心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

Norah Jones - Summertime

2017年06月25日 | ほんのすこし
Norah Jones - Summertime


サマータイム続きで、ノラ・ジョーンズを。

美容院でいいなと思ってからしばらくたつけど、探しに行かないままだった。
ヘッドファン越しに聞こえる彼女の声とピアノ、ベッドに行くのが面倒になってしまいそうだ・・・

今日はずっと音楽に浸かったままで。

昨日からおしゃべりが多すぎて少し口をつぐっていよう(笑)。


Joe Locke - Ain't No Sunshine

2017年06月25日 | ほんのすこし
Joe Locke - Ain't No Sunshine


今日の最後はヴィブラフォンのジョー・ロックで。

やっぱりこっちが眠る前は耳に心地よいなあ・・・

明日は目覚めがすっきりしていますように♪

こっちの動画の方が演奏の様子がわかって楽しいかも。

『サマータイム』


Mustang Sally - Wilson Pickett (Album Version)

2017年06月25日 | ほんのすこし
Mustang Sally - Wilson Pickett (Album Version)


今夜はこんな気分で。

ウィルソン・ピケット「ムスタング・サリー」

パソコンにヘッドフォンをつけて聞きながら、わぁ~ぉ! って叫ぶところを一緒にシェイク?

ほんとはご機嫌な気分でもないけど、逆のときってこんなノリノリのを聞いて紛らわすってこともありかなあって思う。
ドミニク・ミラーにどっぷり浸かって過ごした数日。
あまりにも切ないので、たまには目線を変えてみよう・・・
明日は月曜日だ。
いくらか前に進めればいいのだけど。
まだやれることがあるのか、どうなのか・・・




女四人、かしましく

2017年06月25日 | ほんのすこし
昨日は、珍しいお客様が母のところへ。
わたしの年上の従姉妹が叔母がいるうちに会いたいからとやってきました。事前に来ることは知っていましたので、お昼を一緒に食べようとお弁当を買っていくことにしました。お弁当を準備するのはわたしの役目です。すでに従姉妹は来ていました。
ずっと従姉妹がわたしよりどのくらい年上なのかなと思っていましたが、昨日初めて二歳年上だということがわかりました。
なんとなくわたしの頭の中ではずっと上のような気がしていました。というのも小さい頃、従姉妹がとても大人びてみえて、いつも凄いなあと感心してばかりだったからです。社交的で自分にはできないことをスイスイやってしまう、そんな印象があって、ずっと上のような気がしていたのです。

わたしが中学生の頃あたりから彼女と会うことは疎遠になっていました。早くに都会に出ていってしまった彼女がたどった人生は波瀾万丈そのもので、彼女がどう生きてきたかということは最近になって、母や当人から聞いてわかったのです。そして自分のことや昔のことを話術巧みに話す彼女に、母も叔母もわたしも聞き惚れていました。
ときどき愛の手(合いの手)を入れるのが、叔母とわたし。ピンポイントでいい言葉を挟むのが母。

従姉妹は今、実家である自分の兄の家に戻ってきています。遠くに住んでいたのですが、旦那様が亡くなり、子供も遠くに住んでいて、ひとりで住むよりは・・・と、戻ってくることに。
母の実家でもあるその家を将来、従姉妹の子供が継ぐことで家系が繋がっていくことになります。
その点、母も叔母も安心したねと話していました。

まあ、その話が実現するのはずっと後になるのでしょうけど。それでも従姉妹が実家に戻り、兄や母親と一緒に暮らすことは互いの間にできた川を乗り越える(時間を飛び越える)ことになるのかなあ、とも思います。
彼女が話す内容は深刻なことも多々ありましたが、それを笑いに変えていくのは叔母でした。
四人の笑い声がずっとずっと外に聞こえていただろうなと思います。ほんとにお腹の皮がねじれるってこういうことなんだなと思えるほど笑った一日でした。

