川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

横浜から川越行き特急は二本(一時間)

2013-03-14 09:15:06 | 川越・近郊

3月14日(木)

明後16日から東急東横線と地下鉄副都心線の直通運転が始まります。これに伴って横浜の中華街から川越までの直通特急が走るようになるとのことです。中華街から川越までが最短86分。

運賃は横浜~川越(62・4km)が830円です。中華街~川越は1030円。

我が家は川越駅東口バスターミナルから①神明町車庫行きバスで終点下車です。友人たちが暇を作って遊びに来てくれるのを心待ちにしています。

 横浜駅西口のBar招福堂も覗いてやってください。

イメージ

 <東急横浜駅の時刻表>

これを見ると平日の昼間には川越行きの特急が一時間に二本あります。あとは和光市駅で東武東上線に乗り換えです。

http://transfer.navitime.biz/tokyu/pc/diagram/TrainDiagram?

rrCd=00000790&revisionId=10000091&stCd=00000838&revisionDiagramFlg=on


花粉地獄からの脱出

2013-03-13 07:22:41 | 父・家族・自分

3月13日(水)晴れ

先週の伊豆の旅あたりから花粉症がひどくなってきた。春を迎えた喜びが台無しである。

 2年前の春にも同じことを書いた。


 言うまでもないことだが「自然現象」ではない。人災である。1960年代に政府が進めた「拡大造林政策」の失敗による。

 ブナやナラなどの自然林や原生林を皆伐し、スギやヒノキを植林した。木材の輸入が自由化されたあと山は放置され、荒廃して「死の森」になってしまった。ひょろひょろのスギやヒノキがそれでも子孫を残そうと懸命に花粉をまき散らせているのだ。

 花粉症でどれほどの人が苦しんでいるのか分からないが、対症療法で薬屋が儲かるだけで、森を再生させる根本的治療は遅々として進まない。役人(林野庁)と学者(林学)企業(製紙業など)が手を組んでやったことだが、責任を取る人は誰もいない。損害を賠償してくれる人もいない。

 それでも花粉症はまだましである。すぐに症状が出るので何らかの対策をとることができる。期間も限られている。

 原発から出る放射能による被害はこうはいかない。急激な被曝は別にして、被害を自覚することがむずかしい。発症は何十年も先のことだったりする。

 だから、私たちはよっぽど心してかからなければならない。電力会社と御用学者と政府の言うままに「原発安全神話」に洗脳されてしまったら取り返しのつかないことになる。それがこの春、現実のことになった。

 


せっかく元気に春を迎えられたのに閉じこもりになるのはやりきれない。避難と帰郷をかねて土佐に帰ろうか。昨日あたりからこんなアタマになってきた。

今日は一日かかって脱出作戦を練ることにする。


お帰り! 順子

2013-03-12 11:17:13 | 友人たち

3月11日(月)晴れ

午後2時前、順子(すんじゃ)が里帰りしました。
10年ぶりぐらいです。四人姉弟の末子の高校入学が決まり、ようやくほっとする時間が取れたのでしょうか。
妻は朝から台所に立って、心づくしの手料理で迎えました。

2年前に大邱(テグ)(韓国慶尚道)生まれの母を見送り、今は夫君の仕事を手伝う傍ら家族の世話に明け暮れる日々のようです。

 生まれは伊豆・伊東市の八幡野とは今日初めて聞くことです。

 来日後、小倉・下関・静岡と生活の場を移してきたお母さんがあの八幡野で順子を生んだのか!八幡野は伊豆高原の一角で毎年何回も世話になるところです。

八幡野漁港から城が崎方面に続く海岸の道は手術後の僕の生命線と言ってもよいほどです。大室火山の溶岩流が作った柱状節理、打ち寄せる荒波、そして美しい照葉樹の森。目の前は懐かしい大島。何度も何度もこの道を歩きました。よたよたと頼りない歩みでも大地はいのちを吹き込んでくれました。

