川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

70才第一日 明治神宮の森

2011-07-26 10:09:36 | 父・家族・自分

2011年7月25日(月)

①「川越だより」発刊 「TVよ、さらば」

②朝食 今日からはTVニュースがない。昨日の夕食は「家園」だったが妻と娘は遅くまで秋子さんと話し込んだらしい。テーマは思春期の娘の子育て。

③神宮第二球場。都立大島高校の応援。

④青山通り・表参道を歩いて明治神宮前の「ジョナサン」で昼食。ハンバーグ。店は娘たちで満杯。お人形のような格好の人たちも。

⑤明治神宮を歩く。

 言うまでもないことだが祭神は明治天皇と昭憲皇太后だ。僕が授業を担当した高校生で知る人はほとんどいなかった。それでいて正月は大賑わい。今日も若いふたりづれや外国人が多い。僕は正式参拝はしない。社頭で頭を下げる。これは父に倣った。

いつ来ても社叢(しゃそう)の素晴らしさに目を見張る。江戸時代は井伊などの大名屋敷だったという。大正年間の創立時に森林学者たちが文字通り100年の大計を立てて造ったものだと聞いた。この7月30日は明治天皇没後99年に当たるという。人工の森だが完成の域に近づいているのだろう。

「拡大造林計画」なる昭和の学者たちの「計画」は列島の森を「死の森」にしてしまった。なんと無惨なことか。目先の利益に目がくらんだモノたちの「計画」のでたらめさは「原発」も一緒だ。

 <創建時と現在の明治神宮南参道の大鳥居付近>

南参めいじじんぐ道の入り口付近。創建時は鳥居よりも背の高い樹木は数えるほどだったが(上)、現在は鳥居を覆い隠すほどに樹木が成長している(下)。 写真:明治神宮(上)、TOMO 南参道の入り口付近。創建時は鳥居よりも背の高い樹木は数えるほどだったが(上)、現在は鳥居を覆い隠すほどに樹木が成長している(下)。 写真:明治神宮(上)、TOMO 

出典●「日本人が作った自然の森」 http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/article/20110722/278551/index.shtml

 

⑥夕食 妻が僕の好物の「盛岡レーメン」などを作ってくれた。先日、勝義さんが届けてくれた奥さんお手製の「にんにく酒」をいただく。

70才になったからといって格別の感慨があるわけではない。それでも左肺摘出手術のころにはこの辺まではと思った。これからも一日一日歩いていきたい。

 変化と言えば70才になった日の翌月から医療費の自己負担分が3割から1割になるという。これは大いに助かる。「一割」は本年度いっぱいの暫定措置らしい。医療費負担に泣くガン患者が多い。このくらいのことは継続して欲しいものだ。


都立大島高校、よく頑張った!

2011-07-26 05:24:57 | こどもたち 学校 教育

7月25日(月)晴

 爽やかな夏晴れの朝、久しぶりに神宮第二球場へ。大島の応援席には都立紅葉川高校と府中工業高校の野球部が陣取って統制のとれた力強い応援を展開する。その数、百人を超えるか。大島高校の全校生徒数に匹敵するぐらいの大応援団だ。いつものトランペットおじさんの校歌の演奏も健在だ。青学は地元。ブラスバンドの軽やかな演奏が楽しい。高校野球の雰囲気はやはりいいものだ。

 試合の方はあっけなかった。投打に力の差があったと言うほかはない。それでも大島の選手諸君はよく頑張った。5回戦まで勝ち進んでファンを喜ばせてくれた。甲子園への夢は破れたがそれはまたの日にとっておこう。

 大島高校の高木亀介校長に会うことができた。亀介さんは大島高校の卒業生だ。80年代には池袋商業で同僚だった。野球部の指導もしていた。母校の校長になったとはつい先日まで知らなかった。昔から変わらない穏やかな表情が懐かしかった。

 僕がこの学校に世話になったのは1966年から3年間で知る人はもはやいないと思っていた。こういうこともあるのか。70の誕生日に楽しい思いをさせてもらった感謝の気持ちを伝えた。

 