彼女がどんなに周りの人に助けられて暮らしてきたかを話します。困っていると助けの手をさしのべてくれる人が沢山いたようです。それは彼女が周りの人とどんな風に接してきたかを物語ることです。わたしたち三人は、それは彼女の誠実さが生んだ結果なのだろうと思って聞いていました。人に対して(例えば金銭の貸し借り)きちんとした行動をとってきたこと、決してルーズなことをしてこなかったこと、そんな話を聞きながら周りの人に可愛がられてきたんだなと感じました。
従姉妹は話の途中でときどきアカペラで演歌を数曲歌いました。叔母とわたしがヤンヤヤンヤと手拍子をいれたり。芝居がかったことをしたり。もう芸達者です。亡くなった従姉妹の父親がそういう方だったと、やっぱり似ているねと言われてすごく嬉しそうな顔をした従姉妹でした。

夕方、電車で帰るからという彼女をわたしが自宅まで送っていくことにしました。往復40分ぐらいかな。
途中で買い物をしたいというので、スーパーに寄り、兄と母親のためにお刺身とかを買いだしている彼女を見て、やっぱり家族のことを考えているんだなと思っていました。なんだかんだ愚痴をこぼしてもやっぱりね、って。
車中、隣で昔わたしが彼女と遊んだときのことやら、わたしの弟のことやら彼女の話はとめどなく、ほんとに楽しい時間でした。

思い出が蘇る、鮮やかに蘇る、いつもの人たち以外にひとり加わるだけで思い出の幅が広がる、そんな気がしました。

従姉妹と来年は叔父も呼んでまた語り合おうと約束しました♪


自分という奇跡

2017年06月24日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

いつか通り過ぎた日を思い出すことがあるでしょう
そこにあなたは確かにいて
そこであなたは静かに笑ってる

いや
ひそかに泣いていたかもしれません

どんなに泣きたくても
我慢してやり過ごしてきたこともあったかもしれません

何もしたくなくて
そんな自分が嫌になって
この世に自分なんて必要ないと思いつめたこともあったかもしれません

でも
いつかそんな自分がいたんだなあと
それでもこうして生きてきたんだなあと
思える日が
必ずやってくるのは

自分がこの世に生を受けたことが
奇跡以外のなにものでもないという衝撃が
体中を駆け巡るときがあるから

そのときは理もなく突然やってきて
自分という存在が
たったひとりの他とは比べることのできない存在なのだと
感じる瞬間があるから

たぶん
わたしたちはこの世に生まれたときから
奇跡の存在だと知るように作られているのだろう

それが新しい自分が生まれる瞬間でもあると思えてならない

※※※

なんという花、樹なのだろうか。一本の樹で花の色がこんなにも違うとは。

※※※

女三人、問わず語りする

2017年06月24日 | ほんのすこし
女三人、母と叔母とわたし。
それぞれちょうど10歳以上の年齢差で、三人が一緒の家に住んだ時代の話をしていました。
叔母は若い頃から姉である母の家に一緒に住んでいたのです。それはわたしが幼いとき、二歳か三歳頃からだったのです。その当時住んでいた町では一緒にいたという記憶が全然なく、わたしが小学校に入る少し前に移り住んだ町で一緒に住んでいたとばかり思っていました。

昨日はそのわたしが思い出せなかった時代の二歳か三歳頃の話になり、叔母がその当時のことを話していると、母が
「あのときはびっくりしたなあ」と。
わたしの弟○一を産むというので、母の実家にわたしを連れて里帰りしていて、妹である叔母を家に置いてきていたのです。叔母は母の家の近くの学校に通っていたのでした。
父は朝早く仕事に出るので、叔母は不安になり、どこをどうやって行ったのか今は思い出せないけど自分の親がいる(母が里帰りしている)家に戻ったのでした。妹が目の前にやってきたので本当に驚いたと話していました。

それから叔母が結婚するまでどんな道をたどったかを母と語っていましたが、ところどころ母が覚えていることが違っていて、事実を付き合わせるのに二人で首をかしげたり、笑ったり。
母にしてみれば遙か遠くの昔、覚ろげなのもわかります。

「自分たちの若い頃ってすごく大変だったってことはあるけど、どんな風に過ごしてきたかは案外忘れているもんだね~」と三人で言いました。わたしが
「忘れているというよりも、ちゃんと記憶にはあるけど、それを思い出さなくてもいいくらい今がいいんじゃないの?」と言うと、母も叔母も口をそろえて
「そうだなあ。今がいいから思い出して悩むこととかしなくていいんだろうなあ」と。

