渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

キイハンター

2022年09月12日 | open

キイハンター~初期から歴代オープニング





よくこういう映像を持っている人
がいるなぁと驚く。
『キイハンター』は1968年4月~
1973年4月までTBSで土曜に放送
されていた長寿番組だ。
警察では手に負えない犯罪に
取り組む国際警察特別室が創設
したエージェント組織キイハンター
のメンバーたちの活躍を描いた。
大人気番組だった。
私が小2の時から中1まで放送した。
もちろんクラスの男子は全員見て
いた。
なんというか、小学生時代には
アクションものはキイハンター
で決まり、だった。

千葉真一と深作欣二監督の共同
構想でこのドラマは作られたが、
まるで映画を超えるテレビドラマ
だった。アクション満載。
制作費が1968年時で1話1千万円
以上かかり、製作側は毎回大赤字
だったという。
それだけに見ごたえある歴史的な
名作アクション活劇がTVドラマ
で観る事ができた。

劇中一番人気のメンバーは元
新聞記者の風間洋介を演じた
千葉真一だった。


思うに、1969年から週刊少年
キングで1979年まで連載された
望月三起也の『ワイルド7』は
『キイハンター』がベースにある
のではと思う。テーマやキャラが。
そして主人公飛葉の名は千葉真一
を参考にしたのではなかろうか。

そして、1973年から週刊少年
ジャンプで連載された漫画
『クライムスイーパー』はこの
『キイハンター』を下敷きにして
いると思える。
翌年1974年からは『ピンク!
パンチ!雅』と改題されて再度
連載された。
物語は、日本政府の秘密平和維持
機構=クライムスイーパー(CS)
に所属する美少女女子高生三条雅
と他のメンバーたちの活躍を描い
たものだ。
クライムスイーパーの任務は、
世界各地で頻発する紛争や要人
暗殺、多くの犯罪とそれらを行な
う陰の力に対して平和のために
活動する、というものだ。
もろに『キイハンター』と同じ
である(笑)。

そして、クライムスイーパーの
主人公三条雅は、キイハンターの
18才の谷口ユミを演じる大川栄子
と津川啓子を演じる野際陽子を
足して2で割ったようなキャラクタ
だった。

キイハンターの谷口ユミ。
容姿は三条雅そのものだ。
演じる大川栄子さんは成城大学に
通う女子大生だった。


フランス情報局員からキイハンター
になった津川啓子。演じたのは
野際陽子さん。この時32才だった。
このドラマでの長い共演が縁で
千葉真一と結婚した。
クライムハンター三条雅のアク
ションは津川啓子から拝借だろう。
本物の野際さんもフランス語は
堪能だ。立教大学文学部英文科卒。


多くのドラマだけでなく漫画や
劇画にも影響を与えた『キイ
ハンター』。
私が小学生の時に印象深かった
のは、外国人が結構出演したが、
その時話す台詞は英語を話して
いるのに音声は日本語だった事
だ。
それに気づくと、台本は台詞が
二つ用意されていた(同一台本
での英文と日本語の並列)だろ
う事だ。
これは手間かかってるなぁと
小学生の時に思った。

それとやはり時代だ。
1968年初作から最終までのオー
プニングでは、当時のヘルメット
を被った学生運動の実写シーン
が2カット出て来る。ヘルメット
は各派が入り乱れているので、
党派単独闘争ではなく、各派
合同で超党派で取り組んだベト
ナム反戦闘争の現実シーンだろ
う。
「義を見てせざるは勇無きなり」
の時代だった。
今のような迷惑論に固執して
自分だけの安寧を求める日本人
は殆どいなかった。
今は逆転して、身勝手な自己安
泰を権利があるかのように言う
日本人だらけになった。
幼稚園の園児たちのはしゃぎ声
さえも公害で騒音で迷惑、とか
平気で言うような日本人だらけ
になった。
そういう事言う連中が吐く臭い
息が大気の中に混ざるのは非常
に迷惑なんですけどね。


映画『武蔵 ーむさしー』(2019)

2022年09月12日 | open

『武蔵 -むさし-』(2019)

主人公の擬斗がダメダメなの以外
は、そこそこ面白かった。
がんりゅうが老齢であるという
のもリアリティがある。
佐々木巌流は本当はこのように
殺されたのだろうなぁと感じる。
また、一説では武蔵の一派が
前に島内に潜み、期に乗じて
流を取り囲んで、まだ息のあっ
巌流がむっくり起き上がるとこ
ろを集団で滅多矢鱈打ちにして
したとの説もある。
これは細川藩の家老沼田家に伝
わる「沼田家記」にはそのよう
記されている。
舟島での武蔵と巌流の綺麗な決
闘は、後世の小説家の創作だろ
う。
巌流はいつの間にか、鬼退治の
桃太郎のような格好と美青年に
もされてしまった。
こうした史実と異なる作品での
創作は多い。
新選組が大丸に発注した麻の
浅葱色(極薄色の薄青緑色)と
白のダンダラ羽織などは、隊内
では不人気で誰も着なかった。
出動の際には近藤も土方も沖田
も上下黒尽くめが殆どだった。
しかし、映像化としては派手な
羽織は見栄えが良いので多用さ
れるようになった。
江戸期には存在しない呼称の
「忍者」の装束のようなものだ。
西部開拓時代には存在しないハリ
ウッド西部劇のホルスターぶら
下げガンベルトのようなもの。
そんなガンベルトは西部開拓
時代には一品たりとも存在しな
い。あれは20世紀の創作ベルト
なのだ。
日本の時代劇にも、そうした
時代考証の出鱈目なものが非常
に多い。

