砂吹き。
あすからはまた微妙な気圧配置。
最近は遠い玉を撞く時のキュー
延長用のエクステンションを
最初から着けてプレーする
人をよく見かける。
どういう仕組みかというと、
こういうパーツをお尻にはめ
込む。
そしてねじ止め。
バンパーゴムを着けて完了。
延長パーツは素材はPOMだ。
たぶんデュポン社のデルリン®
ではなく、ジュラコンだろう。
しかしまあ、よく考えるよなぁ。
ナイスアイデアだと思う。
野暮ったくなくてスマートだ。
ちなみに延長パーツや短いエク
ステンションを取り付けたまま
プレーするのは、長いキューが
有利だからなのだそうだ。あと
バランス取りらしい。
私のメインの個人キューの長さは
60インチ(一般的には58インチ)
だが、この延長パーツを着けたら
丁度60インチ近くなるのではなか
ろうか。
見た目もTADみたいになるね(笑)。
私のロングデルリンの見た目TAD
もどきキュー。
名称は、とっとと逃げるためDAT
という(嘘
ジュラルミン丸棒から削り出した
自作コッキングハンドル。
フィールド内で脱落紛失した私の
FALのコッキングハンドルを自主
制作する。
鉄棒ではなくジュラルミン丸棒
からの削り出し。
今回、たまたま、こん棒のような
太さのジュラルミンの丸棒端材が
手持ちにあったので、それを使う。
削るよ削る。
旋盤を使って削りんぐと穴開けと
タッピング(手回し)と穴グリ
をやる。
一個目完成。全工程、時間30分
くらいで終了。
少し寸法を変えた別バージョンも
作る。
削って穴開け。
うりうり。
旋盤手回しタッピングしてから
切り落とし。
今度は別機械を使って、手作業
で好みにシェイピング。
多少ノブ部分をダルマ腹にして
みた。
密着部の加工精度うまくいった。
これ、ノブのタッチもかなり良。
でもほんの5ミリ高さ足らず。
やはり実物本物はよく考えられ
ているよ。
んなもんで、入魂の3個目製作、
完成。
ということで、一番完成度の
高い3個目の個体を本式着用品
とし、あとの2個は予備で保管
しておくことにした。
(1個はやはり無くしたFAL持ち
の知人に進呈した)
左から1作目、中2作目、右3作目。
これから、表面をポリッシュ
して、そして完全脱脂後に
ガンブルー仕上げで黒染め
→加熱焼き付け→オイルポリ
ッシュしたら完成。
ウェザリングというかエイジ
ングという時代付けのブルー
イングは楽しい。
自分でマルイXM177E2を組み
込んだM16用フレーム・レシー
バーのフルメタル・キットも、
最初はくすんだ銀色のアルミ
地肌だった物をポリッシュし
てからガンブルーで仕上げた。
いかにもパーカーライジング
がくたびれた風にした。
エイジングは結構大切かも。
たとえば、西部開拓野郎どもが
持つピースメーカーなら、こう
ありたいところ・・・。
これだとしたら、新品ピカピカ
すぎ。綺麗だが、雰囲気は無い。
私のブルーイング作。これは友人に
進呈した。
別個体。プラだが、そこそこ金属
感は出ているかと思う。
でもって、軍用ガバメントは
こんな感じ。東京マルイ製。
これは金属粉が混入されたヘビー
ウェイトではないので、ブルー
イングではなく、塗装のウェザ
リングテクニックで仕上げてある。
クロサワ監督が言うところの
「やつれ感、汚れ感」という
のが程良く出ているかとは思う。
ABSのプラスティックには見え
ないかとは思う。
ということで、MY FAL 復活!
(ハンドルだけ黒染め未処理だけど)
FAL かっけーー!
ちなみにスイベルリングは未装着
だったので、実銃を模して自作した。
ごつくなく薄身でスマートなのに
重くタフネスな奴。実物もそう。
ブルーイングしたコッキング
ハンドルはこちら。
重ね染め(というより化学変化)。
立てる皿代わりの灰皿。
化学変化で液の色が変化している。
気化防錆剤を塗った後にオイル
アップし、ロックタイトを塗っ
てから締め込む。
違和感なし。OK !
