渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ヤマハ純正パーツ 〜2ストスクーター〜

2025年01月26日 | open
 


ヤマハ純正パーツ。
この重たい純正新品部品の
クラッチと純正部品Vベル
に交換しちゃうもんね。
社外パーツは程よく高速型
に変身したが、街乗りバイク
なのでそんなに最高速は要ら
ない。今、めちゃくちゃ出
るけど。
むしろ中低速がもっと太くな
って欲しい。クランクの回転
速度じゃないんだよ。
ノーマルで最良設計されたク
ランク重量バランスとプーリ
ーとクラッチハウジングの適
正調律こそが一番なんだよね。
基本、チューンナップで高速
型を着けようとも、それはク
ランク重量配置バランスを崩
して、どうにかまとめようと
する事。
総合バランスはノーマルが一
番良い。
いじるならば、電子系・点火
系・足周りにとどめるのが、
ライトチューニングでは一番
良結果が出る。
だが、本格魔改造をやるなら
レーシングマシン並みに徹底
的に全てにメスを入れて、し
かも超高度なバランス取りを
叩き出さないとならない。
ゴテゴテと社外品を着けてい
るだけの車が殆どノーマルよ
りも走らないのは、それはト
ータルバランスが崩れ切って
いるからだ。
 
今の高回転域でガツンと繋が
って加速していくセッティン
グも悪くは無いが、旋回に問
題がある。
1番使う50〜60km/h旋回の
時に半クラのようになるのだ。
まるで1983年全日本第6戦
筑波でのノービス250の宮城
光のモリワキTZ250の最終コ
ーナーのように。あれは
旋回
速度160km/h位だが。
あの時ギアレシオ設定ミスで
レース途中から立ち上がりで
半クラッチをずっとノービス
の宮城選手は使い続けてい
た。
それでもぶっちぎりで優勝し
ていたけど。
でも、モリワキさんとこは、
社長命令が絶対で、マシンの
セットも社長が指示する。
運転手はそれに乗らされるだ
け。そういうチームだった。
宮城のあの最終コーナーの謎
の半クラ立ち上がりは、マシ
ン云々というよりチーム体制
の背景がその走りの理由だ
う。
それは、最近の八代さんの動
画で社内の絶対体制を知っ
から、40年来の謎がよ
うやく
解けた。
 
旋回中には、たとえ立ち上が
りでも半クラなどは避けたい。
それは、街乗り原付スクータ
ーであっても。
駆動をセンシティブに感知し
ながら回って行きたい。
リニアなレスポンスとトルク
を共存させながら。
 
 
 

フジテレビ

2025年01月26日 | open















早稲田一文(苦笑
女衒みてえな話だな。

  
 

日本警察の拳銃 S&W 360J

2025年01月26日 | open

日本警察の拳銃 S&W 360Jと
アメリカ警察のグロックG45
を砂漠で撃ち比べ!
【ライスさんとコラボ!!】


日本警察の新式銃、軽すぎて
反動はどうなのよ、とか思っ
ていたが、撃たない前提なの
だからそれでもいいのか、と。
今では女性警察官もすべてけ
ん銃を携帯している時代だ。
アメリカはグロックを携帯し
ていて、女性警官だろうと
犯人被疑者に対してバンバン
撃つけど。

日本の警察と自衛隊は年間
訓練射撃弾数がマンガみた
いに少なすぎる。
外国軍隊のMPにいた外国人
の友人に
「日本の警察官の
年間実弾
訓練弾数知ってる?」
と言っ
たら「200発くらい?」
言う。
「その1/10以下だよ」と言う
と「なんだそれ。縁日の射的
か?」と言っていた。
私の友人の法執行機関勤務
だった奴は「残弾処理」で
一度に9ミリけん銃での実弾
射撃を数百発やったりして
たが、それは極めて特殊な

例だ。

だが、本来はふた月に一人当
たり
数百発は射撃訓練して然
べきだろう。欧米並みに。
特に軍隊(ではないが)たる自
衛隊
員は。
警察官と海上保安官もそれに
準じて。

 




連続マスワリのできない奴(笑

2025年01月26日 | open

ポジション出しが下手な奴は
薄い玉をフーフー言いながら
入れる


ポケットビリヤードのうち、
エイトボール、ナインボール、
テンボールで、ブレイクから
ノーミスで全部の玉を取り切
ることを日本語の業界用語で
は「マスワリ=升割り」と呼
ぶ。
私が生まれて初めてポケット