劇中、武蔵が大刀のナカゴを
熱してナカゴ部分をタガネで
折って短く改造するシーンが
ある。
その時振るう鎚は小さな建具屋
が使うような細工鎚だ。それで
刀剣を折る事は天地がひっくり
返っても不可能である。
また、折った時の音も、赤く
熱した刀がギャイーン!という
音と共に折れている。
あまりにもリアリティがない。
刑事ドラマで、砂利道だろうと
ブレーキをかけて車が停まる時
の音がアスファルトのスリップ
音ばかりである手抜き映像しか
世の中の三文ドラマには無いの
と同じ。絵空事の絵と音だ。

なお、本当の歴史的史実としては、
舟島での巌流との決闘後、武蔵
闇討ちしようとする者が多いため、
武蔵は藩主から警護をつけられて
領外まで逃れている。





映画『天外者(てんがらもん)』(2020)

2022年09月12日 | open


薩摩藩士五代才助友厚の生涯を
描いた幕末青春群像ドラマ。
主演の三浦春馬が2020年7月に
他界したため、最後の主演作品
となった。
「てんがらもん」とは薩摩言葉で
非凡な才能の持ち主の事をいう。

作品はかなり面白い。
幕末、薩摩の五代と土佐坂本龍馬
と岩崎弥太郎と長州の伊藤利助
(百姓出身。父が足軽の家の養子
となり父子共に武士身分となった。
後の明治の元勲伊藤博文)が鍋を
囲むシーンがある。牛鍋だ。
「その肉はわしんぜよ(俺のだよ)」
とか言いながら取り合う。
100年後の学生仲間同士の下宿で
の鍋のシーンのようで、なかなか
面白い。

鍋の具で白菜が出てきた。
疑問に思った。
白菜自体は日本には古くから入っ
て来ていたが、カブや他の菜葉
と同種交配をしてしまい、白菜
としての国内初栽培成功は1866
年だからだ。
だが、実験栽培であり、普及など
していない。
明治期に入っても、日本人の生
物学の学識では単独栽培に成功
しなかった。
交雑しやすい近種はそうなる。
うちのレモンがすぐ近くのオレン
ジと交雑してレモンジみたいに
なってしまうのと同じだ。
(ただし、味は驚く程抜群に良い。
ある年、市民に80個全て盗まれ
て丸裸にされた)

坂本龍馬の暗殺が1867年。
白菜の国内での部分的実験栽培の
成功が1866年。
年代的には数字的な不整合はない
が、牛鍋の普及はともかく、白菜
が入手できたのかどうか疑問に思
う。
『るろうに剣心』のダメダメ映画
に、明治初期なのに蚊取り線香の
ブタさんが出てきて、昭和誕生の
シマシマスイカを食べていたよう
なミスではなかろうか。
八代将軍吉宗の時代に江戸城天守
を登場させるような。

土佐坂本が使う拳銃はS&Wモデル
で正確だった。
ただし、拳銃を見てビビって引く
武士たちが「ピ、ピストルだ!」
と口々に叫んで逃げるのは「あ〜、
はて?」と思う。
ピストルという言葉知っているの
ですか?と。
威力知っているのですか?と。
そりゃ、短筒の恐ろしさは知って
いるだろう。
しかし、刀を振り回していた武士
が、皆這うように逃げ惑うか?
という疑問がある。
演出失敗、脚色過多のように
思える。
坂本は空に一発撃っただけ。
その銃声もS&Wのリボルバー
の音ではない。
安倍ちゃんに山上が放った手製
銃のような音だ。
リアリティに欠け過ぎる。
爆竹の単音を録音して被せた
ほうがリアルだ。
なお、龍馬のキャラクタについ
てはまるっきり司馬遼太郎の
坂本龍馬そのものであり、これ
また脚色が過ぎる、というか、
演劇で出尽くした感のある龍馬
像であり、陳腐だ。

全体的に非常に良い出来の作品
だったが、とにかく黒船や長崎
出島のCGがあまりにもチャチ
過ぎるのと、所々の時代考証の
詰めが甘いのが気になった。
映像娯楽作品としてはかなり良い。
もう一度観たい類の作品だ。
良作。

意外と良かったのがTMレボリュ
ーションの西川貴教だ。
演技うまい!
岩崎弥太郎になりきっている。
おまん、弥太郎のままぜよ。
会った事ないけど。

本作、おすすめの作品です。
ほんとの天外者は遊女役を演じた
天才森川葵だけどね(笑
あの人、普通じゃない。非凡。
この作品でも惚れた!演技うま。
あと、最大に気になった点。
薩摩人が自分の事「俺」と言う
のか、という点。
これは、かごんまの人にでも
えてもらわないと分からない。