 順子がこの地でうまれたと聞いて八幡野はますます縁のある懐かしい地名となりました。

池商時代の15・6歳のときに出会って以来35年余、いつの頃からか、僕が「父」ということになりました。

 幼少時に別れた父の夢を大人になってからも時々見ることがあったといいます。困難に直面して身も心も疲れ果てたときが幾たびかあったはずです。そんな時でも僕はただ存在するだけで役には立ちません。記憶の彼方にある父に守ってもらいたかったのかも知れません。

 そんな頼りない「父」に「モミー」という名の家庭用エアーマッサージ器をプレゼントしてくれました。下肢が冷える僕を心配してくれたのです。ありがとう、順子。

 妻と3人での会話の締めくくりは子どもたちの行く末と親の責任について。こんなときだけは僕が自説を主張します。

 7時過ぎ、夫君の待つ東京に向かいました。うれしい半日でした。

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日本人よ、これでいいのか。

2013-03-10 22:44:42 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

3月10日(日)

強風に砂埃が巻き上げられるのか、空一面が黄砂で覆われた感じです。バスと電車を乗り継いで上福岡の西公民館に着いたら目がかゆくてたまりません。花粉の飛散もただならぬ量なのでしょう。トイレで目を洗って、山本宗補さんの写真展「鎮魂と抗い 忘れない!3・11後の人びと」を見ました。

 公民館の入り口付近に本で見た写真が50枚ほど展示してあります。こんな悪天候なのに訪れる人は結構いるようです。山本さんのお連れ合いがおられました。宗補さんは東京のデモに参加されているとか。昨日の集会を空撮したものを配信していると教えてくれました。

 奥さんは東京の方ですがいずれ、信州御代田の宗補さんの田舎に住むつもりのようです。夫婦で助け合いながら社会の一員としてできることを精一杯やっておられる、そんなふうに感じました。

 3・09東京集会 山本宗補撮影 _8DS5938済み.jpg出典●http://fotgazet.com/news/000289.html

2時から集会「原発は本当に必要ですか? 子どもの未来に あなたの今日に」。

印象に残ったこと。

(1)チェルノブイリ事故のウクライナでは、今日「脱原発」への動きは見えない。工業化のうねりの中で原発も推進されている。(雪田医師の話)

(2)DVD『福島の女たち』 健忘症のわたしたちをドキッとさせる女性たちの語り。

参考「福島の女たち」●http://d.hatena.ne.jp/nice100show/20121109/p1


 

 東京では10日も大きな集会がありました。上福岡の集会にも100人近くの人がいたように思います。危機を自覚した市民の運動はこの2年しっかりと根を張ってきました。

しかし、この程度では脱原発は実現できません。事故原因はあいまいにされたままで、責任者の氏名さえ特定できていないのです。まるで自然災害だったといわんばかりです。

時の経過とともにこの社会は元の木阿弥に戻っています。「節電」はどこへやら。東京の夜は不夜城。プロ野球のオープン戦をナイターでやるとか。

僕は特に若い人たちに言いたい。

わたしたちは今、文明史を画する大事故の只中にいます。どんなに忙しくても今を生きる人間の一人として「原発」としっかりと向き合ってください。今わたしたちがどう生きるかが人類の明日を決めるのです。自分のやり方で歴史に参加するのです。

老若男女あい助け合ってなんとしてもこの危機を突破しなければなりません。デモや集会も軽視してはなりません。100万人くらいになれば霞ヶ関も永田町も東電もビビッて来るはずです。

 僕はたまにしか参加できませんがその都度、若い夫婦が協力し合って子連れのデモに参加している姿に励まされます。希望はこのような行動の果てにのみあります。 

 市民の一人として互いに尊敬できる生き方に挑戦しましょう。

 

 

 

 


塩崎弘志さん逝く

2013-03-10 12:16:43 | 友人たち

3月10日(日)晴れ

 昨夜、伊豆の保養から帰ったら塩崎さんの訃報が届いていました。2月28日、北海道旭川の病院でなくなったということです。

 友人たちと一緒に東京の病院を見舞ったのは2月10日でした。会話もままならず、ただただ故郷の大地での幸運を祈るばかりでした。それでも春になったら見舞いに行くからね、とはつたえました。春を待つことなく逝ってしまいました。

