「宅間守精神鑑定書」という本を読んだ。
あれだけの犯罪を犯した彼は、やはり幼少時からやはり特異な人格を持っていた。それに加えてやはり家族にもかなりの問題があったようである。
これに関しては、一概には言えないが、かなり高い確率で、「両親にちゃんと愛情を注いでもらっていない人がみんな犯罪者になるかというと、そうではないが、犯罪者のほとんどはきちんと両親に愛情を注いでもらっていない」とは言えるように思う。
精神分析は、分析というくらいで、当然結果からの逆算だ。
でも、人の“精神状態の結果”というのは、数学と違って、そこに至るまでの行程が同じであっても、必ず同じ結果になるとは限らない。つまり、人によって分析された性格がこうであるから、この人は必ず人殺しをする人になる、とは言えない。この人はちょっとアブナそうだから、なんらかの対策をしましょう、なんてことは倫理的に許されないし、無意味なのである。
加えて、人間であり感情を持っている以上、誰にも宅間が持っているような一面があるわけで、凶悪な犯罪者になるか否かは、結局、これ以上のことは絶対にしてはいけない、という「最後の砦」となる理性があるかないかだけの差で決まると言っても過言ではない。
では、その最後の砦を作るにはどうするのか?「このような精神状態の子供はこのように育てれば健全に育つ」なんて公式はないし、あっても公式通り答えがでないわけだから、残されたものはもうたったひとつ、「信念」しかないのではないだろうか。
時には跳ねのけ、時には背中を押し、叱り、褒め、人生で使う愛情のほとんどを子供に注ぎ込んだ時にだけ、子供は自分の「砦」を作ることができる。
子供の手が離れた今、自分自身が子供に果たして十分な愛情を注いでやれたのか、と考えたら、私ももう、精神がまいってしまいそうになってしまうのである。
あれだけの犯罪を犯した彼は、やはり幼少時からやはり特異な人格を持っていた。それに加えてやはり家族にもかなりの問題があったようである。
これに関しては、一概には言えないが、かなり高い確率で、「両親にちゃんと愛情を注いでもらっていない人がみんな犯罪者になるかというと、そうではないが、犯罪者のほとんどはきちんと両親に愛情を注いでもらっていない」とは言えるように思う。
精神分析は、分析というくらいで、当然結果からの逆算だ。
でも、人の“精神状態の結果”というのは、数学と違って、そこに至るまでの行程が同じであっても、必ず同じ結果になるとは限らない。つまり、人によって分析された性格がこうであるから、この人は必ず人殺しをする人になる、とは言えない。この人はちょっとアブナそうだから、なんらかの対策をしましょう、なんてことは倫理的に許されないし、無意味なのである。
加えて、人間であり感情を持っている以上、誰にも宅間が持っているような一面があるわけで、凶悪な犯罪者になるか否かは、結局、これ以上のことは絶対にしてはいけない、という「最後の砦」となる理性があるかないかだけの差で決まると言っても過言ではない。
では、その最後の砦を作るにはどうするのか?「このような精神状態の子供はこのように育てれば健全に育つ」なんて公式はないし、あっても公式通り答えがでないわけだから、残されたものはもうたったひとつ、「信念」しかないのではないだろうか。
時には跳ねのけ、時には背中を押し、叱り、褒め、人生で使う愛情のほとんどを子供に注ぎ込んだ時にだけ、子供は自分の「砦」を作ることができる。
子供の手が離れた今、自分自身が子供に果たして十分な愛情を注いでやれたのか、と考えたら、私ももう、精神がまいってしまいそうになってしまうのである。