マイカルタ

2022年09月12日 | open

 
ホワイトマイカルタの素材は、
ナイフハンドル用はまだ探せば
手に入るが、ビリヤードキュー 
の先角用丸棒は、在庫以外はも
う殆ど手に入らないと聞く。
メーカーが製造をやめたのかも
知れない。


リネンベースのホワイト・マイ
カルタといってもいろいろな
色合いがある。






ビリヤードの先角にも使われる
マイカルタの丸棒が入手困難に
なったのは、製造元が製造中止
したからだとは思うが、ほかの
樹脂で良い物が多く出て来たの
で、ビリヤードキュー生産者も
メーカーに働きかけしないのか
も知れない。
ただ、いえるのは、リネン・マ
イカルタは撞き味が非常に良い。
但し、それは絶滅危惧種のソリッ
ドシャフト=無垢木シャフトに
おいて。
撞き味では、スティッフという硬
さという意味ではハイテクシャフ
トのほうが高いが、その硬さとは
別な味がある。
ハイテクシャフトは芯の詰まった
キンという感覚はない。
どんなに硬軟でいうなら硬くとも、
それは枯れ竹で突いたような硬さ
なのだ。
そして、ソリッド無垢木シャフト
はよく動くので硬さの中にも食い
つき感がある。
これが使いこなすと殊の外使い
易いのだ。
オートマよりもマニュアルのほう
がテクニカルドライビングには
適している。
そんな感じだ。

ミカルタではなくマイカルタ。
英語ではそう呼ぶ。
発音はマイカータに近い。
ミカルタは英文のローマ字読み。

イエローマイカルタがアメリカや
日本では人気があった。
色はかわいいパステル調の色だ。



鹿沼えり

2022年09月12日 | open



女優鹿沼えりさんが好きである。
これは1973年夏に『子連れ狼』
の「八門遁甲の陣」で出演した
鹿沼さん20才の時から。
別式女(べっしきめ)と呼ばれる
女武芸者の役だった。
別式女集団が拝一刀を暗殺しよ
うとするのだが、鹿沼さんは
門外で即拝一刀に斬り伏せられ
てしまった。
セリフもとんでもない大根だっ
たが、なぜかしら印象に深く残
り、好きになった。
その後、ゴレンジャーでは桃色
役をやっていた。


鹿沼さん主演作の映画を昨日たて
続けに4作観た。
何なのだろう。
やっぱり、かなり大根だ。
それなのに独特の存在感がある。
石井隆原作の『天使のはらわた』
の映像化『天使のはらわた 赤い
教室』(1979/にっかつ)は公開時
に劇場で観た。
しかし、石井が脚本を書いた映画
であるのに鹿沼さんのは土屋名美
ない。石井の描く名美ではな
い。
やはり、演技力は薄い。
なのに、なぜか惹かれる。
不思議な女優さん。
全然役が憑依しない。
どの役をやっても、鹿沼えりさん
になる。
男優でも時々そういう俳優がいる。
高倉健さんなどは典型だろう。
健さんが役を演じるのではなく、
役が健さんに合わせて来る、み
いな。
健さんの台詞回しは最高に巧いが、
演技としてはすべて金太郎飴だ。
ジョン・ウェインやトム・クルー
ズなども同系統の俳優だ。すべて
同じ役になってしまう。


不思議な魅力を持つ人。


夫の晩年にはかなり苦労をした
みたいだ。

現在、息子が父の芸名で俳優に
再デビューしている。



備後國三原

2022年09月12日 | open


広島県三原市。

これは昭和30年代の写真だ。




これは城下の「街」のエリア。


『あしたのジョー』が住んでいた
ような街区。


かつて江戸期に海だった所は
幕末から明治に埋め立てられ
て水田や塩田となった。
現在の三原市宮沖、宮浦、皆実
地区がそれ。


明治新開だが、風景は江戸期と
変わらない。
実は私が大学の頃の1980年代
初期までは、三原の風景は城下
を除き、全くこのような風景だ
った。
景色が変わったのはバブル期か
らだ。


現在、これらの農村地帯は全て
住宅がびっしりと建ち並んでい
る。


1980年代末期までは、三原という
場所は、江戸幕末に薩摩島津一行
が英国人を斬殺しこの生麦と全
く同じような景色の土地だった。
それが三原だ。


広島県三原は新興地方都市であり、
かつて幕藩体制時代に城内に住し
城勤めの武士の末裔と城下の商
と町人の末裔が今も市街に在
住する以外は、市内中心はすべ
て外部からの流入者で市民層が形
されている。
つまり、ほぼすべてに近い人口が
「よそ者」なのである。
それが現実。
あまり、元からのジモチーぶって
地元意識を振り回すものではない。
世田谷区民が東京人の代表面ぶる
ようなのはよくない。

昭和戦後の東京都世田谷区。




現在。練馬区もこれに近い。


やがて板橋区や広島県三原がそう
だったように、これらの田畑は宅
地となり、外部からの流入者が住
するだろう。
そして、さも昔からの住人である
かのような思い込みで、シロガ
ーゼのような勘違いで振る舞い
すだろう。
的外れな話だ。



