僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

せめぎ合い

2015-06-17 | Weblog
年齢を重ねると共に、若い頃にはなかった新しい感情が自分に芽生えていることに気付く。

若い頃は、男は少々辛いことがあっても、ツッパリ、やせ我慢をし、何ともないさという顔をして平然としていなければいけないと思っていた。でも57歳になるとそれが分かっていても出来ない。人を限定はするが、弱くて汚くて卑怯で…という、自分のありのままを見せてしまうこともある。
そんな男は一番嫌いだったのに。絶対にそんな男にはならないと誓っていたのに。「そんな歳なんだから、仕方がないのかも」なんて免罪符を勝手に作ったりもしている。

最も大切にしている男友達とは、お互いの背中を見て切磋琢磨し、お互いに信頼を得てきた。なのに、今は「今ここにお前がいてくれたらなぁ」、なんてことを平気で言えるようになった。

どんなことがあってもお腹が減り、眠れる私は、友達が生死の境をさまよっている病院の待合室でおにぎりを食べ、グウグウと寝ていた。そんな自分が今はほんの小さな悩み事に眠れない日も多い。

人に支えられるとはどういうことなのか、人を支えるとはどういうことなのか、が、分かり始めた。
人を愛するとはどういうことかが分かり始めた。
生きるとは、死ぬとはどういうことなのか、が、おぼろげながら見えてきた。

人生は積み重なっている。記憶にはなくとも、過去のことは自分の土台として必ず残っている。だから、新しく芽生えた感情が、過去と違う場合は、それらがせめぎ合う。
「そうやないやろ」「いやいやそうやもんしゃあない」と両肩に乗っかった小さな自分たちが戦っている。

だめな自分でもいい。せめて、両肩の自分が戦う場と時間位はなんとか与えてやりたい、と思う今日この頃である。