ビリヤード=プールのナイン
ボールでマスワリをやったの
は、初めてポケットビリヤー
ドをやって
から約3ヵ月後だっ
た。1.6穴の
超絶難関台で練習
していたが、
そのテーブルで
出した。ラシャもかなり重た
いテーブル。ぬるくない台な
ので上達は日々めきめきと明

らかだった。狭き門より入る
者は道を正しく進む。
穴ガバガバの甘い台での入れ
ポンのみを嗜好して拘泥する
表層
のみを追う者は、いつま
で経
っても甘くぬるい自己満
足で
満足する低レベルに自分
を置
きたがるので、いくら時
間を
かけようとも一向に技術
的に
も精神的にも鍛えられる
事は
全く無い。
結果、いつまでも
へっぽこの
ままだ。中身が高等レベ
ルの
「競技」さえも成立しな
い。
私の人生初のマスワリは、計
算通りの完璧なマスワリだっ
た。
3人の超上級者が見守っていた
が、マスを割った時に拍手が
起きた。「おめでと」の言葉
と共に。マスターにはコーラ
貰った(笑
目黒の「ポケット」というポ
ッケ台1台、スリー台が1台の
小さな店での事だった。
プレー中は場はシーンとして
いた。観ている人たちも黙っ
てずっと注視している。
私も極限集中で、マスを割っ
て拍手と声をかけられて、初
めて初マスワリ達成と気づい
た。マスを割る事よりも、入
れて次と次と次にどう出すか
だけを考えていた。

米語では日本語の専用用語の
マスワリに該当する言葉
が無
かったが、1980年代後半
から
「ブレイク・アンド・ラ
ンア
ウト」という表現が使わ
れる
ようになった。今ではア
ンド
が省略されて「ブレイク
ラン
ナウト」と呼ばれている。


私はナインボール(9番が点玉)
では、これまで5連続マスワ
リが
最高だが、2連、3連マス
かは普通に普段から出る。
ボウラードは平均250点程だ。
一番好きな種目はストレート
プール=14.1(フォーティーン
ワン)ラックコンティニュアス
(日本人はプロも含めて英語
の数字が読めない者が多く、
殆どの人間が14.1の事を「フ
ォーティワン」と呼ぶ。それ
は41の事だ。根本から意味も
解っていない。日本人撞球者
は知性が低すぎる)だが、
14.1ラックでのハイランは53
点止まりでしかない。
14.1ラックは14個の玉を落と
し、台上に1個残して手玉の
停止位置からその1個を入れ
ながら14個並べたラックを
割って行く。入れ割りがブレ
イク。全米プロなどは150点
撞き抜け取り切りなどはよく
やる。世界記録は長らく不世
出の撞球師の15回も世界王者
になったウィリー・モスコー
二が1954年に526球ノーミス
という歴史的大記録を達成し
た。最後は「疲れたからやめ
た」だった。その記録は70年
近くも破られなかった。前人
未踏とはまさにそれ。
14.1(フォーティーン・ワン)
での50点ハイランなどはまだ
まだ素人だ。ド素人ではない
が。
全米トッププロなどはナイン
ボールなどでは11ラックマス
ワリとかも平気で出している。
日本での7ラックショート戦の
時代には大阪の戸田プロが確
か80年代末期に全日本北越ラ
ウンドで7連続マスワリを出し
た。
バンキングで勝ってから相手
に一度もキューを握らせなか
った。
ビリヤードの究極は、ポケッ
トビリヤードもキャロムビリ
ヤードも、取り切りが至高の
プレーだ。バンキング以降は
相手に一度もキューを握らせ
ない、という。
戦前に世界レベルの三ツ玉
選手だった桂マサ子選手(美
人)は、引退後の高齢時のエ
キジビションで「もう何年
も撞いてませんのよ」と言い
ながら軽く千点をノーミスで
撞き切った。
撞球のあるべき姿とはそれだ。
対戦競技だが、相手にプレー
をさせない。やり合わない。
自分がテーブルと場を支配し
てイニシアチブを握り収める。
それがビリヤードだ。ある種
「鞘の内」で相手に刀を抜か
せずにこちらが専守防衛で勝
利する居合の境地に似ている。
私のようにたかだかナインボ
ールで連続マスワリ2~3回出
したりなどは、本格撞球の世
界からするとしょぼすぎて話
にならない。

