新潟県内に112あった市町村も、平成の大合併で、20市6町4村に、役場と言う呼び名も懐かしく貴重な存在に感じる中で、周囲23キロ、産業は漁業だけ、人口400人に満たない小さな粟島浦村が今も独立している。
本土からフェリーで1時間30分、高速船で55分の小島でも、村長、収入役、教育長の特別職と職員十数人、村会議員も8人を擁した、れっきとした自治体で、行政と住民が一体となった家族といったところ。
昭和60年、役場の幹部と夕食を共にした時の話、乾杯の音頭を指名された爺、「粟島が無人島にならないことを祈念して乾杯」と本音で発声、島の女性は本土で就職、結婚、男性は自らの婚活で島へ連れてくる者以外は独身を余儀なくされる。
5月の島開きで、観光客や釣り人達は、50軒近くある民宿を利用、夏の間だけ交番が開設され、警察官を見ることが出来るという平穏な土地柄、マイカーの持ち込み禁止なので、散策は民宿の車か自転車で、名物料理は「わっぱ煮」。