NHKのラジオ深夜便で西川きよしさんの「わが人生を語る」を聞いた。
昨夕は珍しく食事時にビールを飲んだ。おかげで早寝となり、真夜中の1時の放送をきくという僕にとっては離れ業をやってしまったのだ。
1946年高知市朝倉の生まれだという。(僕はずうっと安芸市生まれだと思っていた)。今日、7月2日が65才の誕生日だとのことで放送をえらく喜んでいた。
父の事業が失敗して借金まみれのまま一家は船で大阪に逃れた。7才の時だったという。タクシー運転手として頑張る父の姿を見ながら、借金地獄から解放してやりたいと子供ながら懸命だった。港に入る船に新聞を売りに通った時期もあった。
父の病気で高校に行くのも断念してやがて芸能界を目指すが誰も弟子にはしてくれない。朝夕、定時に通って9日目かに石井均という人が面倒を見てくれることになった。それまで毎日が不安で不安でしかたがなかったという。
僕が高知の中学校に入って下宿生活を始めた頃(1954年4月)に大阪に行っていたことになるがやや後輩の少年の一途さや不安がよく伝わってくる話しっぷりだった。この時代の苦労が身についたため、のちの「西川きよし」があるのだなと誰もが納得するだろう。
横山やすしとの漫才は行き当たりばったりに見えるが50回は練習して舞台に立った。しっかり練習して余裕が生まれてくると本番でお互いのミスをカバーし合うこともできるようになったという。
横山やすしは高知県の宿毛市沖ノ島の生まれだが、赤ちゃんのときから大阪の堺で育った。同じく高知県に生まれたと言ってもこちらは浪速っ子というほかはない。
30年前の二人の漫才「里帰り」を久しぶりに楽しんだ。やすし逝きて15年が経つという。