渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

野生の掟

2022年09月04日 | open

頑張れゾウさん。
負けたら殺されて喰われてしまう。
だが、ゾウも必死だ。
振り払ったライオンに突撃したり
して、14頭のライオンに諦めさせ
た。

仔ゾウの怒りの反撃の突進。
逃げ惑うライオン。


ゾウがライオンを襲う事は無いの
で基本専守防衛なのだが、この
ゾウは一旦対岸に渡りながら、
再び体制を整えて反撃に転じて
いる。
若いゾウも必死だ。

生きる為に他者の命を奪う。
人間もそうだ。
生物の命を奪って人間は生きて
いる。
菜食主義?ビーガン?
ビーガンは、人体に必要な特定
ビタミンが不足するのでサプリ
メントで補っている。
それって、自然の法則に対して
かなり無理がある不自然な事だ。
植物だって生命体だ。
菜食主義だろうとビーガンだろ
うと、その生きている生命を奪
って人間は生きている。水と光
合成のみでは生きられない。
鳥も魚も動物も、神にそのよう
に造られてしまった。
自ら望んだ事ではない。
受け容れるしかないのではない
か。決して傲慢にならずに。


ブレイク

2022年09月04日 | open


今、私はブレイクはホントに下手。
皆さん上手い。
私と同じレベルの撞球者の人たち
はブレイクが本当に上手い。
私のブレイクはその人たちと比較
するとドZ級なみだ。

以前、もっと撞けていた頃は、
「平場からのブレイク上手いで
すねえ」とSAの人から言われて
もいたが、今はどこから撞いて
もまるでダメ。
何かが欠落しているのだろう。
割れて入って散れば全部取り
切る。いわゆるマスワリ。
しかし、割って入れない事には
プレーにならない。
ナインボール、テンボールは
ブレイクの重要性は8割以上な
のではなかろうか。
今更だけど(笑
つまりブレイクどZ級という事は
私の玉突撞きZ級ってこった。
そういえば、連マスがホイホイ
の頃は、ブレイクが全て狙い通り
に割り入れ散りになっていた。
決定的な何かが今欠落している
事は確かだ。

一人ブレイク上手い人親しい人
にいるのよね。
毎回、同じような散りと入れで
割る。ミディアムブレイクで。
で、大抵はマスワリなのだけど、
時々変な飛ばし方する。
毎回同じ角度。
あれは苦手玉なんだろうね。
今、私の苦手玉はブレイク(笑

こんなんばっか。
これ、あかんやつ。
取り出し、見え玉無し。



平成の大力士のふたり

2022年09月04日 | open
 


この二人の若き力士の活躍には胸
躍らせた。
お兄ちゃんも弟もバイク好きだっ
んだよなぁ。
まだ、親方もおかみさんもいて、
家族もまとまっていた頃。
その後、この家族は全員が全員
バラバラになった。
しかも結婚したこの二人の兄弟
の家族さえもがバラバラになった。
辛いよなあ。
貴乃花さんなんて、息子に自分の
「ウサギの牧草地」二輪を勝手に
売り飛ばされた
りもした。つい
最近。
どうして、こうも皆が皆、ファ
ミリーがバラバラになってしまう
のだろう。
何だか、宮沢りえさんと引き裂か
れたあたりから、全員が歯車狂い
初めたよなぁ。

瀬戸内海の鯛

2022年09月04日 | open


船で釣って来た三原沖の鯛。
うまし!

ブレイクナイン

2022年09月04日 | open



昨日、久しぶりにブレイクナイン
が出た。
ブレイク後の移動途中の蹴られ玉
ではなく、ブレイク
直後に綺麗に
ナインボール
が一直線にスーッと
サイドポケットに向かった。

最近出ていなかった。
綺麗に割って入れて散らばせて、
全ての玉を取り切るほうが100万
倍簡単。

ブレイクナインは狙ってできない。
運のようなものだ。
だが時には、運も芸術である。

この時のニューマンの歳は、今の
私の一つ下。



パターンラッキングとソフトブレイク

2022年09月04日 | open




あまりにも完成度の高いパターン
ラッキングとソフトブレイクをUS
オープン王者のコーリー・デュエル
が完成させ実行した。
彼は毎回決まった形に割り、同じ
取り方でマスワリを機械のように
公式戦で量産した。これまで誰も
人類ができない事をコーリー・
デュエルはやってのけた。

そのため、ナイルボールの公式の
ルールは改変された。
パターンラッキングの禁止と、ブ
レイク後に規定玉数がブレイクラ
インを超えてキッチンに戻って来
ないと相手に撞き番ターン、9番
ブレイクナインポケット指定、
ブレイク位置指定、交代ブレイク
などがそれだ。