 7年前、僕が入院したときにひょこっと顔を出してくれました。長い付き合いなのに恥ずかしそうに何かひとこと言ってくれました。

 いつのことだったか、こんどは僕が塩崎さんのワンルームマンションをひょっこり訪ねました。抗がん剤治療で苦しかった話を聞きました。コーヒーを入れてくれる元気がありました。思いがけなくガン友になった旧友に僕の闘病体験を語ったのではなかったか。

 「《多文化共生をめざす》在日・韓国朝鮮人生徒の教育を考える会」の世話人として長く一緒に歩いてくれた方です。高校の英語の教師を早めに辞めて日本語学校の先生になるなど、自分に忠実に生きようとしているようでした。

 夜は「木苺舎」で日本語教室の先生。世話になった元「生徒」の悲しみを想っています。

僕よりは10歳は若いはずです。故郷は旭川の北の士別ですがルーツの地は四国・伊予です。先祖の地訪問に同行できる日があるかと、思っていたものです。それがこの始末です。予想のできない急展開に驚いています。

塩崎さん、辛い闘病だったね。ゆっくり休んでね。


 

正人、洪大杓、コニヤン、塩崎さん。若い、大切な友人を次々ともぎ取られていきます。

 今日はこれから上福岡に出かけて「鎮魂・抗い 3・11後を生きるひとびと」という写真展を見に行きます。「川越だより」を読んでくれているという若い女性の主催です。僕のもっとも新しい友人です。

 思えば僕はこうやって若い人びとに出会い、励まし励まされながら生きてきました。

 

 

 


東伊豆

2013-03-08 07:50:35 | 出会いの旅
3月7日(木曜日)晴れ

宿近くの蓮着寺。日蓮流罪の地に建つ。



桜が美しい。タブとヤマモモの巨木が生命を感じさせる。
95になる母の手を引く同世代の姿があった。

お題目を三度大声で唱えてみた。

午後は伊東の小室山椿園。椿の一輪挿し展がおもしろい。






黄砂と花粉にやられてしまった。宿の温泉も故障で墨田区の伊豆高原荘でもらい風呂。

西伊豆

2013-03-07 04:22:25 | 出会いの旅
4月6日(火)晴 強風

強風のため石廊崎散歩は諦め、西伊豆の海岸を北上する。
伊浜展望台で猿の仲間入り。

妻良(めら)港
鈴木豊さん。80になっても一人で定置網をやっている。浜岡原発を心配されていた。

石部の千枚田
富士山や南アルプスが見える


岩科起て!岩科学校

主人は冷い土の下に

2013-03-05 05:28:20 | 映画  音楽 美術など

3月4日(月)曇り

 ちょっと疲れが出たのかこのところ脚が冷えます。妻が湯たんぽを入れてくれたベッドで一日休みました。

FM放送で「春風」という曲が流れるのを聞きました。中学の音楽の時間に習ったときは違う歌詞でした。調べてみると「主人は冷き土の下に」、フォスターの作品です。

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/arujiwa-t.html

僕が習った歌詞はこれともまったく違います。「おじいさんの墓を尋ねていけば」「風さえ侘びし」などのかすかな記憶。なかなかきちんと思い出せません。このことはずうっと心に引っかかっています。(どなたか記憶がありますか?)

次がフォスターの作詞作曲した歌だといいます。英語の歌詞と訳詩です。初めて知る元唄です。

 ●http://14.studio-web.net/~yamahisa/syujin_tutinosita.html

「スワニー河」「なつかしのケンタッキーの我が家」「オールド・ブラック・ジョー」などフォスターの作品をたくさん習いました。その割には作品理解にかけていることに気づきました。

夜、愛さんの30歳を祝福しました。15の春に出会って以来15年がたちました。節目の年を迎えて期するところがあるようです。

同級の多美子さんは第二子出産。おめでとう。

うれしい報せが続きます。春の訪れかな。今日はこれから南伊豆に出かけます。(5日朝)

 

 

 


