ヤマハGR50
↓
↓
↓
↓
ただ、RZとは日本国内のみの
山下公園。
今夏、スイカをまだ食べてない。
近所に家庭菜園を借りてた数年
ワイルド7の飛葉ちゃんといえば
ホンダCB750Fourがトレードマー
クだったが、最終章の長編「魔像
の十字路」ではヤマハGX750を
駆る。しばらくするとCBに戻る
が。
(「ワイルド7」の連載は1969年
~1979年)
1976年4月に出たばかりのヤマハ
の初マルチ4ストナナハンだった。
それまでのヤマハ4ストは2気筒
モデルが最大だったが、ホンダ、
カワサキに最大排気量部門のマ
ルチエンジンで先行されていた
ので追撃の意味も含めて初めて
マルチ最大排気量を作った。
3気筒モデル。
60PS/7500rpm。私の1988年製
カワサキ2スト250(チューンド)
と同程度の馬力だ。
もっとも、当時は4スト750でも
67馬力程度だった。「200km/hが
ひとつの壁」だった時代。
このヤマハの3気筒ナナハンは
ハンドリングに難があったよう
で、まだ「ハンドリングのヤマ
ハ」の名を冠される前の時代の
モデルといえる。2ストは世界
トップのヤマハだったが、4スト
はかなり立ち遅れていた。
だが、エンジン自体の製作能力
は高く、四輪ではトヨタ2000GT
本体そのものやカリーナ等の2TG
エンジンはヤマハのエンジンだっ
た。
2000GTはトヨタの車となって
いるが、ヤマハの完成品をトヨタ
が取り上げたという感が実相だ。
トヨタの手法である。そのやり
方をずっと続けてトヨタは世界
トップの位置を掌中に収めた。
この未完の大器だった3気筒
モデルの40数年後にヤマハが
3気筒大型モデルを製作したの
は、一つの過去の克服の気概の
ような気もする。
この個体のマシンが新宿の
我が家に遊びに来たことが
ある。
レース関係者のコネで公道用
保安部品を着けて輸入。
今から30年ほど前の事。
超美人の友人の女の子がうち
に乗って来た。
約30年前当時で300数十万
円程したようだ。
この右のエディ・ローソンの
マシンそのものの個体。
カーカーがうるさかった(笑
ローソン・レプリカではなく、
ローソン・リアル。
この実話を示すと、イナカモン
(本物)に限って信用しない。
だが、事実は事実だ。
最初「ローソンから買ったの」
とか言ってたので、コンビニで
買ったのかとまじで思った。
「このローソン・レプリカ、
よくできてるね~」と言ったら、
「これレプリカじゃないよ」と
言うので「え?」と私と妻が言
うと、「ローソンから買ったの」
と。
最初、何言ってるのかよく分から
なかった(笑
普段四輪はGTR(R32)に乗って
た有名企業の社長令嬢。自身も
別会社を経営していた。
二輪レース関係でもいろいろ
やっていた人。
二輪は1980年代に限定解除を
ぬぁんと一回で合格していた。
奥州雄藩の家老の末裔だった。
大学も難関有名大学の法科を出
てた。
容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ
万能。ウルトラ美人。
ああいう人、いるんだよね~。
「俺の空」の女版みたいな人。
でも、ありゃ、完璧にじゃじゃ
馬姫だな(笑
俺とは非常にウマが合ったが、
士道論解釈等でいつも口喧嘩ば
かりしていて、毎度かみさんや
彼女の旦那が止めに入ってた。
私の弾力的武士道&士道解釈に
対して、彼女はゴリゴリだった
んだよね。
サムライの家育ちってのはめん
どくせ~(笑
けれど、とても人間的に魅力的
な人でした。
モデル級に美人だったので画像
出したいけど出さない(笑