ナインボールは1980年代後半から
数年のように公式ルールが変更さ
れて来た。
それはナインボール自体が完成さ
れたゲームではなく、ギャンブル
性の高い種目であり、実際に小銭
賭けの賭け玉としてアメリカでも
行なわれて来た歴史があったから
だ。
アメリカン・ポケットの王道は
ストレート・プールだ。プールの
王様。他はエイトボール以外は展
開の早いバクチ用の種目だった。
だが、テレビが普及してからは、
放送用に短期戦のゲームが適して
いたので流行をみた。
ナインボールはブレイク数が多い
のでインターバルでスポンサーの
CMを多く放送できるからだ。
そのため、ポケット・ビリヤード
では、本将棋ではなく挟み将棋が
人気の主軸となった。

パターンラッキングとソフトブレ
イクについて解説したサイト。
現在では公式ルール上は、パター
ンラッキングとソフトブレイクに
よる「形作り」プレーは禁止され
ている。


キューの木ねじ

2022年09月04日 | open

キャロムキューの木ねじという
のは、こんなのなのよー。
振り子のような余計な振動しない
のよー。
手玉のトビずれ少ないのよー。

1960年代初頭にプールキューの
カスタムビルダーが登場してから
ある年数はランボー&バラブシュカ
スタイルが流行した。
しかし、暫くすると、キャロム・
キューのこの構造を部分的に採用
して金属ジョイント+シャフトの
メスネジ部を木製のままという、
新しいプール・キューが登場した。
そのキューは撞き味のダイレクト
感と手玉突き出し性の高さで有名
なり、多くの愛好者が出た。
台湾においては、そのキューが
神器のように崇められた。
私も正真実物のその作者のイエロー
マイカルタ先角作品で5ラック先取
りを3回撞いた事があるが(A級対戦、
全て私の勝ち)、そのまま譲り受け
て持ち帰りたい程の物だった。
成程これがこの作者の本物か、と。
偽物も多く出回り、またコピーも
多い。そして、死亡後には遺族が
作っている。
それらを全部撞いてみた。
すべて故人本人の作とは全く異なる。
本人作のソリッド感がなく、ドライ
で乾いた枯竹のような掴みどころの
無い物が多く、手玉をギュインと
運んで行くあの感触がある物は皆
無だった。撞かせてくれたプロに
は申し訳ないが、それが正直な感
想だった。

私のTADはTADの中ではイレギュ
ラーな構造で、荒ねじと呼ばれる
だ。
戦前の10代の頃からタイトルを
総なめにしたジョー・バルシスは
戦後もUS OPEN他多くのタイトル
を手にした。
その彼が選んだのがTADだった。




バルシスが世界チャンピオンの
時に使ったTAD。


ジェリー・フランクリンと同じ
荒ねじ構造だ。

この焦茶色のベークライトは2008
何頃まで存在したが、その後メー
カーが製造をやめたので、現在で
はもっと色の薄いタイプしか入手
できなくなった。
製品改変時にリペア業者の中には
「薄い色の新製品も、使っている
うちに旧製品と同じ焦茶色になる」
などと言う者もいたが、そんな馬
鹿な事はあり得ない。

私のTAD、1995年製。
バルシスが亡くなった年に作られ
た。
ジョー・バルシス・モデルの復刻
版のような作りになっているが、
バルシス追悼モデルとして作られ
たかどうかは不明。
シリアル1500番台。1995年10月
の製造になる。
撞球性能は極めて高い。
撞き味は本物のサウスウエストに
よく似ている。


1967年のUSオープン出場者。


ジョー・バルシス。
(1921生、1995年1月没)




経年変化

2022年09月04日 | open


最近のコーリー・デュエルは
ビジュアル的にもカッコいい。
てなことを友人と言っていた。

だが、その白人系外国人の友人
はこうも言ってた。
「初めて見た時は、あ!ニホン
ザル!と思った」と。しでー(笑


いえてるかもだが。

ただ、私は登場した頃のコーリー
は、今までにはいないアメリカの
大学生のスカラーみたいなタイプ
印象があった。
それまでのプールプレーヤーは、
全員が揃いも揃って西部劇に出
てくる酒場のギャンブラーみた
いな風貌と印象があったからだ。
執事のようなアービング・クレ
インと教師のようなスティーブ・
ミゼラク以外は。
爽やか青春グラフティのような
路線はコーリーが初めてだった
ように思える。
そして、実際にコーリーは、
ビューしたての若者の頃、2000
年前後には「プールの王子様」と
呼ばれていた。
Corey Deuel - Wikipedia

