武士はなぜ二刀をたばさむのか。
公家は一刀だ。
だが、武家も公家も、使うとしたら
一刀だ。
公家で使った者はあまりいないが。
一刀のみ。
短い刀は切腹用だ。
公家と女子は切腹はしない。
だが、武家の女子は自決はする。
その為、懐剣を差している。
だが武士とて、屋外では常に二刀
だが、
屋内及び殿中では一刀である。
武家の女(お笑い芸人ではなく)も
武芸者であって二刀を帯びようと
も、
殿中警護では一刀である。
(大奥警護の女)
二刀であろうと、一刀だろうと、
刀を差すと差さないでは位相が大
きく違う。
何の位相か。
それは魂だ。士魂の有無である。
武家の女の場合、常に懐剣を持つ
が、これは戦闘用ではなく、自裁
決裁のためだ。つまり、自決用。
女子に切腹はないが、武士ならば、
男だろうと女だろうと自裁する。
そこが公家までをも含めた全日本
人と武家の違いだった。
「守り刀」とは言うが、そうでは
ない。それは死してのちに胸に
置かれる短刀の事だ。
武家女の懐剣は武士の一分を持つ
証明だ。その心は不義無しであり、
それが犯される時には自裁するた
めの刀だ。自殺とは異なる自決の
ため。
つまり、男の副え差し=脇差と
同じ意味を持つ。
「何を守るのか」という事なので
ある。
現代。
日本人の全てにおいて、刀を日常
的に帯刀する事は無くなった。
だが、心根のありかとしては、
心に脇差、懐剣を持つ者たちは、
この先も持ち続けるだろう。
また、心に無き者は最初から持た
ないだろう。
それは男女の区別なく。
刀が無くてもよい世の中になって、
良かった面と悪しき面がある。
そのあたりの弁えは本人次第。
ただ、人々が幸せに暮らせるなら
ば、それが何よりも良い。
但し、節無き世は人の幸せを害する。
これらは体制が為すのではなく、
人が為す。
それは非常に宜しくない。
礼も節も不在になったら、それは
日本ではなくなる。
時代を超える不朽性とはそうした
もののように感じる。
私たちが守るべきは、そうしたもの
ではなかろうか。