この動画ではマスワリの後に
ネクストブレイクからの途中
ゲームのミスで連続マスワリ
を逃しているシーンも出て来
る。
ブレイクで1番から2番への取
り出しで、手玉と1番が一直線
に並んで2番が最長距離の場所
にあるところ、1番をジャンプ
マッセスーパーロングドロー
ショットという全米トップ選
手並みのスーパーショットで
リカバリーしたが、2番の入れ
押しのアングルを誤って、次
の玉への手玉当て止めができ
ずに手玉が流れてしまい、結
局連続マスワリがストップし
ている。
そういうところは下手っぺの
例として参考になるだろう。
ただし、日本プロを含めて誰

もができるわけではないショ
ットを連発させているのも、
観る人が見れば判るだろう。

なお、私はあまり強くブレイ

クしないので、プレーキュー
でブレイクをする。

 

 



史上初の女性刀工 ~水田国重派/大月源~

2025年01月26日 | open



岡山県井原市-
一両編成のディーゼル車が走
るのどかな田舎の田園風景が
広がる。


過日、ふらりと寄った。
向こうの山は備中高越城跡だ。
北条早雲が青年期にここで過
ごしたという伝説がある。



その中世城跡の下にこんな
石碑がある。



ここに一度寄りたかった。


日本史上、ただ一人の女性
刀工の大月源(げん)さん
の居宅跡だ。
一族ご子孫は、この石碑の
近所に現在も居住している。



横の石碑には「地神」と彫り
込んである。かなり年季が入
ってる。



正面に「北 智勝院/亡牛
供養/西 法泉寺」とある。
側面に「施主 大月源 大
月茂」とある。



「亡牛供養」とは、備前備中
が牛の産地であるから、死亡
した牛の供養をする霊場とな
ったため生前の鼻ぐりを捧げ
て大正時代から供養すること
になった、と『吉備』(神野
力著)にはある。江戸期から
亡牛供養はこの地においては
慣例化されており、備中の地
では古い供養碑を多く見るこ
とができる。
江戸期は「と殺」が厳禁され
ており、自然死以外で牛馬の
死体を解体処理したりするこ
とは固く禁じられていた。無
論、食用精肉のために牛馬が
殺されることもなかった。
鹿は「シシ」と称し、軍事教
練の一環として鷹狩と共に狩
られて皮を剥がれることはあ
った。
しかし、武具に要する皮革は、
牛馬の場合、生体を殺して皮
を剥いで革に加工することは
されなかった。
多くの刀剣甲冑武具で使用さ
れる需要を如何にまかなった
か疑問は残るが、記録上は、
皮剥ぎのために現代の毛皮や
革ジャンパー製作のように牛
馬等の動物の生体が殺される
ことはなかった。
現代は象牙を取るためだけに
象が殺され、戦後日本では必
要のない毛皮コートで高級志
向品としての満足感を享受す
るためだけに生き物が殺され
てきた。
最近あまり見かけなくなった
が、かつてはキツネの顔まで
ついた毛皮マフラーを誇らし
げに首に巻いているご婦人も
多かった。それをグロと感じ
ない時代が確実についこの前
まで存在した。毛皮のために
生体を殺傷して、その死体を
リアルな形状のまま首に巻い
てセレブぶっているのである。
私にはよく理解できない世界
だった。皮革が持つ堅牢性と
いう実用性という面で欲する
のではなく、嗜好品として高
級意識を扇情することが行な
われてきた。靴や鞄ならば解
る。皮革の耐久性は人口素材
を凌駕しているからだ。だか
ら文字でも皮を加工した革が
使われる。皮のなめしと加工
技術は、人類の知恵が詰まっ
ている。
しかし、雪に閉ざされた地域
以外、都会のビルの中で果た
して毛皮のコートやマフラー
が防寒のために必要であろう
か。確保されるのは体温では
なく、優越感でしかないだろ
う。
その優越感のために、そのミ
ンクやキツネは殺された。
現代人の欲望を満たす毛皮に
なるべく殺されるために生ま
れてきたかのように。
かつての日本における亡牛供
養は、農耕作業に従事した牛
を弔い、農作業の繁栄を祈願
したものとしてあったことだ
ろう。
これは仏教的戒律に規定され
たものというよりも、実質的
な農作業協力者であった農耕
牛馬を大切にするという物理
的なことと、豊作祈願という
形而上的な精神性が合体した、
いかにも日本的な精神世界の
反映ではなかったかと私は思
う。