Corey Deuel - Wikipedia

 


まずい酒

2022年09月04日 | open



なんだこれ?
世の中よくぞこんな不味い酒が
あったものである。
まるで、気の抜けた腐りかけて
酸味が出たRゴールド。
そんなの飲んだことはないが。

酒の不思議は、いつのまにか
自然に無くなる事。
この製品は、その一つの現象を
発生させない力を持っている。

飲んだのはゆんべの事。
初めて飲んだ。
これ、あかんやつやった。


キャロム・ビリヤード用のキュー

2022年09月04日 | open


キャロムの世界では、大昔から
ディフレクションを抑える為に
先角を短くして先端を軽量化さ
せる事は常識的に行なわれてい
た。
また、ジョイントも振動の振幅
を最小にするためにオスもメス
も木ねじで作られていた。
そして、振り抜きの鋭さを得る
目的で、キューの総重量は16オ
ンス程の軽量かつ短めのキュー
だ。

特化されたキューは種目ごとに
存在する。
キャロムでも四つ玉やボークラ
イン用とスリークッション用で
はシャフトのテーパーが異なる。
ポケット・ビリヤード用のキュー
も、全長、重量、構造はキャロム
用とはかなり異なる特化物だ。
また、英国ポケット・ビリヤード
であるスヌーカー用のキューも
スヌーカー競技に適正化された
特化物であり、他のビリヤードの
キューとは相当異なる構造になっ
ている。
スヌーカーのキューは、ビリヤード
キューのかなり原初的な古い部分
を残す作り込みとなっている。
未だに旋盤を使わずに削り出す
工法もまだ残っている。

現代は、アメリカン・ポケット・
ビリヤードが全世界で一番人気
がある。
ビリヤードとは本来キャロムの
事を指したが、今やアメリカン・
プールがビリヤードの代名詞の
ようになった。
だが、本来ビリヤードという語
がキャロムの事を指してはいて
も、玉撞きの最初はゲートボール
のようなゲート通しだった。
それが野外から室内競技に変化
発展しても、何百年も台上ゲート
くぐり競技のまま続いた。
やがて18世紀になって、台上に
穴を設けて、ゲートを潜らせて
さらに穴に入れる競技に変化し
た。
そして、やがてゲートは無くなり、
穴入れ競技となる。
そこから穴を無くして玉と玉を
当てる非常に難しいゲームとな
った。
一方、穴入れ玉撞きは独自に独立
して別な玉撞きとして発展した。

ヨーロッパ人がアメリカに持ち込
んだビリヤードは、アメリカでは
最初ヨーロッパと同じ赤白玉を
穴に入れるゲームだった。
これは1861年の第一回全米選手権
でもその競技だった。
オールのような形のメイスという
道具から棒状の柄の部分が分離し
た「キュー」が登場した頃だ。
だんだんキューの人気が広まり、
メイスはビリヤードの世界から
消滅して行った。
完全にキューのみで玉撞きが
キャロムだろうとポケットだろ
うと行なわれるようになったの
は、日本の歴史にあてると、丁度
最幕末の頃からだ。
ただし、玉撞き自体は日本には
1600年代の初頭には入って来て
いる。
西洋人のカピタンたちがもたらし
た。
しかし、西洋人しか競技せず、
日本では日本人がやるようになっ
たのは、明治新政府樹立以降だ。
攘夷どこ吹く風の明治新政府の
急激な西欧化の政策の中で、日
本人は撞球をやるようになった。
明治貴族や富豪たちの舞踏会で
有名な鹿鳴館にも撞球室が設け
られ、6台のビリヤードテーブル
が置かれた。
英仏式のキャロム台だ。
また、皇室では撞球が国際的(西欧
的)な素養の一つとして嗜まれる事
が行なわれ、明治の華族、士族、
富裕層もこれに倣った。
天皇の避暑地や御所には撞球台が
置かれ、岩崎邸をはじめ各元勲の
屋敷には撞球室が作られた。
一般庶民もビリヤードに大いに
親しみ、都心部では洋食屋には
撞球台、というような環境が広
まり、同時に撞球場という専門
のビリヤード場も街中に多く登場
した。
さらに大正デモクラシーの頃に
日本の撞球文化は大衆的に爆発
高揚し、銀座などはまさにビリ
ヤード銀座という景色になった。
帝都のいたる所に玉撞き場ができ
たし、地方都市もそれに続いた。

