渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

清水ミチコ 私の好きなシンガーソングライターの作曲法

2022年09月01日 | open

清水ミチコ 
私の好きなシンガーソングライターの作曲法

天才(笑


武芸練達の士

2022年09月01日 | open


枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)
宮本武蔵/重要文化財

播磨の武士、宮本武蔵の筆。
武蔵、只者ではない。


今武蔵

2022年09月01日 | open


私の古い刀友に絵を描く人がいる。
洋画ばかりだったが、最近これを
描いてみた、との事だ。
いよいよ、武蔵の境地を目指す
のか。

剣術達者は剣だけでは駄目とは、
巷間、斯界の練達者たちによって
膾炙されて来た。
舞踏もできなければならないし、
書も書けて絵も描け、また、
曲についても精通する事も武芸
のうちとされる。楽器ができて
歌も歌えないとならない。詩吟
も然り。
さらに、漢詩のみならず、詩歌
全般に通じ、故事に通じ、古今
東西の政(まつりごと)にも通じ
ないとならない。
これらは、私が言うのではなく、
私の師や教えを請うた先生たち
もそれを言っていたし、古来か
ら武芸の素養として云われて来
た事だ。
それが日本の剣の世界の常識。

なぜ必要なのか。
それは、剣とは武器であり、
の武器を単に上手に扱えるだけ
争闘者であるのみでは、とて
危険な領域に精神と存在が陥る
からだ。人間は全てが良人では
ないので。
剣持つ者は単なる暴力者であっ
はならないので、百芸に通じ、
かつ勉学を通して教養を深める
が必要とされる。
これが、日本人が編み出した
野蛮な二百年戦争の内乱が鎮ま
って以降の江戸期の日本人が
自ら考案した剣持つ者の在り方
の組み立てだ。

このあたり、外国人にはなかなか
理解されがたいようで、日本の
武家政権文化の中の武士をただの
ウォーリアーとしてしか捉えない
ようなフシがある。バイキングや
パイレーツのように。
それ、違うから。
剣士教養人たるべし。
これは日本剣士の鉄則なのである。

刀法

2022年09月01日 | open



以前、河川敷のフィールドで
前に進めない程にブッシュが
生い茂っていたため、仲間内で
多少その場を刈
り開こうという
事になった。

何名かがマシェットを持って
来た。マチェットとかマチェテ
とも呼ばれる長く薄い刃物だ。
日本語では山刀とも呼ぶ。
主として中南米や東南アジア
の熱帯雨林地方でジャングル
で木の枝を打ち落としたり、
草を刈りながら進む時に使わ
れる。
ベトナム戦争でも米軍装備必須
の草刈り刃物だった。
焼き入れはしておらず、軟鉄の
鉄板を型
抜きした物が殆どだ。

河川敷フィールドでの休み時間
に、友人が持ってきていた短め
の手さばきが良いマシェットで
遊び心で立木の枝打ちをした。
左右の袈裟と逆袈裟で。
箱出し状態のようで刃は付けら
れていない。
だが、スッパスッパ切れた。
それを観ていた人が何人か自分
もやらせてと申し出てやって
みた。
誰も小枝や太めの雑草を切れない。
私のように切った瞬間にポトリ
と落ちるように切れないだけで
なく、全部枝負けしたり雑草の
茎が折れ曲がったりする。
私ができるのは斬刀法を使って
いるからだ。
なので刃物の刃先にとがった鋭利
な刃が付いていなくとも切断でき
る。

ある時、斬刀術をやっている
九州の友人がうちに遊びに来た。
庭先でバラとサクランボの木の
小枝を刃長7センチのナイフで
切断する遊びをやってみた。
友人は全く切れない。
私は一度もしくじらずに何度
やってスッパスパと切る。
ナイフは私の研ぎ上げたナイフだ。
これは、刃が付いているいないに
関わらず、「物を切る」という
事には一つの術的要素を以て
運用しないと全く切れない、とい
う定理を指し示すものだ。

大昔、ある場所で仕事仲間たちで
出張待機していた。
目の前に銀杏があり、人間の目の
高さあたりに幹から葉が出ていた。
私は文房具の15センチのプラス
チックものさしで右から左袈裟に
一閃した。
袈裟切りのあとからはらりと落
ちるように刃と子葉部が落ちた。
それを見ていた同僚が、俺にも
やらせろと別な葉でやってみた。
何度やっても切れるどころか
葉と細い部位を叩くのみだ。

これらの「切れる⇔切れない」は
刀術を知っているかどうかの違い
だ。ただそれだけ。
実は神奈川県湘南の小学校に通っ
いる時、学校帰りの通り沿い
に公園
があり、そこで伸びた雑草
の茎
などを竹の30センチのモノ
サシ
で袈裟で切断する事をずっと
小学校1年の時からやっていた。
また、雨傘でも切る。
これは傘の先の金属部分(昔は
全部金属)のキャップで切る。
間合いを取る訓練と振りと切り
の訓練になった。
傘は思いっきり勢いよく振って
切りつけ
ても止めた時に軸が曲が
らないようにする。これで抜重

