ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




「おうぃ、水遊び、お兄ちゃんも混ぜてくれー

と、声をかけたら「えー、おじちゃんでしょー。」なんて言われたらどうしよう、と怖くなったので声はかけないで、代わりに写真だけでも。

いやー、本当に暑いですね。さすがの僕も少々ぐったりしてるのか、今日の夕ご飯は、餃子二人前と唐揚げに大盛りご飯だけしか食べられませんでした

母親が働いていたので、僕は保育園でした。登園初日には、入り口の下駄箱にしがみつき、「わしはこんな所には入りたくない!」とまるでホームを毛嫌いする老人のようなことを言って、ついでにちょっとだけ、もしかしたらわんわん泣いて母親を困らせたのを覚えていますが(3歳でしたか)、入ってみたらとびきり美人の先生が二人も居たせいか、一週間もしないうちには「早く!早く!」と母親の手を引く様にして通ったのを覚えています。ちなみにどのらいの美人だったのかは、特別後から、写真では確認しておりません。思い出は美しいままそっとしておいたほうが良いのです。なんてね(笑)。でも、二人とも本当にとても優しくて、大好きな先生でした

小学校では、たまたまずっと美人の女の先生に受け持ってもらっていたのですが(同様の理由で確認はしておりません。しつこいか(笑))、6年生の時の担任が、他所から赴任してきたばかりの男のM先生で、この先生がそれまでから一転して、男の教育!だったのです。

普段はとっても優しいのですが、怒るとえらく怖い。ある日、顔を真っ赤にして怒って教室に入ってくるやいなや、僕はものすごい平手打ちをくらい、教室の端から端まですっ飛ばされました。本当に身体が数メートル、ふわっと飛んだ記憶があります。人体飛行経験です。ろくでもないイタズラがばれたのか、もっととんでもなく重大なことをしでかしたのか、理由は全く覚えていません(僕は自分に極端に都合の悪いことは記憶に残らない脳みそを持っているのです)。でも、不思議と痛かった覚えはないんです。ただ頬に当たった、先生の大きな手の温かみだけは今でもはっきり覚えています。それから、叱られながら「だよな。」と、妙に納得したことも。

良く言えば(失礼。)中○雅俊さんのような甘いマスクのM先生は、冗談が大好きで、授業もいつも面白いので、僕は「なんだ勉強って楽しいのもあるんじゃん」、ってことを教わりました。休みの日には何人かで家にも招待してくれました。僕はこの先生に憧れて、バンドを始めるまで「将来は学校の先生になりたいNE」と思っていたくらい好きな先生でした

中学3年生の時、美術のKという先生が担任になりました。美術の先生とは言っても、これまたもの凄く男っぽい先生で、やっぱり怒るともの凄ーく怖い(笑)。何度平手打ちやゲンコツをくらったことか。目から火花が出るというのは本当だな、と毎回思っていました。そんなに何を悪いことばっかりしてたんだ、と思われるかもしれませんが、・・・まぁまぁそこはノータッチで(笑)。

ただ、このK先生にも凄く可愛がってもらって、よく休み時間などに、油絵の匂いの漂う美術準備室で麦茶などをご馳走になりながら、絵や音楽や、家族のこと、友達との事など、色々とお話をしてもらいました。僕のつまらない話もいろいろと聞いてくれて、「おまえ、変わってるなぁ」よく笑ってくれて(笑われて?(笑))ました。夏休みには、僕を含めたクラスの有志4人を、さいたま県にある「原爆の図 丸木美術館」に連れて行ってくれました(ページ内、原爆の図というリンクから絵も見れます)。

目の前に広がる、原爆で焼かれた死体、死体、死体。これぞ、まさに地獄絵図。しかし当時はまだ、今ほどすらの原爆に対する予備知識がありませんから、ただただ「うわー、なんだこれー。」程度にしか思っていなかったかもしれません。でもその後、川原でバーベキューをしてくれて、そこで「川村は戦争ってどう思う」などと聞かれたのは覚えています。バーベキューは絶対に美味しかったんだと思うけれど、結局今でも一番記憶に残っているのは、現実の血と灰で書かれたような、暗い色彩の重たい絵の印象です。

教えておきたい事は学校の外まで連れ出して教えてくれる。そして時に度を過ぎれば、ちゃんと叩いてくれて、「絶対にしちゃいけないことがあるのだ!ゴツンッ!」って身をもって教えてくれる。今は体罰にとても過敏だとニュースなどでは見聞きしますが、実際はどうなんでしょうね。僕は先生が皆、「今叩いたら、あとでPTAが・・・」なんて言って手をこまねいてるとしたら、それはそれでちょっと寂しい気もするんですけどね。子供も、寂しいかも。

叩かれる痛みを知らないで育った子供は、叩く痛みも、やっぱり知らないまま大人になる・・・そんな単純なことじゃないかもしれませんが、でも、やっぱり叱って、いざとなったら殴ってくれる先生の方が信頼できそうな気もします。といって、軍隊主義みたいなことを薦めているわけではないですよ、勿論ね。まぁ、現場では、難しいところなのでしょうけれどね。

私は先生に平手で叩かれるほど悪いことなんてしなかったから、という立派な生徒だった方もいらっしゃるかと思いますので、気付けば、なんだかお恥ずかしい話をしましたが(笑)。僕、バケツ持って廊下に立たされた時には、上っ面は神妙な顔をしてましたが、内心では「おお、マンガみたいだな、これ。」とちょっと喜んでいたのを覚えています。・・・こんなだからまた叱られるんですよねー(笑)。

