教えに背くわけではないが、イエス
が言った「この者に悪魔が入った」
というのは実は違うのではと思う。
スコット.ペックが著書に書いた
ように、どこまで行っても「邪悪な
人間」は「邪悪な人間」でしかない
のではと感じる。
その邪悪な者は決して己の犯して
いる罪と向き合おうとはしない。
それは悪魔がその者に入って心を
支配したのではなく、最初から
その者はそうした邪悪な人間でし
かないのではないか。
イエスさえ言った言葉がある。
「この者は生まれてこないほうが
よかったかもしれない」と。
そうした人間はいるのだ。
この世に光と闇があるように、邪悪
な暗黒心でしか生きていない人間
は存在している。
その者の存在が害悪であるのは、光
の部分も邪悪な暗黒で多い尽くそう
と実際に言動を為して浸食しようと
し、現実にその為に動く事だ。
ただ生きているだけならば害悪は
人々にはもたらさない。
だが、実際には閑居せずとも不善を
為す。
つまり、光ある世界を闇に包もうと
邪悪な心で行動を為す。
それらの者にも赦しと救いを与える
必要があるのか。
「生まれてこないほうがよかった」
邪悪な存在に対しても。
トリさんにもいろいろある。
松本零士先生の名作『キャプ
テンハーロック』に出て来る
トリさんは、ハーロックの無
二の親友であるトチローと共
にいるトリさんだった。
そして、トチローの昭和期の
先祖は男おいどんであり、九
州に住した。おいどんの安ア
パートにトリさんは住んでい
た。
宇宙浪士トチローとおいどん
の先祖は大山の苗字を名乗っ
た刀鍛冶の一族であり、幕末
に高杉晋作と出会った大山蜻
志郎は高々と名乗りを上げて
いる。
一方ハーロックの先祖はドイ
ツ人の探検家パイロットのフ
ァントム=F=ハーロックだっ
た。スタンレーの魔女と呼ばれ
たアジアの高山を超えられず失
敗した。
ハーロックの先祖はそれ以前
はアメリカにいて、西部開拓
時代のガンマンであり、アメ
リカに移住した日本人の刀鍛
冶の一族の一人トチローと旅
を続けていた。
その大西部のガンフロンティ
アで出て来るトチローとは、
幕末には日本にいた大山蜻志
郎である可能性が高い。
大山一族は集団で合衆国に移
住した様子が描かれている。
日本では明治10~20年にあた
る。
これらはスターシステムでは
なく、血脈者であると松本零
士先生はファンとの交流会で
語っている。
その交流会の中で私の知人が
「大山という苗字は安芸国の
大山鍛冶と関連があるのか」
との質問を松本先生に向けた。
すると、松本零士先生の直の
答えは「それもあるかも知れ
ない」との事だった。
織田信長が死ぬ2年前に作ら
れた大山鍛冶の刀。
私の差料だ。
幾星霜を駆け抜け、刀身は磨
ぎ減ってはいるが、ナカゴの
柄縁付近の厚みは1センチ近く
ある。
元々は上(かみ)の刀身部も、
重ねが厚い戦場刀だった事が
窺える。
この刀掛けは自作。
銘「安芸國大山住仁宗重作
天正八年二月吉日」
大山鍛冶に関する過去記事(一部)
漫画家・アニメ作家としては安彦良和
が好きである。
彼が弘前大占拠闘争を闘った全共闘
の闘志だったからというのではない。
まして、1979年に開始されたガンダム
が私より年下の世代の世界観を変えた
のは確実だが、私は安彦が手掛けた
ガンダムのオタでも宇宙戦艦ヤマト
マニアでもない。
だが、オタでなくともアムロの「な、
殴ったなぁ」の有名なくだりはアニメ
や表現作品を観る者なら誰でも知って
いる事だろう。
私は安彦の描画のタッチとプロット、
展開の描き方が好きなのだ。ごく単
純に。
こうしたある事物が好きか嫌いかは
完全に個人のアイデンティティとし
ての嗜好性に類するものであり、
それは何人たりとも否定したり揶揄
中傷する権利はない。
今の破滅前の日本では、心得違いの
慮外者がウィルスのように蔓延して
いるが。
映像作品、描画作品というものは、
観る者の態様には関係なく独立し
ている。
ゆえに観る者が何を好み、どのよう
に感じるかについては他者は口出し
などできないのだ。
それは心はその人本人のものだから
だ。
それを人から獲り上げ、思考を奪い、
洗脳して人間を破壊するカルトは
宗教の枠を外れた社会悪なのだ。
そして現実に社会悪として法を
犯し、刑事犯罪を重ねる。
それは、人を苦しめ虐げる刑事
犯罪を。
採用された最初の筆は『ムーミン』
のOPの逆立ちシーンだった。
1980年代には特筆すべき活躍と
足跡を安彦良和は残した。