母も叔母もそれぞれ苦労を抱えて生きてきただろうに。辛かった日々のことはすっかり忘れたかのように笑ってやり過ごしています。笑い話にできるのが生きてきた証拠だと。
その当時は無我夢中でなんとしてでも生きていこうと、家族を守ろうと、そう思っていたのでしょう。自分の居場所を守りたいと思う気持ち、それが親となって生きる原動力になっていたんだなあと思います。
自分もかつてあんなに一日が24時間以上あってほしいと思った多忙な日々をどんな風にやりくりして生きていたのか、思い出そうとしても所々がぼんやりして思い出せません。辛かったことも沢山あるはずなのに、後悔したいことばかりが沢山あったのに、そのことだけに目を向けずに今はこうして穏やかな気持ちで過ごしています。

渦中にあるときは時間の過ぎるのが遅くて、なんとかして前に進もうと思っていた気がします。今日をやり過ごせば何かが見えてくる・・・ 諦めずに・・・ そう思わずにいられなかった日々もありました。
でも今考えると、あんなに苦しかったことよりももっと若い幼い頃の親に守られて育った頃のことの方が懐かしく優しい気分に思えるのです。
そんな親の気持ちをないがしろにして生きていた時代もありました。

今になって親のありがたみを感じているなんて、遅すぎるなあと思うのですが、若い頃はそれが若いってことなのかもしれません。
人間はうまく出来ているなと思います。月日が経つにつれて周りに目を向ける、その目が育つということ、幼い頃には幼いままの、年を取ってからは年取ってからの人間だけが味わう良さがあるのでしょう。

※※※

紫陽花が少しだけ色づき始めました。

※※※

電話で

2017年06月23日 | 母のこと
午前中に電話することは滅多にないのだけど。
なんだか気になって母に電話した。
スマホで市川海老蔵さんがブログに書いていた言葉が・・・という記事を読んで胸騒ぎがした。電話をすると叔母とふたりで針仕事中だったらしい。

「あのね、まだはっきりしないけど、麻央さんが危ないというか、だめだったかもしれないって」
「あぁ、やっぱりかあ。だいぶ弱っていたものなあ」

退院してきた辺りにニュースを見ていた母が
「この人には長生きしてほしい」と話していた。その顔がなんとも辛そうな顔で、重い病気を患い戦っている人へのエールをこめた顔だなと思って見ていた。母にしかわからない病気と闘う人の気持ちもあるのだろう。
「こんな可愛い子供たちがいるんだから、もっともっと生きてほしいよ」と続けて言った。

わたしはその言葉を聞きながらうなづくだけだった。

頑張ったんだね、と電話口でふたり。

麻央さん、母も応援していたんですよ。苦しいはずなのに笑顔が綺麗だって。

ほんとにさよならしたんですね・・・ 若すぎます・・・





どうしてこんなに

2017年06月23日 | 朝のことば&つぶやき
※※※

生きているうちには
”どうしてこんなに・・・” と思えることが
次々に訪れることがある

一つの問題が起きたと思ったら
解決しないうちに次の問題がやってきて
一体 なぜ こんなに? と
自分自身の生活が急に苦しくなってしまう

自分だけがこんな目に遭う事への不安がまとわりつく

そのときは見えない
決して自分だけがこんな目に遭っているのではないということに
そのときは考えることができない
自分だけじゃないということに

渦中にあるときほど
見失っていることがある

母の庭の大きな柘植の木
剪定していると
「いったん離れてじっくり眺めてみるといいよ」
と教えられた

見えてなかったものが見える
目の前に没頭していたけど、全体から見たら
なんとちぐはぐな形になっていた

どんな難問も与えられたことに意味があると
乗り越えられないものはこの世にないのだと
そう思いたくなる

遠くで辛い思いをしているだろう
その人へは
どんな言葉も嘘くさく聞こえて仕方がないけど
それでもあなただけではない、と
そばに大事な人たちがいる、と
風の便りが運んでくれるだろうか