昨日のブログ、読んでくださった方、また貴重なコメントを寄せてくださった方、ありがとうございました。僕も、まだまだ知るべきなのに知らないことが山ほどあることを痛感しています。僕のブログなどほんの小さなものですが、こういった機会をきっかけに、同じ日本人として、世界人として、また一緒に色々と考えていただけてたら、とても嬉しく思います

ではー。



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今日は終戦の日ですね。アメリカでは「対日戦勝記念日(Victory over Japan day)」と言うそうです。名前はとにかく、双方に、また世界中にとんでもない犠牲を出した戦争を考える日であることには間違いないようです。

僕の祖父は、父方、母方共にかの大戦で、実際に戦地で戦った経験を持つ、戦争体験者でした。

一緒に暮らしたことのある母方の、いつもは温和だった祖父が、その時は電話でかつての上官と話をしていたのでしょうか、「ハッ!ハッ!」と直立不動で受話器を握っていた姿を見たことを、薄っすらとだけ覚えています。生前、もっと色々聴いておけば良かった、と悔やまれますが、もはやそれは適わないのです。祖父はあの頃、一体どんな体験をしたんだろうか。

先日、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」という映画を見ました。日本人であるのに、ハリウッドのアメリカ人の作った映画で硫黄島のことを知り、こうして考えさせられているというのも、考えてみれば何だか皮肉な話でもありますが、とにかく、これはどちらも一見の価値のある映画でした。特に「硫黄島~」での、アメリカ兵が日本人捕虜を殺害するシーンの挿入などに至っては、他のアメリカ製戦争映画とは一線を画す、イーストウッド監督のヒューマニズムと、負の歴史に対する真摯で公平な目と姿勢を強く感じました。

ただ、これは「映画」ですから、史実を元にしてるとは言え、フィクションです。調べていくうち、僕はテレビで放送された約80分のドキュメンタリー番組「『鎮魂 硫黄島』 ~硫黄島で散った勇士たちの霊に捧ぐ」というのがあるのを知り、補完として、今日YouTubeで観ました。

これは特に、この映画を観られた方には是非ご覧になることをお勧めしたいです。映画にも登場した人物の、実際の素顔の一面や、生還者の方のインタビューなどが見れます。これを観ると、現実の戦いは映画で描かれていたよりも遥かに悲惨で壮絶であったことも、よくわかります(こちら)。

「硫黄島の戦い」は、終戦の半年ほど前に、ここに本土戦略の為の拠点を作ろうとするアメリカ軍からの、言ってみれば守りの戦いでした(硫黄島は東京都です。大きさは世田谷区ほどだそうです。)。当初「5日で占領する予定だった」、というアメリカ側の思惑に反し、36日間もの間、日本側にはろくに水も食料もない地獄のような環境で戦った、酷い戦いでした(アメリカ軍にしても、同じように酷い戦いだったのですが)。

色々調べてみると「一日でも長く抵抗し、島を守ることで、本土への攻撃を少しでも遅らせる」ための、ハナから勝ち目は無い、時間稼ぎの戦いであったと言えるようです(とても悲しいことですが)。なぜなら、戦局も悪化している時とはいえ、作戦途中で早々に支援も打ち切られていますし、大本営(戦時中の日本の、最高統帥機関です)からは事実上「玉砕せよ」との命令が下っていたようですから。「玉砕」とは、決して降伏することなく、最後まで戦い抜いて、潔く死ぬ、ことです(神風特攻隊の突撃も、こういった独特の精神の元、断行された恐ろしい作戦でした)。

大艦隊を控えたアメリカ側に対して、支援が無ければ、日本側はほどなく弾も尽きます。なので、戦えなくなり、「捕まるくらいなら」と手榴弾を抱えて自決(自爆、自殺)した方も沢山いたようです。また普通はありえないことらしいですが、指揮官クラスの人までもが、ふんどしひとつで、日本刀で戦車に切り込んでいったと言います。これをサムライ・スピリットなどというには、あまりにも悲しい光景だったことでしょう。

長い戦いの末、結果的には、アメリカ軍の勝利。戦いの後、一人のアメリカ人兵士が、土に埋めていた日記帳を取りに戻って、そのまま崖から身を投げたそうです。その兵士は、一体何を見たのでしょうか。何を考えたのでしょうか。

今日ドキュメンタリーを観て、ちょっとやそっとでは書ききれないほど、色々と考えさせられました。沢山の貴重なお話、言葉で溢れていましたが、番組冒頭で当時を知る元軍人さんが、「実は、硫黄島で実際に戦った兵隊さんというのは、お百姓さん、魚屋さん、八百屋さん、会社員の方達といった、どちらかと言えば体の弱い、普通の人達だったんです。職業軍人なんかじゃなかったんです。」と語っていたのが印象的でした。そうだ、今の僕達の生活は、そういった「すぐ隣の人達」の犠牲の上にあるんだよな、と。

「戦争のことなんて考えるの、難しそうだし、めんどくさい。」、「毎日の自分のことで、忙しいんだよ。」「今さら、そんな古い話持ち出さなくても。」・・・もしかしたら、こんなご意見もどこかにあるかと思います。でもね、もし戦争で亡くなった方達がそんな言葉を聞いたら・・・さぞかし悲しむことでしょう。「・・・俺達は、お前達の為に、戦ったんだけどな。」って。

あるニュース記事で読んだのですが、街で戦争について訊いたら、「戦争?別にいいんじゃない、やったって。だって、もしやられたらやり返さなきゃ。その時は、しょうがないでしょ。」と言って笑った若者がいたそうです。

「おいおい、ちょっとそこへ座りなさい。」という気持ちになりますが、やっぱり鬱陶しがられるのでしょうかね。でも、どうしても座らせて、ちょいと話をしなくちゃいかんな、なんていう気持ちなんですよね、今日の僕は特に。

戦争は、どんな理由があれ、もう二度とやっちゃいかんのです!と、とにかく書いてみる、終戦の日。

ではー。



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カフェ・・・カフェ飯・・・。

「ふむふむ。なるほどー。」とコメントを楽しく読ませていただいておりましたが(謎がだいぶ氷解しました。ありがとうございました)、しかしなんだか随分沢山の方から、この言葉が。

ん?喫茶店とはどう違うのん?

