連の中でも非公然活動を行ってきた工作機関として日本の公安当局がマークしてきたものである。

 さらに詳しく解説すると、北朝鮮と朝鮮労働党に絶対の忠誠を誓うことが求められ、「偉大な首領金日成元帥が組織し、親愛なる指導者金正日同志が指導する在日朝鮮人金日成主義者の革命組織」で、活動任務は「祖国を擁護防衛」「日本で主体革命偉業の遂行に積極的に寄与」することと定義されている。

 そして、この教育の最大の罪である全体主義、つまり個々人が全くもって蔑ろにされるということであるが、個人の能力をいかに大切に育んでいくかどうかはどうでもよく、たとえ能力があるにせよ、それは祖国(北朝鮮)の革命推進に寄与してこそのものであるということがたたき込まれていた。

 二年生ともなると、いよいよそれが本格化し「思想強化合宿」というものが行われる。それは連日主体思想をたたき込まれ、それに染まらない者をあぶりだし、徹底的に非難するというものであった。

 それほど強く自らの将来というものを、つまり自己実現というものを意識していない朝鮮学校生にとって、これはまさに洗脳教育であり、いとも簡単に朝鮮大学校への進学や、総連系企業への就職などの安易な道へ走ってしまう者が多々存在した。まさに、当局の思うつぼである。

 そして、修学旅行つまり祖国訪問というのが、とりわけ重要かつクライマックスで、そこでより徹底された思想の洗脳が行われるのである。

 前章までにもつづってきたが、そのほかに祖国訪問のさいに強調されることは、金日成・金正日父子や北朝鮮への忠誠心、朝鮮戦争時のアメリカによる残虐行為、そして朝鮮人民軍の部隊を訪問させ、有事の際、真っ先に死ぬ覚悟を聞かせる、等々。

 朝鮮大学校生の祖国訪問に至ってはそれは半年にもおよび、金日成総合大学教授による講義や同大学生との主体思想に関する討論会すら開催される始末。そして非転向長期囚(スパイ事件などで逮捕収監されても南、つまり韓国に転向しなかった者)による激励などの「思想教育活動」が実施される。


 つまり、修学旅行時の指導方針としては「祖国の社会主義制度の正当性を認識させ、米帝に対する憎悪心を持たせるよう指導する」「祖国での学習成果がその後の進路選択に反映されるよう指導する」と総連は定義づけている。

 このように修学旅行という名の祖国訪問は周到に用意された、当局の洗脳教育の一環なのである。


 最後に

 さて、数回にわたり連載してきたが、自分にとって民族教育とは果たしていかなるものであったのか。

 就学前からすると、およそ15年にも及ぶ期間、総連そして朝鮮学校の中で生きてきた。そこでは、数々の試練や不条理が存在し、お世辞にも楽しく愉快な学生生活であったとは言い難い。

 様々な想いはあるが、ただひとつ確信を持って言えることは、憎しみからは憎しみ以外何も生み出すものはない、ということである。

 民族教育の根本にあるのがまさにこの憎しみなのである。

 原因を常に外部に求め、最終的には自らには何ら原因や罪がないという思考パターンを植え付ける教育が、果たして何をもたらすのであろうか。

 真実を見極める曇りのない眼を養うことこそ、教育であると信じる。現在、北朝鮮を取り巻く政局は予断を許さない状況であるが、これからの在日が本当の意味で本国から独立し、これまで以上に独自の発展を遂げていくことを願ってやまない。(終わり)

       (「木苺」128号 06・7)