昨今の土木工事といえば、あちこちで公共下水道工事、真っ黒に日焼けした交通誘導員、仕事の性格上か運動不足と見られるメタボ型の方が多いのも気がかり。
爺の周辺も下水道工事の完了で、家庭雑排水、浄化槽の放流水が無くなり、蚊や蝿の発生源であった側溝も、時々草取りをする程度。
余計なお世話だが、強烈な香りを提供しながら活躍したバキュムカーの役割も減少、行き先はどうなるのか、昭和26年、川崎市で開発されて利用したのが最初で全国的に普及したものだと言うが。
昭和26年当時、周辺農家のトイレの大部分は、母屋とは別に外に置かれ、農作物の肥料として利用するため、地下に桶を置き、二枚の板で橋をかけ、しゃがんで、前方に吊るした麻縄に捕まりながら用を足すのが一般的で、満タンになると桶を交換し、熟した頃に利用していたよう。
農家以外は汲み取り式のトイレ、時々、農家の方が汲み取ってくれるが、蝿が飛び回っているので、外へ追い払うための「うちわ」が用意されている。
大便、小便一緒の溜めなので、時には大便時は「コマギレ」にしないと、おつりが来る。
今や、用足しは,お座りするだけで洗浄,乾燥とトイレ任せ、最後は、お上が、流末まで運んで浄化してくれるという下水道さま様。