(関係各庁に問い合わせる)

・・・なるほどー、勉強になりました(笑)。内装とか、雰囲気とか、食器とかを、より重視するのですねー。お洒落なのですねー。パリから入ってきた「文化」なのですねー。いわゆるル○アールみたいな喫茶店や、・・・インターネットカフェや、はなまるカフェとはぜーんぜん違うのものなのですね。うんうん、あるあるー、見たことあるー(笑)。

で、ハタと気付きました。僕は、一人でカフェに入ったことが、無いです。なんか、これは逆に男一人では入りづらそう・・・な場所ではないですかね(笑)。

い、いや、そんなこたーない。は、入ってやる、入店してやりますともさ。

小脇に洋書のペーバーバックでも抱えて、「あーきみきみ、『ひよこ豆のコッシード風』と、『コーヒートースト』、そうだな、それに『ペパーミントラッテ』、・・・いや今日は天気がいちじるしく良いから『コールド・モカ・ジャバ』にしよう。あ、それからデザートに『バラの花のコンフィチュール』ね、メルシーボークーのシルブプレでセコンビア~ン」などと、言ってやるともさー。

・・・あー、無理だろうなー。何が出てくるのか怖くてドキドキちゃって、たまったもんじゃないかも(笑)。いやー、僕はやっぱり、その辺のラーメン屋さんで「生姜焼き定食ねー。あと、半ラーメン・・・、それから、一応半チャーハンも下さい」なんて言ってる方が合ってるかも(笑)。あ、いや、一人で行くなら、ですよ。そりゃ、TPOくらいは考えますよ、たぶん(笑)。

・・・しかし、こうしてオカピ(キリンとシマウマの合いの子みたいなルックスの、やたらカワイイ、キリンの仲間)の食事風景などを見ておりますと、ハタと思います。なんで、人間だけは、こうもあれこれ調理しないとダメなんですかねー。まぁ、それが楽しみでもあるのですけれど、・・・自然の動物は、自然のものをそのまんま食べれて、いいですね。健康的だー

あ、でもつい先日、中国でパンダが飼育係を殴った、というニュースを見ました。理由は・・・「食事が気に入らなかった」からだとか。まぁ、相当気に入らなかったんでしょうけれども・・・言うても、笹じゃないの?と、真っ先に思いましたが、どうだったんでしょうか(笑)。鮮度の問題だったかなー。あ、さては何か混じってたのかなー。でも100針も縫ったっていいますから、当事者の方にとっては全然笑えない話なんですがね

でもやっぱり興味があるので、僕も今度、お一人様カフェ体験してみたいと思います。あ、格好とか、決まりがあるとか?ラフでいいの?スニーカーはOK?ネクタイしてなくても、いいの?(←持ってない)。あ、あとー、ぶわっ・・・はありますか(笑)?

 

今日は午後に、テレビのお仕事をしてきました。来週の「うた○ん」という番組で、ちょっと意外な方の後ろでコソコソと何かしておりますので、もしお時間がございましたら、見つけて指差して笑ってやってくださいませ

ではー。



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暑いときこそ、熱いラーメンでります

↑こないだ冷やして食べてたくせにね(笑)。

でも、暑い時に熱いお茶をすすったり、なんていうのはやっぱりそれなりに縁側とかの風通しの良い日陰でのお話かと思えちゃったりします。なにせ、こう陽射しがギラギラと強くちゃ、さすがに熱いものは・・・と、いいつつもね、出先で一人でご飯を食べるっていうと、気軽に入れるのは黄色やオレンジや餃子なんかのチェーン店を除くと、やっぱり多いのはラーメン屋さんなんですよね。

入ったことないけど、美味しそうなお店を見つけては「開拓、開拓」と言って、暖簾をくぐる。常日頃からビッシビシアンテナを張っているから(笑)、「あ、ここ、この間テレビで見たぞ。あの人に聞いたぞ」と言って、暖簾をくぐる。幾つかのお気に入りのお店には「やっぱこのあたりまで来たら、ここだよ」と言って、暖簾を。

一人でイタメシ屋さん、などとうこともやってみたことが無い訳ではありませんが、どうも座りが悪い。落ち着いて注文できないものだから、明太子とタラコも間違えかねません。イタメシ屋ではイタいメに遭うシー、なんつって。

・・・えー(笑)、ならまだお蕎麦屋さんの方がいいのですが、でも、一人で食べるなら、「あそこの立ち食いでもいいよなぁ」(何店かお気に入りがあり(笑))、などと思ってしまう貧乏性でもあります。和食のお店のランチなぞにはたまに惹かれるのですが・・・やっぱり一人だと、なぜか結局ラーメン屋さんに入ってることが圧倒的に多い気がします。いや、いいんですよ、好きで入ってるんですから(笑)。

最近は、一人でいらっしゃってる女性も見かけるようになりました。先日など、カウンターで両側を若いお一人様ご来店の女性で挟まれ、片方の方は、なんと昼間からビールを注文しておられました。なーんか頼もしかったなぁ・・・そして、羨ましかったなぁ(僕はクルマだった(笑))。