花魁(おいらん)研ぎ ~日本刀をめぐる人の在り方~

2022年09月12日 | open



日本刀の世界には「花魁(おいらん)
研ぎ」と呼ばれるものがあります。
これは「差し込み研ぎ」等の正式
名称がある日本刀の研ぎの技法では
なく、俗称に類するものとして。
明治以降に始まった研ぎ方で、刃を
真っ白にペンキで塗ったように研ぎ
師が描くような研ぎを花魁研ぎと
称して、従来の刀剣界では外連味の
ある厚化粧の下品な研ぎ、とされて
来ました。
日本刀の本来の働きなども見えなく
させてしまう研ぎの事です。

しかし、ド素人受けはよい。
刀に刃があるように白く描く事で
刀に覇気が出たと勘違いするから
です。
そのような研ぎを求める人たちは
本当の姿、真実の姿などはどうで
もいい。
日本刀には「化粧研ぎ」という工程
がありますが、花魁研ぎはその範疇
さえも超える「描きもの」です。
厚化粧塗りたくりの。

現実の花魁は別世界の存在で、江戸
の新吉原でも京都の芸妓や舞子の
ようなあの白粉(おしろい)塗り
たくりであっても、その世界の表現
として美しいものですが、日本刀に
それを為すのは別物であり、どぎつ
い下品なものになってしまう。
考えてもみてください。
美人コンテストに花魁や歌舞伎役者
のような化粧をして出場しますか?
人の世は、別世界の別物だから別表
現がある訳で。

ところが、現代は、何と、日本刀の
研ぎはほぼ殆どが花魁研ぎです。
そうでないと新作研磨コンクール
に入選できない、という馬鹿馬鹿し
い風潮が出来上がってしまっている。
現代刀という日本刀の刀身の質性が
本来の日本刀の実質性を無視して
鋼の延べ棒にしてそれをキャンパス
に見立てて絵を描く具合、そのよう
な姿勢で作られているのと全く同じ。
要するに現代刀は「絵にかいた餅」
なのですが、その絵さえも絵画に
さえなっていない状態。
それが現代日本刀の偽らざる現実
です。

すべて、人がそうさせています。
一部の勢力を握る人たちが。
そして、驚くのは、現代で空気斬り
専用に作られた日本刀のような鋼
の延べ板の殆どが花魁研ぎです。
博物館や刀屋の展示では研磨師の
氏名も明記して表示すべきと思う
のですよ、私は。責任性の所在を
明らかにする。正々堂々とする、

という意味でも。
表現や主張において文を成す場合

には文責だれそれと明記するよう
に。

本差し込みができる研ぎ師は花魁
研ぎもできますが、花魁研ぎしか
できない研ぎ師は本差し込みなど
はできません。
また、日本刀研磨は下地が勝負
なのですが、化粧研ぎの厚化粧
ごまかしで済ます研ぎ師だらけ
になってしまったのが現代なの
で、なかなか本物の本研ぎの刀
に出会う機会は激減しています。

花魁研ぎの蔓延により何が発生
したか。
それは、元来刀など見えない人
たちがさらに目が曇り、研ぎ師が
白く描いた部分を日本刀の焼刃
だと勘違いしてしまった事。
刀を知らない人はほぼ100%が
花魁研ぎで描かれた白くこすった
部分を日本刀の焼刃かと思い込ん
でいます。
刃文(はもん)とは焼刃の頭の
事で地部分との刃境の事ですが、
その刃文さえ捉えられない。
本当の刃は直線であるのにカーブ
連続に思い込んだり、その逆だっ
たりする現象が起きています。
分かりやすく言うなら、模擬刀や
お土産模造刀のような玩具のメッキ
刀身をこすって刃のような物を描
いている事を実際の日本刀でも
やっているのですが、その描いた
部分を刀の刃だと思い込んでいる
人が殆ど。
恥ずかしい話、真剣日本刀を使う
空気斬り抜刀術の人たちはほぼ
そのように勘違いをしている。
刀を使う人たちだから刀を正確
に理解しているかというと決して
そんなことはないのが現実でして、
むしろ「用具」として使うそうし
た空気斬りの人たちは殆どが
「刀が見えない」人たちだらけ
です。
これは残念ながら現実です。

どういう事かというと、自分が持つ
武具に精通しようという精神が欠落
している事。
しかし、そうした人たちだらけなの
が現実です。
例えば二輪乗りたちの場合、自分が
乗って操縦するマシンについては
殆どの人が精通しています。
最低限でもメーカーや機種名や
タイヤサイズ、適正空気圧、使用
するオイル等は自分が把握して適宜
選択対処している。
しかし、日本刀の世界では、空気斬り
抜刀術などは箒と同じような用具と
してしか日本刀を捉えていない人
だらけなので、刀の事などどうでも
よいとしている人たちばかりになって
しまっているという現象になる
。高
段者でもそう。段位などは関係あり
ません。全体に蔓延している。

日本文化を蔑ろにする哀しい事です
が、それは現実です。

私は30数年その空気斬りの世界に属
して来ましたが、今でもその風潮は
改まっていない。
それどころか、どんどん悪化している。
これは、各人の自覚を覚醒させる啓蒙
もなければ教育的指導も皆無である
からでしょう。
この先何十年経とうとも変わりはし
ない事でしょう。