※※※

どんな小さなものにも命がある。

※※※


一晩泊めて

2017年06月22日 | 母のこと
先日、赤煉瓦を買って裏庭の端に並べた日のことです。
結構力仕事でしたし、その後はちょっとくたびれモードでしたが、午後には夕飯の支度も終わり、さぁて帰ろうかなと思っていたら、母が叔母に
「障子も外さなくちゃなあ・・・」と話しかけていました。
ははぁん、これは叔母さんというよりわたしにやってくれと言うことなのだなと思って、すぐさま行動に移しました。毎年、この時期になると暑い夏が来る前に障子を外して収納するのです。何度もやっているのでお茶の子さいさいです。
と思って、さっさと立ち上がり、ひとりでサクサクと片付けました。

ところが、最後の最後、収納段階で少し手間取ってしまい、思いがけない始末に。
右手の親指に障子の枠木のとげが刺さってしまったのです。結構痛くて思わず
「痛い!」と声を上げていました。
それを聞いた二人がびっくりしてどうしたどうしたと言うので、早速ふたりのそばに行き、右手を見せました。
そして左手の親指と人差し指でで右の親指をギュッと押して、刺さったとげが出てくるようにしてみせたのです。でも、相手も図太いものでなかなか出てきません。
そうしているうちに叔母が母から聞いてとげぬきのある場所から持ってきます。でもそのピンセット、先が平たく太くて・・・
「もっとちゃんとしたとげ抜きはないの?」と言うと、
「確かあったはずだけどねぇ。どこにしまったか・・・」となんとも情けない母の声。
叔母が
「針で皮を広げたらいいんじゃないの?」と針箱からまち針を。

叔母がやろうとするのですが、わたしの左手が邪魔でなかなか皮を広げることができず。
何度もあれこれやっているうちに、先に少し出ていたとげが折れて、中にはまだ残ったままに。母が
「こういう時は、とげが一晩泊めてくれって言ってるんだよ。明日になればとげが自分で出てくるもんだよ。とげなんて刺さったときは大きく見えるけど、抜いてみれば小さいもんだよ」と。

いやぁ、そう言われてもね~。
泊まってほしくないもんね~。
わたしの顔を見て叔母も「ちょっとしたことで刺さったところがチクチク痛むんだよね。一晩泊めてって言われてもね、泊めたくないよね~」と。

やっぱり、取る!
もう汗たらしていましたよ。
最後は可哀想だと思ったのか、一晩寝せておけばいいと言った母が、自分が押さえるからといって、不自由な手でわたしの右手の親指を押さえてくれました(よく力が出たものです)。
そして、わたしが左手でピンセットを持って何度も挑戦し、とうとう抜きました!

ピンセットの先にちょこんとついていたとげ、やっぱり母が言うようにほんのちょこっとした大きさでした。
それにしても「一晩泊めて」なんて話、聞いたことないんですけどと言うと、昔の人がよく言ったのだとか。
母も祖母から言われてきたのだろうなと、時代の流れをこんなところで感じた出来事でした♪

※※※

道ばたの小花。黄色が可愛らしい。

※※※





何やってるんだか・・・

2017年06月21日 | ほんのすこし
朝早く運転し、レンタルDVDを返却口に投入。
その後、前から依頼していた車のコーティングを。
帰りは家までてくてく歩いて。

朝からどんよりした空だけど、それでも歩くと汗ばむ。戻ってきてから作業を。
なかなか作業が進まない。思っていた以上に計算方法とか考えるべき問題が出てきて、頭が混乱しているところに滅多にならない携帯が鳴った。
知らない電話番号だけど、もしかしてガソリンスタンドから? でもそれにしてはずいぶん早すぎないか?

「もしもし、○○さんですか。こちらはTSUTAYAの○○と申しますが」
「えっ」
なんで電話が? と思ったら、返却したDVD三枚が返却期日を過ぎていたとのこと。
一瞬、目が点になったけど話を聞いているうちにだんだんと理解できてきた。
なんたること、わたしったら月曜日返却日だったのに次の日の午後1時まで返せばいいという頭があって、それをどうも一日間違えて覚えていたみたい。昨日の午後1時までだったらよかったけど、今日になってから返したので返却が二日も長くなってしまっていたのだ。
が~ん。
二日分も、しかも三枚分も延滞料金発生!

がくっときてしまったよ。
車はまだ出来てこないし。後で支払いにいくけど。なんか今日はがっくりだわ~

おまけに空は怪しくなってきてるし。せっかく車を綺麗にしてもらうのに雨が降りそうな予感。
今日は色々気をつけなさいってことなのかもね。