実際どうなんでしょ、こんなことは珍しいにしても、結構ラーメン屋さんぐらいだと、今は若い女性でも抵抗なく一人で寄れるようになってきたんですかね。もちろん、場所によるとは思いますが・・・やっぱり、まだ抵抗のある方も多いのでしょうか。

もしそうでないとしたら(←僕の頭はラーメン屋限定なのか(笑))、女性お一人様の場合、どんなところでお昼(や、夜にしても)を食べたりするんでしょう。これ、実は長年の疑問の一つなのであります。だって、何だかんだ言っても、やっぱり男女比からすると・・・ラーメン屋さんには少ない気もしますし、牛丼屋さんにも、増えてきたとは言えー(笑)。うーん、食べてないってわけないしなー。謎だー

なんか我々の知らない、秘密のお店とかがあるんでしょうか。よろしかったら・・せめてヒントだけでも(笑)。

ではー。



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友人は、電話口でこう言いました。

「言っとくけど花火というより、もう爆発だよ、爆発。」

「爆発を観に行こう」とは何やら物騒な誘い文句ですが(笑)、それでも、花火なら良いでしょう。「それは面白そうだ。行くよくるよ。」と、即答しました。

確かに船から見る花火は、距離が近い分、見た目の迫力も音も数段増しに感じました。大きいのになると、まるで頭の真上ではじける様

せっかくですので、何枚かご覧頂きたいと思います。

ドンッ!音圧を肌で感じます。

 

 ドドーン!ドンドーン!

 

 バラバラバラーッ!

 

夜空が明るくそまります。

 

(漁)船の裏側へ回って。

 

酔いがまわって、実際僕の目にはこんな感じだったりして(笑)?

 

 吸い込まれそうです。

 

・・・もうこうなると(笑)。

ほんと、確かに爆発でした。とっても美しい、伝統の爆発、とでも言いましょうか。ただただ見とれてシャッターを切ってました。

あっという間のショーでした。最後の一発の後の静寂には、「おぉー・・・」という感嘆の溜め息。

いやー、あんな良いもの見せていただいちゃったら、そりゃーね、お酒もすすむってもんですよ(←自己弁護(笑))。いいですねー、花火って

ではー。



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どんどどーん!

えー、只今花火を見ております。屋形船・・・でなく、漁船に乗って(笑)。ではまたー。

・・・と書いて送信。

送信できず。よく見ると、圏外であることが判明

そのうち、飲めや飲めやの大騒ぎで・・・僕が圏外に(笑)。

とゆーわけで、ご心配をおかけしてしまったようですみません。

一応、携帯に送信履歴はあったということで、その時点にさかのぼって更新してみたり。だめ(笑)?

写真は、ポイントに向かう漁船クルーズにての、ぷ。

ではー。



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汗だくでライブを終え、客席を見渡せば、なんともまぁ贅沢な(ё_ё)うわー。
素晴らしい対バンに、さらにゲストで出た超大物ギタリストの音にまだくらっくらしてます(笑)。

沢山の友人や、大好きな大先輩ミュージシャンにもお会いすることもできて、ちょっと興奮&空腹気味~。

かたさな!

---追記。---

今日の午後、僕はこのマットを踏み「LIVE BAR TheDOORS」に入りました。

そして、夜半前に、このマットを踏み、外へ出ました。

本当にこの数時間のうちに、色々な体験をしました。色んな人に会えました。

THE SONSの、Ichiroさん(なんだかんだでもう13年くらい前からのお付き合いをさせいただいてます。とってもフランクなナイスガイ。久しぶりにゆっくり話せて楽しかったー)、鮫島秀樹さん(小学校の頃、ツイ○トから見てますからね、もうスターですよ、スター(笑))、ロジャー高橋さん(この方のドラムも、僕は高校の頃からき聴いてましたねー)。

そして観客席には、Y本K司さん(言わずと知れたBOWWOW、VOWWOWのギタリストさん)、S崎H己さん(UP-BEAT時代から、対バンなどで、かれこれとっても長いお付き合いをさせていただいているキーボーディストさん)、Y田K士さん(オリンピックの年、4年に一度やっていたジャングル・デ・ナイト・セッションでのボーカリストさん。智浩くんも在籍している泥沼楽団で素晴らしい唄を。)、木村建さん(うーん、もはや説明の必要、無さそうですね。素晴らしいギタリストってことくらいしか(笑))、J吉長さん(うわー、うわー。・・・としか言いようがない日本ドラマー界の超重鎮)、M輪H志さん(・・・僕はこの方がいなかったら、間違いなく今ここには居ませんでした。いずれ、M輪さんとのお話は、絶対ちゃんとここに書きます)。そして、今夜はTHE SONSさんのゲストとしていらっしゃっていたスーパーギタリスト、CH○Rーさん。・・・他にも沢山のミュージシャン達が集まっておられました。

・・・いんやー、すごかった

今日のライブ中ね、ふと、こんな方達の前で演奏してる自分を考て、思わずちょっと笑えてきちゃったりもしました。「なんだ、これ?」って(笑)。しかし、終わってみればやっぱりまだまだ課題だらけで、この課題の多さにも・・・おもわず笑えてきちゃったりして(苦、笑いですけど)。

しかしみんな今夜、この同じマットを踏み、ここに集まったんですよね。なんか、こんなことで一体感を感じたりしてね。音楽って、凄いです。勿論、お客さんの皆さんの皆さんも一緒ね。楽しい夜を一緒に過ごしてくれて、つくってくれて、どうもありがとう。そして、またしても、お手紙や贈り物も頂きました★。いつもいつも、本当にどうもありがとうです。わーい。・・・(←こっちか(笑))。