被災者の「モンク」傾聴 

2013-03-04 07:29:45 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)
3月4日(月)
 
 今朝の新聞(「東京新聞」)記事です。
 

 東日本大震災の津波により甚大な被害を受けた宮城県沿岸部で、僧侶らのグループが「移動傾聴喫茶」の運営を続けている。お寺のように自分たちが話をするのではなく、胸にたまった思いを被災者に吐き出してもらうためだ。僧侶らは「悲しみ、苦しみは簡単には癒えない。活動はまだまだ必要」と訴える。 (上田千秋)


 

昨年5月、宮城県の沿岸部を訪ねた際、石巻のお寺さんに嫁いだ慶子さんを訪ねました。池袋商業時代の僕の生徒です。金田さんというお坊さんが主宰する「移動カフェ」運動に夫婦で参加していました。 
 
 移動カフェにはこんな素敵な説明ボードがあります。
 
 「“Café de Monk”はお坊さんが運営する喫茶店です。
Monkは英語でお坊さんのこと。
もとの平穏な日常に戻るには長い時間がかかると思います。
「文句」のひとつも言いながら、ちょっとひと息つきませんか?
お坊さんもあなたの「文句」を聴きながら、一緒に「悶苦」します。」
 
時がたつにつれてますます大切になる活動です。被災者の困難や苦しみは解決されなくても、人々の関心は年月の経過とともに移り、どうしても忘れられていくからです。
 
一緒に「悶苦」してくれる人の存在、それがお坊さんであるとしたらどんなに心強いことでしょう。
 
 
寸志を届けただけなのに、後日、こんな素敵な写真が送られてきました。心の一端だけですがこんなかたがたの仲間に付け加えられたような喜びを感じます。
 
 
「傾聴」「一緒に悶苦」は僧侶に限らず、医師・看護師・教師など人とかかわる仕事の根幹と言えます。そのことに気づかない僧侶・医師・教師のなんと多いことか。
 
 今朝の新聞にはもう一つ「大川小遺族ら刺繍教室」「一針一針わが子思い」「足立の作家 石巻で定期開催」という記事があります。
 
 「少しでも気が紛れれば」と刺繍作家の星野真弓さんが始めて一年近くになるということです。星野さんがやっておられる活動はうらみも悲しみも消えようがないお母さんたちにとって、形の変わった「傾聴」「一緒に悶苦」活動でしょう。
 
 まもなく大震災から二年、きっと多くの人びとがあちこちで被災者とともに生きる活動をされていることでしょう。それらの人びとに心から敬意を表します。
 
自分のことで精一杯老人としてはまた時を見て石巻に遊びに行きます。

山本宗補写真展「鎮魂と抗い~3.11後の人びと~」

2013-03-03 10:07:03 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

3月2日(土)晴 風強し

 午後、曼荼羅でKさんにお会いしました。仕事の傍ら写真展の準備で忙しそうです。子育て中の若い女性が「原発は本当に必要ですか?子どものみらいに、あなたの今日に。」と問いかけて、行動しています。

 ぼくはこういう方を心から尊敬します。民主主義の社会とはいうが、名もなき一市民はどう生きたらよいのか?自分で模索しながらしっかり行動しています。

 写真展の案内類を受け取りました。

山本宗補写真展「鎮魂と抗い~3.11後の人びと~」。3月6日~10日。
   

ふじみ野市上福岡西公民館1Fロビーギャラリースペース。東上線上福岡駅(西口)2分。

山本さんの写真50数点展示


chinkon_cover2_thumb_3-1.jpg

出典●http://fotgazet.com/news/000258.html   

3月10日は同地下ホールで「原発は本当に必要ですか?子どもたちの未来に、私たちの今日に」
   の集会。2時~5時。無料。

   ①お話 雪田慎二さん(埼玉協同病院医師)「脱原発・そして再生可能エネルギーへ チェルノブイリ・ドイツ環境政策視察から」

   ②映画「福島の女たち」上映。

     被災地の子どもたちからのメッセージ

     「みんなの測定所・ふじみーる」 食品等放射能測定報告

   ③詩の朗読など 参加者の思い発表

◎2時~  子どもたちのために隣室で人形劇などをやるそうです。
  

  連絡先 080-5417-4906「まーるい地球の子どもたち」

 


