
言葉を発する。
昔、「伝言ゲーム」という遊びをしました。ボーイスカウトの時だったと思います。
まず、全体をいくつかのチームに分けます。そして、それぞれのチームの最初の一人が、一つの文章を覚えて、教会の周りなどを一周走って(確か2~300mくらいでしたでしょうか)、次の人にその文章を耳打ちします


。そして、その二番目の人は、やはり教会を一周周って、次の人に


・・・と、伝言していくんです。
例えば、10人目で終わりだとしたら、それぞれのチームの10番目の人が、伝言されたことを思い出して紙に書きます

。そして、一番正確に伝えられたチームの勝ち、という遊びです。
新聞で言えば、3~4行程度の短い文章でしたが、まず、ただの一度も完璧に伝わることはありませんでした(笑)。それどころか、あとから検証してみると、もう3人目くらいで、文章の意図する一番大切なところすら変わってしまっていた、時には意味が逆になってしまっていた

、なんてこともありました。
また、会話というのは、そもそもたった二人で話をしていたとしても、一回の言葉の往復で、それぞれ70%くらいしか真意は伝わらない、という話を聞いたことがあります
。
僕が「今朝7時ちょうどにね、とっても太った犬が、小さな声で吼えながらこっちにすごい勢いで走ってきたと思ったら、僕のすぐ目の前にあった昨日の残り雪の上で滑ってね、思いっきり3回転して・・・こけたんだよ
。かわいそうだったなぁ。」って言っても、この状況は、聞く人にとっては、一番上手く伝わったとして70%、だということです。
これは、とっても、太った、犬、小さな声、すごい勢い、大きな氷、かわいそう・・・などなど、不確定な要素が多すぎて、聞く人の中で、話す人の感情や考えは完全には再現は出来ない、ってことなんです。この会話で、確定されてて、二人でちゃんと共有できる要素はせいぜい、「今朝7時ちょうど」ということくらいです。
そもそも聞く人が、実は犬を見たことがないかも知れないし、雪をって何?知らないな。っていう可能性すらも・・・あるわけですからね(笑)。「よく難しい話で・・・」なんていう場合は、「難しい」とか「簡単」という以前に、その言葉に関する知識を受けてが持っていない無い場合の方が、はるかに多いですよね。僕もよくあります。知識が無い=無知、と言われる状態です(笑)。
まぁ、現実的に、こんな程度の話ならまだ大丈夫でしょうが、実生活の会話で70%を共有するのは、まず無理だと言われています。誰かにとっての、「抜けるような青空」の色は、誰かにとっては「紺色」かもしれないし、「水色」や、もしかしたら「赤」である可能性もあるわけですから。しかも、一回で70%ですから、会話が往復すると、またその70%、そしてまた、その70%・・・一番上手く伝わった場合を考えても、たった二往復で、
100%の→70%の→70%の→70%ですから、伝わる真意の割合は、35%程度ということになります。以下、一往復しますと、24%、さらに一往復で16%。さらに一往復で8%。もう、一割にも満たないということになるわけです。
ですから僕達は普段、自分の伝えたいことががちゃんと伝わっているかどうか、自然に相手の反応や顔色を見ながら、会話を進めてるんです。でないと、・・・理論上、会話は3分も持たずに完璧に破綻します
。
あるいは、新聞やテレビのニュースなど、一方的に伝える必要のあるメディアは、ものすごく細心の注意を払って、出来るだけ誤解の無いように確定要素だけを上手に積み上げて、伝えているわけです(新聞の『社説』などは別ですね。主観が入る記事ですからね)。なので、小説などになると、不確定要素が多くなりますから、読む人(の経験や価値観、物事の見方の違い)によって、感想や受け取り方が全然変わってくる、というわけですね

。
僕達、おなじ日本語を使う日本人同士ですら、こんな具合ですからね(笑)。他国の人とは、使う言語が違いますし、さらに習慣、文化の違いや、宗教観の壁もあります。もう、無知だらけ。無知の海。
ですからね、「あー、それ、すっごい分かるー」っていうのは、実は、すっごいことなんですよね。・・・そしてそれが、本当の共有であれば、もはや奇跡的に素晴らしいというレベルです。
でも、日常に、結構あるわけです。
「ねぇ、今の曲って、最高じゃない
?」「うん、ほんっと、まじで最高だったよね
!」
「この餃子・・・めちゃくちゃ・・・やばいな
。」「うん、まじで美味い!止まらない
!」
こういう瞬間って、楽しいですよね
。同じ価値観を、長い時間をかけて育んだ間柄にこそ、こういうことは起こりやすくなります。単位は様々です。家族、友人、同じ国の人同士、さらには、同じ人間同士ということで。ここも考えたかひとつですが、カタチは違えど、それぞれ共感できることはあります。あるはずです。
だからこそ、伝聞=口コミ、というのは、古い古い時代から、ネット全盛の今の世の中においても、常に最も影響力のある宣伝効果を発揮するんだそうです。「ウチの餃子は美味しいですよ!」って、知らない人がテレビで100回宣伝してるより、たった一人のあなたの仲の良い友達が「あの店の餃子、美味しかったー。」って言う方が、はるかに効果が高いってことですね。
この根底にあるのは、人は皆、口ではどう言っていたとしても、心の底ではね、誰かと何かを共有したいと思っている生き物だから、ということなんです
。
だから、皆、口を開いて、言葉を発するのですよね
。
あ、今日は、びよーん室にいってきました

。写真は、美容室のそばのお寺です。そのあと、とあるアーティストさんとちょっと珍しい仕事をして、その後ちょっとした打ち合わせをしてきましたー
。(←ブログ的には、ここだけでいいかもですね。あるいはこれを広げろよ、ってね(笑))。
39歳になっても、長々と書いてしまいました(笑)。えー、そして、何%伝わるのでしょうか(←でも、『最高の70%』だったら十分すぎるくらい。もっと伝わってなくても、それで・・・まぁいいんですよね。だから、誰もがまたアレコレ言葉を選んで、話そうと思うんですし、そして言葉が生まれたんですし、そうして、また話が続くんですからね。これは、誰でも、お互い様ですしね(笑))。
読んでくださって、ありがとうございましたー
。
ではー。