爺の世間ばなし

思いつくままのお喋り

ユニークな先輩たち

2024年11月05日 | 日記
飯塚さん、職場旅行で入浴後のこと ランニングが無くなった言うので、見ればパンツの上にランニングを重ねてはいている。 翌朝 今度は靴下が無くなったと、素足で革靴はいて何食わぬ顔。

池田さん、職場の親睦野球でのこと、力任せに振るバットから、いい当たりを見せる好打者だが、毎回3塁ベースに向かって走る、周りからの反対、反対の声がけで1塁に向かって走り直す。

田村さん、昭和34年頃、同じ職員アパーの2階だった、酒を飲んで帰宅の際は、決まって3階の我が家のドアをノック、施錠していない時は玄関に入り込み、栄養豊かな奥様が強引に連れ帰る。

大塚さん、保健所勤務の時、神経質の方で宿直の就寝前には事務室の柱時計を止め、いびき、寝息も気になり別室で寝る。ある日、調理用のボールで下着の洗濯してひと騒ぎしたことも。

 

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チョンガー生活

2024年11月01日 | 日記
20歳の春、昭和28年3月1日付「新潟県柏崎保健所勤務を命ずる」、一枚の辞令は今も保存されている。県職員になった喜びと親からの開放感を覚える中でチョンガー生活が始まった。

初任給5400円、勤務地手当270円、計5670円 控除後の手取り4500程から3食付き下宿料3500円を支払った残り1000円少々と月5回の宿直料1800円が小遣いだった。

ボーナスは衣類、カメラ、ポータブル蓄音機を買ったり、遊びの範囲が広くなるにつれ、深刻な小遣い不足が常態化して、13円の銭湯代もままならず、給料日払いになるなど、貧乏生活が定着していた。

小言を言う者がいないので自由気ままに遊び転げる日々だった。好きだった映画(30円)の帰りに夜食のラーメン(30円)、勝ち目のないパチンコ、何時も金欠状態だった。

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学力差

2024年10月25日 | 日記
昭和14年から6年間の田舎の小学生時代は、真剣に勉強したという覚えが全然ないにもかかわらず、偏差値の低い小学校だったのだろう、卒業式には成績優良の証をいただいたのである。

戦時下だったことで、毎年イナゴ取り、落穂ひろい、ドクダミ、ゲンノショウコの薬草の採取、テントウムシ、ずい虫取りなど害虫の捕獲、桑の木の皮むきなど楽しくない行事ばかりを覚えている。

昭和20年旧制中学1年生の教科は、国語、漢文、歴史、地理、体操、幾何、代数、、英語、生物、配属将校による教練だつたが、理解するのに苦労しながら一学期が終わった。

一学期の通知書の成績が150人中の128番は、他の学校との学力差を痛感、卒寿が間近になった今も忘れないである。この時のショックが初めて勉強する気にさせてくれた転換期となった。

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のんべえの介護

2024年10月20日 | 日記
爺は酒は嫌いではないが量は飲めない体質のため、ほろ酔い気分で終わるので よく言う二日酔いの体験はないが、現役時代は酔っ払いの後始末係りと言う損な役割体験は数々ある。

のんべえを自宅まで送り届けるのは、書留郵便の配達と一緒であり、奥様からの丁重なるお言葉がハンコ代わり,後で、当人も奥様からの厳しいお言葉をいただくのであろう。 

昭和63年夏だった、市内のベンチに寝込み交番に保護され警察署の留置場にお休み中の部下のF氏をお迎えに行ったとき、会えば 「おぉ ご苦労」の一言、のんべえは、誰よりも偉い。 

のん兵衛の介護は、憎らしくもないが可愛くもない、酒は 程々になどと言っても無駄なことであり、いつの世にも、安全を支えてくれる介護するボランティア活動がある。

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老化期

2024年10月15日 | 日記
91歳の半ばを過ぎた爺も、昔々は人並みの成長期と成熟期を経て、今は川を渡る日も遠くない老化期の日々である。認知機能に大きな支障はないが、体のあちこちが着々と老化している。

目はかすみ、耳は遠くなり、腰,ひざ、ふくらはぎの痛み、消化不良による胃もたれ、それぞれの専門医で受診するも、治癒することのない老化現象では、共存していくしかない。

時々近くのコンビニと100円ショップまで杖をついて散歩方々買い物を楽しんでいるが、以前は数分で行けたのに、今は途中一休みしながら15分ほど、若者は爺を追い越して行く。

救急車のお世話になった83歳の時の痛風、84歳の時に命拾いした心筋梗塞は、月に一度の定期検診で数種類の薬をいただきながら異常ないので一安心している日々である。

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