本格的にアコースティックバンドを始めてから3年近くが経つ。
初めてライブをした時は、自分たちより上手いバンドばかり(今もそうだが)で、その人たちより下手くそな自分たちのことがとても恥ずかしく思え、ステージでは必要以上に入れ込んで緊張したり、同じようなミスを繰り返したりしていた。
でも、年数を重ねるにつれ、上手い・下手なんてのはバンドの価値にほとんど関係なく、ようするに個性を発揮できているかどうかが、バンド(orソロ)の価値を決めるものだと分かってくると、共演するミュージシャンは、好き嫌いはあっても、皆尊敬できる人たちばかりだと思えるようになってきた。そうすると、「自分たちは自分たち、他の誰でもない」という気持ちでステージに立てるので、緊張感が和らぎ、自然と笑顔がでるような演奏ができるようになり、結果、オーディエンスにも喜んでもらえるようになる。
そういうことが分かり始めた昨今、もうひとつ分かったことがある。いつの間にか「自分のことは後回し」になっていることだ。
プロ野球選手が、「とにもかくにもチームが勝つこと。自分のことはどうでもいい」と言っているこの心境そのものなのである。何より自分が一番大切な私としては自分でも理解し難いのだが、この心境がものすごく理解できるのである。
私はギタリストなので、ギターを褒めてもらえればもちろん嬉しいが、それよりも、ハーモニーがよかったね、とか、いつも安心して聞いていられるよ、とか、癒されるよ、と言ってもらえるほうが数倍嬉しい。もしNO.1ギタリストという称号がもらえるとしても(500%ありえないが)、それよりもNO.1バンドの称号が欲しい。
この3年間で、私のギタースタイルは、いつの間にか、「目立ちたい」から、「バンドを生かすようなギターを弾きたい」に変わっていた。
それは、同じ3年間で、他のバンドを尊敬できるようになっていったプロセスと全く一致する。
つまり、自分が後回しにできるのは、先に立つものが、他人への「尊敬」であるからだ。
チーム(バンド)とはいかに素晴らしいのだろう。ただただ、全ての出会いに感謝するのみである。
初めてライブをした時は、自分たちより上手いバンドばかり(今もそうだが)で、その人たちより下手くそな自分たちのことがとても恥ずかしく思え、ステージでは必要以上に入れ込んで緊張したり、同じようなミスを繰り返したりしていた。
でも、年数を重ねるにつれ、上手い・下手なんてのはバンドの価値にほとんど関係なく、ようするに個性を発揮できているかどうかが、バンド(orソロ)の価値を決めるものだと分かってくると、共演するミュージシャンは、好き嫌いはあっても、皆尊敬できる人たちばかりだと思えるようになってきた。そうすると、「自分たちは自分たち、他の誰でもない」という気持ちでステージに立てるので、緊張感が和らぎ、自然と笑顔がでるような演奏ができるようになり、結果、オーディエンスにも喜んでもらえるようになる。
そういうことが分かり始めた昨今、もうひとつ分かったことがある。いつの間にか「自分のことは後回し」になっていることだ。
プロ野球選手が、「とにもかくにもチームが勝つこと。自分のことはどうでもいい」と言っているこの心境そのものなのである。何より自分が一番大切な私としては自分でも理解し難いのだが、この心境がものすごく理解できるのである。
私はギタリストなので、ギターを褒めてもらえればもちろん嬉しいが、それよりも、ハーモニーがよかったね、とか、いつも安心して聞いていられるよ、とか、癒されるよ、と言ってもらえるほうが数倍嬉しい。もしNO.1ギタリストという称号がもらえるとしても(500%ありえないが)、それよりもNO.1バンドの称号が欲しい。
この3年間で、私のギタースタイルは、いつの間にか、「目立ちたい」から、「バンドを生かすようなギターを弾きたい」に変わっていた。
それは、同じ3年間で、他のバンドを尊敬できるようになっていったプロセスと全く一致する。
つまり、自分が後回しにできるのは、先に立つものが、他人への「尊敬」であるからだ。
チーム(バンド)とはいかに素晴らしいのだろう。ただただ、全ての出会いに感謝するのみである。