6月18日(月)☼
今日はこれから定期検査のため癌研へ。ゆっくり寝たので疲れはありません。
昨夜、笠原さん(元同僚)がFacebookで長野県中川村の村長さんが村の広報に掲載した文章を紹介してくれました。昨年11月に訪ねたことのある村です。
印象に残ったので紹介します。ここにも民主主義を打ち立てようとするリーダーがおられると心強く感じました。
東京新聞社会部から「脱原発首長会議」参加市町村長へのアンケート
東京新聞社会部から、「脱原発首長会議」参加の首長(=市町村長)向けのアンケートが届いた。
自由表記がほとんどで、字数制限もなく、いろいろ書いたので、こちらにも掲載する。
自治体名:(長野県上伊那郡)中川村 なかがわむら
首長名: 曽我逸郎 そが いつろう
1) 最も近い原発
中部電力 浜岡原発 約100km
2) 首長の連携が、国の政策決定に対して どれだけ政治的有効性を持つか
国政は、経済や安全保障や外交やさまざまなしがらみの中で舵取りしている。他方、基礎自治体は、住民の暮らしだけを基準に判断することができるし、そうすべきである。もし国が、他のしがらみのために、一部地域であれ住民の暮らしを犠牲にするようなことがあれば、基礎自治体は連帯して国に対して異議を申し立てねばならない。
だが、原発に関しては、距離が離れた自治体ほど不安・憂慮がひろく共有されている一方、原発膝元の自治体は、単純ではない。現に汚染を受け、心配・不安が沸騰しているところがある一方、不安は底流として住民の中に沈殿するのみで、交付金・雇用などさまざまな原発へのしがらみを持つ側が空気を強固に支配している市町村もある。つまり、原発については、膝元か遠方か、またそれぞれの状況によって自治体の反応は異なっており、一致した動きが取りにくい。
脱原発首長会議は、意識が高く、勇気のある首長が集まっている。しかし、それでも、今問題となっている大飯原発の再稼動について、統一して反対を表明できるかどうかは、個人的には微妙だと感じている。私自身は、すべての原発が停止している中、ひとつでも再稼動を許せば、なし崩し的に再稼動は増やされると考えるので、阻止すべきだと考えるが、「脱原発」をどんなタイムスケジュールで実現するか、「会議」参加の首長にもさまざまな考えがありそうだ。
野田首相は、まるで耳に栓をしているかのように馬耳東風で、原発であれTPPであれ消費税増税であれ、心配する声は耳に入らないかのように振舞っている。不安に答える姿勢がない。説得力のない発言を繰り返すのみで、会話が成立しない。しばしば無力感・絶望感に襲われる。
このような有様では、野田政権に申し入れて政策を変えさせることには望みがもてないが、「脱原発首長会議」など、あらゆる場を使って、しがらみに負けずに自由に考えを表明できる空気を創りだし、国民世論の勢いを高め、国の政策を国民の望むものにできるよう、頑張るしかない。
3) 脱原発に向けた自治体での取り組み
節電。
ありがたいことに、中部電力では、過剰な節電要請をせずとも関西電力に電力支援をおこないつつ、この夏を乗り切れる、としている。
しかし、関西電力は、厳しいと言っている。中電エリアの我々としても、できる限り節電に努めることで、関電への支援が増やせ、大飯原発を再稼動しなくてすむ状況が作り出せるかもしれない。
再生可能エネルギー利用については、国などの制度を利用し、無理のない範囲で取り組むが、原発のない分、慌てて自然エネルギーに走るのではなく、まず、贅沢と便利さに浸りきった今の生活を見直し、省エネルギーに努めることが肝要だと思う。
脱原発の取り組みではないが、「日本で最も美しい村」連合の仲間である飯舘村の皆さんを、中川村有志が昨年夏、村の祭りに招待し、村も一部支援して、太鼓やヨサコイソーランなど交流が図られた。また、福島市の私立保育園連合への野菜等の支援要請を受け、村保育園保護者会などに呼びかけ、野菜・果物など3.4tを提供した。
