僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

娘の部屋 その2

2009-02-16 | Weblog

先日、嫁と2人で沖縄に住む長女の家に行ってきました。
ちょうど娘がCAとして搭乗する飛行機があり、往路はその飛行機に
乗っていったんやけど、ええ年してまるで授業参観みたいやね。
まぁ、仕事ぶりは、やりたいと言ってた仕事だけに生き生きとしてて、
ちょっとまぶしく感じるくらいやった。肉体的にも精神的にもハードな
仕事やけど、健康と安全にだけは気をつけて頑張ってくれたら、と
思う。

で、宿泊は娘の家に俺は一泊、嫁は三泊して帰ってきたんやけど、
その部屋を見て今までにはなかった感情が湧いてきた。
娘がいなくなった実家の部屋を見たとき猛烈な淋しさがあったんや
けど、それとちょっと近い感情というのかな。
環境もいいし、利便もいい。部屋は明るくきれいで、仕事場には近い。
そういう意味では今までにない安心感も得られたわけなんやけど、
同時にこんな遠い所でひとりで頑張ってるんや、と思うと、なんだか
とても淋しい気持ちも生まれてきたのよ。

子供が親に頼らずしっかり独り立ちしてくれることこそが親の幸せ
やとずっと思ってきたし、今もその気持ちに変わりはないんやけど、
このあたりの感情っちゅうのはどうにも「娘の父親」のややこしさな
んかなぁ。

まぁ、50歳も過ぎると「初めての経験」ということがどんどん少なく
なってきて、心を動かされる機会も減っていく。そんな中でも二人の
娘達はいくら独り立ちしても心配や喜びをいつも与えてくれる。

どこにいても家族はやっぱりいいもんやねぇ。