【威勢よく樽太鼓、「ハァーわたしゃ若松みなとの育ち~」】
洞海湾を挟んで若戸大橋で戸畑とつながる若松では17~19日に「若松みなと祭り」が繰り広げられた。その主な行事の1つが郷土芸能「五平太ばやし」。船の形をした山車が樽(たる)太鼓の音と囃子歌に合わせて商店街などを練り歩く。特設ステージでは幼児五平太ばやし発表会や中学生の競演会なども行われた。
若松はかつて日本一の石炭積出港として栄えた。五平太とは石炭のこと。石炭を運ぶ船は川ひらたや五平太船と呼ばれた。船頭たちは激しい仕事の合間、船縁を叩きながら民謡やはやり歌を口ずさんだ。それが五平太ばやしの始まり。若松が生んだ芥川賞作家の火野葦平が作詞した。「ハァーわたしゃ若松みなとの育ち 黒いダイヤに命を賭ける わたしゃ若松五平太育ち」。6番まである。
18日の幼児発表会には若松区内の保育所・保育園9チームが出場した。木樽の太鼓を木槌で叩きながら、囃子歌を声を張り上げて歌うちびっ子たち。そのほほえましい姿に会場から大きな拍手が送られた。幼児たちは演奏後、舞台での記念撮影に続いて五平太船に乗せてもらってニコニコ顔でまた写真撮影。幼児の発表会が終わると、続いて中学生や社会人グループによる競演会も行われた。
この日夜には台風で1日順延になった「くきのうみ花火の祭典」もあって洞海湾の夏の夜を彩った。最終日19日には市民が松明を手に高塔山(124m)の「河童封じ地蔵」を目指して登る火まつり行事。これも火野葦平の発案で約60年前の1954年に始まった。今年は約1700人の市民が参加した。