4) 首長個人としての脱原発への取り組み
以前、広告会社に勤めていた頃、電力会社の担当を命じられたが、原発推進を請け負わねばならないので、断ったことがある。それ以降は、格別な取り組みはしてこなかったが、特に中川村に移住して以降は、電力消費の少ない暮らしをしているとは思う。
東京電力福島原発の事故以降は、東京での反原発サウンドデモ、近隣駒ヶ根市のデモなどに参加。経産省前のテントも一度訪問した。講演会としては、報道写真家・樋口健二氏、飯舘村の酪農家・長谷川健一氏、京都大学原子炉実験所の小出裕章氏らを拝聴。
式典等の挨拶なども含め、あらゆる機会を捉えて、脱原発に言及するよう努めている。
5) 「脱原発首長会議」参加の理由と地元の反応
被曝労働については、以前から耳にしていた。ウラン採掘現場、原発内労働、今回の福島の災害のような広い範囲の周辺地域、そして、数十万年先の人類・生態系にまで被曝の危険を押し付けている。そうまでして贅沢と便利さを享受する権利は我々にはない。経済的理由をあげて原発再稼動が主張されるが、道徳的理由により、原発は止めなければならない。
「日本で最も美しい村」連合の仲間である飯舘村の現状を知るにつけ、原発の不条理を痛感する。「までい」に丹精こめて積み上げてきた村づくりが、一日でダメにされた。小さな祠を守ってきた集落もばらばら、家族までもがばらばらに寸断された。受け継がれてきた歴史も文化も断ち切られた。
中川村でも、高齢化・後継者不足に悩みつつ、なんとか心豊かな暮らしが末永く村で持続させられるように努力を重ねているところだが、原発の事故ですべてを台無しにされてしまいかねない。そんなことは避けたい。
事故後の国の対応は経済や予算など自分達の都合を優先して、子どもたちを含め高濃度汚染地域に放置した。かつての満州や沖縄と同じ棄民政策である。
道徳的に原発は許されない。経済は理由にならない。
地元での反応については、周辺市町村などから共感の声を聞くことはしばしばあるが、村内からはさほど多くない。その点は、残念に思っている。
自由表記がほとんどで、字数制限もなく、いろいろ書いたので、こちらにも掲載する。
2012年6月15日 曽我逸郎
* * * * *
自治体名:(長野県上伊那郡)中川村 なかがわむら
首長名: 曽我逸郎 そが いつろう
1) 最も近い原発
中部電力 浜岡原発 約100km
2) 首長の連携が、国の政策決定に対して どれだけ政治的有効性を持つか
国政は、経済や安全保障や外交やさまざまなしがらみの中で舵取りしている。他方、基礎自治体は、住民の暮らしだけを基準に判断することができるし、そうすべきである。もし国が、他のしがらみのために、一部地域であれ住民の暮らしを犠牲にするようなことがあれば、基礎自治体は連帯して国に対して異議を申し立てねばならない。
だが、原発に関しては、距離が離れた自治体ほど不安・憂慮がひろく共有されている一方、原発膝元の自治体は、単純ではない。現に汚染を受け、心配・不安が沸騰しているところがある一方、不安は底流として住民の中に沈殿するのみで、交付金・雇用などさまざまな原発へのしがらみを持つ側が空気を強固に支配している市町村もある。つまり、原発については、膝元か遠方か、またそれぞれの状況によって自治体の反応は異なっており、一致した動きが取りにくい。
脱原発首長会議は、意識が高く、勇気のある首長が集まっている。しかし、それでも、今問題となっている大飯原発の再稼動について、統一して反対を表明できるかどうかは、個人的には微妙だと感じている。私自身は、すべての原発が停止している中、ひとつでも再稼動を許せば、なし崩し的に再稼動は増やされると考えるので、阻止すべきだと考えるが、「脱原発」をどんなタイムスケジュールで実現するか、「会議」参加の首長にもさまざまな考えがありそうだ。
