Let’s Twist Again [日本語訳付き] チャビー・チェッカー
「レッツ・ツイスト・アゲイン」
チャビー・チェッカー(1961年)
私の母が20代前半の頃の大ヒット
曲。
私が生まれた年の1960年9月に
チャビー・チェッカーは「ザ・
ツイスト」をカバーし、全世界
にツイストブームを起こした。
そして、翌1961年にこのオリ
ジナル曲「レッツ・ツイスト・
アゲイン」でツイストブームは
不動のものになった。
このプロモーション映像で踊って
いる20代前半の若者たちは、今
85歳前後となっている。
1950年から1953年の朝鮮戦争
が終わり、ベトナム戦争にアメ
リカが本格的に介入するまでの
この時代、アメリカの若者たちは
束の間の平和を謳歌した。ロカ
ビリーとロックンロールブーム
がそれを象徴していた。
まだ、国情に暗い影は落として
おらず、若者たちは明るかった。
そして、ロックは、愛と平和を
本音で高らかに謳う調べだった。
までは約100km以上離れている。
からしたら地元と呼べるかどうかは
微妙なところか。
同時に「車両通行止」の丸標識
あり。
こうした補助標識の指定は極めて
標識の道路を「追い越し禁止だ」
として騒ぐ人たちがよくいる。
そのケースは、結構ある。
特に「はみ禁」「追い越し禁」
のケースで完全誤認が多く見ら
れる。
そして、その自分が根本から誤って
いるのに間違っていない他者を攻撃
する心根。
どうしてアメリカ人はルート66に
1985年に国道としては廃線になった。
ザ・アメリカ!的なまっつぐロード。
それにしても、どっしぇー!の道
銃器の携帯が認められていた歴史
がある国だというのが分かるような
気がする。
でも旅では一尺八寸以下の刀の
携帯が「道中差し」として許され
ていた。常時帯刀と二本差すのは
武士以外は違法。
日本とは比べ物にならないほどに
銃器所持に対しては普及している。
HRCが4輪と提携 その2
「どっかのフレームに似てるなぁ」
(笑)。
ドカティのことではない(笑)。
本間さんは80年代の人なので
ドゥカティの事を「ドカッティ」
と呼ぶ。そう発音するのが一般的
だった。
現代用法がすべて定番ではない。
時代ごとに言葉は存在する。
カルティエなども80年代ではカル
チェと呼んでいたし、コンピュ
ータの事はコンピューターだ。
それは決して現代が進化していて
正鵠を射るものであるという事を
表してはいない。
(ここ、今回のテーマとして大切)
正しい事、妥当性を有する事を
言って、それに↓をつけるのは
脊髄反応のアンチあたりだろう。
もしくは、頭がおかしいか。
本間氏、極めて正しい事を言って
いる。
この定理は、本間氏の「妄想」で
はない。妄想しているのは ↓ を
つけたり、ネットで本間氏を非難
して喜んでいるいる妄想族たちだ。
二輪車におけるフレームとサスの
相互補完の関係は、二輪を知る者
ならば、誰でも知っている事だ。
フレームのしなりや吸収力や相関
関係がいかに二輪にとっては大切
であるかを。
さらにスイングアームの在り方も
そこに混ざってくる。
一時期のガチ固めから、鉄フレー
ム時代の良性面としてのしなりと
吸収を持たせる方向に再度アルミ
でも見直してターンしたのだけど、
最近はまたガチガチシャーシーに
しているのかな。
だから皆さんスッテンコロリン
なのか。
そのあたりは私はよく判らないが。
90年前後の二輪車は一つの究極
の大切な部分についての完成形
に近い状態だったといえる。
その後さらに良くなり、90年代
末期頃は完成形に近いところから
もっと進み、究極に近くなった。
21世紀に入ってから初頭もそう。
ただ。この20年で、ある時期から
二輪車が変な方向に行ってしま
った。
人間が車を作らなくなった、人間
が人間によって車を作らせなく
したからだろう。
リーマンショックの頃から、二輪
のモノヅクリがおかしくなって
きた。利益第一主義が日本全土を
覆ったあたりから。
いわゆる「勝ち組、負け組」と
いう歪んだネオコングローバリズム
根性が日本人にはびこった頃から。
そして、一般公道車に乗る人たち
においては、妙ちくりんな乗り方
がその頃から雨後の筍のように増え
た。もう激増。一気に。古い乗り人
以外、ほぼ全員が上体ガチガチの
奴凧のような載り方をするように
なった。
車も人も、決して「進化」ではない。
車も人も、退化している。
89ヤマハワークスマシンYZR250と
日本チャンピオン本間利彦選手