を体得する。
また、切っ先にあたる傘の先を
真下に向くまで振り抜いて地面
に当たったりしないように振る。

この訓練は実はかなり少年剣道
に役に立った。
私は竹刀を担ぐ事をせず、ピシャリ
と「斬る」刀法で打突を繰り出す
事ができるようになったからだ。
剣道において、よく「下手くそ
が打つと痛い」とかいわれるが
それは嘘だ。練達者の小手など
は決まるとピシャリとして竹刀
を落としそうになる。真剣ならば
肘から下は切断されている事だ
ろう。
痛くない剣道はポンポン叩く当
てっこ剣道であり、真剣と同じ
斬刀法を使っていたら、例え
竹刀であろうともビシッとした
傷みを伴う。
私は小枝打ち、雑草切りによって
刀法の手の内を小学生の時に
体得する事ができた。
担ぐ事をしなくなった剣筋は、
真っ向も横面も、面がピシャリ
と決まるようになった。
ボーンポンポンのポンポン当て
をしなくなったからだ。
竹の刀でも鋼の刀と同じ事をやる。
それが本当だろう、と小学生の時
に思っていた。

幕末撃剣時代にすでに竹刀さばき

が曲芸師のような「竹刀お化け」
は存在したが、戦後昭和の時代、
私の剣筋は時代には即してはいな
かった。周囲では似た刀法を用い
る子どもたちはいなかった。
家の倣いで私の子が剣道をやり
初めて10年近くが過ぎた頃、
子から剣の要諦について質問され
事がある。
「斬れ」とのみ私は答えた。
そして、真剣と刃引きと拵に入れ
たツナギの木製刀身で刃筋を立て
て振る事をさせた。毎日のように。
私の子の剣道が変わった。
中学の時には二年連続で県代表
として東京の北の丸武道館の
全国大会に出場した。

斬撃で本当に切れる運刀を実現さ
せる
事が可能なのは、刀法の存在
の有無
なのだ。
刀法を以てすれば、刃引き日本刀で
畳表巻を切断することも容易い。
これは本当だ。
私が実際にできるし、刀術錬磨の
稽古の中で現実に実践していたの
だから。

(刃引き日本刀による試斬。上部
畳表は置いているだけである)


試斬は、刀の具合を検証する場合
と己の腕の如何を確認する場合
のどちらであるのかを予め明瞭
に自己認識する必要がある。
切れたか切れないかだけに目が
行くのは、斬刀法を実行するに
おいて意識水準が低すぎて話に
ならない。
切れるのは当たり前の事であり、
箸の持ち方と同じ、剣持つ者の
大前提だ。
いつまで箸の持ち方をどうかと
考えているのか、そのレベルから
脱せられないのかと、己の目線の
大元に自ら刃を向ける事が必要
だ。
一般人は在りようはどうでも
いい。剣士ではないから。
だが、剣士であるならば、心の
在り方、目線の先と大元の思考
の発現位置はとても重要だ。
剣術、抜刀術、斬術の刀法の深淵
は、たかだか畳表や竹が切れたか
切れないかなどという些末なもの
ではなく、もっと深い。
箸の持ち方でつまずいてそこに
留まるのは、心がすでに外の道に
外れているからだ。

そもそも藁ではなくイグサ巻きの
畳表であるのに巻き藁とかいつま
でも言っている時点で、識別能力
の完全不在を露呈させている。
剣の技法や心法を語り説く以前に、
論外。




統一協会

2022年09月01日 | open





















出会い

2022年09月01日 | open



旅の面白さは、景色との出会いが
ある事。
感動する。


フォーク

2022年09月01日 | open



バックのワンテン遣いの友人と
ナイフ談義をしていて、彼が
「フォーク未発達」の歴史的事
実を指摘した。
成程、これは歴史の落とし穴だ。
切り物の刃物は時代と共に人間
は工夫して、専門製造者も多く
この世に登場した。
だが、食卓ナイフは種々開発さ
れても、フォークはナイフ程の
形状開発変化は見られない。
フォークは先を鋭くさせすぎて
も刺した物が脱落するし、また
先端が丸くても使えない。
食卓ナイフにはいろいろな工夫
と形状が見られるが、フォーク
はほぼどれも近似だ。
そして、カスタムナイフは存在
すれど、カスタムフォークを作
っている製造者は数える程だ。
これ、カトラリーの発達史観の
考察においては、一考に値する
見どころかと思う。

それにしても、食卓ナイフから
始まったガーバーの原初的な
ナイフのシルエットの美しい事。
ただの食器として作られた物で
あるのに、深い芸術性さえ感じ
る。
当初はかなり製造職人にダメ出し
をガーバー社の経営者が出して、
ようやくこの造形になったと聞く。
まるで、新陰流の柳生蓮也が成し
た刀工光代へのエピソードみたい
だ。
刃物の世界にはドラマがある。