 伊豆でしっかり静養して10日の昼過ぎから参加させてもらいます。近隣の同憂のかたがたとお会いできるのが楽しみです。


「南の桜」もうすぐ花盛り、とか。

2013-03-02 09:28:27 | 出会いの旅

3月1日(金)晴れ

 午後1時過ぎ、自転車で上福岡からの帰り道。強い追い風。振り返ると空が刻々黄色じみてきます。強風で畑の土が吹き飛ばされているのでしょうか。

 何とも不気味な春一番。風呂場で目洗いをして一息つきました。

やっと3月到来。寒かった冬もそろそろ終わりに近づくでしょう。義母の健康も恢復基調です。思いを旅の空にはせています。

 3月の予定。

 (Ⅰ) 5日(火)~9日(土) 伊豆の保養。勝義さんと一緒です。

   5日 東京=下田 南伊豆町で「南の桜」 休暇村・南伊豆(泊)

   6日~8日  伊豆高原・潮風館(泊)休養

   9日 下田=東京

南の桜・開花状況●http://aoki-sazae.com/kaika.html

 みなみの桜と菜の花祭り

 青野川沿いの河津桜。ぼくの大好きな散歩道。今年は勝義さんを案内できます。5日ごろ、満開かな。

 潮風館。埼玉県の障害者や高齢者のための保養施設です。伊豆高原。

http://a-chofukan.sakura.ne.jp/

(Ⅱ)甲子園と関西

 15日に甲子園の抽選会。大会は22日からです。母校(土佐高校)の応援に行きます。6年前の室戸高校以来です。試合の前後に京都や大和路を訪ねるのがいいかな。小学校の担任だった山本先生にも久しぶりにお会いできるかも知れません。

(Ⅲ)春になったら川越を訪ねるよ、といってくれている方が数人居られます。

日程が決まったのは11日の順子さん。楽しみです。

11日は東日本大震災から満2年。地元の女性たちが公民館で写真展をやると聞いています。10日にはお話などもあるようです。東京でのデモは欠席し、こちらに参加します。

 『鎮魂と抗い 3・11後の人びと』山本宗補写真展 

3月6日~10日10時~17時 ふじみ野市上福岡西公民館ギャラリー 主催:3.11後の人々写真展実行委員会

http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/2a94e003d4836249d6f4cb33f694d1d7

 


こんな老後の楽しみ方もあるのか

2013-03-01 07:24:36 | 川越・近郊

2月28日(木)快晴 無風 温暖

暖かい朝です。何週間ぶりでしょう?使命を帯びて朝霞台まで自転車で往復することになりました。新河岸川の土手上の自転車道は散歩の同世代で賑わって?います。

富士見市に入ったあたりからこんな風景が道路上に続きます。

北海道から鹿児島まで全国の市区町村名をチョークで書き連ねています。

富士見市の小椋清孝さんの作品です。10年ほど前に自分が通ったことのある地名を書いたのが始まりだとか。今は最新の郵便番号簿を見ながら順番に書いているとのことです。ひらがなの市名が増えたのには不快感を持っておられます。

写真: 小椋さん

写真: カモの休養 新河岸川

すぐ近くの新河岸川はカモの群れ。昼になったので小椋さんは橋の袂で昼食です。

サイクリング道路を利用した芸術活動。こんな楽しみを思いついた方に脱帽です。

公共財への落書きと叱られるかと聞いてみましたが道路管理者からの苦情はないとのことです。

写真: 蓮光寺 川越市古市場

帰りに古市場の蓮光寺で休憩。さあ、出発!というときに自転車のパンクに気づきました。

5時までに市役所に書類を届けなければなりません。近くに国会議員の事務所があることを思い出して相談に乗ってもらいました。ありがたいことに秘書の方が自転車を貸してくれました。おかげで間に合いました。

 今日はこれから自転車の返却と回収です。