く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<若松みなと祭り> 幼児や中学生たちも「五平太ばやし」を競演

2015年07月22日 | 祭り

【威勢よく樽太鼓、「ハァーわたしゃ若松みなとの育ち~」】

 洞海湾を挟んで若戸大橋で戸畑とつながる若松では17~19日に「若松みなと祭り」が繰り広げられた。その主な行事の1つが郷土芸能「五平太ばやし」。船の形をした山車が樽(たる)太鼓の音と囃子歌に合わせて商店街などを練り歩く。特設ステージでは幼児五平太ばやし発表会や中学生の競演会なども行われた。

 

 若松はかつて日本一の石炭積出港として栄えた。五平太とは石炭のこと。石炭を運ぶ船は川ひらたや五平太船と呼ばれた。船頭たちは激しい仕事の合間、船縁を叩きながら民謡やはやり歌を口ずさんだ。それが五平太ばやしの始まり。若松が生んだ芥川賞作家の火野葦平が作詞した。「ハァーわたしゃ若松みなとの育ち 黒いダイヤに命を賭ける わたしゃ若松五平太育ち」。6番まである。

 

 18日の幼児発表会には若松区内の保育所・保育園9チームが出場した。木樽の太鼓を木槌で叩きながら、囃子歌を声を張り上げて歌うちびっ子たち。そのほほえましい姿に会場から大きな拍手が送られた。幼児たちは演奏後、舞台での記念撮影に続いて五平太船に乗せてもらってニコニコ顔でまた写真撮影。幼児の発表会が終わると、続いて中学生や社会人グループによる競演会も行われた。

 この日夜には台風で1日順延になった「くきのうみ花火の祭典」もあって洞海湾の夏の夜を彩った。最終日19日には市民が松明を手に高塔山(124m)の「河童封じ地蔵」を目指して登る火まつり行事。これも火野葦平の発案で約60年前の1954年に始まった。今年は約1700人の市民が参加した。

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<戸畑祇園ばやし競演会> 子ども山笠16チームが力強くお囃子を披露!

2015年07月22日 | 祭り

【今年で57回目、女の子たちも勇壮に「おおたろう囃子」】

 「戸畑祇園ばやし研究競演会」が19日、福岡県北九州市の戸畑市民会館「ウェルとばた」で開かれた。戸畑祇園大山笠は国指定の重要無形民俗文化財。祇園ばやし競演会は祭りの伝統やお囃子の技術を子どもたちに継承していく目的で1959年に始まった。今年で57回目。子どもたちにとって競演会はまさに晴れ舞台。今年は子ども山笠の小学生16チームが参加して日頃の練習の成果を存分に発揮してくれた。

 戸畑の祇園まつりは毎年7月の第4土曜日を挟んで3日間繰り広げられる。最大の見どころは中日の大山笠競演会(今年は25日)。古式ゆかしい昼間の幟(のぼり)山笠が、日が沈むと高さ10mの提灯山笠(重さ2.5トン)に姿を変え、これを約80人で担いで速さを競う。区内4地区から「東」「西」「天籟寺」「中原」の大山笠と中学生が担ぐ小若山笠の計8基が繰り出す。

 

 祭りの間、幟や人形で飾り立てた子ども山笠も小学生や幼児たちによって引き回される。その際、太鼓と鉦(かね)、チャンプク(合わせ鉦)で奏されるのが勇壮なお囃子「おおたろう囃子」。祇園ばやし競演会の舞台中央にはで~んと今年の当番山「東」の幟山笠。その前でこのお囃子が約2時間にわたって次々と披露された。中には大きな太鼓に姿が隠れるほどの小学2年生や3年生も。だが、おなかに響く太鼓の迫力はそんなちびっ子とは感じさせない力強さだった。司会者も演奏が終わるたびに「すごい」「うまい」を連発していた。

 

 参加した子どもたちの中には女の子の姿も目立った。太鼓も鉦もチャンプクも全員女の子という場面も。その息の合った演奏ぶりに司会者も思わず「3人とも女の子ですよ」と目を白黒させていた。子どもたちに続いて中学生による小若山笠4組が「獅子舞」「居神楽」「おおたろう囃子」「大上り」などを披露(写真㊨)。最後に大山笠の囃子方による模範演技が行われた。本番を1週間後に控えて熱い力演の連続。ただ、ひとつ残念なことが。小学生の指導者の一人が「最近はマンションが増えて、太鼓の音がうるさいといった苦情が寄せられることも。練習もままならなくなってきた」とこぼしていた。200年以上の長い歴史を持つ伝統行事。地域全体で温かく見守り育ててほしいものだ。

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