大月源とは、記録と作品が残
っている唯一の女性の刀鍛冶
だ。

室町時代の大永年間(1521~)
から江戸末期まで続いた備中
国の刀工国重派の家系に彼女
は享保十八年(1733)に生ま
れ、文化五年(1808)まで生
存した。享年76歳。

国重派は苗字を大月と称し、
水田派とも呼ばれた刀工一門
だった。
水田派は青江(現岡山県倉敷
市)と三原辰房(現広島県尾
道市)の刀工の血脈的流れを
汲み、備中国内各地を転居す
るうち、現在の岡山県真庭市
北房の水田に住したことから
水田の名称を自称した。
現井原市に居住した水田一派
が一番栄えた。

水田派からは江戸期に上位刀
工とされた与五郎国重(大与
五)や山城大掾国重(二名あ
り。大月与五郎弟の市蔵およ
びその弟子大月伝七郎)、山
城守国重が出ており、山城大
掾国重は各地で駐鎚し、江戸
水田派とも呼ばれた。また摂
津池田に出た国重(安左衛門
国光の子長兵衛)は号を鬼神
丸と称し、池田鬼神丸国重と
いう銘で盛んに作刀した。
国重派は300年余の長きにわ
たり、岡山県井原市を中心に
栄えた刀工群で、備後福山藩
領や安芸広島藩領内において
も鍛刀している。


大月源の父は、江戸末期の荏
原(現岡山県井原市)に居住
した水田派国重の刀工通称伝
十郎であった。

源が16歳の時に伝十郎が死去
し、叔父の伴十郎に育てられ、
国重12代目である甚兵衛国重
と結婚する。

しかし、甚兵衛は病気がちで
作刀が困難であり、源は家業
存続のために女性ながら自ら
が鎚を取る。

彼女が21歳の時に頼りの叔父
もまた病没してしまったため、
源は鍛冶屋の女房=裏方スタ
ッフではなく、自らが刀鍛冶
として作刀することになる。
日本史の中で女性の刀工が表
だって存在しなかったのは、
鍛冶職が女性を「不浄」とし
て忌避して鍛錬場に入れなか
ったためということが表向き
に喧伝されていた理由だが、
現実としては女房が相鎚を取
ることも皆無ではない。
ただし、封建時代には女性は
不浄との社会観が根強かった
ので、聖職である刀剣の世界
に公然と女性が登場するのは
社会的風習としては忌避され
ていた。


鍛冶師『職人尽絵』(狩野
吉信筆/川越市喜多院蔵)


『職人尽絵』は江戸初期の慶
長~寛永頃の作品で、六曲屏
風一双に各扇二図ずつ貼り込
み、計二四図からなる。
それぞれの図に一つの職種が
描かれている。
当時の職人の仕事ぶりだけで
なく、道具類についても克明
に描写されており、風俗文化
を検証する第一級の歴史史料
となっている。

ここ「鍛冶師」では、鍛錬場
に入れない女性が、高窓から
覗き見している風景が描かれ
ている。

なお、この絵では、鋼の鍛錬
において梃子鉄(てこがね)
は用いていない。
ただし、刀鍛冶ではなく、農
具鍛冶であろうことが判る。
壁に掛った鉈から、400年後
の現在と同じ形状がすでに存
在したことがこの絵から読み
取れる。



研師『職人尽絵』(狩野吉信筆/
川越市喜多院蔵)をもとにした
版画。

原画。


烏帽子を着用した日本刀研ぎ
師は現在に繋がる「構え」を
取って研いでいる。
ここでも女性は仕事場には入
れず、壁の向こう側から姿を
隠すようにして刀を渡す仕草
をしている。
刀の研ぎを依頼に来た武士は、
従者に刀箱を担がせている。
なお、武士は大刀の下げ緒は
「鞘掛け」で垂らしており、
前垂らし右前袴紐への結束は
していない。前垂らし右結束
は江戸期には不存在だったか
らだ。