 93全国高校野球選手権東東京大会

5回戦

青山学院 11―1 大島

 

2011年7月25日 神宮第二球場
 123456789
大島 0 0 1 0 0         1
青山学院 5 1 0 1 4x         11

5回コールド

 

【投手】
大島:増山→木村→鈴木
青山学院:阿部

都立勢、姿消す 都千歳丘・都大島力尽きる 東東京

2011年7月26日0時52分

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写真:都大島―青山学院 3回表都大島1死一、三塁、常川の右犠飛で下村が生還。捕手桐井=神宮第二、吉本美奈子撮影拡大都大島―青山学院 3回表都大島1死一、三塁、常川の右犠飛で下村が生還。捕手桐井=神宮第二、吉本美奈子撮影

写真:都大島のスタンドで声を張り上げる都府中工と都紅葉川の選手たち=神宮第二拡大都大島のスタンドで声を張り上げる都府中工と都紅葉川の選手たち=神宮第二

 25日は東東京大会で5回戦の残り4試合があり、修徳、関東一、駒込学園、青山学院がベスト8へ。ここまで快進撃を続けてきた都千歳丘、都大島はともに力尽き、東西両大会で都立勢が姿を消した。熱戦はいよいよ終盤へ。26日は西大会で準々決勝4試合が行われる。

■夏合宿が育んだ友情 都大島の応援席、他校の野球部員100人

(青山学院11―1都大島)

 スタンドに、ユニホームが違う丸刈りの高校生たちが集まった。

 「次、『夏祭り』(の歌)いきます」。メガホンを持ったのは、都紅葉川の2年、柴山瑞生君。「いくぞ」。都府中工の選手が振り付けに合わせて踊る。さらには京華の選手たちも声を張り上げた。

 ここは、都大島の応援席。地元からなかなか応援に来られないなか、他校の野球部員が100人も駆けつけてくれた。

 東京の高校の野球部にとって、大島は「夏合宿」の本場の一つだ。竹芝桟橋からフェリーで8時間、高速船なら1時間45分。広々として落ち着いた練習環境を求め、毎年7月末から約1カ月の間、切れ目なく十数校が訪れる。

 これに合わせ、都大島の選手は他校の選手たちと一緒に練習に励む。現在の部員は17人。紅白試合もままならないチームにとっては、切磋琢磨(せっさたくま)する絶好の機会だ。そして青春まっただ中の野球少年たちは、たちまち仲良しになっていく。

 主将の常川大輝君(3年)が一番仲良くなったのは、都府中工の別所鉄平君(3年)だ。

 1年の時、内野ノックで同じ一塁を守った。別所君は体が大きく、威圧感がある。眉毛も整った感じで島にはいないタイプ。「話しかけづらいな」と思っていたら、向こうから声をかけてきた。「しんどいね」。

 話すとまじめで、野球も手を抜かない。一緒に練習していると「負けたくない」という気持ちがメラメラ燃えてきた。

 とはいっても、グラウンドを離れたら素の高校生同士。波長が合って、合宿後もメールや電話をする仲になった。最後の夏、都府中工はベスト8を目前に逆転負け。試合が終わってすぐ、別所君が「負けちゃった」と電話をくれた時は、自分のことのように悔しかった。

 実は、都大島と都府中工との絆は古い。20年以上夏合宿を続けた都府中工の前部長は、勇退する際の引退試合の相手に都大島を選んだ。都府中工の野球部OBには、都大島のノック練習を手伝ってくれる人がいる。

 つながっているみんなの思いを胸に――。そんな気持ちで臨んだこの日の試合だったが、好調の相手打線に序盤から大量点を奪われる厳しい展開に。しかし選手たちは、最後まで懸命に食らいついていった。

 常川君たち3年生の夏は終わったが、新チームになった都府中工の来月の大島合宿に、別所君たち3年生も一緒に来るという。今度は野球だけじゃなく、普通の友達みたいに海で一緒に遊んでみるのもいいかな、と思っている。(中村真理)=神宮第二 (朝日新聞)

 出典●http://www2.asahi.com/koshien/93/etokyo/news/TKY201107250862.html