川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

愛国主義教育

2008-05-04 14:07:54 | 中国
 連休2日目。今朝も万余(?)のひとびとが集まり、国際展示場に吸収されていく流れが目前に展開しています。道路に近い窓から観察すると若い女性がほとんどで男を見つけるのは困難です。

 さて、中国の学生達の「愛国心」に手を焼き、共産党が「理性愛国」を指導し始めた等と報道されています。まるで若者の間から愛国の感情が自然にわき出たような言い方です。ぼくの理解では共産党が計画的に行ってきた愛国主義教育の成果です。真面目で「優秀な」知識層ほどこの教育の影響を受けているはずです。
 
 この写真を見てください.

教師の「ダライ集団批判文」小学校に掲示
。http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0402&f=national_0402_003.shtml&pt=large

チベットの小学生に対しても共産党の見解がそのまま教育されているようです。その成果と思われるこどもの絵も紹介されています。
 ぼくには中国の学校教育の詳しい内容は解りません。ただ一つの体験があります。95年8月に初めて中国(北京と黒竜江省)を訪ねたとき、抗日戦争勝利50周年のキャンペーンのただ中で「愛国主義教育」というスローガンにあちこちで出会ったことです。

 中国人民抗日戦争記念館(北京郊外)http://gamekyu.cocolog-nifty.com/photos/kangri/index.html                      
 東北烈士記念館(ハルビン)
http://www.e-h.comuuhu/halpin/reltusi.htm

 侵華日軍731細菌部隊罪証陳列館(ハルビン郊外)

 この旅で訪ねたこれらの施設には「愛国教育基地」と書いてあります。
 長く滞在した鶏西という炭坑都市では出来たばかりの坑史館というものをみせてもらいましたが目的は同じです。

 日本軍の残虐性と共産党(八路軍)の不屈の闘い。どこもテーマは同じです。当時の日本の新聞記事などが多く、実証性にかける印象を受けました。国民党など共産党以外の抗日戦争はどこかに行ってしまっています。
 日本に帰って生徒達に報告したことは、日本の子どもたちが何も知らされていないことについて、中国ではこのような施設をつくって教育しているという事実。この大きな落差がやがて二つのクニの若者の間に大きな溝を作ることになる。日本の若者も歴史の真実に迫る努力が求められる。等。

 歴史の事実を学ぶことは大切です。当時「前事不忘、後事之師」という言葉がよく紹介されました。周恩来の言だったか?未来のために学ぶはずです。しかし、政権を独裁するもの達は自己の支配を維持するために歴史を外交の道具としてたびたび利用します。そうしたことの繰り返しがやがて他民族への憎しみを加速させ、排外的愛国主義を生み出します。
 中国の若者達の間にこのような病根が渦巻いているのではないか。だとすれば真に厄介なことです。
 歴史を一党一派の専有物にしてはなりません。中国であればチベットなど少数民族の歴史もあります。ただでさえ、中華思想という差別排外的大国思想の伝統があります。外国に留学した学生達がそのことに気づき、自分の歴史観を相対化するきっかけをつかんでほしいものです。今回の「聖火リレー」における、在日留学生の動員はそのような契機を与えない策略のようにも見えます。
 日本の侵略を指摘され、ただ黙り込むだけの日本人。反発して「いやなら帰れ」と悪態をつく日本人。歴史に対する無知の所産です。過去を歴史として冷静にとらえる作業が求められています。

参考論文「狭い民族主義」に陥った愛国主義教育運動http://www.21ccs.jp/china_watching/DirectorsWatching_YABUKI/Directors_watching_04.html


 今朝の血液検査の結果、白血球も順調に回復していることが確かめられ、ぼくはただいまから退院ということになりました。これから一週間程度、春の野にでられます。第2クールは4日程度の入院です。

 5月5日は丸木美術館の開館記念日の行事があります。でられるかな。
  http://www.aya.or.jp/%7Emarukimsn/event/080505/080505.htm

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1 コメント

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今日会いに行きます (カツヨシ)
2008-05-05 08:19:09
 退院おめでとう! 中休みとはいえやはり嬉しい。

 今年はけいすけさん不在の丸木美術館訪問かな、と思っていました。「喉の恩人」との二人連れと決めていました。
 
 会いに行きます。
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