この『職人尽絵』は、江戸初
期当時の社会風俗や慣習がい
かなるものであったかを示す
好例といえる。

大月源は、江戸幕府消滅の150
年前の江戸後半時代に生きた
人とはいえ、女性が刀鍛冶に
なるなどということは、当時
としては青天霹靂の大事件だ
ったのではなかろうか。

彼女の作は刀剣分類としては
新新刀に入る。なかなかの出
来の短刀が現存しているとの
ことだが、私はまだ経眼して
いない。
江戸初期~中期にあっては、
隆盛をみた江戸新刀と大阪新
刀の巨頭たちの前に霞みがち
だが、元来水田派自身がかな
り確かなしっかりとした見所
のある刀剣を造っていた。
江戸期においても、水田国重
派の評価は高評価である場合
と、かなり格下のように置か
れるケースに二分されており
興味深い。
それだけ賛否両論のファン層
がいたということだろう。
好みが分かれる作域というこ
とは、それだけ独自性が強い
ということの証左でもある。
万人向けの作に個性はない。

そうした環境の中で生まれ育
って、やがて自身も刀鍛冶に
なった大月源は、背丈は小柄
だが、力強い体格だったと伝
わっている。

源が50歳頃の鍛刀する姿を養
子の伴七が信喬という画家に
描かせた肖像画が残っている。
きりりと引きしまった端正な
顔だちで、切れ長の涼やかな
目じりがややつりあがり、真
剣に鎚を握る凛とした面持ち
を伝えている。見紛うことな
き「刀鍛冶」だ。

日本の歴史の中で、記録上伝
えられる女性の刀工は、大月
源以外に見ることができない。





水田国重の作は、江戸期にお
いてはかなり高評価を得たが、
幕末の水心子正秀はかなりこ
けおろしている。
こけおろしながらも、自書に
おいて上位刀工に国重を挙げ
るなど矛盾した面も正秀には
みられる。

また、国重は切れ味が良いこ
とでも知られ、山田浅右衛門
の著作にも切れ物として登場
する。

さらに、江戸期の記録で、水
田国重が折れ易いということ
とよく切れるということの相
反する伝聞について、「本国
備中の鉄で作った作は丈夫だ
が、江戸で買った鋼を使った
物は折れ易い」との知見を示
したものがあり、これについ
ては小笠原信夫が『名刀虎徹』
(文春新書)の中で紹介して
おり、非常に興味深い。

この『名刀虎徹』は、著者の
小笠原先生自身が戦後の美術
刀剣観から脱却できていない
視点の限界は感じるが、佐藤
寒山なき後の日本の刀剣界を
背負った人だ。
また、美術刀剣観に拘泥する
姿勢とは別に科学的なメスを
入れて多くの旧説に疑問を呈
した勇気ある人でもあった。

先祖は三河以来の徳川家旗本
の小笠原家であるが鹿追(軍
事教練を兼ねた狩り)の際に
転倒して不面目だったことな
どが『徳川実紀』に載ってい
て、あまり武芸は得意ではな
かったのだろう、と作家津本
陽氏との対談で笑って話して
いた。
だが、権威主義で打ち固めら
れた刀剣界で新規の意見を言
うことは並大抵のことではな
かったと思われる。新説や画
期的な視点を披露すると力で
潰されるのが刀剣界であり日
本の特質だからだ。

これは刀鍛冶もそうで、真に
迫る発言や行動を採ると、中
央権威筋から弾圧される。
これは残念ながら、21世紀の
現代においても厳然とそうし
た風潮が刀剣界には存在する。
一体何の伝統を墨守している
のか私にはよく理解できない。
悪弊を墨守して伝承するので
はなく、技術をこそ伝承させ、
失伝技術については広く深く
希求して探求するべきではな
いか、という素朴な疑問が湧
く。


この小笠原先生による備中水
田国重の解説については、別
な機会に紹介したいと思う。

日本刀探求者としてだけでは
なく、個人的にも、私は水田
国重一派とは少なからず縁が
あるからだ。

腰間の国重作に命を託した元
禄年間に没した私の先祖が、
なぜ大月伝七郎水田国重を殊
更に好んだのか
は定かではな
い。

もしかすると、現世に生きる
私と刀工小林康宏のような慣
れ染めがあったのかも知れな
いが、そうしたことは一切伝
承されていない。
きっと私自身のことも、300
年後には記録にさえ残ってい
ないことだろう。

