川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

日本人よ、これでいいのか。

2013-03-10 22:44:42 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

3月10日(日)

強風に砂埃が巻き上げられるのか、空一面が黄砂で覆われた感じです。バスと電車を乗り継いで上福岡の西公民館に着いたら目がかゆくてたまりません。花粉の飛散もただならぬ量なのでしょう。トイレで目を洗って、山本宗補さんの写真展「鎮魂と抗い 忘れない!3・11後の人びと」を見ました。

 公民館の入り口付近に本で見た写真が50枚ほど展示してあります。こんな悪天候なのに訪れる人は結構いるようです。山本さんのお連れ合いがおられました。宗補さんは東京のデモに参加されているとか。昨日の集会を空撮したものを配信していると教えてくれました。

 奥さんは東京の方ですがいずれ、信州御代田の宗補さんの田舎に住むつもりのようです。夫婦で助け合いながら社会の一員としてできることを精一杯やっておられる、そんなふうに感じました。

 3・09東京集会 山本宗補撮影 _8DS5938済み.jpg出典●http://fotgazet.com/news/000289.html

2時から集会「原発は本当に必要ですか? 子どもの未来に あなたの今日に」。

印象に残ったこと。

(1)チェルノブイリ事故のウクライナでは、今日「脱原発」への動きは見えない。工業化のうねりの中で原発も推進されている。(雪田医師の話)

(2)DVD『福島の女たち』 健忘症のわたしたちをドキッとさせる女性たちの語り。

参考「福島の女たち」●http://d.hatena.ne.jp/nice100show/20121109/p1


 

 東京では10日も大きな集会がありました。上福岡の集会にも100人近くの人がいたように思います。危機を自覚した市民の運動はこの2年しっかりと根を張ってきました。

しかし、この程度では脱原発は実現できません。事故原因はあいまいにされたままで、責任者の氏名さえ特定できていないのです。まるで自然災害だったといわんばかりです。

時の経過とともにこの社会は元の木阿弥に戻っています。「節電」はどこへやら。東京の夜は不夜城。プロ野球のオープン戦をナイターでやるとか。

僕は特に若い人たちに言いたい。

わたしたちは今、文明史を画する大事故の只中にいます。どんなに忙しくても今を生きる人間の一人として「原発」としっかりと向き合ってください。今わたしたちがどう生きるかが人類の明日を決めるのです。自分のやり方で歴史に参加するのです。

老若男女あい助け合ってなんとしてもこの危機を突破しなければなりません。デモや集会も軽視してはなりません。100万人くらいになれば霞ヶ関も永田町も東電もビビッて来るはずです。

 僕はたまにしか参加できませんがその都度、若い夫婦が協力し合って子連れのデモに参加している姿に励まされます。希望はこのような行動の果てにのみあります。 

 市民の一人として互いに尊敬できる生き方に挑戦しましょう。

 

 

 

 


塩崎弘志さん逝く

2013-03-10 12:16:43 | 友人たち

3月10日(日)晴れ

 昨夜、伊豆の保養から帰ったら塩崎さんの訃報が届いていました。2月28日、北海道旭川の病院でなくなったということです。

 友人たちと一緒に東京の病院を見舞ったのは2月10日でした。会話もままならず、ただただ故郷の大地での幸運を祈るばかりでした。それでも春になったら見舞いに行くからね、とはつたえました。春を待つことなく逝ってしまいました。

 7年前、僕が入院したときにひょこっと顔を出してくれました。長い付き合いなのに恥ずかしそうに何かひとこと言ってくれました。

 いつのことだったか、こんどは僕が塩崎さんのワンルームマンションをひょっこり訪ねました。抗がん剤治療で苦しかった話を聞きました。コーヒーを入れてくれる元気がありました。思いがけなくガン友になった旧友に僕の闘病体験を語ったのではなかったか。

 「《多文化共生をめざす》在日・韓国朝鮮人生徒の教育を考える会」の世話人として長く一緒に歩いてくれた方です。高校の英語の教師を早めに辞めて日本語学校の先生になるなど、自分に忠実に生きようとしているようでした。

 夜は「木苺舎」で日本語教室の先生。世話になった元「生徒」の悲しみを想っています。

僕よりは10歳は若いはずです。故郷は旭川の北の士別ですがルーツの地は四国・伊予です。先祖の地訪問に同行できる日があるかと、思っていたものです。それがこの始末です。予想のできない急展開に驚いています。

塩崎さん、辛い闘病だったね。ゆっくり休んでね。


 

正人、洪大杓、コニヤン、塩崎さん。若い、大切な友人を次々ともぎ取られていきます。

 今日はこれから上福岡に出かけて「鎮魂・抗い 3・11後を生きるひとびと」という写真展を見に行きます。「川越だより」を読んでくれているという若い女性の主催です。僕のもっとも新しい友人です。

 思えば僕はこうやって若い人びとに出会い、励まし励まされながら生きてきました。