3月4日(月)
今朝の新聞(「東京新聞」)記事です。
東日本大震災の津波により甚大な被害を受けた宮城県沿岸部で、僧侶らのグループが「移動傾聴喫茶」の運営を続けている。お寺のように自分たちが話をするのではなく、胸にたまった思いを被災者に吐き出してもらうためだ。僧侶らは「悲しみ、苦しみは簡単には癒えない。活動はまだまだ必要」と訴える。 (上田千秋)
昨年5月、宮城県の沿岸部を訪ねた際、石巻のお寺さんに嫁いだ慶子さんを訪ねました。池袋商業時代の僕の生徒です。金田さんというお坊さんが主宰する「移動カフェ」運動に夫婦で参加していました。
移動カフェにはこんな素敵な説明ボードがあります。
「“Café de Monk”はお坊さんが運営する喫茶店です。
Monkは英語でお坊さんのこと。
もとの平穏な日常に戻るには長い時間がかかると思います。
「文句」のひとつも言いながら、ちょっとひと息つきませんか?
お坊さんもあなたの「文句」を聴きながら、一緒に「悶苦」します。」
時がたつにつれてますます大切になる活動です。被災者の困難や苦しみは解決されなくても、人々の関心は年月の経過とともに移り、どうしても忘れられていくからです。
一緒に「悶苦」してくれる人の存在、それがお坊さんであるとしたらどんなに心強いことでしょう。
寸志を届けただけなのに、後日、こんな素敵な写真が送られてきました。心の一端だけですがこんなかたがたの仲間に付け加えられたような喜びを感じます。
「傾聴」「一緒に悶苦」は僧侶に限らず、医師・看護師・教師など人とかかわる仕事の根幹と言えます。そのことに気づかない僧侶・医師・教師のなんと多いことか。
今朝の新聞にはもう一つ「大川小遺族ら刺繍教室」「一針一針わが子思い」「足立の作家 石巻で定期開催」という記事があります。
「少しでも気が紛れれば」と刺繍作家の星野真弓さんが始めて一年近くになるということです。星野さんがやっておられる活動はうらみも悲しみも消えようがないお母さんたちにとって、形の変わった「傾聴」「一緒に悶苦」活動でしょう。
まもなく大震災から二年、きっと多くの人びとがあちこちで被災者とともに生きる活動をされていることでしょう。それらの人びとに心から敬意を表します。
自分のことで精一杯老人としてはまた時を見て石巻に遊びに行きます。