 


瀬戸内みはらの桜の名所

2025年01月26日 | open




広島県三原に転住して何年
も経っているのに、この島
の千本桜を見に行った事が
ないってのは、かなり勿体
ない気がしてた。
ことし、桜花の季節におら
いぐだ。
原付バイクでフェリーに乗
って、気心知れた気の置け
ない連中とオベント持って。
船に乗っての原付遠足だい。

「船旅を終えると
そこは小さな楽園。
穏やかな雰囲気の中で
桜とともに
海や島々を眺めながら、
至福の時を
過ごしてみませんか?」
(瀬戸内ひろしま、宝しま)

だってさ~。
行くっきゃねーべさ。

  
 



教えたがり魔

2025年01月26日 | open





どこの世界にもいる、という
か海外でもこういうおっさん
いるんだなぁ(笑
日本ではビリヤードの世界や
武術の世界、バイクの世界に
教えたがり魔がかなり多い。
異様に多い。
私などは請われない限り絶対
に何かアドバイスしたり教え
たりはしない。リアル世界で
は。このウェブ日記でいろい
ろ能書き垂れてるのは、それ
はここが手記であり「内的
独白」の場だからだ。リアル
世界での対応とは別次元。
リアル世界では、請われたな
らば、あくまで私
自身ができ
る範囲、理解して
いる限りに
おいて、分かり易
く咀嚼して
「伝える」事はす
るが、相手
が希望もしない事をしはしな
い。求めない者に与えるもの
も供与するものもない。それ

ほど私は自信家ではない。
俺の後ろには立つな、じゃな
いけどさ。

上掲動画のようなこういう教
えたがり魔は時々
この動画の
ような事をやらか
す。
教えた相手のほうが遥かに実
力あったりするのを見抜けな
いへっぽこであるから尚更だ。
私も何度もそうした経験があ
るが、ああそうですかと流す
ようにしている。
大抵は見当違いの思い込みで
技術論を語って「指導」しよ
うとしたりする。
そういうのは、銀行屋に対し
て「私は貯金が100万円もあ
る」とか、弁護士に対して法
律論垂れるとか、しょぼくて
頓珍漢な
事を言うのに等しい。
面白いのが、刀屋に来て刀屋
に対して「私の家には刀があ
った」とかを自慢げに話すよ
うな「客(ただの来店者)」が
実はかなり多いという社会現
象がある。
銀行屋に金の事を言うのと同
じ類だ。
教えたがり魔たちもその種族
に似ている。

「おめえ、誰に物言ってん
よ(笑」てなとこなのだが、
オト
ナは笑ってそうですか
と流し
ていたりする。
つい先日もそのような事が
った。
私に直ではないのだが、私
連れのある道のオーソリ
ティ
ーに対して、それと知
らずに
延々とわかったよう
な事を
蘊蓄垂れているのが
いた。
私は思わず噴き出しそうだ
たが、延々と続けてる。
そしてそのオーソリティー
ほうは「ああ、そうなん
です
かぁ」と聞き入ったふ
りをして
いる。
延々と講釈垂れてる人間を
ずかしいなぁとは思った
が、
私は黙って聴いていた。
ああ、噴飯物というのはこ
れだよな
、と飲み物噴き出
すのを堪
えながら。
その手は、意外と結構世の
中に
いる。本格的なバーに
行って、バーテンダーに酒
の蘊蓄垂れるトンチキとか。
その現象、その傾向性とい

うのは一体なんざましょ?

Youtubeなんかでも多いよ
ね。キャンプ初心者なのに
キャンプ用品をレビューし
ますとか、まだ使ってない
けど良い物です、とか言っ
ちゃうような人たち。
バイク動画でもその手がか
なり多い。
解ったように物を語ってい
るが、見てると知見のレベ
ルが実はかなり浅く低くて、
しかも正鵠を射るのとは程
遠い頓珍漢な事をさも解っ
たように語ってい
る人たち
が。解るどころか、分かる
でも、判るという入口にさ
えも
来てないのがよく見え
て、滑
稽だったりする。
わかってねぇなぁ、という
か、その浅い所見披露の精
神的
発動発起の根拠は何な
のか、
心理学的に興味はあ
るが、
まあ、岡山弁でいう
ところ
の「やっちもねえ」
という
類の域は出ないだろ
う。