勿論、ライブそのものも最高に楽しかったです。明日はまたきっと首が・・・(明後日でないことを祈る。(笑))。いつも見ていてくれるスタッフさんが、「また前よりも一層バンドっぽくなって来た感じがしたよ」って言ってくれました。

なんたって「斉藤光浩バンド」だもんね

どうも、「川木さケン」です(笑)。そしてまた次回、11月22日も、ここ「DOORS」で、頑張らせて、楽しませてもらうことになりました

「かたさな」?あれ、普通に「かたさなきゃー」のつもりでしたが・・・。まぁ確かに、こう字で書くとなんか、ねー。僕の17年来の友人でもある、僕達の敏腕凄腕金髪長髪ラーメン大好きローディーチーフのMが、コッテコテの関西人なもので、よくこう言うので、ついうつったのでしょう(笑)。

外はすっかりもう朝。今日もまた暑いのでしょうね。さて、寝なきゃー。でも、その前に・・・やっとこさの、ぷ(今日はクルマで出てたからー打ち上げでも飲めずで(笑))。 

5:35AM

ではー。



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よしコイ、皿ごと食ってやるっ!・・・位の勢いで一気に食べないと食べきれないのだ。

けどこうも暑くちゃ、しっかり食べないとね(←半分口実(笑))。明日の為にも(`・へ・´)!      

さて、今日の選択はどれでしょう(笑)?

---追記。---

あらー、こりゃ無理だー、つぶれちゃってて僕もさっぱり読めませんでした、パソコンからでも。これで質問するなっつーんですよね(笑)。すみません。なので、D40で撮った写真に差し替えましたが、戒めとして、一応、携帯での写真もキープ。

で、・・・はい、正解、どん。

ボリューム満点セットの4番、生姜焼き定食+半ラーメン・・・って、「おい似たような写真、最近見たぞ」とお思いなるかもしれませんが、まぁ単純にまた食べた、ということです。えぇ。だって、美味しいんだもの

さぁっ、明日は(斉藤)光浩さんライブの本番です。今回は、対バンもありますし、色々と今日になって変更になったアレンジもありましたので、これまたなかなかの緊張感があります(笑)。でも、またこれをバネに、なおのこと楽しんできちゃおうと思っております。参加される方、一緒に楽しい夜にしましょうねー

---さて。---

ガラっとお話は変わりますが、今日9日は長崎原爆記念日でした。なので、書いておきたいことがあります。

お昼前に、テレビで平和祈念式典の様子を中継していたので、見てから仕事に出かけました。そこで出席した我が国の現首相は「核廃絶に向けて努力したい」と言いました。

なぜ、「します」ではなく「したい」なのか。いったい彼らはいつまで、こういう物言いをするのでしょうか。首相が「必ず核を廃絶します!見ていてください!」と原爆で亡くなった方々や遺族の方々の前で、力強く言ってあげてたら・・・どんなにか勇気が、元気が沸くことでしょうか(結果がすぐ出るかはともかくとしても)。大切な場面で、「向けて」「努力」「したい」という、三重のエクスキューズ。これで「このリーダー、頼りがいがあるなぁ」と思えますでしょうか。勘ぐってしまいますが・・・これは、誰かに遠慮しての発言なのでしょうか。

などと言うと、発言の揚げ足を取った様ですが、でも国の首相の公の席での発言は、世界から見たら、「日本の発言」でもありますからね。これは、当然です。

戦争は、誰が始めますか。いざという時に、「やりましょう」というのも、「いや、やめときましょう」と止めるのも、その時の世論ではなく、結局は国民が事前に選挙で選んだ、政治家です。そしてその政治家が選んだ、首相です。

よく信じられないような失言や、失態をした政治家が、いまだ「政界の大物」「○○派のトップ」などいって大きな顔をしています。なぜでしょう?あのとき、あんなに皆で「ひどーい!信じられない。辞職しろー!」と言っていたはずなのに。答えは簡単です。

次の選挙で、またその人が当選するからです。

なのでね、よく聞く言葉なんですけど、「戦争反対とか言うけど、私達に一体何が出来るの」。ここに、そのうち一つ答えが見えてきます。僕達の投じる一票の力。

勿論、これはできることのほんの一つ。僕はこれだけではないと考えていますが、長くなりますし、またいずれ。そして、もっと考えてみます

そうそう、お断りしておきたいのですが、僕には特定の支持政党や支持者などはありません。いわゆる、無党派層というやつです。日本を皆が安心して暮らせる、安全でより良い国にして、国民を内外の不安から守ってくれるなら、誰であれ、それでよいです。政治家というのは、本来それをするための方々ではないでしょうか。

長崎原爆資料館には、三年前程にツアーで長崎を訪れた際に行きました。ライブ当日の午後だったので、さすがに涙をこらえなきゃ、というのと(・・・少し泣いちゃったけど)、ライブの為に気持ちを正常に保っておかなければ、という気持ちがあって、すごく踏ん張りながら展示を見たのを覚えています。結局、ぐわんぐわんに揺さぶられましたが、もっと早くに行って知るべきだった、と思いました。どんな戦争でも泣き、叫び、犠牲になるのは、いつも一般市民ですよね。そして、それは僕であり、あなたであり、あなたの大切な人。

・・・やっぱりこの時期は、意識せずとも色々とインプットが増えるので、考えさせられます。

ではー。



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「ALL THE BEST」・・・万事うまくいきますように、などの意