ところで、現代では世界五大料理
というと筆頭にフランス料理が
来る。そして、トルコ、中国、
イタリア、日本(和食)となる。
世界三大ではフランス、トルコ、
中国だ。
だがしかし。
中世まではフランスにはナイフも
フォークも無かった。全部手づか
みでごった煮みたいな物しか食べ
ていなかった。
そして、イタリアから食器のカト
ラリーが入って来てぶったまげ
たのがフランスだ。
そこからフランスの王朝料理が
進化した。
フランスはカトラリー後進国だっ
たのだ。今でそこ鼻たーかだか
でお気取りだが、実は手づかみ
食らいの未発達な食文化だった
のだ。

日本でも倭国の頃は手づかみ。
二本の箸が中国から入って来る
は奈良時代の事だ。
それまではトングのような物し
かなかった。なので、日本神話
で、八岐大蛇譚のあたりで川に
流れて来た箸を見て人が住むと
貴人が察した、というくだりは
後世の創作である事が判る。
歴史的に存在しない物を登場
させてしまっているからだ。
記紀や風土記が奈良時代以降の
創作物であるので。
そもそも、文字など日本には無
かった。それゆえ、中国の文字
を借りてそれまでの倭国言葉を
借字により表現するしかなかっ
た。日本人は自分たちで文字を
発明できなかったのだ。
また、古代からほぼ殆どの文明
的な文化は外来であるのが日本
の特徴だ。
そして、特異な点としては、その
外来物を日本人は日本において
原初よりも超高度にカスタマイズ
して発達させる術に異様に長け
ていた。
古代から、それは日本人の特徴
で、世界的超一級の技法に日本
人は多くの事物において高めた
歴史の事実がある。
いわば加速ターボチャージャー
みたいなのが日本人だ。
日本におけるナイフの嚆矢の稲を
切る石包丁にしても、日本人が
高度に発達させたし、他の刃物
についてもそう。
鉄器に至っては、本場中国より
も日本製鉄器が最古の作り始め
の時代から突出した性能だった。
日本人はコンバージョンとカスタ
が大得意なのだ。
そして、日本は世界トップの稀有
な歴史を持つ「刃物の国」だ。
不朽的な歴史を持つ。これは動か
ない歴史だ。不動の位置。
その国の国民から刃物を取り上げ
る風潮は、国を滅ぼす事に加担
する行為なのである。

似ている物 ナイフ

2022年09月01日 | open


米国ガーバー社の食卓ナイフの
ミミングは、日本の奈良時代の
刀子(とうす)にそっくり。
そして、日本の料理包丁はずっと
このような形だった。
包丁にアゴが出来て今のような
形になったのは江戸時代以降。
なので、信長のシェフに現代と
同形状の出刃や舟入三徳のよう
な形の包丁が出てきたのは噴飯
物甚だしく、ひどすぎた。
八代将軍の時代に江戸城天守が
出てくる三文ドラマの時代劇に
多いパターンと同じ出鱈目だが、
一番やってはいけないパターン
だ。
例えば、タイムスリップして
平合戦の頃に飛んだら、壇ノ浦
では壮絶な銃撃戦やっていたと
か、川中島では自動小銃で撃ち
合っていた、と同じ事なのだ。
その時代には地球上に存在しな
い物体を登場させるのは。
まして、料理人か主人公で、包丁
を奮って腕を示す物語で、その
肝心の包丁が出鱈目だというの
は、原作者の出鱈目さを表して
いる。伝説の「ちょろいもんだぜ」
と同種なのだ。いい加減で、仕事
を身近に引き寄せていない不真面
目。テケトンというやつだ。
1870年代の西部開拓時代にF1
マシンが出てきたら誰もがおか
しいと思うが、アイテムは人が
気づきにくい。
そして、主人公が専門として使う
物が実はあり得ない物体だったり、
プロなのにど素人丸出しというの
は、視覚表現作品では絶対にやっ
てはいけないものなのだ。

江戸時代の時代劇でガーバーが
出て来たらおかしいでしょう?
でも、それをおかしいとは感じ
ない映像や漫画作者はかなり
多くいます。
あと、非常に多いのが、時代劇
漫画を描いていながら、日本刀
の鋒(きっさき)の形をきちんと
描けない漫画家。とても多い。
大抵は鎬と小鎬がY字型で横手
がないミョウチクリンな描き方
をしています。特に時代劇特集
の漫画雑誌などに掲載される
無名の漫画家の描き方は。
不真面目です。
仕事をきちんとしていない。
レースの車を描くのにタイヤを
△に描いてよしとしているよう
なもの。
あかんやつ、なんです。それ。



レスト「メカニカルブリッジ」ビリヤードキュー取付加工

2022年09月01日 | open

レスト「メカニカルブリッジ」
ビリヤードキュー取付加工

これはいい。
参考になります。
既製品でこのタイプの物はあるが、

自作加工というのも手ですね。