エイジング。いまいち。
ただ、アイアンカラーを塗った
ほうが鋼鉄感は出たかも。
そのうち手を加えるとする。
いい感じ。
掲載画像はすべて私が塗った物。(一部)
私は塗りは基本的にアクリル
にしている。今は。
ラッカーもアクリルだが、
有機溶剤系は今は避けている。
仕上がりの透明度が最高なのは
ウレタンなのだが、木の動きに
思うところあり、ウレタンは今
は使っていない。
性能だけでいうなら一番良いのは
何も塗装しない木が良い。シャフ
トのストローク部がそうであるよ
うに。
だが、バットにノーコートだと
汚れまくるのと外気に影響を受け
過ぎて曲がる可能性があるので、
コーティングは要るだろう。
その際、木の呼吸を完全に止めて
しまうウレタンやシアノ系でコー
ティングする方向性と、ラッカー
系で木に呼吸もさせる系にキュー
作りは分かれる。
【秘策】消しても消してもまた被害・・・
落書きに悩む街
地元高校生が多くのトラブル乗り越え奮闘
【大阪・住之江区】
少し前の放送だが、これはよい話だ。
40年程前、横浜の桜木町から高島町
にかけてのガード下の石壁はこの
ような落書きだらけだった。
当時はそれが珍しいポップアートの
ようでもあり、地元の人も放置して
いた。80年代中期頃まで放置された。
描いていたのは白人系外国人だった。
そのうち、80年代サブカルのプチ
ブーム(ロリ嗜好蔓延もそれ。私は
美少女アニメとキャラフィギュア
第一世代である。世の中、その
ブームが来た。離れ目キャラが
大々的に登場し、40年後の現代
まで続く。その萌えキャラの登場
が80年代前半だった。中期には
そのカルチャーは若者たちに
大盛況。私より2-3年上世代は
萌えキャラとその文化隆盛は
全く理解不能だったようだ。それ
に連動して仕掛け人がおニャン子
を創った)が日本国内に起きると、
首都圏のあちこちでそれを真似た
アート文字の落書きが溢れ出した。
物まねの下手くそも大勢現れた。
特に鉄道の石垣や建物等の公共施設
に落書きされた事実がある。
このような公共集会所なども、そこ
を狙い打ちのようにやられた。
警察署の壁などには描かない。
多くの人が使っていて誰も告発し
なさそうな場所を狙って落書きが
なされた。
1970年代の暴走族がスプレー書き
したチーム名と「〇〇参上!」と
いう落書きとは方向性が異なる。
同じ器物損壊事案ではあるが、
その落書き者の動機と背景が異
なる。
このアート文字を落書きしている
人は、自分の芸術表現のつもりで
描いているのではなかろうか。
これ、書くのも暴走族の15秒で
済む落書きとは違う。時間もかか
る事だろう。
多分目撃もされているが、誰も
通報もしなかったのかも知れない。
複数書かれているが、書体を診る
に、この集会所の落書き犯人は
同一犯と思われる。
消しても何度も何度も執拗に書い
ているという。粘着気質が窺える。
犯人は目撃したが、危なそうな人
物だったので通報しなかったの
かも知れない。
表現の自由というものが憲法で
保障されている。
だが、それは法律を遵守した上
での事だ。
何を言っても何を書いても描い
ても自由という訳ではない。
ネット民などの匿名の陰に隠れ
て他者を誹謗・中傷・名誉棄損・
侮辱しまくる行動は刑事犯罪で
あるのだが、表現の自由をはき
違えた身勝手な発想で犯罪に
安易に走っている。SNSにして
もそうだ。コメントは何書いて
も自由なのではない。
人を傷つけ苦しめる書き込みは
人として最低であるのと同時に
法的に違法な犯罪なのである。
ネット匿名掲示板は犯罪の温床
だが、そこにでかけて特定個人
の誹謗中庸揶揄罵詈雑言を書き
込んで、事実無根の事を書いて
あげつらって侮辱してあざ笑って
いるのは名誉棄損の犯罪行為で
あり、それを為すのは刑事犯なの
だ。
分かっていない社会的判断能力が
脆弱な者が多すぎるが。
この落書きゲリラ行動は、ある
