
用事があり、僕が子ども時代に育った町へ行ってまいりました。
今も、叔父や叔母たち、親戚が住んでおり、今日は、母も会いに来てくれたこともあり、
いってみれば、すでに他界してしまった祖父や祖母はおりませんでしたが、それ以外の皆が、勢揃い。
裏路地から、通っていた小学校がすぐそばに見える、
その育った町で、みなとワイワイと、一緒にご飯を食べたりしていると、
なんだか、不思議なものですが、
何度か、
・・・子ども時代に戻ったような気がしてしまいました。
勿論、みんな、年齢を重ねています。
あれから、もう、ざっと40年という月日が経っているわけです。
食事の後、叔母の家にある、僕が初めて弾いたピアノを、弾いてみました。
「このピアノと一緒に買ったのよ」というメトロノームを裏返してみると、

昭和38年2月とありました。
51年、経っているのですね。
でも、このメトロノームも、しっかりと動きます。
ピアノも、その後、従妹姉妹がピアノを続けてくれていることもあって、絃も一度も張り替えてもいないのに、コンディションも上々。
なんでも、調律師さんによると「これはとても良いピアノなので、もし手放すようなことがあったら、僕のほうで買い取りますのでご一報ください」と言っていたそうです。
勿論、もう臨月を迎えている従妹は、大きなお腹に手を当てて「勿論、手放さいわよー(笑)」と言っておりましたが。
この、昔は、
・・・N大嫌いだった、見たくもなかったピアノで、
母親や親戚の前で、また今日、ピアノを弾いてみました。
・・・とても良い音がしました。
正直、素晴らしい、弾き心地でした。
このピアノを、なんで、あんなに嫌いだったのか。
今日、この音を弾いて、聴いて、
40数年も前に聴いた音をちゃんと覚えているわけではありませんが、
心の奥に、懐かしさと同時に、ひんやりしたものが、確かにありました。
自分への、後ろめたさでした。
嫌いになって、ごめんよ。
という。
きっと、ピアノが悪かったんじゃない。
だって、ピアノは、変わらないんですものね。
そして、嫌いなんて言われて、
ピアノ、きっと、
さみしかったんじゃ、ないかな、と。

ごめんよ。
もっと上手になって、また、必ず、弾きに来るからね。
ピアノ、大好きだよー。
ではー。