花魁研ぎが発生したのには背景が
ある筈です。
所説ありますが、ある友人の刀剣商
の所見としては、明治以降写真という
ものが登場して、その写真映えする
ように花魁研ぎが普及してしまった
のではなかろうかというものがあり
ます。
なるほどこれは説得力ある。
幕末写真のように顔を真っ白に公家
のように塗って写真に収まらないと
うまく写らなかった時代に花魁研ぎ
は登場していますので、この友人の
説は頷けるものがある。
ただし、花魁研ぎについては、刀剣
書では一切記載されていません。
その単語自体、本来の日本刀の研ぎ
を知る人たちによる揶揄表現ですし、
現代においては花魁研ぎがあたかも
本研ぎであるかのような風潮になって
しまっているからです。刀剣界の
一部の勢力によって。
そして、研ぎ師たちも、コンクール
での上位入選の為には、合格する
研ぎ方にする。
大学受験とは違うのです。
進学受験は「正解」を答えないと
合否では×をつけられます。当然
ながら。
しかし、日本刀の世界は、正解正論
を表しても、それが忌避されたり
排除したりの力が働く業界なのです。
これは武術や武道も全くその世界。
這界を牛耳っている勢力の意に
沿わないと排除排撃される。
そういう不健全な体質が現代でも
大手を振っている世界です。
武道界のパワハラなどは今でも
ひどいものがある。
現代法にも抵触する(背任や脱税や
収賄等の犯罪)ような組織
運営の
不正を指摘したりすると、
その者
の口を封じ、排除排斥したり
する
事を高段者がやったりする。

これ、現実として。

日本刀を見るという事は、心正
しく清く、目を曇らせず、邪な
点は一点も無くあらねば、見え
ません。
目曇り、心の邪は、
現実を現実と
して捉える脳の判断
機能を停止さ
せて「ある意図」
「ある方向」
「ある作為」でしか作用させない

ようにしているのですから。
日本刀というのは、純粋無垢にして
清冽な心なくば、見ることができ
ない。
そして、その日本刀の見方とは、
そこにある現実を正しくそのまま
の姿で捉える、という事です。
日本刀を見るという事は、人に
実は極めて大切なものを日本刀が
教えてくれているという事を
人自身が知覚することなのです。
いにしえの剣聖は言いました。

「剣は心なり。心正しからずんば、
剣また正しからず」と。
これ、真理だと思います。


刀の研ぎはどこを見るか

2022年09月12日 | open

「観るか」ではない。「見るか」
である。見分のことである。

日本刀の研磨の代金は通常は寸
単位で区分される。

1寸(3.03cm)あたり、安研ぎ
(早研ぎ)で4,000円から、上
研ぎで1寸12,000円ほどだ。

2尺4寸(72.72cm)の刀では、
寸4,000円の安研ぎで96,000円、

上研ぎで288,000円ということ
になる。

だが、博物館級の名刀になると、
寸単位の代金ではなく、一口
(ふり。刀剣は口と書いて「ふり」
と読む)あたりいくらという設定
になる。

当然研ぐのは人間国宝およびそれ
に準ずるクラスの研ぎ師が受け持
つ。

日本国内の名刀はどこに所在が
あるかははっきりしているので、
大概は指定する高名な研ぎ師の
先生に委ねられる。


同じ日本刀を研ぐのにどうして
これほどまで金額が異なるのか。

大別すると二つの理由がある。
まず一つは、研ぎの行程でどこ
まで簡略化するかだ。つまり、
工程のうちどこかの砥石部分を
省く。

そして、第二には研ぎ師自身の
金額設定による。


一番注意しなければならないのは
一と二の関係性についてだ。

金額が高いからとイコール十分な
出来栄えの仕上げとはならない
ことに注意をする必要がある。

腕の悪い研ぎ師の高額研ぎよりは、
腕の良い研ぎ師の安研ぎのほうが

はるかに出来が良いという定式が
日本刀の研ぎにはあるのである。


ではどこを見るか。
それは下地研ぎだ。
日本刀の研磨の工程には大雑把に
分けて次の工程がある。


<下地研ぎ>
金剛砥石(伊予砥、大村砥等)

備水砥(常見寺砥、伊予砥、天草砥、
人造砥石#400程度等)


改正名倉砥(常見寺砥、人造砥#800程度等)

中名倉砥(中名倉砥、人造砥#1500程度等)

細名倉砥(細名倉砥、人造砥#2000程度等)

内曇砥(刃砥-柔らかめ)(鳴滝砥)

内曇砥(地砥-硬め)(鳴滝砥)

<仕上研ぎ>
刃艶(内曇砥を和紙に漆貼りした極小片)

地艶(鳴滝砥。内曇砥の砕いた極小片
もしくは貼り地艶)


拭い(酸化鉄と油等の溶剤)

刃取り(刃艶)

磨き(タンガロイ棒等で鎬地と棟を磨く)

ナルメ(内曇砥で横手を切り、鋩子を磨く)

流し(内曇砥で鋩子の裏峰とナカゴ区下
を磨き、必ず奇数の線を引く)


