珍しい飲み物が自販機にあった
ので買ってみた。
昭和30年代は私は東京で昭和40
年代は神奈川だが、これは広島
県の地場のメーカー。
飲んだ。
これは!
学校給食で時々出たコーヒー
牛乳と同じ味(笑
あと、銭湯とかでの牛乳瓶の
コーヒー牛乳ともそっくり。
確かに懐かしい。
給食の牛乳は小学校低学年は
牛乳瓶で、万博前後から三角
パックになった。
牛乳瓶の時は、給食当番が
数人がかりで給食室から運ん
で来る。
めちゃくちゃ重たかった。
あれさぁ、台車使わせてあげ
ればよかったのに。
それが湘南の小学校。
横浜の小学校は人数が多すぎ
て、教室も足りずにプレハブ。
給食も無かった。
中学も給食無くて弁当だった
だす。
都内文京区の私立高校に入って
から、学食があるのが大助かり
だった。
私は高1から親と別居して東京
に一人残っていたから。
両親は「家」を継いで国許の祖
母の面倒みる為に江戸表から
広島県に転居。やむなくの
親族会議での決定だった。
自己意思が制限されるしがらみ
なんてのはよくないよ。
幸せだった人の人生を狂わせる。
結果、その継続で私も広島県に
今たまたま居住している。
ただし、私の代で打ち止めだ。
家と家系に縛られる人生などは、
子やその配偶者には与えたく
ない。妻にもだ。
彼女は私と結婚したのであって、
家と結婚したのではない。
子には自由に生きよ、愛する
人と共に、だ。
俺もその筈だったんだけど、
ちょいと方向性が途中から
ずれた。
ずれた軸線は、やがては本来
の軌道に戻さないと死んでも
死にきれない。
幼児の時の中目黒の銭湯では
フルーツ牛乳というのが風呂
上りの時のご馳走だった。
コーヒー牛乳は1-2才の時には
親は飲ましてくれなかった。
銭湯の造作はよく覚えている。
坪庭の景色も。簾の穴も。
1-2才時の記憶って、結構残っ
ているもんだ。
今から60年以上前の記憶(笑