男女共学なんて言葉は、今ではあまり口にしないので懐かしい感じもする、爺が在籍した小学校(国民学校)、旧制中学校、新制高校を通して男女共学の体験は無く、担任も全て男の先生。
旧制中学校へは汽車通学、旧高等女学校の生徒も一緒だったが、駅での集合場所は別々、乗車する汽車も中学生は先頭車、女学生は最後尾車に指定されていたのは、昭和20年の風景。
昭和25年高校3年になった年、1年生に女子が定かでないが20人ほど入学してきて、女子用トイレが新築されたのを覚えている、爺が活動していた庭球部にも二人の女子が入部したが。
幼いころに近所の女の子と遊んでいたのとは違って、何となく近寄りにくい雰囲気で、接し方も全くわからないまま、親しく会話した経験もなく、女子とは遠い存在であったかと。