僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

原発、尖閣より前に

2012-07-23 | Weblog
大津のいじめに関したことを書こうと思うが、まず、ご本人のご冥福をお祈りし、ご家族の方々に深くお見舞い申し上げる。

先週の3連休、孫たちと顔を合わせることが多かった。
見ていると3兄妹の上2人の男の子は、何かといえばすぐにケンカを始め、いつもどちらかが大泣きして親に叱られるまでやめない。でも、この間、私が知らずに兄のほうの白飯を食べてしまった時、弟が私のところにやってきて、「もっくんのごはん食べたらあかんやんか!“おしりペン”するで!」と言って、いつも私が彼にするかのごとく、私のおしりを叩いていった。とてもお兄ちゃん思いの弟である。

お兄ちゃんも同様で、なにかで弟が叱られていると、いつもあとでそっとかばってやっている。なんだかんだ言って二人とも兄弟思いのとても優しい子どもたちなのだ。
そして、二人共、一番下の妹には特に優しくて、いつも抱いてやったり、あやしてやったり、自分が今まで受けた愛情を人に授けることを自然と身につけている。

そんな孫たちを見ていると、この子たちは、場合によってはいじめの対象になる可能性はあっても、人を死に追いやるようないじめをするなんてことは絶対にないだろうな、という確信が持てる。

「生あるものを慈しむ」ということはあまりに当たり前のことすぎて、それができない人の背景が一体どうなっているのか、考える機会はあまりないが、なんのことはない、愛情たっぷりに育てる、ということがなされていないに過ぎない。

今、何をおいても議論されなければいけないのは、「人が人の心を失いつつあり、その原因のほとんどが親の愛情不足や意識不足である」ということではないのか。

原発、尖閣、消費税等すべての問題が片付いたと思ったら、まともな人間がいなかった、ではしゃれにならない。