東京オリンピックは4才時だった
が、よく覚えている。
アベベ見た、アベベ。沿道から。
「なんだよ。裸足じゃないじゃん」
なんて思った。
東京オリンピック開催のために
東京の景観は一変した。
第一、日本に高速道路ができた。
世界で類例をみない幹線道路の
有料化という不自然な形式で。
「道路を通るのに金を取るとは
どういうことか」と保守系政党
からも疑問が出される国会審議
だったが、官民癒着で有料化に
なった。
国と公団は「償還無料化」を建前
に有料高速道路を建設したが、
そのうち「プール制」という理不
尽な手前勝手な理由で半永久的
有料高速道路に切り替えた。国民
を騙すようなやり方で。
東京の景色がその後大きく変わる
のは1980年代末期のバブル経済
期(1986~1990)だ。
金融緩和による不動産の異常高騰
により地上げが国内都市部で大流
行した。
その時期に、古い街並みは破壊さ
れ、新設のインテリジェントビル
が乱立した。また、億を超える
金額のマンションも多く建ち、
飛ぶように売れた。
私が購入を持ち掛けられた原宿の
ワンルームマンションは販売価格
600万円だったが買わなかった。
数か月後には販売価格は6000万円
を超えていた。購入転売していた
らバブル不動産利益が出ていた。
だが、そのような本当にすぐに
消える泡のような不動産高騰によ
り手を広げ過ぎた投資によって
破産した企業や個人はごまんと
いた。
1980年代末期は、バブルという
よりもシャボン玉のような国内
状況だった。弾けて消える運命の。
ただし、給与のベア率は倍々で
上昇した。
その後の東京の大きな景観変化は
今世紀に入ってからだ。
都心部大開発があちこちで開始
されたからだ。
ただ、霞が関ビルなどは建築から
半世紀が過ぎて完璧に古い機能
不全のビルのようになったのに、
どうするんでしょうね。解体再
建築とか。物理的にかなり難し
そうにも思える。
あの日本初の超高層ビルは、内部
改築とかは行なっているのだろう。
でないとIT社会のビジネスビルと
しては機能しないから。
私より古くから東京にいる人たち
は、戦後からの東京の変化を目に
していた事だろう。
最大の視覚的変化は、東京タワー
ができたことかな。
昭和33年(1958年)に。
語呂合わせの33ちなみで高さも
333メートルとされた。
港区芝の小高い丘の岩盤の上に
建築された東京タワーは、新時代
のテレビ放送には絶対必要な電波
塔だった。主目的は観光名所では
ないからね。日本の首都発展の為
だけでなく、戦後日本復興の象徴
となるテレビ放送塔だった。
私などはスカイツリーはピンと
来ない。
東京の高層建造物の代表は東京
タワーだと今でも感じている。
これは肌で。
東京タワーは戦後日本の象徴だ。
つまり、日本の足跡の象徴。
私が生まれ育った街、TOKYO。
駅のそばだけビル街であり、東京
は基本的に住宅街がびっしりと広
がっている首都だ。
人が住む街。
人が生まれ、育ち、学び、働き、
生きている街。
それが東京。