渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ロングエンドキャップ

2022年09月25日 | open


私のオリジナルキューふたつ。
TADのブライアン.ハシモトタイプ
のロングエンドキャップにして
ある。
元々は、実用的にはエクステンシ
ョンの意味があった。
その為、一般キューが57インチ、
58インチの時代に1970年代〜80
年代TADのこのロングエンドタイ
プは59インチ程あった。(58イン
チもあり)
ちなみに下のキューのオリジナル
シャフト装着の全長は59インチ、
上のキューは60インチで少し長め。

マッセカーブショット

2022年09月25日 | open






完全隠れ玉をL字マッセで撞く。
カーブしてヒットさせるも入射の
アングルがズレてミスポケット
だった。

マッセの際、タップはラシャには
接しない。
グランドマッセなどではタップが
ラシャに当たる場合もあるが、キ
ューを極度に立てるのでラシャは
破かない。
中途半端な立てキューでラシャを
えぐるとラシャが破ける。
簡単にラシャは破ける。
だが、上級者はマッセをやろうが
ラシャを破く事はない。

ラシャ破きは1センチあたり10万
円程の弁償代がかかる。
交換だけなら5-6万だが、その台
休業補償も別途請求される。
なので一般的店舗では初心者の
マッセを禁止している店が多い。
練習はラシャ張り替えの前日等に
懇意の店ならばマッセ練習をさせ
てくれる。
ラシャは破かなくとも、上から
キューを叩きつけるので、ラシャ
にへこみ痕が残る。
マッセとジャンプの練習にはシー
トやラシャのハギレを敷いて撞く
のが常連であろうともマナーだ。
競技中にはマッセ禁止は無い。



箱台

2022年09月25日 | open



「箱台」という。
戦前〜昭和末期まで一般的だった
ポケット・ビリヤード・テーブル。
ボールリターン式だが、ドレンの
レーンは木製の箱型である。
全てのポケットボールはセンター
に集められてラック側下部に戻っ
て来る。直線木製誘導路をボール
がゆっくり転がり通るので独特の
音がする。
各ポケットの下に網があってそこ
にボールが溜まるプール式ではな
いリターン台だが、現行の台枠の
外周下部に鉄製の筋レーンがあっ
台の端下を回って来る方式では
なく、台の中をボールが通って
戻って来る。

現在でも旧式台の箱台を置いてあ
る店はあるが、国内でも激減して
いる。米国ではほぼ消滅した。


ほんまもんの箱台(笑



一刀

2022年09月25日 | open



スーパー女子中学生ミドリちゃんの
キューはTADの八剣。




黒船来航

2022年09月25日 | open



1853年、浦賀沖に突如現れた
アメリカ合衆国の黒船4隻。
江戸は大騒ぎになった。

誰でも知っている事。学校で習う
から。
でも浦賀ってどこ?
となると、神奈川県民でさえ、ど
こだっけ?となりかねない。

浦賀ってここ。
現在の神奈川県横須賀市の東部
沿岸部。


この沖に星30個の星条旗を掲げた
日本人が見た事もなかった最新鋭
の巨大蒸気船が現れた。
向こうに見えるのは房総半島。


幕府は見物禁止措置を発令したが、
民衆たちは無視して連日見物人た
ちでごった返すような状態だった
という。
幕府のお達しを民衆が丸無視する。
すでに江戸幕府崩壊は、黒船が
来なくとも始まっていた。




撞球一刀流

2022年09月25日 | open



これは常に一刀なり。
だが、最近では多くの者が刀を
持つ。
一つは枡崩し用。
一つは飛行用。
そして、一つは斬切用。

かつてはすべて一刀でこなしてい
た。誰もが。
三十年程前からそれが変化した。
だが、変わらぬ事がある。
使うのは常に一刀だ。
曲芸以外、二刀同時には使わない。
これもまた誰もが。

二刀 〜帯刀雑考〜

2022年09月25日 | open
 


武士はなぜ二刀をたばさむのか。


公家は一刀だ。


だが、武家も公家も、使うとした

一刀だ。
公家で使った者はあまりいないが。
 
一刀のみ。
短い刀は切腹用だ。
公家と女子は切腹はしない。
だが、武家の女子は自決はする。
その為、懐剣を差している。


だが武士とて、屋外では常に二刀
だが、


屋内及び殿中では一刀である。


武家の女(お笑い芸人ではなく)も
武芸者であって二刀を帯びようと
も、


殿中警護では一刀である。
(大奥警護の女)


二刀であろうと、一刀だろうと、
刀を差すと差さないでは位相が大
きく違う。
何の位相か。
それは魂だ。士魂の有無である。
武家の女の場合、常に懐剣を持つ
が、これは戦闘用ではなく、自裁
決裁のためだ。つまり、自決用。
女子に切腹はないが、武士ならば、
男だろうと女だろうと自裁する。
そこが公家までをも含めた全日本
と武家の違いだった。

「守り刀」とは言うが、そうでは
ない。それは死してのちに胸に
置かれる短刀の事だ。
武家女の懐剣は武士の一分を持つ
証明だ。その心は不義無しであり、
それが犯される時には自裁するた
めの刀だ。自殺とは異なる自決の
ため。
つまり、男の副え差し=脇差と
同じ意味を持つ。
「何を守るのか」という事なので
ある。
 
現代。
日本人の全てにおいて、刀を日常
的に帯刀する事は無くなった。
だが、心根のありかとしては、
心に脇差、懐剣を持つ者たちは、
この先も持ち続けるだろう。
また、心に無き者は最初から持た
ないだろう。
それは男女の区別なく。
刀が無くてもよい世の中になって、
良かった面と悪しき面がある。
そのあたりの弁えは本人次第。

ただ、人々が幸せに暮らせるなら
ば、それが何よりも良い。
但し、節無き世は人の幸せを害する。
これらは体制が為すのではなく、
人が為す。
それは非常に宜しくない。
礼も節も不在になったら、それは
日本ではなくなる。
時代を超える不朽性とはそうした
もののように感じる。
私たちが守るべきは、そうしたもの
ではなかろうか。