ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




せっかくありがたいコメントを沢山いただいておいて、なんだかひねくれたことを書くようですが、まぁきいて下さいな。たわごとですけど

誕生日は、確かに僕の人生のひとつの記念日ですけれど、だからと言って何も今日だけが、何か他の日とは全然違う、ずば抜けて素晴らしいな日だとは、正直思っていないんです

一年の中には、ライブのような沢山の方との一期一会の大切な日が何日もありますし、長い人生の中でずっと大切なキーとなる人と出会う日や、考え方を変えてくれるような素晴らしい本と出合えた、そんな映画を観てしまった、そんな物事と出会えた、・・・そんな日が沢山ありますよね。

なので、できることなら、365日、毎日が何かの記念日であればいいと思っているんです。自分で記念日にしちゃえばいいと、思ってるんです。その一つ一つ、小さな記念でいいんですけども。

「今日は、今月で一番気持ちいい寝起きの日だった。」

「今日は、覚えてる限り一番美味しそうに餃子が焼けたような気がする、日だった。」

「今日は、久々に腹筋をしたぞ。やった。これは前向きな一日になったっぽいな。ふふふ。明日も頑張・・・れ。」

「近所の人に、「おはようございます」が、言えた日だった。そしたら、ちゃんと返してもらえた。明日からもっと大声で言ってみるか。怪しまれない程度に(笑)。」

「おー、今日は、晴れて欲しかった日。そして、晴れてるじゃないか。晴れ男記録、更新!」

こんなんでも、全部、嬉しい記念日になりますよね。そして探せば、誰でも、一日に一つくらいは「いいこと」はあるはずです。そんな毎日を積み重ねていけたら、それが幸せな人生ではないかと思っています。人生の最後に、「笑ってた瞬間」と「つまらない、って思って過ごしてた瞬間」とを天秤にかけて、前者が多かった人の人生は、幸せな人生。

でも、前者の人と、後者の人の人生で、あからさまな差があったのか、と言えば、そうそう大差ないと思うんです。その差は大抵、時間の、場面の、とらえ方、考え方。

「ピンチを、本来自分の人生に必要のないピンチと思う人」と、「ピンチこそが、自分が成長できるチャンスと思う人」。よくこんな風に言いますよね。これね、チャンスだと思える人は、そう考える癖が付いてるんだそうです。つまりは、・・・毎日の心がけ。

そんな毎日の小さな積み重ねが、一週間であり、一ヶ月であり、一年であり、十年であり、結局は・・・その人の一生なのです。そして必ず、人生が終わる日がきます。「税金と死だけが、全ての人間に平等なただ二つのものである。」なんジョークがありますが。

人は結局、成りたいようにしか、成らないです。今の自分は、常に今までの自分が、作ってきた結果です。聞いたことも読んだことも無い言葉は使わない(使えない)ですし、興味を持ったことの無い事は、ずっーと知らないままです。そして、そんな自分の今までの考え方の集大成が、今の自分の考え方なのです。日々更新はされますが、内容は自分で増やさない限り、増えないのです。先日のマックのマニュアルではありませんがね(笑)。○○記念日、なんてのは、まぁ極端な話、お酒を飲む口実くらいなんだよね、って感じで思ってるんです(笑)。それよりも、誰にとっても、結局365日全部、一日一日の過ごし方の方が、はるかに大切なんじゃないかなー、ってことなんです。

なので、時折意識して新しいものを入れてやるのが、楽しいし、必要だと思うんです。コップ一杯に入った「自分」という水に、違うコップから新しい水(価値観)を入れてやる。当然、古い水は溢れ出しますし、新しい水とも混ざり合います。でも、見た目は同じ水でも、それまでとはかなり、全然、違う水になっているんです。味だって、当然違います。そしてその入れ方ひとつで、ただ新しいだけのものでも無い、オリジナルのものになります。

そんな「新しい水」の役割をするものは、本だったり、映画だったり、音楽だったり、絵画だったり、写真だったり、あるいは人との出会いだったり、誰かとの会話の中でのほんの小さな言葉だったりします。

そんなものと出会えた時、僕の頭の中では、「シューッ」って音がします。・・・あれっ、なんか空気が抜ける音みたいで頼りないですね(笑)。

 

昨夜は明け方まで、今回頂いた本を読んでいましたら(「不都合な真実」というゴアさんが書いた、地球温暖化、環境問題に関する本です。大変良い本でした。ありがとうございました。)、意外に活字に飢えていた自分に気付きました。一気に読めてしまいました。

寝る前には毎日読んでるんですが、なんだか腰を据えてもっと本を読みたいな、と思いまして、今日は午後一杯、閉館まで図書館にこもってました。本が好きな人達に混じって、静かな環境で、短い時間の中でしたが、僕も沢山の本と出会うことができました。素晴らしい写真集なんかも何冊も見ることができ、とっても有意義な一日でした。ただ、自分で撮る写真には、何度も自信がなくなりかけましたけど。もともと、無いんですけど、さらにね(笑)。

いやぁ、知らないことを知るのって、本当に面白いです。図書館って、久しぶりに行きましたが、好奇心を満足させてくれる素晴らしい場所だと再確認できました。ちょっとクセになりそうです

シューッ、シューッ(←あ、『ぷしゅー』、ではありませんよ(笑))。

ではー。

 

---追記。---

当然、母には感謝です。そして、もう37年前に亡くなりました、父にも。その後、育ててくれた、継父にも。そしてそのそれぞれの両親、その両親、そして・・・それぞれご先祖様達の周りで、彼ら、彼女らの生を助けてくれた多くの人々に。そして、彼らの身代わりになって、死んでいった人々に(たくさんいるはずです)・・・感謝。

一人欠けても、僕は今、いなかったのですから。

だから、「わぁい!そうそう、僕、誕生日なんだよー!祝ってくれて、ありがとー!」・・・なんてね、ただ浮かれるような記念日では無いんだ、ということが言いたかったんです(えっと、僕にとってはね)。じっと、静かに自分の血の歴史に、感謝する日なんじゃないかな、って。そして、これからね、どのように限りある人生を歩んでいくつもりなのか、改めて自問したりして、そんなことを考える為の日なんじゃないか、って思うんです。

せっかく「おめでとう!」って言ってくれてるのにね、なーんか水を差すようなことを書いて、すみません。申し訳ない。

でも、・・・伝わるかなー、こういう気持ち。



コメント ( 42 ) | Trackback ( 0 )