面では理解できなくない部分も
あるにはある。表現者としての
単独的内的創作意欲の吐露とし
ては。
だが、法的に云々する以前に、
現実に困っている人が実際に
発生している。
人を困らせたり苦しめたりする
表現行動は下劣なのではなか
ろうか。
それは表現者としても下の下で
あろう。
また、そうした人を苦しめる
創作は決して芸術とは呼べない。
そうであるから、いくら手の込ん
だ落書きをしようとも、それは
スプレーでバッテンを描いて人に
嫌がらせしているのと同じ事なの
だ。
多分これを描いた者は、その事に
気づいていない。
決められた場所に正しく駐車して
いるバイクや車を蹴って意図的に
損壊させる行為と全く同じである
事を。
【マンモス校】日本一学生数が多い大学はどこ?【大学】
少子化なのだろう。
日本の大学の学生数は異様に減っ
ている。
ポスト団塊世代の私の時代でさえ
日大9万人、早稲田5万人だった。
私の世代は小学校の時は教室が
足りなく、校庭にプレハブの飯場
のような仮設校舎が建てられて、
くじ引きでその教室で授業を受け
た。1学年は50人学級で11クラス
程あった。
冬は鉄筋校舎はコークス混じりの
石炭達磨ストーブだったがプレ
ハブ校舎は出始めの新しい灯油
ストーブだった。1960年代はそれ。
冬は良いのだが、夏はコンテナの
中にいるような環境で地獄の暑さ
だったのがプレハブ校舎だ。
完全に平等にくじ引き抽選。
とにかく高度経済成長期は生徒数
が多くマンモス校はどんどん近隣
に新たに開校された新設校に生徒
を分散させるようにしていった。
そのため、私の世代の首都圏の
ベッドタウン出身者(出生では
なく出身)は、小中時代に転校を
経験した人たちは多い筈だ。
私は親の転勤も1度あったが、
それでも小学校3校、中学校2校
に通った。
人数は多かったが、生徒たちの
まとまりは非常に良い学校に
全部通えたのは、偶然にしろ
ラッキーだった。一番最高は
高校だったが。梁山泊みたいな
生徒と教師ばかりだった。
曲者とツワモノとキワモノ揃い
のような。
私などより数十倍もどぎつい
個性の連中がウヨウヨいた。
なお、学生数が少ない大学ラン
キングもある。
これ、泣かせるのが中央「学生数
一桁の大学、登場」のフォント。
業界用語で西暦2000年前後に云わ
れた「古典的芸能」、つまり今世紀
初頭には絶滅して久しい所謂ゲバ
字のフォントである(笑)。
かつてフォントにこれは存在しな
かった。これはポップフォント
とも異なるのである。
文化史的には、今世紀初頭の
カウンターカルチャーとしての
サブカルプチ復活ブームの時に
初めてPCプリントフォント域等
のIT関連業界に登場したフォント
だ。
どちらかというと東大や明治系
ではなく京大・同志社系の字体。
首都圏系はもっと縦に伸びる感じ。
統一教会のような贋物の反社
似非キリスト教ではなく、本物
のキリスト教の中にも内部対立
等は過去にあった。
東京神学大で1970年大阪万博に
反対する社会派と万博出展を
推進する教会派との対立は深刻
で、社会派は全学共闘会議を
結成して活動したが、大学当局
は機動隊を導入して学生を強制
的に排除した。
この影響により、青山学院大学
と関西学院大学は神学部を廃止
した。
これがいわゆる日本のキリスト
教における日本基督教団内部の
「教団問題」と呼ばれている件
だ。
反万博闘争 - Wikipedia
古いバラブシュカやパーマー
にみられるこの透明の筒は
どうやって接着させている
のだろう。
ただの筒を上下からポンと
挟むだけの構造だと絶対に
使用しているうちに外れる。
ホゾを切って上下でがっちり
固定させている筈だが、実際
にはどのような工法なのか
よく知らない。
オリジナル・バラブシュカ。
本物とアダムや別メーカーの
コピー品では雲泥の差がある。
それは日本刀で例えるならば、
古名刀と観光地土産品の模造
刀くらいに違う。