かみさん製きんぴらごぼうが殊の外うま
かった。
私は、『あかつき戦闘隊』(1968年〜少年
サンデー連載)の中できんぴらが出てきて
以来、きんぴらごぼうが好きになった。
小学2年の年だが、学校給食ではきんぴら
は出なかった。
当時の学校給食は洋式化推進時代なので、
完全100%パン食、おかずも洋風だった。
給食のコッペパンは決して美味いもので
はなかった。
1960年生まれだが、脱脂粉乳は経験して
いない。生徒に配るカンユも知らない。
概して、神奈川県は首都圏の中でもかなり
進んでいた。特に横浜市、川崎市、藤沢
市の先進性は目を見張るものがあった。
特に藤沢市は文化意識度の高さが際立っ
た。土着的差別排外主義と視野狭窄を解体
させた藤沢は横浜以上に「民主主義的」
な住宅都市だった。湘南と江ノ島がある
市。
また、鎌倉市は幕府が置かれた所で古都
ゆえか、藤沢市民とは気質が違った。
逗子などは金持ちばかりが住んでいた。
ただ、総合的にみて、神奈川県という土地
はかなり住みやすい。
人について真面目に考えている土地柄だ。
そうした良質性は東京都を超えている。
しかし、東京は人権的政策と制度が徹底
している。そこらはやはり首都だ。地方の
田舎の都市とは天と地の差がある。
そうした物性は人的素性をも規定して来
る。
首都圏人と田舎の地方都市の人間は、正直
いうと人が違う。人権意識や、人としての
大切な意識にともすれば田舎の人間は乏し
いという残念な現実が厳然としてある。
視野狭窄や妬み嫉み恨み根に持つ執拗さ
も田舎人のほうが都会人よりも比べ物に
ならないほど強い。
これはどうしてだろうと思う。中途半端な
地方都市ほどそうだ。
これが超田舎の山村部に行くと逆転して
まるでけがれを知らないかのような人々
が暮らしている。
こうした不思議な現象はもちろん学術的に
研究などされていない。
明らかに存在する人間的に悪しき部分を
指摘されたら、当人たちは「そんなのどこ
でも一緒ですよ」と言う。100%言う。
イナカモンの視野狭窄の自己防衛だ。
厳然とそこに存在している現実を自ら今
そうやって自分で示してしまっている事に
気づかない。
土地柄とそれに連動する人柄というものは
日本全国確実に存在している。
それが人の社会で良い方向に作用するのな
ら大歓迎なのだが、えてして、人として
よろしくない場面においてそうした地方の
独自性が発動される事が多い。
イナカモン的性根や風習は悪しき因習と
して日本全国から消滅させたほうが良い。
それはきちんと「国語」としての標準語
を通常使用できる教育と人々のそれの実践
から始まる。
方言の良さを捨象して、狭きコミューン
意識の悪しき象徴としてあえて方言のみ
を使う現象がここ30年ほどで地方で発生
しているが、それは東京への歪んだ対抗
意識でしかなく、国語を無視する行為は
本当の日本の日本人としての統一を阻害
する。
地方分権も町おこしも大いに結構だが、
それがひねた対抗意識に実は根元的なもの
があるとしたら、それによる行為は人間
社会では良い作用は生まない。
狭いエリアでの仲間意識のみが育成され、
必ず排除排外主義が頭をもたげる。
事実、地方の公共放送などではそうした
排外主義的言動が大手を振って行なわれて
いる現実がある。
日本国の国民として心得違いをしている
と強く感じる。