稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.8(昭和59年10月28日)

2018年03月28日 | 長井長正範士の遺文
○剣道は藝術であると言うこと。
藝術は美を表現する活動であり、永久に生命を保っている。
然(しか)して藝術は天地の総合したものであり、
陰と陽との二つから成っている。
故にこの陰と陽との二つの調子が狂うと藝術とは言われない。

剣道が世相に合致したものである以上、
剣道の姿勢、打ちの態度等すべてが相手に対し美の表現でなければならない。
打ちには美が最大のものであり、
技の表現の仕方が美につながって行かなければならない。

即ち剣道は芸術であると言う所以(ゆえん)がここにある。

○眞剣と言う言葉をよく使うが、
これあそのものに一貫して無駄なくやると言うことで、
例えば六分の力で打てるものを十分の力で打つ必要はない。

必要に応じた力をつかうのである。
この力の入れ方により美しさが現われてくる。

我々の日常会話においても、
その時その時によって言葉の表現が違うように
剣道も亦(また)あらゆるものに表現の仕方が違うのである。

昔は先の技は六分でとれと言った。

 面 → 六分(先の面は六分で一本)
 甲手 → 八分
 突 → 九分
 胴 → 十分(充分に打たねば斬れない)


(昭和46年8月、長正館にて一刀流の演武)
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