友人との別れの際などに言ったり、手紙やメールの末尾に付ける決まり文句の一つ。末尾に「to you」を付けたり、メールなどではさらに略して「Best」などともよく使われるそうです。同意に「Best regards」「With best wishes」など。日本語でいう「じゃ、よろしくー!」等にも相当するそうです。あと、勿論、昨日コメントで頂いたような様々な意味や使い方もありますね。便利な言葉なんですね。

気付いて教えてくださった聡明なみなさん、ありがとうございました。その前に「E」は2つもあるのだから、字の違いに気付くべきでした。恥ずかしやー

そして、僕の間違いを、きっと疑問にも思いながらも優しく素直に受け入れてくれて、なおかつ調べてくださったり、一生懸命考えてくださったみなさん、ごめんなさいー。・・・あと10回言おう・・・(←言ってる)。

はい、でもお蔭様で5年に渡る謎が解けて、すっきりしました。いや、訊いてみてよかったです。ホント、きくは一時のなんとやら、きかぬは一生のなんとやら、ですね(笑)。 

そして、写真ね。見つかりました。どこにあったかと言いますと・・・、

昨日、ブログを書こうとパソコンの前に座り、この写真のことを思い出しました。「たしか、ここにしまったよな」と、最初に思いついた場所を探しましたが、見つからず。「あれ?じゃ、あそこか。」と、違う部屋の棚を見に行きました。あちこち引っくり返すも、見つからず。

首を10度ほど右にかしげながらパソコンの前に戻るも、やっぱり先に写真ないとなー、と、もう一度仕事部屋の本棚などを注意深く探す。でも、見つからず。パソコンの前に戻る。首は35度まで傾く。ちょっと痛い(笑)。

「確か、カメラ屋さんで貰った、紙のアルバムに入れてたよな・・・」と、もういちど違う部屋の本棚に行き、それらしい写真入れを見つける。・・・関係ない10年とか15年前の古い写真がゾロゾロでてくる。なんと化粧をしてるアマチュアバンド時代の写真など見つけてしまって、これには真剣にびびる(←そういうこともあった。まぁまぁ(笑))。封印。しかし、目的のアルバムは見つからず。他にアルバムを置いておくような場所はない。パソコンの前に戻る。首は80度。痛い(笑)。

ここで、「あーっ!ならばあそこか!」と、クローゼットの奥にしまってあるちゃんとは整理していない写真の入った箱をゴソゴソと取り出す。しかし、さっきのよりも、さらにさかのぼって・・大学、高校の頃や、さらに中学時代、小学生時代、挙句の果てに、生まれた頃の写真まで出てくる。うわー。僕はいったい、何を探しているんだ。自分探しか(笑)。

90度を超え、まるで傘の取っ手みたいになりながら、パソコンの前へ。「あっれー・・・・・・もしかして、アルバムじゃないのか。」じゃあ・・・「そうか、ならもしや譜面と一緒に」、と思い、また別な部屋の棚に行き、彼らと演奏した曲の譜面の入ったファイルを探す。ここで、最後のページに挟んであった、昨日のチラシを見つけ、「お、じゃあひとまず、これで。」と、写真を撮る。

でも、ブログの一文字目を書いたところで、やっぱり気になり、もう一度、部屋中のクリアファイルなどを開き、探す。しかし、出てくるのは説明書、保証書、領収書、○※△◇・・・おいー、お前ら、どこいったー

で、頭が床に着いた、逆U字型磁石になった僕は、パソコンの前に戻り、そのままの姿勢でブログを書き終えました。ぽち。はい、投稿完了。

で、ふとパソコンを見て、なんとここで、完璧に思い出したのです。

 

・・・そうか。キミ達はこの中か。働くの遅いよ、僕のシナプス。

 

そう、もうお気づきの事と思います。写真はデジカメで撮った写真だったのです。あぁ、おっちょ・・・。

残念ながら、この写真のポールはニカーではなかったし、僕の何だかヘルメットみたいな髪型と虹柄のパーカーはなかなかアレですが(笑)、・・・ビールだけは記憶通りでした。

あまりの自分のおっちょこ・・・さに泣きながら笑ったら、どうにか首は元に戻りました(笑)。・・・ちなみに今日のタイトルは、分かる人には、分かるはず(=同年輩の方(笑))。

ではー。



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昨日のブログへの皆さんの書き込みを読ませていただいて、とても感激すると共に、僕もまた勉強になり、また色々考えることができました。ありがとうございました

僕は、日々声を大にして誰かに平和を説けるような人間ではありません。くだらないことで何かに苛立ったり、誰かに腹を立てたりすることだって、勿論あります。

でも、戦争は大嫌いです。

大変皮肉なことに、僕達の生活で使われる技術は、戦争があるたびに、飛躍的に発展してきたという歴史、側面があります。でもね、それゆえ、ちょっとしたことでも、身近に「戦争が実際にあったこと(あること)、今の普段の生活にも繋がっている現実なんだ」という事を感じることもできるんです。ちょっと身の回りを見回してみます

当たり前のようにスーパーで売っている瓶詰めは、ナポレオンが長い遠征(つまり戦争)の時の兵士の食料を確保するために、懸賞を出したことで、発明されました。その後発明された缶詰も同じで、元々は主に軍隊の食料として存在しました。

トレンチコートを持っていらっしゃいますか?このトレンチ(trench)とは、戦争で身を隠すために掘られる「塹壕(ざんごう)」という意味です。塹壕の中で動きやすくするため、ベルトが付けられたコートのことです。第一次世界大戦の時に発明されました。