野田首相は、まるで耳に栓をしているかのように馬耳東風で、原発であれTPPであれ消費税増税であれ、心配する声は耳に入らないかのように振舞っている。不安に答える姿勢がない。説得力のない発言を繰り返すのみで、会話が成立しない。しばしば無力感・絶望感に襲われる。
このような有様では、野田政権に申し入れて政策を変えさせることには望みがもてないが、「脱原発首長会議」など、あらゆる場を使って、しがらみに負けずに自由に考えを表明できる空気を創りだし、国民世論の勢いを高め、国の政策を国民の望むものにできるよう、頑張るしかない。
3) 脱原発に向けた自治体での取り組み
節電。
ありがたいことに、中部電力では、過剰な節電要請をせずとも関西電力に電力支援をおこないつつ、この夏を乗り切れる、としている。
しかし、関西電力は、厳しいと言っている。中電エリアの我々としても、できる限り節電に努めることで、関電への支援が増やせ、大飯原発を再稼動しなくてすむ状況が作り出せるかもしれない。
再生可能エネルギー利用については、国などの制度を利用し、無理のない範囲で取り組むが、原発のない分、慌てて自然エネルギーに走るのではなく、まず、贅沢と便利さに浸りきった今の生活を見直し、省エネルギーに努めることが肝要だと思う。
脱原発の取り組みではないが、「日本で最も美しい村」連合の仲間である飯舘村の皆さんを、中川村有志が昨年夏、村の祭りに招待し、村も一部支援して、太鼓やヨサコイソーランなど交流が図られた。また、福島市の私立保育園連合への野菜等の支援要請を受け、村保育園保護者会などに呼びかけ、野菜・果物など3.4tを提供した。
4) 首長個人としての脱原発への取り組み
以前、広告会社に勤めていた頃、電力会社の担当を命じられたが、原発推進を請け負わねばならないので、断ったことがある。それ以降は、格別な取り組みはしてこなかったが、特に中川村に移住して以降は、電力消費の少ない暮らしをしているとは思う。
東京電力福島原発の事故以降は、東京での反原発サウンドデモ、近隣駒ヶ根市のデモなどに参加。経産省前のテントも一度訪問した。講演会としては、報道写真家・樋口健二氏、飯舘村の酪農家・長谷川健一氏、京都大学原子炉実験所の小出裕章氏らを拝聴。
式典等の挨拶なども含め、あらゆる機会を捉えて、脱原発に言及するよう努めている。
5) 「脱原発首長会議」参加の理由と地元の反応
被曝労働については、以前から耳にしていた。ウラン採掘現場、原発内労働、今回の福島の災害のような広い範囲の周辺地域、そして、数十万年先の人類・生態系にまで被曝の危険を押し付けている。そうまでして贅沢と便利さを享受する権利は我々にはない。経済的理由をあげて原発再稼動が主張されるが、道徳的理由により、原発は止めなければならない。
「日本で最も美しい村」連合の仲間である飯舘村の現状を知るにつけ、原発の不条理を痛感する。「までい」に丹精こめて積み上げてきた村づくりが、一日でダメにされた。小さな祠を守ってきた集落もばらばら、家族までもがばらばらに寸断された。受け継がれてきた歴史も文化も断ち切られた。
中川村でも、高齢化・後継者不足に悩みつつ、なんとか心豊かな暮らしが末永く村で持続させられるように努力を重ねているところだが、原発の事故ですべてを台無しにされてしまいかねない。そんなことは避けたい。
事故後の国の対応は経済や予算など自分達の都合を優先して、子どもたちを含め高濃度汚染地域に放置した。かつての満州や沖縄と同じ棄民政策である。
道徳的に原発は許されない。経済は理由にならない。
地元での反応については、周辺市町村などから共感の声を聞くことはしばしばあるが、村内からはさほど多くない。その点は、残念に思っている。
出典●http://www.vill.nakagawa.nagano.jp/index.php?f=hp&ci=10685&i=11065