以上が日本刀の研磨工程の概略で
ある。

この際、下地研ぎがキッチリで
ない腕の悪い研ぎ師の手にかかっ
た日本刀は姿が台無しになる。

どのような研ぎ師が腕が悪いか
というと、研ぎ目がソーメンを
並べたように細かく揃っていない、
鎬線が歪んでいる、鎬が丸くなっ
ている等が挙げられる。

面としても歪んだままにしてし
まう研ぎ師もかなり多い。

これは、刀身を寝かせてライトの
反射を区元から切先までずらしな
がら見て行けば判断できる。丸や
棒の蛍光灯の光が歪んで見える
部分があったら、そこの刀身の
三次曲線の平面が狂っている=
表面が凸凹であるということだ。


さらに、もっと大切なことがある。
「刀の顔」とも呼ばれている横手
から上、つまり鋩子の仕上げが悪
い研ぎ師には絶対に次回からは
頼まないほうがよい。

良い状態の鋩子とは、「うっすら
と曇りガラスのような状態」とは
昔からよく言われる例えであり、
ひとつの判断の目安となる。

さらに見栄え重視で平肉を落とし
過ぎて松葉を消滅させたり(手を
加えられた新新刀や現代いあい専
用刀に多い)、横手線がグニャ
グニャ歪んでいたり、小鎬の線が
フクラに比して異様な比率の幅で
縮んで棟に抜けていたり、そうい
う鋩子切先が目も当てられない
状態にしてしまう研ぎ師には研ぎ
は出さないほうがよい。

鋩子の地についても、峰方向から
放物線状に研ぐような研ぎ師には
絶対に日本刀を預けてはならない
し、横手筋がきっちり切れない
研ぎ師などは論外だ。

だが、コンクールなどで入選して
いる研ぎ師でも、横手一つまとも
に切れない研ぎ師もいるのでよく
よく吟味が必要である。


これは人間国宝の研ぎ師のナルメ
工程。



仕上がり。まったく隙がない。
これが人間国宝の手業だ。



こちらは私が信頼する研ぎ師の
手による私の愛刀の研ぎ。どう
でしょうか。

これ、研ぎ上がりに1年くらい
待った(笑
鋩子に後ろの家具の線がうっすら
と映ってしまってますが、かえって
鋩子の曲面の具合が見えると思い
ます。下地研ぎは
めちゃくちゃ
上手です。
ある刀剣専門店に持って行って研ぎ
の出来上がりを見せたら、物凄く
下地が上手いとのことでした。
松葉も凛と張っています。
研ぎ難い初代・二代康宏作をずっと
専属で研いでいたから、自然と下地
研ぎの技術が高くなったのかもし
れないとは研ぎ師本人の談。
師匠は鎌倉在住の無鑑査研ぎ師で
した。
美術研磨、切れ物研磨ともにかなり
腕の立つ研ぎ師です。
この刀の研ぎは田村氏。

(御刀研師 田村慧 神奈川県鎌倉市)

日本刀愛好家の皆様も、信頼の
置ける腕を持つ研ぎ師を最低
一人はみつけておいたほうが
良いと思います。
でも、刀剣店に頼むと、研ぎ師
を教えてくれないことが多いん
ですよね・・・。これは古い習慣
というか暗黙の不文律で。
私個人としては、個人名がどこの
誰だかわからない研ぎ師に出すの
はかなりためらわれます。
特定刀剣店と懇意になれば話は
別なのでしょうが、店通しの場合、
店をすっとばして直接研ぎ師に
依頼することなどしないのに、
世の中「安ければ良い」とするの
が判断軸の人も多いので、店側も
警戒しているのでしょうね。
名刀ならば研ぎ師は指名制が常識
なのですが、一般刀剣ではそうも
いかないのがこの世界の常識のよう
で。
ネットなどではなくリアルな現実
で人脈を作るのも日本刀を愛でる
には必要な構造になっています。
日本刀自体がアナログですので。
でも決してアナクロではない。


日本刀の見方

2022年09月12日 | open
 

(私の新刀/江戸初期。京都の腕の
良い日本刀研磨師の研ぎ。奥ゆか
しい研ぎで私は好きである)
 
日本刀はどうしたら見えるように
なるか。
それには、外してはならないポイ
ントが
あります。
それは、何も書物などでどれが何と
いう
働きかなどは調べなくともよい。
「ありのまま、刀身に現れている
現実を
見る」ということが日本刀
鑑賞および
鑑定の最大の定理なん
です。
たとえば、和服の専門家はキモノ
を見て、
それがどういうキモノで
織りはどうで素材
は何で仕立ては
どうか、などというのは
見えます。
素人は見えない。
日本刀もそれに似ている。キモノ
ことは専門的には知らなくとも、
目の前に
ある現実は現象として認識
することはでき
る。たとえば、その
キモノの織り目がどう
なっているの
かとか、色は何色かとか、
日本刀を
見ることというのはそういう事な

です。

まず、刀姿を見る。
いろんな形がありますよね。
そして、その個体の特殊を見る。
先っぽが細いとか根元が幅広いな、
とか。
さらに、ここからが肝心で、日本刀
を見る時に最大に最重要なことは