第二次世界大戦の頃、軍事通信用に「マイクロウェーブ」という波長の一種を使うという技術がありました。これがレーダーの設置技師により、偶然料理に使えることが判って発明されたのが、皆さんのご家庭にある、電子レンジです。

戦場では通信が重要になります。そのため、電線のいらない電波による通信の技術開発が必要でした。これは、そのまんま・・・今や誰もが持っている携帯電話に流用されています。

カーナビも、軍事(監視)衛星の技術競争がなければ、もしかしたら、まだ存在しなかったかもしれませんね。ネット上で、航空写真のように、世界中のありとあらゆる場所が、ビックリするほど細かく見れる「グーグルマップ」なども同様でしょう。

インターネットだって、元々は冷戦時代にアメリカで国防用に、なんと皮肉なことに、「核爆弾が落ちても壊滅しないネットワークを」と開発された技術です。でもインターネットがなければ、当然このブログだって存在しません。

殺虫剤や除草剤なんて、そのまんまあれは生物を殺す為の兵器です。最近のこれらの(毒)薬の効き目は、恐ろしいほど強力です。それだけ、そういう技術が進んでいるということですよね。

まだまだ、探せば沢山あるでしょうね・・・。何度も繰り返しますが、本当に皮肉な話です。

誰かは言うかもしれません。「随分恩恵に授かってるじゃないか」・・・えぇ、でもだからと言って、戦争を肯定するわけには行きませんよね。戦争は、どうしてもいかんのだ。嫌いなのだ

写真は、昨日お話したイギリスはリバプールのバンドの「THE SKYLARKS」です。右上が件のP、ことポール・リロイ。当時彼は23歳くらいでしたか。僕は2002年に、彼らが最初で最後の来日した時のサポートキーボードをして、一緒に全国をキャンペーンしたり、ライブハウスや、サマーソニック02にも出たりしました。残念ながら、もうバンドは解散してしまったけれど、風の便りでみんなそれぞれ音楽活動をしているとは聞いています。ちなみに、ポールという名前は、彼のお母さんがビートルズのポール・マッカートニーの熱狂的大ファンで、そう名付けたんだそうです。音楽大好きで、真面目で、何につけ研究熱心で(唯一人、日本食に果敢に挑んでいた(笑))、ニカーッって笑う、とってもいいヤツでした(みーんな、イイやつでしたよ)

彼らと一緒に、ライブ後のバーでビール片手に撮った写真もあったと思うんですけど・・・さっきちょっと探したんだけど、見当たりませんでした(笑)。どこいったかなぁ?でも、絶対にあるはずなので今度見つけときます。昨日彼らの話を書いて、僕も見たくなったし。「TO KEN LA」の「LA」はリバプールの言葉で「友達」という意味です。「ALL THE BET」の意味は・・・「全てを賭ける」でいいのかなぁ・・・わからないんですよねー。どなたか教えてくださいませんか(笑)。

ではー。



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夕焼け空を描きましょう、って言われたら、あなたは何色のクレヨンを持ちますか?

僕は、最初にオレンジ色に手を伸ばしてしまうような気がします。先入観、というか、イメージとしては、オレンジ色の空・・・。でも、実際はもっともっと、色んな色で出来てるんだな、とこの写真を撮って改めて思いました。木立の隙間から覗いた、赤い空。・・・とってもキレイで、あわてて一枚。ほんの数分後には、もう違う色になってました

僕達の数分は、地球規模の時間で考えたら、ほんのわずかな一瞬ですよね。だから、実際あれは、もの凄い速度で色を変えてるんだなぁ、などと思って見とれてしまいました。

62年前の今日、広島の空はどんな色をしていたのでしょう。広島の人々の心は、どんな色をしていたのでしょう。今日は、広島原爆記念日ですね。

あの日、目の前で、3歳の弟を失ったという76歳のおじいさんが、「・・・泣きもせず、『はい。』と一言だけ言って、死んでゆきました。」

そうテレビのインタビューに答えていたおじいさんの時間は、きっとその瞬間に戻ったのでしょう。続けて、「ごめんね・・・助けてあげられなくて、ごめんね」と、唇を震わせて泣きました。

当時14歳のおじいさんは、幼い弟に、なんと問いかけたのでしょうか。「がんばれ。死ぬな。」でしょうか。「逃げるぞ。」でしょうか・・・。そして、「はい。」という返事を残して死んでいった弟を前に、14歳の少年はその後どうしたのでしょうか。テレビではそこまではわかりませんでした。ただ、そこで弟さんとの時間は、止まってしまった。そして今日まで62年間、その止まった時間を、ずっと背負って生きていらっしゃるんですよね。きっと止むことなど無い、やり場の無い悲しみ。62年経っても、ある人達の中では、まだ戦争は続いているんですよね。

前にイギリス人の若いミュージシャン達4人を、広島の平和記念資料館に連れて行ったことがあります。中で自由に見る事にして、出口で待ち合わせすることにしたですが、その中のギタリストのPだけが、いつまでたっても、一向に出てきませんでした。

「迷ってるのかもな」という話になり、僕は係りの方に事情を話して出口から入れてもらって、順路とは逆に歩いて彼を探しました。すると彼は、広い資料館の、まだほんの五分の一も進んでいない辺りで、実に熱心に資料に目をやっていたのです(英語の解説もあります)。

「どうした?大丈夫?」と声をかけると、Pは怯えたような、尋常でない目をしていました。今まで少し涙を浮かべていたようにも見えました。そして「・・・こんなことだったとは、知らなかったんだ。でも、知らなきゃいけないことだと思う。だから僕はこれを、どうしても全部読まないと気がすまない。」と言いました。しかしどうしても時間の都合があったので、あとの展示を半ば駆け足で見せることになってしまいました。それでも彼は何度も、「ケン、ちょっとだけ待ってくれ」と言い、足を止めては大きな目をさらに見開いて、「テラブル!テラブル・・・!」とつぶやいていました。