戦争によりカフェやビリヤード
パーラーは規制衰退したが、戦
後にはまた日本人の玉撞き好き
が大手を振って堂々と体現でき
る時代がやって来た。
だが、国内での主力は1987年
まではずっと四つ玉だった。
四つ玉のさらに上級者はスリー
クッションをやった。ビリヤード
競技の中で一番難しいのがスリー
クッションだ。
これは世界チャンピオンでも50
点撞き抜きなどはできない。
四つ玉では1000点撞き抜きは
結構ある。
また、アメリカン・プールでも
連続500個ノーミス入れ続けと
いうのはある。
だが、スリーは1キューで25点
撞き切りを毎回出せたらインター
ナルチャンピオンになれる程に
難しい種目なのである。
ビリヤードは各種目が総じて
簡易ではなく、一定の技術を
持っていないとプレーになら
ない競技だが、スリークッション
こそはビリヤードの頂点、撞球
王の種目であるといえる。

キャロムキューは独自の進化を
遂げたが、物理的な特性をよく
吟味して構造は進化した。
その進化の実態はアメリカン・
プールキューよりもかなり早い
時期に完成域に入っていた。
ポケットのほうが途中から妙
な変化をして進化が一時停止
していた。
そして、最近、ここ20年ほどで
またポケットキューの構造変化
が動き出したのだが、えげつない
商業主義によって、その基軸は
歪んだ路線となっている。
良い物を作るのではなく、物を
売らんがなが第一義とされる
姿勢で「消費商品」としてビリ
ヤードの道具が作られ始めたか
らだ。
主としてその流れは世界の中で
日本人が作った。
バブル経済の頃に海外の土地や
名画を買い漁ったエコノミック
アニマルの復活だ。
褒められたもんじゃない。

売らんがな主義は、それより
強い売らんがな主義に負ける。
日本のオートバイがもはや世界
トップの開発製造力が消滅して
この先日本は二輪の製造や世界
選手権から撤退するであろう
事と同じく、やがて日本のビリ
ヤード界も衰退、消滅して行く
事だろう。
中国にすべて負けて。
日本人がモノヅクリの大切な事
を忘れ、別な目的を第一義とし
て、反省も自省もせず、このま
ま進めばそうなる。
現に多くの産業、文化、学術、
知的活動、社会意識部分でそう
なって来ている兆候が随所にみ
られる。
この国は、あと100年続かない
かも知れない。

澄んだ良音を奏でるキュー 〜ザ・サウンド・オブ・プール〜

2022年09月04日 | open


キン、クォーン、コンと澄んだ
高音を発するキュー。
カン、ケンという乾燥音ではな
い。
キ、ク、コは目の詰んだ木材の
音として澄む。
それは大抵はBの音階に近くなる。
だが、音質はキクコであり、音程
というピッチ=周波数とは別な要
素として人間は感知する。
同じ音程でも乾いた乾燥竹のよう
な音か木琴のような響きかでは、
まるで質性が異なる。
そして、倍音というサスティーン
の問題もそこに入ってくる。
「音」の世界は単純に音階だけで
はない。

ポケットビリヤードの元世界チャ
ンピオンの奥村健プロはかつて
言った。
キュー選びの第一条件について。
「サウンド」と。単語だけでキッ
パリと。
これは、撞くのが人間の場合、
かなり重要な事を指し示してい
る。
音ではなくサウンド。
匂いではなく香り、という感覚
に近い。

人は感覚によってスポーツを行
なう。
工作機械のように目盛りなどつい
ていない。
音に関しては、機械で計測した周
波数だけで人間は音の質性を感じ
取るのではない。
バスケットのシュートも、野球の
バッティングも、サッカーのドリ
ブルも二輪の競技走行も、すべて
人間は感覚で行動を実行する。
ビリヤードの場合、そうした感覚
を研ぎ澄ます役目にキューの打球
音は一役買うどころか、非常にメ
ンタリティにおいて重要な要素と
なる。
集中力とやる気を加速させるのが
キューの良質なサウンドなのだ。

最近、新進気鋭の国産キューメー
カーの完成品説明で、音の良さを
前面に出してPRして来た製品が
登場した。
これはこれまでキュー作りの製作
者では見られなかった。
これまではせいぜい「音も良い」
程度だ。
ましてマスプロメーカーでは未だ
にそうした質性をアピールする事
は皆無だ。
30本限定製作の国産カスタムだ
が、音についてピシャリと謳う
という姿勢を見せたビルダーは
初めてかと思う。
金額は勤め人のほぼ平均的月給
程度。定価も適正価格だ。
今後、こうした傾向性が広まる
事に期待したい。

良音は良材と隙のない高い工作
精度、密着精度がないと発生は
しない。
ビリヤードキューにおける音は、
モノヅクリとしても、とても大切
な中心幹を構成しているのであ
る。