を見るんです。
キモノの織りのような鉄の織り目
(鍛え)
と熱処理変態による金属の
まだら模様=
働きというものを。
 
それは、画像でも確認できます。


地の部分の鍛えの織り肌目と熱処理に
る変化、刃中の鋼の複雑な織り込ま
れ具
合。
そうしたものには全て専門用語と表現
方法があるのですが、そんなことは
知ら
なくともよい。ありのままを素直
に見れば
いいんです。描かれた油絵の
色の絵具の
混ざり具合を見つめて色
具合が分かるよう
に。
目の前にある現実の現象をその通りに
捉え
ることが「日本刀を見る」という
ことなの
です。
いろんな専門的な事などは、興味の
ある
人はあとで勉強すればいい。
大切なことは、目の前の刀の状態を
きちん
とその通りに見る、という事
なんです。
これが「刀を見る」ということ。

よく刀剣界で云われる「刀が見える
人」と
いうのは、その見て正確に捉
えた現象を
理解している人の事を
いいます。
さらにその「刀が見える人」が進む
と、
一体どの国、どの街道、どの伝
法、どの道統の鍛冶の
系列かが絞り
込める。
最終的には、歴史の中
で数万人いた作者が
特定できて
しま
う。
それを刀剣界では「目利き」といい
ます。
目利きになるには相当な勉強をしな
いと
なれませんが、高度な知見を有
する専門家
でも、日本刀に詳しくな
い人でも、共通す
る一つの絶対事項
があります。
それが「きちんと現実を認知する」と
いう
こと。
目の前の刀の織り肌目や色をきちん
と見
る、ということです。
それだけ。
日本刀を鑑賞するのは難しい事では
ないの
です。
絵画や生花や日本庭園や彫刻等々を
鑑賞
する、陶芸品を味わう、と
いう
のと全く同じなんです。

日本刀の場合は、鉄を見ます。鉄の
味、
鋼の妙味を。
鋼を鑑賞するのが日本刀を鑑賞する
だとほぼ同意だと思って間違いな
い。
日本刀は、ただのピカピカ光ってる
平たい
板ではないので、見ていても
かなり面白いものです
 
日本刀の肌目、働きは、まずその姿
は覚えられない。
押形(おしがた)という写生はありま
すが、
細かい肌目や働きをすべて
記憶するのは
人間には無理なんです。
だから、何時間見ていても飽きない。
見るたびに新しい発見があるのもその
ためです。
上掲の画像の刀身も、見て、目線を
白紙
の上に移して、肌目を描いてみ
よ、と
言われても実行不可能です。
角度によって働きの見え方が異なる
から。
だから面白いんです。
刀は一期一会の静かなライブなのです。

ただ、不思議なもので、たとえ50年
前に一度だけ実見した日本刀であろ
うとも、仮に再び見たらそれと解り
ます。
刀というものは、そうした力を持っ
ている。人間の記憶に深くその存在
を刻ませる力を。
なので、同じ刀であれば、それは見
れば判ります。
これは「刀が見える」領域に刀を
実見した人間が達しているとその
ような現象が起きる。
見えない人は刀の区別がつかないの
で、そのような現象は起きません。
日本刀の不思議の一つ。
でも、「人間の顔」と同じなんですよ
ね。
人の顔は忘れないし、コンピュータ
以上の識別能力を人間は有している
でしょう?
その人が持つ人類の潜在能力を刀に
も当てはめるだけなのですが、慣れ
ていないと人の顔を判別して自然に
記憶するのと同じような働きを人は
見せない、というだけの事なんです。
そして、日本刀は実際に自分の目で
見ないと駄目です。理解も記憶も
できない。
書籍の机上学習では絶対に日本刀は
見えてこないし、「刀が見える」と
いう状態にはなりません。
これは絶対に。
一口でも多くの刀を見るようにしな
いと、刀を見抜く事はできない。

但し、「刀が見える」というのは、
最初から見える人、見えない人と
いうのは分かれています。
色の識別、音の識別と同じく、識別
と区別ができない人もいる。
そうした質性の人は、残念ながらいく
ら刀を数見ようとも、刀が見える事
はやってきません。区別の前に、現
実をきちんと現実として認識できな
いから。
見えないまま一生が過ぎます。

見えるようになるには、簡単な事なの
ですが。
それは目から鱗を落とす事。
これに尽きます。
いきなり視界が開けてクリアになる。
赤を赤と認識し、黄色を黄色と認識
し、紺を紺と認識できるようになる。
色眼鏡をかけたまま真実の姿は見え
ません。
「日本刀を見る」という事は、刀の
事だけでなく、人間社会一般にも通
じる定理を示してもいるのです。
目が曇っている人には真実は見えな
い。
裸の王様の寓話は人の世の真理を表
しています。


古刀「三原」 ~鬼颯(おにかぜ)~

2022年09月12日 | open



古刀「三原」の大刀。大磨り上げ
無銘。
健全この上ない。これほど健全な
「三原」を実見するのは珍しい。
古刀にありがちな瑕疵が一切見ら
れない。
この刀は出所確かな大名登録だ。

研ぎが素晴らしい。
刀の状態も研ぎも完璧だ。
この研ぎは三原の三原らしさを
十二分に引き出している。
研ぎとは一体なんであるのかと
いうことを教えてくれている。
日本刀研磨の腕の巧拙は光の反射
のゆがみの無さで判別できる。
丸い灯りが丸く映っている。R状
の刀身にゆがみを一切加えずに
綺麗な自然のR平面を出し切っ
ているのである。日本刀研磨は
下地研ぎに命があるとは云われる
が、この刀の研ぎは下地に隙はな
い。