あの時、僕はそんな彼を急きたてながら、急がせて申し訳ない気持ちと、知ってくれようとしてありがたい、という気持ちで一杯になると同時に、日本人である僕自身が、実際彼ほどの熱心さを持って展示に(原爆に)向かっていなかったと悟り、とても恥ずかしく思いました。なので・・・必ず、また行きます。

降ってくるのは、雨と雪で十分です。美しい夕焼けに、平和な空と、核廃絶を願って。

一人一人の力は小さいけれど、皆で力を合わせて、ちゃんと過去から学んで、明るい未来を築きましょうね

ではー。



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「・・・もー無い」

うんうん。気持ち、わかるよー

 

僕も、ちょっと今・・・ぐぅだから(笑)。

 

ちょっと作業に熱中症でこんな時間。寝なきゃなー

しかし今見たら、この先一週間程、神奈川県東部でも、毎日最高気温32度なりの予報になってます。こらーバテないように、しっかり食べなきゃいかんですね

・・・皆さんはもう朝ですよね(いや、君にも朝だ)。おはようございます。熱中症に気をつけてー

ではー。



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夏はやっぱり暑くなくっちゃ、らしくないっつーんですよね

・・・にしてもだ(笑)。この暑さは、強力。なかなかうだります。えー、「茹だる(うだる)」と「茹でる(ゆでる)」は漢字も意味も一緒です

というわけで、どうしても食べたくなって、季節モノを茹でてみました。たぶん昨日、自分で名前を書いたせいでしょう(笑)。

僕の場合、暑かろうが寒かろうが、食欲が落ち込むなんていうことは無いんで、写真のこれも麺は二玉です。お酢と辛子のおかげで、さっぱりしてますからね、もーいくらでも入ります。食べ終わって、やっぱりもう一玉茹でても良かったなと、思いましたもん。←本気です(笑)。

でもなぜか、朝よりも夜よりも、冷やし中華はお昼が似合う。というわけで、今日は明るい時間に、おすそ分け更新

いやー、しかしホントに暑いので、茹で上がって吹きこぼれちゃわないように、ちゃんと身体にも差し水してやって下さいね

ではー。



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いやー、しかしネコーって、見事に身体柔らかいですよねー

伸びるし、縮むし、丸くなるし。日本食の食べれない日本人や、リズム感の悪い黒人がいるように、身体の固いネコだって居るはずなんだけど・・・今のところ、みんなすごいです。僕らなんて、いくら伸びしたって、身長変わりませんものね

僕はどうやら、寝てたの起こしたみたい。彼とは、初めて会いました、このシマトラ氏。可愛いなー、しかし、よー伸びるなーと、じろじろ見てたら。

 

目が合った。でも、・・・伸びたままね(笑)。しかし後ろ足の具合が、個人的にたまりませんー。じろじろ。すると・・・、

 

なんか叫んだ

 

「(○★○※△◇и#ー)!」

 

今、なんつった?「冷やし中華、始めたニャー!」か?・・・違うか(読唇術お持ちの方、ネコスピリチュアル方面の方、ご意見募集。(笑))。しかし、なんだったんだろー。しかしね、ともかくこの後、

ほどなくバイバイしたのに・・・

 

付いてくるんです(笑)。僕を真っ直ぐ見据えてね。

 

のっしのっし。お金でも借りたっけ(笑)?

 

うわぁ、来たよー・・・と、見ていたら、彼のほうから、一瞬目をそらします。

?と僕も油断した次の瞬間、

 

・・・また、登られました。アイテテ。なぜだ。なんなんだ.、なぜネコーが僕に登るのだ(笑)。

ではー。



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日陰で猫がネコろんでました。・・・す、すいません(笑)。

しかし冬は日なたを探して、夏は日陰を。ゴロゴロとネコろぶのも、これでなかなか大変なんですねー(笑)。

「遊ぼうか。」

「いや、暑いし、眠いから。」

「まぁまぁ、ジャンケンでもしましょうよ。はいいくよ、ジャ~ンケ~ン・・・」

ほう。

パー、・・・か(笑)。

「しかし横着モノめ。足でかよ。」

「何を言う。言っとくが俺達のは、全部足だ。前足と後ろ足なのだ。よく君達はネコパンチなどと言うが、だからあれは本当はネコキックなのだ。」

「あー、なるほど。一応、ごもっとも。でも、やっぱり手でもあるんじゃないの?ほら・・・ネコの手も借りたい、とか言うし・・・。」

「だからそれは君達の勝手だっての。ってか、別に貸してやってもいいんだが、俺達の手で何をする気なんだ。一度、はっきり聞いてみたかった。聞かせてもらおうじゃないか。何をするんだ、ネコの前足で。」

「うーん・・・そうだよねぇ。確かに、言われてみれば僕も知りたいくらい。何が得意?」

「うむー、・・・ネ、ネコパンチ?」

「あ、今!」

「あ!」

 

「フッ(笑)。まぁいいじゃないか・・・。手も足も一緒よ。ほら、手も足も出ない、とかいうじゃないか。」

「それははっきり言って全然関係ないけどね。まぁ、いいやね(笑)。」

どうも見覚えがあると思ったら、前に会ったシロノラさんでした。

あー、足の裏見てたら、足裏マッサージ行きたくなってきたー(笑)。

ではー。



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