まだらに見えるのは反射したスマホ
のアップルマークとレンズ。











号「鬼颯(おにかぜ)」。

三原の海。糸崎の岬。(撮影私)


三原の瀬戸内は、穏やかに見え
ても海流がまるで川のように高
速度で流れている。ビーチボール
などを投げると、あっという間
に沖に流されていく。そのため、
人工海浜以外遊泳禁止になって
いる場所が多い。溺れる海難事故
に遭うからだ。


三原の夜明け。


三原の海は、瀬戸内海一の多島
エリアとなっている。

同撮影位置の昼と夜。左手奥の
街の灯は尾道である。

三原城。ここは戦国時代末期
に築城された。広島城よりも
はるかに古い。
だが、鎌倉末期から南北朝に
かけての古刀「三原」が作刀
されたのはここではない。ここ
は海だったからである。海上の
小島や岩礁を繋いで埋め立てて
三原の城下は造成された。今で
いうところの東京のお台場のよう
な最新海上都市だったことだろう。


古刀「三原」の作刀地はいくつ
か候補地がある。
二代目正家は広島藩の調査記録
では、因島(いんのしま)にて
作刀したらしいことが判明して
いる。三原沖に浮かぶ因島は平成
18年から現在の尾道市に編入され
た。
南北朝の時代には三原の場所はただ
の海辺だが、尾道の町の周辺は万葉
以前から存在した関であり、狭い
海峡では海上交通と陸上交通が極め
て発達していた。出雲街道も南北に
ズドンと尾道を本州南端とするルー
トで開通していたし、海路も大和
から西に航行する船舶の重要な要衝
だったのが現在の尾道地域である。

尾道。通称「尾道水道」と呼ばれ
る極めて狭い関(瀬戸)が本州と
島嶼部の間に運河のように存在す
る。古くから船泊まりの交通の要
衝だった。
神武東征があったとしたなら、海路
ではここで一泊ないし数泊して水や
食料を補給した筈である。
室町末期の戦国時代終焉頃に三原
城が出来るまでは、備後刀の重要
な鍛刀地はこの尾道の町中と一山
超えた山間部を東西に横断する山
陽道の駅家(うまや)のある地域
ごとに備後刀工群が炉を構えていた。
「三原」はそのうちの一つの駅家
付近で作刀していた可能性も高い。
その場所は「名称不明」だが、存在
自体はまず間違いが無かった。現
三原市内八幡町垣内(かいち)に
あった駅家である。
中期以降の「貝三原」銘の「かい」
というのも「かいち」の意味なの
ではなかろうか。


三原の海は穏やかに見える。
だが、実際には穏やかな海面
(うなも)の下では激流が流
れている。
まるで鬼の颯(かぜ)が目に
見えない海中で吹き荒れている
ような海が三原の海なのである。
その激しい海流のため、三原の
海で獲れる鯛と蛸は格別に美味
である名品となっている。鯛は
激流を泳ぎ抜き、蛸は流されまい
と岩場にがっちりとしがみつく。
そうして三原の鯛と蛸は名物と
なった。江戸時代などは、三原
の湾では鯛と蛸が湧くように獲
れたという。
私もかつて、仕事帰りに部下が船
を出し、30分ほど東京から来訪し
た同僚と3人で鯛釣りをした。30分
で6匹の大きな赤い真鯛が釣れた。
丁度各人で2尾ずつ。
三原の海とは、そういう所だ。


何事も粗見しただけでは真の
姿は見えない。
また、見た目の表面的な見かけ
上に真実を見る目が曇っても
いけない。
目を曇らすのは、目の前にある
現実が曇っているのではない。
人間自身が勝手に自分で目を曇
らせているのだ。目測のみならず、
真実の実態さえも見ようとしない
のは人間であり、真実の実態が
そうなっているのではない。
三原の海などは、まさにその姿を
湛えている。
穏やかでおとなしく見える三原の
海の顔は本当の顔ではない。
実は海面直下では激流の海流が
渦巻いているのが真の姿なのだ。
激しく、そして荒々しく力強い。
三原の海を走る船は、その流れに
負けないような航行技術が必要に
なる。
三原の海の真の姿は、「鬼颯
(おにかぜ)」なのである。

「三原」の刀も、見た目の穏やか
さとは裏腹に、とてつもない切れ
味を示す利刀として名を馳せた。
一口(ふり)御物にもなっている。
「三原」の刀は穏やかではない。
見た目は落ち着いた静寂感を見せて
いるが、人が手にして一振りすると、
状況が一変する刀が「三原」の刀で
あるのだ。
御物だけではなく、山田浅右衛門が
まとめた刀剣業物位列でも「三原
正家」は最上大業物として名を連ね
ている。
幕末当時で日本の歴代全刀工2万名
の中でたった14工のみが最上大業物
作者として選出されている。その
14人の中に「三原」が入っている。
「三原」の刀は、切れ味も史上最上
の「鬼颯(おにかぜ)」なのである。

三原の海